世界でも有数の港街ルプガナには多くの人や物が集まってくる。
中心となるのはやはり商人。そして彼らの持つ世界中から集められた品々を目当てにした人々。
商業都市として名高いサマルトリアへ通じる玄関口でもあるこの街には様々な人がいる。
親子連れの姿もちらほら見える。それなら当然迷子も多いのだろう。
目の前のこの女の子のように。
「ママ!」
銀色の髪の少女がフィーの腰に抱き付いている。
いつかどこかで見たような光景だ。
「まあ。フィーアさまは子持ちだったのですか?」
あの光景を知らないマリナ様が驚いたように声をあげる。
「ええっ!? ち、違うよ。あ、ひょっとしてまたお母さんのイタズラ?」
両手で肩を持って引き離された少女の顔は涙に濡れ、守護者様とは似ても似つかぬ表情を見せる。
明らかに別人なのは彼女を知っている人間ならば誰にでもわかるだろう。
「ふぇぇ……ママァ」
涙をポロポロとこぼしながら泣きじゃくる銀色の髪をのばした5才くらいの少女。
これが狂言でないことは明白だ。
眼の前で母親と呼ばれながら女の子に泣かれたフィーの顔はひきつっている。
「銀色の髪なんてそうはいないよなあ」
そうですね。私も友人の言葉を信じないわけではありませんがこれはちょっと。
「だから違うってば! ……ああ、違うの違うの。別にお嬢ちゃんのことを怒ったわけじゃないんだからね」
あやすように少女の頭を撫でるフィー。
そんな縋るように私の方を見られても困ります。私も子供をあやした事なんてありませんし。
見るに見かねてか、マリナ様がそんな2人に近付いて膝を着くとおもむろに涙を流す少女を抱き締める。
「大丈夫。この世界には悲しい事なんて一つもありません。悲しい事は勇者さまがみーんなやっつけてしまいますから」
普段は全く見せないとても優しい声で囁くマリナ様。
首元に顔を埋めて嗚咽を漏らす少女の背中を落ち着くまでずっと撫でさする。
私達はそんな様子に何も出来ないまま、指をくわえて見ている事しか出来なかったわけで。
「まったく。大の大人が揃いも揃って子供一人あやす事も出来ないとは……」
面目次第もございません。
「ボクの名前はコナン。君の名前は?」
「……ノイ」
近くの食堂に入り、私とフィーが年下の女の子に説教をされている横でコナンが事情を聞いている。
意外に優しいのは将来有望だからだそう。何が、と聞くまでも無いだろう。
「へえ、自分の名前を書けるのかい? それはすごいね」
褒められた少女の顔には笑みが浮かんでいる。
さっきまで泣いていたのが嘘のようだ。
ちなみに子供はある一定の年齢になると文字や数学の勉強をすることが義務付けられている。
大抵は街の中にいくつかそういう場が設けられるものだが家庭内で教育されることもある。
彼女はまだそこまでの年齢に達していないのでおそらく両親に教わっているのだろう。
「おふたりとも。わたくしの話を聞いてますか?」
逃避していた思考が現実に引き戻される。
こちらの少女の顔にも優しげな笑みが浮かんでいるのだが、背筋に悪寒が走るのは何故だろうか。
「だから、私はその、気が動転して――」
「黙りなさい。これから世界の脅威に立ち向かおうとしている人間が泣いている少女一人に心を乱してどうするのですか」
それはとても正論ではありますけれど、勇者様もこの状況に陥ったらうろたえそうな気もするんです。
言い訳を始めようとしたフィーをバッサリと斬り捨てたその言葉に心の中で反論する。
あくまでも心の中だけです。……怖いので。
「じゃあ、マリナちゃんが街中で突然『ママ!』って抱き付かれたらどうするの?」
「もぎます」
フィーの問いにきっぱりと即答する少女。
「もぐ?」
「ええ。ありとあらゆる手段を使って父親を見つけ出してもぎます。妻に逃げられたうえに娘からも目を離すような男性にはもう必要無いでしょうから」
何を、と聞くと、ナニを、と戻ってくる。
ナニ? 何?
首を傾げているとマリナ様が私の両手を握りじっと見つめてくる。
「セリアさま。いつまでもそのままの貴女でいてくださいね?」
その言葉に同意するように何度もうなずくコナンとフィー。
泣きやんだ少女はそんな私達を不思議そうに見回す。
常々思っていたが、世の中には私の分からない事が多すぎて困る。
アレンに聞いたら教えてくれるのだろうか?
「ところで、妻に逃げられたというのは?」
「お父さんと一緒に、いなくなったお母さんを探しに来たんだってさ」
コナンが女の子の頭を撫でながら私の問いに答える。
撫でられている少女に嫌がる素振りは見られない。
一部の女性にはひどく毛嫌いされている少年も子供には受けも良いようだ。
「お兄様はただの変態と思わせておいて実は一途と思いきや心の底から真性の変態というある意味稀有なキャラクターなのです。あまり見くびってもらっては困ります」
私の心の中を読んだかのようにそんなことを言うマリナ様。
でもそれだと自分の兄は変態だから気を付けろという意味になるのでは?
「ノイちゃん、デートの予約をしたいんだけどいいかな?」
「よやく?」
「うん。15才になったらお兄ちゃんとデートしっ!」
言い終わるのを待つまでもなくフィーの渾身の肘打ちが少女からはテーブルの陰になって見えない位置に炸裂する。
正確に言うと肋骨の下辺りか。声も出せずに悶絶する少年の姿を冷たく見下ろすフィー。
テーブルの下ではぎりぎりとコナンの足を踏みにじっている。
どうやら避けられないように足を踏みつけた上で肘を当てたようだとマリナ様が耳打ちしてくれた。
「このお兄ちゃんは冗談が好きだから、素直に聞いてると怖い所に連れてかれちゃうぞ?」
茶目っ気たっぷりに言い聞かせているつもりなんでしょうけどこちらからは一部始終全て見えているのでフィーの方がよほど怖いのですが。
「そうですね。たまたま見付けたのがわたくし達であったから良かった物の、世の中には小さな女の子にしか興味の無い男性やふくらみかけ最高などと人目もはばからず宣言する男性もいるのです。気を付けるに越したことはございませんわ」
その言葉を聞いてコナンと同じようにテーブルに突っ伏すフィー。
ひょっとしてその男性って勇者様の事でしょうか。
しくしくと泣き真似をするフィーの頭を、とことこと近付いてきたノイちゃんが撫でる。
「おねえちゃん、だいじょうぶ?」
「ううう……ホントこの娘はいい子だね」
抱き上げて頬擦りするフィーは何かを決心したように立ち上がる。
「よし! お姉ちゃんに任せておきなさい! 絶対にお父さんかお母さんを見付けてあげるから」
またそうやって安請け合いして。……まあ約束の時間まではまだ猶予もありますしこのまま警備の兵士に渡してはいさようならというのも後味が悪いのですが。
「ノイ!」
「あっ、パパ!」
入口の方から男性の声が響き、少女がそれに応える。
あっさり見つかりましたね。フィーは拳を突き上げた姿勢のまま固まっている。
「申し訳ありません。娘がお世話になったようで」
駆け寄って娘を抱き締める父親の姿。年の頃は三十代後半くらいでしょうか。
服装から素性を読みとれるほど私も世の中を知っているわけではありませんが、旅装をしていることからこの街の人間では無いということくらいはわかります。
「ええ。本当にお世話致しました」
微笑みながら言い放つマリナ様。
とても優しそうな笑顔に見えますが目が笑ってませんよ。
先程までの私達と同じように、男性は気圧されたかのように視線を彷徨わせる。
やがてその視線は一点で止まると目を見開く。
「トリス!? どうしてここに?」
トリスと呼ばれたのは振り上げた拳をそっと下ろして何事も無かったかのように取り繕っている銀髪の友人。
男性はその手を取ると彼女の顔を見て感極まったように泣き出す。
どうしていいか分からないとこちらを見る彼女に私達は図らずも揃って同じ一言を告げた。
「ああ、やっぱり」
「やっぱり違うっ! やっぱりじゃないっ! やっぱり言うなっ!」
事態はますます混迷の度合いを深めていた。
「だーかーらー、違うって言ってるじゃない! 私の名前はフィーア! 現在18才彼氏募集中!」
食堂の店主さんに騒いだ事を怒られた私達は個室を頼み、事態の打開を試みることに。
といってもただ単にフィーの身元を明らかにするだけなのですが。
「彼氏募集中は別に言わなくても……」
そう口に出した途端睨まれる。先程の事がよほど腹に据えかねたらしい。
「彼女の身元はムーンブルク王女セリアの名の元に確かに保証いたします」
子供の頃の彼女を知っているのはこの場では私だけ。
当然、ここは私が第三者として名乗り出るべきだろう。
そう考えての言葉だったのだが、思った以上の効果があったようだ。
「お、王女様……?」
「ええ。そうですが何か?」
そう告げた途端、彼はその場に平伏する。
「い、今までの数々の無礼、お許しください……! こら、お前も頭を下げるんだ」
きょとんとする娘の頭を押さえようとする父親の姿にこちらが驚いてしまう。
「あ、あの、そこまでされると困るのですが」
「この世界を救った勇者様の子孫であるセリア様に私の家庭の事でご迷惑をお掛けいたしました事、ひらにご容赦願いたく……」
先程まで頬を膨らませていた友人に目で助けを求める。
こちらを指差して声も出さずに笑っている所をみると助けてくれるつもりは無さそうだ。
仕方なく、傍観していた兄妹の方を向く。
兄の方はフィーと同じように指を差して吹き出すような仕草を見せる。
本人達は嫌がるだろうが本当に良く似ていて困る。きっと2人は同族嫌悪というものなのだろう。
反対に比較的常識人の妹の方は呆れたような顔をして助け船を出してくれた。
「そんなに畏まる必要はございません。セリアさまもそうおっしゃっておりますわ」
「ですが!」
なおも平伏を続ける男性にマリナ様はあくまでも声だけは優しく言い放つ。
「まあ。わたくしのお願いが聞けない、と?」
こちらに向けられた言葉ではないのに背中に冷たい物を差し込まれたような感覚。
目の前の男性はどれほどの恐怖を味わったのだろう。
跳ねるように起き上るとその場に尻餅をつく。
「め、滅相もございません! 今までの態度は謝ります! ですから娘だけは何とぞ…!」
何か余計に拗れてしまったような気もするのですが。
「気にすることは無いよ。ボク達はあくまでもお忍びの旅の途中なんだ。そこのおバカがいきなり名乗ったのが問題であって君自身には一切の問題は無い」
……おバカで悪うございました。
珍しくまともな論調で事態の収拾を図るコナン。
何だかんだ言ってもやっぱり男の子。こういう時は頼りになりそうだ。
「そもそもの原因は君の娘がそこの胸な……ゴホン、そこの女性を自分の母親と間違えたこと。だから責任を取ってもらうために娘さんをボクにっ――――!?」
何かを口走りかけたコナンを挟むように金と銀の少女が動く。
一瞬の後には床に倒れ伏して悶絶する少年の姿。
「少しは後始末をする人間の身にもなってくださいませんか、お兄様?」
「いいかげんその性格直した方がいいと思うな、私」
私はその場にひざまずき、呆気にとられた様子の男性の右手を握りもう片方の手を覆い被せるようにして目線を合わせる。
「あの、お気になさらないでください。そのように畏まられると私達の方が困ってしまいますので」
何故か男性の頬は赤く染まり、ただ無言でコクコクと頷いている。
私が何かまたおかしな事をしたのでしょうか?
「そうそう。私のお父さんだって一応は勇者だけどそんな扱いされたら気持ち悪いって言ってたから大丈夫だよ」
それよりも何よりも認知度が低すぎて自称勇者みたいな扱いしか受けていない所をもう少し気にするべきではないかと思うのですが。
「ゆ、勇者様のお嬢様で? 申し訳ございませんでしたっ! まさかそのような身分の高い方とは思わず! このうえは私の腹を搔っ捌いてお詫びを――――!」
再び繰り返される喧騒に、思わず顔を見合わせた私達でした。
「失礼いたしました。まさか皆様がそのように身分の高い方々とは思いも寄らず」
「いや、もうそれはどうでもいいから。奥さんの事を教えてよ」
ようやく落ち着いて聞き出した所によると。
何でも奥様は彼とは二度目の結婚だそうで、最初の結婚の事は詳しくは知らないけれどそれなりに仲良くやっていたそう。
ノイちゃんは2人目の子供で、村では長男が家で留守番をしているとか。
3人目の子供が生まれてすぐにその子を連れて家出をしたらしく、非常に心配しているとのこと。
「それって単に奥さんが浮気してて旦那さんの子供じゃないから逃げたってだけじゃないの?」
「それは……村の者にも言われました。けれど、僕は彼女を信じてるんです。愛してるんです」
奥様が家出をした理由がよく分かりませんね。
子供が産まれた途端、ということですからその子供が何か関係しているのでしょうが。
「フィーアさま?」
マリナ様が突然友人の名を呼ぶ。そちらを見ると、どこか様子がおかしい。
「ううん。大丈夫、大丈夫だから」
大丈夫と繰り返しながらもその顔色は真っ青でよろめく彼女を椅子に座らせる。
「フィー?」
「うん。ちょっと驚いただけだから気にしないで」
さっきの話のどこに驚く部分が?
あっ! ま、まさか、奥様の浮気相手って……?
「何かすっごく失礼な事考えてるような気がするんだけど、絶対違うから」
違うんですか。
怒ったことで少し頭に血が上ったのか幾分顔色を戻したフィーが力強く否定する。
でも、どうして私の考えている事が分かったのでしょう?
「フィーアさん、でしたか?」
首を傾げていると男性が彼女の名を呼ぶ。
「ええ。そうです」
椅子に座る彼女の前に来るとそのまま深く頭を下げる。
「先程は本当にすみませんでした。本当に他人とは思えないほどによく似ていて。でもおかげで私が本当に妻の事を愛していると再確認できました」
晴れやかな顔をしている彼は先程よりも若く見える。
実際には私が見積もった年齢よりも幾分若いのかもしれない。
「奥さん、見つかるといいですね」
「はい。本当にこの度はありがとうございました」
食堂の外に出て父娘を見送る。
「ノイちゃん、ばいばい」
「ばいばい、おねえちゃん。おにいちゃんもばいばい」
「うん、十年後にまっ!? ……ぐふっ」
性懲りもなく地面に倒れ伏すコナンは放って置いて別れの言葉を交わす。
親子は一緒に居るのが一番良いんです。
手をつなぐその姿に、どこかに連れ去られてしまったお父様とお母様の事を思い出してしまう。
「セリアさま、大丈夫です。おふたりともとても元気ですよ」
まるで見て来たかのように話すマリナ様の言葉に勇気づけられる。
待っていてくださいね、お父様、お母様。
必ずアレン達と一緒に助けに行きますから。それまでお元気で。