翌朝、私は誰かの呟く声に起こされた。
「これは夢。夢に決まってる。いつのまにか大人の階段登ってましたとかありえない」
目を開けると流れるような銀色の髪。
そういえば、昨夜はお酒を飲んで寝てしまったフィーと一緒の布団に入ったような。
「初めての相手が女性とか。しかも何、このスタイル。自分に無い物を相手に求めるのが恋愛だとは聞いたことあるけど」
呟きながら何度も何度も頭を振る。お化けを見て怖がる子供のようでどこか可愛い。
「うぇぇん。昨夜はお楽しみでしたね、とか言われるんだ私」
彼女が何の話をしているのかがわからない。とりあえず、さっきの言葉を口にしてみるべきだろうか?
「フィー。昨夜はお楽しみでしたねって何ですか?」
こちらに背中を向けていた彼女は一瞬肩を震わせるとゆっくりとこちらを向く。
蒼い瞳が何か不安に揺れている。
私はもう一度、何かを確かめるようにその言葉を口にした。
「昨夜はお楽しみでしたね?」
「いやああぁぁぁ!」
夢うつつの状態にあった私は彼女の悲鳴で完全に目を覚ましたのだった。
「あの、いい加減その手を止めてほしいんですが」
「いいじゃん。私を怖がらせた罰」
目が覚めた私は自分の身体に起こったことに気付いた。
それは犬の姿ではないということ。
いつのまにか人間の姿に戻っている。
「ひゃっ! へ、変な触り方しないでください」
「なになに、ここがええのんか? ああ?」
何ですか、その喋り方?
私の姿を見て何故か恐慌状態に陥った彼女は悲鳴を上げた瞬間、自分の頭を抱えてしまった。
どうやら二日酔いで頭痛に襲われたようだ。
とりあえず彼女の頭に手を当てて毒消しの呪文を唱えると頭が回るようになったのか、初めて私をセリアであると認識してくれたようだった。
「キアリーが二日酔いに効くなんてよく知ってたね?」
「ええまあ。お恥ずかしい話になりますけどお父様もよく二日酔いなさっておられましたから」
こんな話をしている間も何故か彼女は私の胸を物珍しそうに観察している。
恥ずかしいので隠そうとする度に先程の事を持ち出してきて何とも言えなくなる。
「あの、ね。セリア、ありがとう」
「はい? えっあの? 胸のことですか?」
「違う。絶対、胸の事でお礼なんか言うわけないじゃない。くれるんなら別だけど」
「あげられません」
私の胸を鷲掴みにする彼女に反撃するつもりでこちらも手を伸ばすが、ふと気付いて標的を変える。
「……腰、細くていいですね」
「その何気ない間がすごくムカつく。あっこら、くすぐっちゃダメ!」
しばしベッドの上で彼女とじゃれ合う。再会してからずっと犬の姿だったので妙に嬉しい。
そんな最中、乱暴にドアが開かれる。鍵を開けるような気配が無かったので気付かなかった。
「こら! いつまで寝ておる! 二日酔いなどが理由になると…思うで…ないぞ?」
突然扉を開けた守護者様と目が合う。
ベッドの上でふざけ合う私達。私は当然服を着ていない。そして、そんな私に覆いかぶさる彼女はくすぐられ続けて息を切らせている。
「昨夜はお楽しみだったようじゃな。うむ、まさか娘に女色の趣味があろうとはわらわも知らなんだ。道理で男の影も無いわけじゃ」
得心したように頷く守護者様。呆気にとられていたフィーもふと気付いて叫ぶ。
「ちょっと待って! 勘違い、勘違いだってば!」
「よいよい。わらわは個人の趣味にまで口を出すほど狭量ではない。皆にはきちんと伝えておいてやるとしよう」
女色って何だろう? 慌てるフィーと戸惑う私を残して彼女は部屋を去って行く。
「だ、駄目! セリア早く服着て!」
「えっでも。私、服持ってませんし」
「私の服適当に着ていいから! 下着も貸してあげる。今はお母さんを止めないと!」
それだけを言い残すと彼女は慌てて部屋を飛び出したのだった。
「ほほうこれはこれは」
「ふむ。あの小さかった娘がここまで化けるとはの」
「セリア……きれいだ」
朝食の席に姿を現した私を見て皆が驚いたような素振りを見せる。
子どもの頃に会ったきりだからこの姿では久々の再会になる。もちろん服を着た状態ではアレンと会うのも初めて。
夢見るような瞳でこちらをじっと見詰められると、その、少し困る。
犬の姿ならおそらく今頃はぶんぶんと尻尾を振っていることだろう。
「……良かった。アレンがいてくれてホント良かった……」
憔悴したフィーの様子を見る限り、アレンの口添えがあったようだ。
でも、私はそんな彼女に問い質さなければならないことが一つだけある。
「フィー、一つ聞きたいことがあるんですけど?」
「んー何?」
力なくこちらを向く彼女には酷な質問になるかもしれない。でもこれだけは聞いておかなければいけない。
「どうして私の下着がフィーの荷物の中に入っていたんでしょうか?」
「えっ! あっ、それは、えーと。えへへっ♪」
自分で言うのも何だが私の下着は特注品。偶然同じ物があるはずはない。
笑って誤魔化そうとする彼女をじっと見詰めると観念したのか、それとも言い訳を思いついたのか口を開く。
「あっそうそう、いつかセリアが元に戻った時に必要になるかと思って。絶対お守りとかそういうのじゃないから!」
お守り、というのが本音なのだろう。何のためなのかは良くわからないが聞かなかったことにしよう。
「でしたら下着以外もお願いしたかったのですけれど」
大きめの服を選んだつもりだけれどそれでも少しきつい。胸の部分は仕方がないとして腰回りもきついのはどこか悔しい。
「ごめん、そこまでは気付かなかったなあ。あはは」
ここは誤魔化されておきましょうか。下着だけでも助かったのは事実ですし。
それに言わなければならないことはもう一つある。
「あの、守護者様?」
「ん、何じゃ?」
訝しげにこちらを見詰めてくる彼女に一言告げる。
「部屋の扉、壊してますよ」
部屋を出る時に気付いたのだが鍵が掛ったままだった。どうやら気付かずにそのまま開けたらしい。
「む……それはその、ああそうじゃ。わらわがやったという証拠はあるまい。最初から壊れてたのかもしれんしのう」
飽くまでもしらを切り通そうとする彼女の姿に、親子って似るんだなと妙な感慨を覚える。
「何だ、またやったんだ。シアちゃんは力が強いんだから気を付けないと」
「グラスを素手で握り潰すなんてお母さんくらいだよ」
家族の証言によると初めての経験ではないらしい。
「おぬしらはどちらの味方じゃ」と一文字ずつに力を込めながら彼らの頭を掴む彼女の姿を見るに犯人であることは間違いないだろう。
「イタタタッ、割れる割れる! 中身が出る!」
「私はお母さんの味方だよ! ホントだよ!」
まあ、もう宿の人に言って部屋を替えてもらいましたけど、しばらく黙っていても問題は無いでしょう。
私はこの姿での久々の食事を楽しむことに決めたのだった。
「どうしてセリアが人間の姿になったんだろうね? またこないだアレンの前で人間になった時みたいにすぐに犬に戻っちゃうのかな?」
「あの、フィー? 犬の姿に『戻る』って言い方は止めてほしいんですが」
『戻る』の部分を強調しておく。あくまでも人間の姿が元の私なのだ。犬の姿が標準ではない。
「ごめんごめん。わざとじゃないんだよ?」
そうですか。それならいいんですが。
「ああっ! アレでしょ。また私に隠れてアレンとキスしたんでしょ。もう、そういうことをする時は私を通してくれないと!」
そういえば、キスで元の姿に戻るかもしれないという話がありましたね。でもそうすると……
「な、何で私の方を見るのかな?」
昨日、キスしたのはフィーなんですよね。
この場に居る全員がそう思ったようで皆の目が一斉に彼女に集まる。
「……ふう。現実問題としてフィーの服では色々ときつかろう。これで服でも買ってくるとよい」
守護者様がため息を吐きながら、私にいくらかのお金を渡してくる。
1000ゴールド近くあるような気がするけれど本当にいいのだろうか。
「ねえ、色々って何? 具体的に内訳を教えてほしいんだけど?」「言ってもよいのか?」「ごめん言わないで」
母娘の遣り取りを聞き流しながら、勇者様に顔を向ける。
「綺麗に着飾るのも女の子の義務だよ。……アレンにもっと見せつけてやれよ」
前半はともかくとして、後半はひそひそ声で。その言葉に顔が熱くなる。
アレンはいつの間にか始まった母娘喧嘩を諌めるのに手一杯のようでこちらには気付いていない。
好きな男性にはずっとこっちを見てもらいたいと思うのは私のわがままだろうか。
「お母さんには負けないからね! セリア行こう!」
はい? 何ですか?
フィーに腕をとられて引っ張られる。
「ふん! 大人をなめるでないわ! 行くぞおぬしら!」
守護者様は勇者様とアレンの腕をとる。
何が何だかわからないまま外に連れ出される私達。
「制限時間は今日の夕刻。わかっておろうな?」
「うん。負けた方は勝った方の言うことを何でも一つだけ聞くこと!」
何の勝負なんですか、一体!
「あのー、アリシアさん。状況を知りたいんですけども」「あるじは黙っておれ!」「はい、ごめんなさい」「僕も一緒なんですか、何で?!」
三人の声が遠ざかったのを確認して、私も事情を聴く。
「だって、お子様にはファッションの事なんてわかんないって言うんだもん」
船を探すって話はどうなったんだろう?
いつの間にやらこんな話になってしまってどうすればいいのか見当もつかない。
「とりあえず、お風呂行こう。お風呂。昨日、そのまま寝ちゃったみたいだからベタベタする」
「そうですね。私も久しぶりにゆっくりお風呂に浸かりたい気分です」
今日はこのまま流されてもいいかもしれない。そう思った。
「ねえ、何だろ? あの人だかり」
一度戻って着替えを持ち、共同浴場に行く途中に出会った人だかり。
気になったフィーは私の手を引っ張って前の方へと人込みをかき分けていく。
「そういえば、さ。朝ご飯の席に何か足りないと思ってたんだよね」
「ええ。私も昨夜から何かが足りないようなそんな不思議な気分でした」
人だかりの中心にあったのは金髪の少年の姿。石畳に突っ伏したままピクリとも動かない。
「そういえば、いたよね。こんなの」「すっかり忘れてました」
我ながらひどい言い分だと思った。