たとえそれが、空の彼方だろうとも。
ここは竹林の中だろうか。地面は雪に埋もれていて、空は黒い。満月だけが雪下を照らしている。
不思議な事にどうやって、辿り着いたのかは全く覚えていない。気が付いたらここにいた。
カルデアは標高数千メートルの山頂にある施設であり、到底竹林何てモノは近辺に存在しない。
「……レイシフト、って訳じゃなさそうだな」
幸い、刀もナイフもある。
――何故、全てが終わってから。またここに来たのかはわからないけど。
「えぇ、そうよ。ここは夢の中。
夢現の一時。醒めれば何もかもが消え去る欠片の一つ」
「……式」
白い着物の少女。
久しぶりに見たその姿に思わず笑みを零しかけたが――彼女の手に握られているモノに全てが引っ込んだ。
彼女の手に刀が握られている。それはかつて自分も使っていたモノで彼女から借りた力の一つだった。
その瞳は蒼く、視線はこちらだけを見ている。それが何を意味するのか、分からない訳がない。
「元の私には執着がなかった。だって、私はいつだって見届けるだけだから。私を求めるモノはあっても、私自身を見てくれる人はいなかった。
だけど、私は――貴方と出会った。出会ってしまった」
「……」
何も言わない。
幸い、彼女はまだ臨戦態勢に入っていない。
「貴方は私を見てくれた。私だけを、ずっと。その胸に、心にとどめてくれた。
それは今もずっと、残っている。夢に見るくらい」
「……」
「何故かしら。貴方の顔も、体も、カタチも、声も、髪も、瞳も、全て鮮明に思い出せるけど。それじゃあ足りないの。
貴方の中身を、見てしまいたくなる。貴方を、私の手で壊してしまいたくなる。
ねぇ、これって執着してしまったせいなのかしら」
彼女が一歩踏み出した。
その瞳の蒼さが、さらに増していく。
「――私は、貴方を
「――」
あぁ、何だ。そんな事かと安堵する。
ハッピーエンドを迎えたけど、貴方と会えないからもう一度巻き戻します、なんて言われたら溜まらない。
と言うより、彼女は多分自身の気持ちとの向き合い方が分からないのだ。
彼女は自分を根源、だと言っていたけれど。俺にとっては、ただの、ごく普通の女の子にしか見えない。
一見物騒に聞こえるその言葉は、彼女なりの、メッセージなのだ。
「なら、仕方ない。それでキミが眠れるのなら、俺は喜んで刃を交えよう。
まだ返せていない恩もあるから」
「……ありがとう。私ね、肉体を持って戦うなんて、これが初めてなの。だから、手加減を間違えるかもしれないけど。その時はごめんなさいね?」
彼女は微笑んでいる。
距離はおよそ十メートル。まだ間合いは十分。息を整える暇はある。
だが忘れるなかれ。相手はサーヴァントに匹敵か或いはそれ以上。常にこちらの斜め上を行くと知れ。
「――」
吸気。四肢に緊張を。
彼女はまだ遠い。
「――」
呼気。四肢に十全に。
彼女が刀を引く。
「――あら、私はここよ?」
「ッッ!!!」
背後へ跳躍。左肩を、彼女の刃が裂いていく。鮮血が滴り落ちる。
彼女の声を聞きなれていた。いつも傍で聞いていたからこそ反応できた。
視覚で彼女を捉えようとすれば、確実に死んでいた――。
「貴方が目を逸らしちゃうから、つい指が踊ってしまったわ。ごめんなさい。
赤いのね。キレイな色。貴方のソレは、より綺麗に見える」
線をなぞられたのか分からない。幸い肩はまだくっついてこそいるが、全く感覚がない。言葉通り感覚が死んでいる。
余所見していた訳ではない。――数メートルあった間合いを瞬時に詰められれば、さすがに反応だって遅れる。
その遅れが現実となって返ってくる。
「私を、見て?」
――本能が未来を予知した。次の一手は雲耀の太刀。
受け止める? 否、魔眼で斬り殺される。故に回避に徹するしかない。
地面を転がる。迫る刃。理性が死を感じ取る。
「ッ!!」
すぐに起き上がり、四肢と首が繋がっている事を認識――した刹那に、再度二の太刀が食らいつく。
刃を後方から救い上げる様にして、さらにその軌跡と交差するような形で二振り目を放つ。
だが、彼女の斬撃は俺よりも遥かに速い。先に出した筈の刃に合わせて、全く同じ動き――甲高く金属音が響く。
今、俺は改めて理解する。彼女はサーヴァントか或いはそれ以上の存在。
彼女の動きは神速そのもの。間合いを放す事に意味は無い。ならば全て同じ事だ。
その距離を、あえて詰める。
こちらの斬撃を先に当てる――それしかない。
「ふふっ。受け止めてね」
だが俺の眼では彼女の動きを追う事すら出来ない。
見慣れた顔が、目の前に。
殺し合いの最中だというのに、少女の表情に思わず見とれてしまう。
「――ぁ」
かくしてその代償はしっかりと払われた。
腹部を冷気が貫いた。彼女の刀が、俺の体を食い破ったのだ。
歯を食いしばり、四肢の力を繋ぎとめる。斬られた肩が、苦痛を喚き散らすが、全て無視した。無視して左腕を動かす。
彼女の背中に手を添える様に。刃で点を突けば――。
「――」
脳裏を掛けるのは、彼女と駆け抜けた記憶。そして彼女のいない
あり溢れた日常に彼女がいない事を、俺は未だに受け止められず。そして誰にも言えない日々が続いている。
心に渦巻き続ける寂しさが、点を突こうとする腕を引き留めた。
「……どうして?」
「……それは、よくわかんないけどさ。やっぱり、俺にキミを斬る事は出来ないよ。
斬ろうとしても、体が何一つ動かない」
「私は、斬ったのに?」
「別に、斬られたから斬り返さないとなんて決まりは、無いだろ。
それに、あの時言ったじゃないか」
呼吸を抑えつける。
どうしても、彼女に。思い出してほしい光景があるから。
「キミの代わりに、俺が戦う。だからキミは何も握らなくていい」
「――」
「……式」
「……執着してしまうのも考え物ね。貴方は最初から、ずっと。私を求めて、私を理解しようとしてくれた。
それが初めてだったから。この気持ちを、どうカタチにしたらいいのか。ずっと分からなかった」
そっか。そういえば、彼女は無垢な子供のようなモノだった。
だから新しく自覚したその気持ちに、どう向き合うのかを知らないのだ。
「いいんじゃないかな」
「えっと……」
木々が生い茂って森になるように。雪が積もって、雪原になるように。
時間をかけて積み重ねて、長い過程の末に出来上がっていくモノがある。
その光景はきっと、一生大事にするものだから。少しくらい時間をかけたって、構わない。
「今すぐカタチにしなくてもいいと思う。確かに俺が生きている場所では、前みたいな状況ではないけれど」
刀を地面にさして、彼女の手を握る。
ひんやりとして、冷たくて、細くて、とても綺麗だ。
「また、どこかで会える。会いに行くよ、キミが望む限り必ず」
「……ずるい人。貴方はまたそうして、私を引き付けてしまう」
――彼女もようやく、刀を置いてくれた。
心が少しだけ安堵する。さすがに相手が得物を持ったまま、と言うのは心臓に悪い。
雪原に座り込む。ここが現実じゃなくてよかった。肩を斬られ、腹を貫かれたのならすぐに処置を施さないとさすがにマズいから。
「それにしても、月が綺麗だ」
「……そうね、私――いえ、縁起でもない言葉ね。やめておきましょう」
「?」
俺の隣に彼女も座り込んだ。その身体に着ていた服を着せる。さすがにこんな景色に着物だけと言うのは、心配で見てられない。
その行動に彼女は目を丸くして。そうして、少女のように微笑んだ。
「……もし許されるのなら、もう一度私の我が儘聞いてくれる?」
「あぁ、構わないよ」
「貴方の人生はきっと、これからも長い旅になる。素敵な人と出会って、素敵な恋をして、素敵な子どもに恵まれて。その人生を、私は最期まで見届ける。
……この光景を、片時でもいいから。私との日々を、刹那に思い返すだけでもいいから」
もう一度、彼女は俺の手を握りしめた。
彼女はずっと、独りだった。初めて彼女を呼んだ時、その視線はどこか遠くを見ていたようにも思えた。
その眼差しは、今俺だけを見つめている。
「――
彼女と生きた時間を忘れる事は、彼女を独りにしてしまう事。執着を覚えた彼女に、それはきっと、なによりも残酷だ。
その返事として、手を強く、優しく握り返す。
彼女はそれに安堵したのか、柔らかい笑みをこぼして。俺の肩に頬を添えた。
雪のベールに包まれた竹林の中。
白い闇の中、彼女と二人で月と
その恋は、一時の夢。
その夢は、永遠の名残。
有り得る筈の無い、けれど束の間に灯った出会いを、
私は今も眺め続けている。
雪の空、遥かな虚空を見るように。