インフェルノちゃんへの愛が炸裂したからね、仕方ないね。
だから■■■■様実装はよ。
「私に炎を……!」
彼女が、シャドウサーヴァントを放り投げた。
灼熱の矢が、放物線を描きながら一切合切を燃やし尽くしていく。
「飲み込め、何もかも!」
銀色の髪を後ろでまとめた少女。
――真名はまだ言えないと。故に彼女は自らをこう名乗った。
アーチャー・インフェルノ。
俺が召喚した、ただ一人のサーヴァント。
マスター適正が低い俺はたった一人しか召喚出来ない。そうして出会ったのが、彼女だった。
「……やっぱり、動きが悪かったか」
「いえ。マスターの戦況把握自体に問題はありません。ただ彼我の差を考えれば、この程度は許容出来ましょう。
大丈夫、そのお心ならば、きっと」
食堂の一角で、シミュレーションを彼女と共に振り返る。
マスターとしての力量も上げていかなくては、これからの戦いも激しくなってくるだろうから。
第三特異点では船の上の戦いであり、乱戦になる事も多かった。
何度、彼女に命を救われたか。
立香のサーヴァント達も強力であるが、それだけではジリ貧になる事も否定出来ない。
せめて俺のマスター適正がもう少し高ければ、何人かは呼べたのだろうけれど。この体ではここまでが限界だった。
――だが、それを踏まえても彼女は、一級品のサーヴァントだ。
船に飛び込んできたヘラクレスを、彼女は文字通り投げ飛ばしたのだから。それも飛来した方向へ。そのおかげで時間が稼げ、充分な状態で大英雄を迎え撃つ事が出来たのだ。
力にも技にも優れ、武人として優れた精神をも兼ね備える。そんな彼女に、俺は相応しいマスターになれるんだろうか。
「……ならなくちゃ、いけないんだろうけどなぁ」
「マスター?」
「大丈夫、独り言だよ。――よし、気分転換にレクレーションルームでも行こうか」
俺の言葉に彼女は、顔を輝かせて。けれど、それに気づいたのかまた凛とした表情に。でも口の端が隠しきれていない。
戦場に出れば武人。けれど、ゲームでは少女みたいに笑うから。
彼女との日々は、俺にとって春の夜の夢のよう――。
――魔術王と目が合った。
途端、俺は全てを理解させられた。俺自身の運命を、末路を。見てしまった。
取るに足らない存在であると。
カルデアの一室――マイルームで、俺は何をする訳でもなくただ天井を見ていた。
藤丸立香はまだ昏睡状態だが、だからと言って俺に何かが出来る訳じゃない。魔術王と直接対峙した事を気遣ってくれたのか、ドクターやダヴィンチちゃん他の職員達も、俺とマシュに休んでほしいと言ってくれた。だから言葉に甘えている。
力を蓄えようと……いや、本音を言おう。
したくないのだ。俺はこの先を、見たくない。この先に行きたくない。ただここにずっと。閉じこもっていたい。
だって、この先にあるのは。
この命は、風の前の塵に等しい。
「マスター」
「……ごめん、インフェルノ」
「……いえ、無理もありません。今はただ、英気を養ってくださいませ。
休息も戦には必要な事ですから」
――悔しい。
俺は無力だ。立香みたいに複数のサーヴァントを従えられる訳でもない。何か特別な力がある訳でもない。
何一つ、秀でる所など無い。その癖臆病で、死にたくないなんて思いだけが、ずっと渦巻き続けている。
思考が、どんどん堕ちていく。腐り果てていく。
これじゃあ、何一つ――。
「マスター」
「……インフェルノ?」
「どうか、お休みを。既にその身体は、悲鳴を上げているようにも見えます。
り、り……りふれっしゅ? と言うのも休息には重要とどくたー殿が仰っていました」
「……そうか。ちょっと、休むよ。それとさ……もしよかったら、起きるまで傍にいてくれないか。
悪夢を、見るかもしれないから」
「――はい。私でよければ」
鐘の音が響く寺の境内――沙羅双樹で埋め尽くされた広場に男がいる。
鎧に身を包んだ武者が一人。俺の眼の前にいる。
美丈男な顔立ちではあるが、その表情は無骨そのもので。見たところあまり器用そうな印象は受けない。
男は俺を一瞥する。
「君の名は何と?」
その声は岩石を彷彿させるほど、固い。
けどどこかに、柔らかさを覚える。
「……アラン。その他は思い出せません」
「そうか。酷い顔をしている。まるで、戦に負けたようにも見える。
――そして、諦める手前と言ったところか」
「……恥ずかしながら」
「……いや、それで良い。負けを知るのは大切な事だ。負けを知って、初めて人は己を知る。
俺は、気づけなかった。誰かのために兵を挙げた筈だというのに。その目的はいつしか、自分自身にすり替わっていた。
気づいた時には、もう遅かった。俺は人を、外を知らなさ過ぎたのだ。その結果が、宇治川の末路であり、栗津の最期だった」
「――まさか、貴方は」
俺の言葉に男は首を振った。
それ以上、言わなくていいと。
「君は負けを知った。だがまだ、終わってはいないだろう? 君は自身を足りていないと知っているからだ。過信せず、出来る事を考え、少しでも差を埋めようと足掻く。
――その選択に、俺は敬意を払い、そして彼女に力を貸そう。
君の答えに口は挟まない。けれど、君が折れぬ限り、旭の輝きはいつまでも君を見守っている」
彼女――あぁ、そうか。やっぱり、その名前は。
「――どうか、
景色が消えていく。男の全身が薄くなっていく。
彼の名前を、その物語を思い出して。
眦から零れようとする思いを押さえ込んで。俺は、ただ頭を下げた。
ありがとうございます、旭将軍。
俺は――皆と共に、もう一度戦います。
貴方の言葉に、報いる何かを。返します。
第七特異点修復――平穏を見て、地獄を巡った旅だった。
立香が呼んだサーヴァント達のおかげで、何とか戦えた。俺はインフェルノと共に、ウルクの人々を迫る脅威から守る事しか出来なかった。零れ落ちていく光景を、何度も見せつけられた。
「……さすがに、きついな」
見知った顔の人々が目の前で何度も殺されていく。
それをまざまざと見せつけられて、この体と心は限界を叫んでいる。加えて特異点における宝具の連続使用。令呪が残っている事だけが、小さな安心だった。
「……」
自室に入るも、生憎何かをするわけでは無かった。だからと言って予定を組むわけでもない。
スタッフ達も皆、今日はオフだ。明日には終局特異点に出撃する。何もかもがそこで終わる。俺自身の運命も。
立香は契約したサーヴァントと霊基の調整に奔走しているし、マシュはメディカルチェック、ロマンとダヴィンチは作戦の見直しを行っている。
俺達を不眠不休でモニタリングしていた皆は、今日一日ゆっくり眠るのだと言った。また新たな未来を迎えるために、今は休んでおくのだと。
「どうしようか……」
『マスター、今よろしいでしょうか』
インフェルノの声に、現実に引き戻される。
返事をして彼女を部屋に招き入れた。生憎来客を迎える準備はしていないから、座るのはベッドになるけれど。
人一人が座れるほどのスペースを空けて、彼女もまたベッドに腰かけた。
――魔力の気配、彼女の霊基が弱くなっている事を察した。パスをつなげているからこそ、理解できる。
凛とした表情も、いつになく疲れているように見える。
その原因など、考えるまでも無い。特異点における宝具の連続使用――元々、彼女の宝具は連発出来る程燃費が良い訳でもなく、範囲もそれほど広い訳ではない。
ただのエネミーなら師団レベルでも殲滅できるが、あの特異点において話は別だ。あそこにいるエネミーは神代に相応しい実力だった。
けど、それでも。あの脅威から人々を守るためには。やるしか、無かったから。
「……何か、出そうか。あまり気の利いたものは無いけど」
「あ、いえ。お気になさらず。少し、貴方様の顔が見たくなって」
「……」
「……」
沈黙が、重い。元々俺も彼女もあまり話し上手じゃないのだから。
時計の針と息遣いだけが、暫しの間響いていた。元々明るい人柄じゃないし、どうしても終局特異点の後の末路を考えてしまう。
ずっと、この時間に縋りつきたくなる。
「その……マスター。大変はしたない真似で申し訳ないのですが……今日一日、寝屋を共にさせて頂いても、よろしいでしょうか……?」
「あぁ、別にいい――は……?」
その言葉に視界が真っ白になる。
彼女の顔と胸元、そして太腿に目線がいってしまう。
そしてそんな想像をしてしまった自分が、ただ腹立たしくて仕方ない。
「……どうして、また。いきなり……?」
「自然と回復するのを待つだけでは明日に間に合わず……。食事でも良くて半ばとしか言えません。
人目を憚る事ではありますが、明日の合戦までには備えを十全にしておきたいのです」
「え、えっと、で寝屋って……」
脳裏にこびりつこうとする光景を振り払う。
それは俺に勇気をくれた、あの人と。俺と共に戦ってくれた彼女の想いを踏みにじる事に他ならない。
彼女のマスターとして、それはしてはならない。俺自身が絶対にするまいと抱いていた決意だった。
「い、いえっ、その、逢引きではなくてですねっ」
顔を紅くして、咳払いを一つ。
いつもの凛とした表情に戻って、彼女は告げた。
「マスターの傍ならサーヴァントの魔力回復も早くなります。
そしてもし、私の我が儘が許されるのであれば――手を、握っていて欲しいのです」
思わず唸ってしまう。
確かにマスターの傍ならサーヴァントの自然回復も早まる。それならば合理的に何の問題も無い。
だけど、彼女は魅力的だ。その儚さと美しさは、抗いがたいモノを無自覚に秘めている。
「……」
もしも、俺が気の迷いで手を出してしまえば。彼女の性格からしてそれを受け入れるだろう。
俺はもうすぐ死ぬ。この世界から消滅する。
その時残されるのは彼女だけだ。――そんな彼女に、癒えない疵を遺すつもりなのか俺は。
何より、それは俺に力をくれたあの人に、顔向けできない。
「……インフェルノ」
けど、俺の躊躇いのせいで彼女に充分魔力が供給されず。もし明日の戦いに支障を来たせば。
それは彼女の武人としての在り方を傷つける事になる。
「……」
「この合戦も大詰めを迎えております。この局面を超えれば、大団円が待っている筈。
……待っている、筈なのですが」
「時折見えてしまうのです。貴方様が、消えてしまう夢を。
どこを探しても、もうこの世界のどこにもいない夢が」
心の距離を埋めるように。彼女はそっと近づいて、俺の手を優しく握った。
温かい、母親のような手だった。
「どうか、今宵だけは。私をお傍においてくれませんか」
その貌と声に思わず見惚れてしまって。
俺は慌てたように頷く事しか出来なかった。
何故俺は枕を一個しか置いてなかったのかを、小一時間過去の自分に問い正したい。
女性経験など生まれてこの方、何もなかった俺が彼女の顔を一晩見続けるというのは慣れない事でしかないのだ。
ポニーテールをほどいた長い髪は彼女の色気を引き出すのに十分な魅力があって。時折体の一部が触れたりする。
まぁ、何が言いたいのかと言うと生きててよかった。
「……マスター、その、窮屈ではありませんか?」
「い、いや。大丈夫」
俺の右手は彼女の手を優しく握っている。
例え魔力で構成された肉体で在ろうとも、その体は確かに温かくて、熱を持っていた。
サーヴァントが現象などではなく、れっきとした一つの存在なのだと再認識する。
「マスター、さ、寒くはないですか?」
「う、うん。大丈夫」
インフェルノは俺が礼装で着ていた魔術協会のコートを貸している。
見てて、寒そうだったし。
「インフェルノこそ、大丈夫か。その、嫌になったらいつでも言ってくれ」
「い、いえ、その。思いのほか気恥ずかしいものでしたので……」
――人理修復を成し遂げた先に待ち受ける運命。
それはもう怖くない。
俺が今までずっと死を恐れていたのは、何かを残せずに消えてしまうから。自分の生きていた時間を、証を、記憶を。
例え泡沫の夢でしかなかろうとも。どこかにそっと、置いておきたい。
今は違う。
もっと彼女といたい。彼女と旅をしたい。いつか、彼女と一緒に、あの人に会いに行きたい。
けど、それはもう何一つ叶わない
「――」
「マスター……?」
彼女を抱きしめたい。壊れてしまう程に強く。
この時間を放したくない。
指先に感じる小さな鼓動が、脈打つ都度泣き出しそうになってしまう。
誰かの温もりを近くで感じる一時の夢ですら、俺には許されない未来なのだと。
今、自分がどんな顔をしているのかは分からないけれど、彼女はそれをくみ取ったのか。もう片方の手を、重ねた。
彼女の両手が冷えていく心を、溶かしてくれる。
「……マスター、私はサーヴァントです。貴方様に仕える事を旨に、これまで旅を続けてきました。
どの旅も心が躍るような、されど嵐の中を駆けるような。それはまるで、一つの長い物語を読んでいるようで」
「……」
「カルデアに召喚されたサーヴァントの願いは様々です。人理を守る者、己が願いのために戦う者、現世を謳歌する者」
「……貴方は」
小さく目を閉じた。
心に刻んだ言葉を、強く。思い返すように。
「私はこの先も貴方といたい。貴方と共に様々な世界をみたい。
それが貴方に寄り添った、サーヴァントとしての願い」
胸が張り詰めそうになる。
どうしていつも、俺が守りたい想いは全部。冷たい現実に、成り果ててしまうのだ。
「貴方の未来を守るために、私は戦うと決めたのです」
そう言って、笑ってくれた彼女。
いつも楽しそうにゲームをしている時とは違う、凛々しい武人の時とも違う。
それは、俺のサーヴァントとして生きた彼女の、生前の表情のようにも見えた。
「……ありがとう」
「はい、ですからどうか。ご心配なく。
明日の夜にはきっと、祝勝の宴があるでしょう」
何か作りましょうか、と告げる彼女。
そんな叶いもしない未来を、語り合いながら。
その意識は静かに、眠りへと沈んでいった。
人理修復は果たされた。それはつまり。俺の死を意味する。
それをひしひしと感じてきたのは修復した翌日の事だった。
起床してもなお、体が重い。全身に鉛を括り付けているかのような怠さと靄のかかった思考が続いている。
けれど彼を失ったカルデアは忙しいから。俺の我が儘なんて挟んでいられない。
この不調を見抜かれないよう、俺は丸まろうとする背中を張って。何とか隠しながら生きていた。
「……さすがに。疲れたな」
カルデアの屋上――そこからなら美しい青空が見える。運が良ければまだ昼間だが、薄く星も見えるだろう。
そこで寝転がるのも悪くない。ベッドでただ横になっているよりは、よっぽど有意義だ。
壁を伝い、屋上まで何とか上がる。
「――マスター」
「……インフェルノ?」
残留を選んでくれたサーヴァントが屋上で待っていた。彼女は俺に駆け寄ると肩を貸して、屋上の奥にあるベンチまで付き添ってくれる。
「今日は気持ちの良い青空です。大きな戦の後にこのような光景が見れるとは。
サーヴァントと言うのも、中々悪くありませんね」
「はは……。そうだなぁ、本当に。心が、晴れるくらいだ」
瞼が、重い。空が、暗い。
まだだ、まだ閉じるな。後少し。後少しでいいから。
何も命をよこせとかそんな事を願っているわけじゃない。それはもうあきらめたから。そんな執着はとっくに捨てた。
今はただ、ちょっとだけでもいいから彼女と語る時間をくれ。
一秒一瞬だけでも――彼女と一緒に、平和な世界を眺める時間を。それぐらいの我が儘は許してほしい。
「さぁ、どうぞ。マスター」
「うん、ありが――」
有無を言わさず、ベンチに横に――そして眼前にはインフェルノの顔がある。
これは俗に言う膝枕。感触と光景が心地よい。さすがマイサーヴァント。
“……召喚したサーヴァントが彼女でよかったなぁ”
「寒くはありませんか?」
「大丈夫、もう、慣れたよ。インフェルノは?」
「私は、サーヴァントですから。お気持ちありがとうございますマスター」
「そっか」
「……マスター」
「うん?」
「……残りはあと、どれくらいでしょう」
やっぱり。気づいてたんだ。
「どこ、から?」
「人理修復の翌日からです。ずっと、貴方様を見守っていますから。
まるで、魂が少しずつ抜け落ちていく様で……。今、空は見えますか?」
見えるよ、ただ広がるばかりの美しい景色。
こんな世界が続いてくれるのなら。まぁ、俺個人が終わっても悔いは無い。
「うん、充分に。もうこれ以上は何もいらない」
「あぁ――本当に、貴方は優しい方です。だって……私の真名もきっと、気づいているのでしょう。それも、旅の始まりの頃に。
なのに、ずっとそれを語る事もせず。私を、インフェルノと呼び続けてくださった」
「間違ってたら怖かったから、言わなかっただけ。それにずっと呼び続けた名前の方が言いやすいから――」
コツンと、額が触れた。
頬が濡れる。
顔を上げた彼女の瞳は、泣いていた。
「もう、良いのです。それ以上、隠さないで……。
気遣ってくれていたのですね、私の我が儘に」
「……」
泣いている。
最後の最後で、女の子を泣かせてしまったなんて、さすがに見過ごせない。
鉛と鎖で絡め取られたかのように重い手を上げて、その目尻を拭う。
「――俺はさ、昔故郷で、貴方達の逸話を読んだことがあるんだ。
どんどん人が死んでいって、ただ悲しかったのを覚えてる。ただの文でしかなかったけど、その時代を生きた貴方達を想うと、正直辛かった」
諸行無常とはよく言ったモノ。
結局、彼は自害出来なかった。
部下が時間を稼いでくれたけれど、自害するために駆けた馬は薄氷に隠された悪路に足場を取られ。その隙を突かれて、彼は討ち取られた。
現代の価値観で当時を物語るなんて、余りにも馬鹿げてるのは分かってるけど。
その結末に、俺は胸を痛めるしかなかったのだ。
「ごめん、結局貴方と彼を、あの人を――会わせてあげる事が出来なかった」
「……何を、仰られますか。ほら、空をご覧ください」
空を見る。瞼が重い。蒼空は、まるで黒いカーテンを敷かれたような色に見える。
――その中に一つ、眩しい輝き。
彼女の宝具と彼の顔を、思い出す。
「……旭の輝き」
「はい。ですから私は寂しくはありませんでした」
そういえば、もう何も望む事は無いと言ったけど。
一つだけ、心残りがあった。
彼女を、置いていく事。それだけが、ずっと不安だ。
左手を掲げる。令呪は幸い、残り続けていた。それも三画。
「三画の令呪を束ねて、三度の祈りを此処に遺す」
「――」
まだキミに一つだけ、伝えていない事があったんだ。
でもそれは、墓場まで持っていきます。
「カルデアで、新たな楽しみを見つけてください。
せっかく、掴んだ二度目の人生を。今度こそ、幸せに」
初めて出会って、旅をして、貴方と語って、貴方と歩んで。
俺はいつの間にか、貴方の事が――。
「自分の価値を認めてあげてください。
貴方は幸せになって良い筈の人だから。それが俺の願いです」
でも、多分。それは貴方を裏切ってしまう。
俺は現代人で戦いを知らないけど、貴方は死生観を定めた武人だから。
俺なんかより、貴方にはもっと出会うべき人が。再会しなくてはならない筈の人がいるから。
「いつか、貴方が。――彼とまた再会出来て。
彼と共に。その道を強く歩んでいけますように。ずっと、想っています」
左手から輝きが消える。
これで、マスターとしてやるべき事はやった。
それにしても。瞼が重い。
「――ありがとう、ございます。
その主命、確かに」
「……」
頭が纏まらない。
視界がぼやけてくる。
「……眠たく、なってきた」
「ここに……ここに、おります。私と旭の輝きが、この先も貴方を守り続けます。
ずっと……! ずっと……っ!」
頬が濡れる。また、泣かせてしまったのか。
「泣かないで。どうか、笑って」
左手で、その目尻を優しく拭う。
どうか笑ってほしい。
そしてこの先も、強く笑えるように。
「……はい、泣きません。泣きません、から……っ。
私は――
「――あぁ、安心した」
小さく息を吐いて。
瞼を、閉じた。
その刹那に、眩しい輝きを感じながら。
「……マスターは、どうか、健やかにいてくださいね。
最期を看取らせてくれとは申しません。
健やかに、穏やかに……幸せに、長生きをしてくださいませ」