「どうしてここにいるんだ、マリナ?」
金髪の少年の問い掛けに、同じく金髪のよく似た顔の少女が答える。
「愚問ですわ。夕食の代金を浮かすためです。……あら、意外においしいですわね」
「いや、だからそういう意味じゃなくて……」
答えながらも少女は目の前のハンバーグを切り分け、ゆっくりと口に運ぶ。
銀髪の少女の呆れるような言葉もどこ吹く風。
まるで楽器を弾いているかのように、正確で洗練された動きを繰り返す。
皿の上のハンバーグが半分ほど彼女の口の中に消えた頃、ナイフを置き再び声を発する。
「皆様、せっかくのお料理が冷めてしまいますわ」
その声に我に返ったように目の前の食べ物に手を付け始めるアレン達。
少女はそれを見てふっと笑い、再びナイフに手を伸ばす。
『マリナ様!』
いつのまにか見とれてしまった自分に活を入れるように、彼女の名前を呼ぶ。
「まあセリア様、ごきげんよう」
彼女は別れた時と同じように優しげな笑みを浮かべている。
それを見て私はつい声を上げてしまう。
『私がどれだけ心……ふむぐっ!』
言葉を紡ごうとすると突然口の中に何かを突っ込まれる。
ハンバーグの小さな欠片らしい。
ふわふわのお肉を噛み締めると、濃厚な旨味と肉汁が口の中に広がって行く。
本当に美味しい……じゃなくてっ!
口の中の物を飲み込むのもまどろこしく、そのまま口を開こうとすると、マリナ様が人差し指を立てて左右に振る。
「あらあら、ムーンブルクの王女様ともあろう者が何ともはしたない。国王陛下が見たらどんなに嘆き悲しみましょうか」
口元に手をやりほくそえむ少女の言葉に、のどまで出そうになっていた言葉を止める。
私は目をつむり、肉片をゆっくりと味わい飲み下すと再び口を開く。
『マリ……むぐっ』
先程よりも大きな塊が口の中に入って来た。
仕方なく咀嚼し、胃の中におさめた私はもう一度言葉を紡ごうとする。
『し……うぐっ』
『マ……ふむっ』
『ちょっと待っ……んむっ』
口を開こうとする度にハンバーグを口の中に突っ込まれ、その度に言葉までもが飲み込まされてしまう。
そのうちに私のおなかは膨れてしまい、口を開く事さえ億劫になってきた。
「あら? もう無くなってしまいました。意外とよく食べられるのですね、セリアさま?」
反論したい。
けれど、口を開けば今度は付け合せの温野菜が口の中に放り込まれる事は明白。
私は黙って彼女の顔を見上げる。
「あら、残念。もう口を開いてはくださらないのですね」
マリナ様はそう言って、フォークに刺したニンジンを私の口の中、ではなく自分の口へと運ぶ。
「特に味付けされているわけでもありませんのに甘いのですね。これは食べておかないともったいないですわ」
その言葉は明らかにこちらに向けられている。
私が口を開けるよう、挑発しているのだろう。
確かに今の感想を聞くに付け、その味を直に知りたい欲求に苛まれる。
しかし、それは彼女の罠なのだ。
私はそんな彼女に負けるわけにはいかない!
……口の中にほのかな甘さが広がる。
先程までの濃厚な肉の香りをどこかに持って行ってしまったかのように、爽やかな香りが鼻孔を潜り抜ける。
と、同時に心の中にも敗北に似た味が広がって行く。
「美味しいですか、セリアさま?」
くつくつと笑う少女の姿に、私は口の中のニンジンを噛み締めながらそっと心の中で涙を流した。
「君の事は何と呼べばいいのかな?」
一通り食事が終わり店内が落ち着きを取り戻した頃、アレンが口を開く。
「ただのマリナで構いませんわ、アレンさま」
金髪の少女が言葉を返す。
アレンは少し驚いたかのように目を見開く。
「僕の事は知ってるんだね、マリナ」
「アレンさまだけではありませんわ。勇者さまの事も存じておりますし、平面ウサギさまの事もよく存じあげております」
平面ウサギ?
一体、何の話だろう?
「平面ウサギって、ひょっとしてお母さんの事?」
「ええ、そうです。フィーアさまのお母さまの事ですわ」
目を細めて睨むようなフィーの視線を受け流すように、食後のお茶を口に運ぶマリナ様。
どうやらフィーの事も知っているらしい。
けれど、守護者様の一体どこが平面ウサギなのだろう?
平面というのは何となくわかる。
マリナ様の兄であるコナン王子の言行を見れば一目瞭然だ。
ただウサギというのがよくわからない。
「瞳が紅いから?」
アレンが何気なく発した一言に、一応の答えを得る。
そう言われてみれば確かにその点では一致している。
「残念。半分だけ正解です。後はご自分でお考えあそばされませ」
コナン王子と同じような言葉で煙に巻く彼女は、確かに彼と同じ血を引いているのだろう。
やがて、彼女の視線がコナン王子の所で止まる。
「久しぶりだな、マリナ」
挨拶をするように右手を上げ、親しげに声を掛けるコナン王子。
彼女はそんな王子を訝しげな視線で見つめると口を開く。
「……失礼ですが、どちらさまでしょうか?」
はい?
マリナ様の言葉にその場の空気が凍りついた。
「ちょっ、ちょっと待てよ! お前、自分の兄の事を忘れたのか?!」
「……どうしてそんなひどい事をおっしゃるの。お兄様は死んだのですわ、あの運命の日に……」
そっと涙ぐみ、どこからか取り出したハンカチを目に押し当てる彼女はどこか芝居がかった様子にも見える。
「あの日って?」
誰かがそう疑問の声を上げると、彼女はとうとうと語り出す。
「そう、あれは忘れもしない数日前。お兄様がロトの盾を盗んで賞金を掛けられた日。わたくしは誓ったのです。兄は死んだものとしようと……」
あの、それって死んだとは言い切れないのでは?
それに口元が笑ってますよ。
「ですから、ここにいる方はお兄様ではありませんわ。私の知らない方に違いないのです。こんなにもお兄様にソックリな方が居ようとは、世界は不思議に満ち溢れているのですね」
「盾盗んだのも、賞金掛けたのもお前の仕業だろうがっ!」
白々しい少女の様子と憤懣やるかたないその兄の姿に、私達はそっとため息を吐いた。
「まあコナンお兄様、生きておられたのですね。わたくしはずっと信じておりました」
「ふざけるのも大概にしろよ、マリナ」
兄王子の右手を両手で包み、笑顔で話すマリナ様。
対して、似たような笑顔のまま妹姫に釘を刺すコナン王子。
ある意味よく似た兄妹の姿に、ある種の諦観を禁じ得ない。
「あれ、絶対妹の方が性質悪いよね」
「どうやって育てたらあんな兄妹になるんだろう?」
こちらの血のつながらない姉弟がそんな感想を漏らす。
『それより、さっきコナン王子が盾の事を……』
私の言葉が聞こえたのか、マリナ様が立ち上がってマントをめくると背中に手を伸ばす。
「お兄様の形見と思って肌身離さず持っておりましたの」
取り出したのは、真っ青な金属で出来た盾。
鳥のような意匠が施され、美術品だと言っても通るだろうと思わされる。
「やっぱりお前が持ってたのか」
「はい。あれはお兄様に賞金が掛けられるより少し前の事。ふとお母様の部屋に忍び込んだ私はこの盾に呼ばれたのです。そして、これをお兄様の形見にしようと……」
「……順序がおかしいとは思わないか?」
コナン王子の疑問に、マリナ様は笑顔で答える。
「結果的にそうなれば、順序なんて関係ありませんわ。でも、残念ながらそうはなりませんでしたし、これはお兄様にお返しします」
何かとても恐ろしい事をあっさりと口にしたような気もするんですが。
「これで、問題ありませんね?」
「あ、ああ……。ん? ちょっと待て、せめて母上の誤解を解け。このままだとボクが名実共にロトの盾窃盗犯じゃないか」
「あら、さすがお兄様。侮れませんわね」
どうやらロトの盾を兄に渡す事で自分に疑いを掛けられないようにしようとしたらしい。
本当にあの子は私より5才も年下なんだろうか?
「つくづく敵に回すと恐ろしい奴だな、お前は」
「まあ、この天使のような妹に向かって何てひどい事を」
言いながらも、彼女が笑顔を絶やす事は無い。
兄とよく似た整った風貌。
人形のようなその容姿はとても微笑ましく、可愛らしい。
彼女の言う通り、天の使いであると名乗っても決して誇張であるとは言い切れない。
「けっ。どこが天使だ。ペテン師の間違いだろうが」
「あら、お上手ですわ。さすがお兄様」
ただ、彼女の内面はどうだろう?
彼女には何か隠された秘密があるのではないだろうか。
そう思えてならなかった。
「そう言えば、結局マリナちゃんがココに来た本当の理由、聞いてないよね?」
「ああ、言われてみれば……」
今宵の宴はまだまだ続きそうだった。