星に願いを(続ああ、無情。)   作:みあ

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第三話:伝説の勇者

 森を抜けた私達の目の前に毒の沼地が広がっている。 

 紫色に濁った水が気泡を生み出しながら澱んでいる。 

 ここを抜けない限り、ムーンペタにたどり着くのは難しいようだ。 

 

「よし、フィー。トラマナを使うんだ」 

 

「ん? 私、そんなの使えないよ?」 

  

 トラマナとは、こうした毒素から身を守る魔法。

 それほど難しい物ではないのだが、限定された状況下でのみ使用される魔法。 

 あまり積極的に覚えようとは思わない魔法の一つだ。 

 

「どうして覚えてないんだ?」 

 

「お父さんだって、人の事言えないじゃない!」 

 

「ああ、これが反抗期って奴か……」 

 

「むー」

  

 不毛な親子喧嘩の末、結局歩いて渡る事に。 

 

「フィー、足元に気を付けろよ」 

 

「お父さんこそ気を付け――」 

 

 フィーが言葉を言い終えるよりも先に、青年の姿が視界から消える。 

 釣られて下を向くと、見事に尻餅を付いている。 

 

「あのね、お父さん」 

 

 声を掛けるのも面倒くさいといった雰囲気で娘が嘆く。 

 

「いや、俺は悪くないぞ。何か足元に硬いモンが……」 

 

 言いながら、紫色に染まった沼に手を差し入れる。 

 ここまで汚れた以上、原因を探らずにはいられないようだ。 

 

「おっ、これだ」 

 

 引き上げた手に握られているのは、手鏡のような物。 

 こちらからは鏡面は見えないので本当に鏡かどうかはわからない。 

 だが、それを知る事は二度と出来なかった。 

 

「お父さんの顔を映したくなかったんじゃない?」 

 

「失礼な事を言うな!」 

 

 その鏡らしきものは、彼の顔を映すと同時に砕け散った。 

 それが、私の希望が砕け散った瞬間だとはこの場にいる誰もが知る由も無かった。 

 

 

「ところで、どうしてムーンブルクが襲われたのかな? 何か心当たりは?」 

 

 フィーが私の顔を覗きこみながら疑問を呈する。 

 確かにそれは私も気にはなっていた。 

 13年前はローレシア、サマルトリア、ムーンブルクの3国が襲撃された。 

 それにもかかわらず、今回はムーンブルクのみなのだ。 

 

『私にもわかりません。ただ……』 

 

 あれが新たな闇の軍勢なのだとしたら、襲われる理由に一つだけ心当たりがある。 

 

「ただ、何?」 

 

 言葉の続きを促してくる少女に、その答えを示す。 

 

『ムーンブルクには、勇者様が使っていたという伝説のロトの兜があります。それを狙っていたのではないでしょうか?』 

 

「勇者の?」 

 

 目を丸くして驚く彼女に、どこか優越感を抱きながら答える。 

 

『はい、100年前に勇者様が魔王を倒した際に身に付けておられた物だと聞いております』 

 

 だが、彼女が驚いた理由はそんな事ではなかったようだ。 

 その由来を聞いた彼女は、先を歩く彼女の父親だという青年に声を掛ける。 

 そういえば、フィーのお父さんって確か……? 

 

「ねえ、お父さん。ロトの兜って知ってる?」 

 

 青年はその場に立ち止まり、振り返る。 

 

「ロトの兜? 何だそれ?」 

 

 他ならぬ勇者様の言葉に、今度は私が目を丸くする番だった。 

 

 

『そんなはずはありません!』 

 

 石で組んだかまどに小鍋をかける勇者様に、私は言い募る。 

 もちろん、通訳はフィーだ。 

 

「そんな事言われてもなあ」 

 

 勇者様は干し肉を細かく刻み、鍋の中に放リ込む。 

 

『私はお父様から確かに聞いております!』 

 

 私の言葉もなんのその、そこに川から汲んで来た水をゆっくりと注いでいく。 

 

「じゃあ、そのお父様が嘘ついてんだろ」 

 

 私はその言葉に愕然とした。 

 

「ちょっと、お父さん! もう少し言葉を選んであげてよ!」 

 

 フィーが勇者様の言葉を咎める。 

 けれど、私が衝撃を受けたのはそれだけではない。 

 祭壇の兜が偽物ならば、13年前の戦いの際に命を落とした者達への祈りすらも嘘偽りのように思えたからだ。 

 

「あー、すまん。悪かった」 

  

 湯気と共に漂ってきたおいしそうな香りが鼻をくすぐる。 

 私は勇者様の謝罪の言葉にも黙って首を振る事しか出来なかった。 

 

 

 小さな器に注がれたスープに口を付ける。 

 もっともこの犬の身体では舌を付けると言った方が正しいか。 

 ほどよい塩味とあっさりとした旨味が口の中に広がる。 

 

「ねえ、セリア。お父さんの言った事、気にしちゃダメだからね。お父さん、いっつも適当な事ばかり言うんだから」 

 

 銀色の髪の少女が私を元気付けるように、明るく振る舞ってくれる。

 

「適当って、お前な……」 

 

 娘の言葉にふてくされたような仕草を見せる勇者様。 

 そんな親子の遣り取りがとてもうらやましい。 

 お父様は、今どうしていらっしゃるのでしょうか? 

 

 そう、お父様は生きている。 

 

 気落ちした私を見かねて、勇者様が教えてくれた。 

 なんでも拾った兵士いわく、城にいたものは皆、動物の姿に変えられてどこかに連れ去られたのだそうだ。 

 「そうでもなきゃ、お前が犬の姿になってる理由がわからん」とは勇者様の言葉。 

 言われてみれば、その通り。 

 私だけが犬に変えられる理由がない。 

 

「セリア」 

 

 フィーに名前を呼ばれ、ふと顔を上げた。 

 その顔にはいたずらっ子のような笑みが浮かんでいる。 

 

「ロトの兜が偽物って言う前に、もう一つ可能性があるよ」 

 

『何ですか?』 

 

 聞き返す私に、右手の人差し指を立てて言う。 

 

「お父さんが勇者じゃないっていう可能性」 

 

 フィーと二人で、勇者様の方をじっと見つめる。 

 言われてみれば、その方が納得できる。

 

「納得するな!」 

 

 私の心の中を読んだのだろうか? 

 勇者様が反論の声を上げる。 

 

「大体、俺は元々魔法使いなんだよ。皆『ローラの日記』に惑わされすぎだ」 

 

 『ローラの日記』、それは勇者様と共に戦った私のひいおばあさまに当たる方が残された物だ。 

 ここに記された勇者様はロトの防具に身を包み、ロトの剣を振るっている。 

 どうやら、その冒険譚のほとんどが創作らしい。 

 

「正確には、立ち位置が違うんだよ。ロトの鎧に身を包み、ロトの剣を振るったのはローラだ」 

 

「じゃあ、ローラ様が勇者だったんじゃないの?」 

 

 勇者様いわく、その可能性はないそうだ。 

 理由は、一人の魔王に対して勇者は一人しか生まれないかららしい。 

 そして、魔王を倒すまで、勇者は死ぬ事が出来ないのだそうだ。 

 

『? どうして、勇者様は生きてるんですか?』 

 

「何か微妙に失礼な事を言われてる気がするんだが」 

 

 気のせいです。 

 

「うーん。私もついこないだまで知らなかったんだけど、お母さんが魔王なんだって」 

 

 そ、それはひょっとして、勇者と魔王の禁じられた恋? 

 勇者と魔王が戦いの中で芽生えさせる愛。 

 いつしか二人は互いの事しか考えられなくなって……。 

 

「犬の姿で身悶えるな、気色悪い」 

 

 はっ?! 

 あぶないあぶない。 

 勇者様の言葉で正気を取り戻す。 

 

「でも、お母さんって何かしたの? 全然聞いた事無いんだけど」 

 

 魔王と呼ばれるからにはそれだけの理由があるはず。 

 勇者様はそれを知った上で全てを受け入れておられるのでしょうか? 

 やはり、それは勇者と魔王の禁断の愛がなせる業か。 

 けれど、私達の期待とは裏腹に、勇者様の答えは実に素っ気なかった。 

 

「さあ? 俺も聞いた事無い」 

 

「えー、気にならないの?」 

 

「全然」 

 

 この人は嘘をつけない人だと思う。 

 だから、この答えも嘘偽りの無い本心からの言葉だろう。 

 

「そんなに知りたきゃサイモンにでも聞け。アイツは昔腹心だったらしいから何か知ってるだろ」 

 

「えー、私あの人苦手なんだよね」 

 

 サイモンというのが誰の事かはわからなかったが、共通の知り合いなのだろう。 

 フィーが露骨に嫌そうな表情を浮かべる。 

 話の論点がずれた事に気付いたが、これ以上この話題は続けられない事はわかった。 

 

『あの、ローラ様の事を教えていただけませんか?』 

 

 メイドマニアだの女好きだのという不思議な会話を止めて、フィーが私の言葉を伝えてくれる。 

 

「ローラか……」 

 

 勇者様が夜空を見上げる。 

 しかし、その目はもっとずっと遠くを見つめているようにも見える。 

 

「お母さんに聞くと、腹黒だとか性悪って言葉しか出て来ないの」 

 

「そうだな。まあ、おおむねそのとおりなんだが……」 

 

 そのとおりなんですか。 

 

「本人に会わなきゃわからないと思うよ。彼女の魅力はね」 

 

 そう言って、彼は多くの思い出を語ってくれた。 

 冒険の日々、結婚生活、子育ての苦労。 

 楽しい話や悲しい話、困り果てた話、たくさんの話をしながら、夜は更けて行った。 

 

  

 ふと目を覚ます。 

 隣には寝息を立てている少女の姿。 

 そっと寝床を離れ、空を見上げる。 

 幾つもの星が瞬き、私を見下ろしてくる。 

 

「眠れないのか?」 

 

 突然、声を掛けられ驚く。 

 

『いえ、あの、少し気になって』 

 

 どぎまぎしながら振り向くと、勇者様が焚き火の番をしている。 

 そういえば、寝る前に順番を決めていたような気がする。 

 

「悪い、俺にはお前の言葉はわからん」 

 

 言葉も通じない、焚き火の番も出来ない、何の役にも立たない犬の身が恨めしい。 

 少し気落ちしていると、勇者様が私を膝の上に抱き上げる。 

 

『え?! あの、ちょっと!?』 

 

「おお、やっぱり暖かいな。さすが小動物」 

 

 その言葉に、私も抵抗を止める。 

 この犬の身体でも、少しは誰かの役に立っているのかと思うとどこか嬉しい。 

 勇者様は私の背中をそっと撫でてくる。 

 人の身で背中を撫でられるのは嫌だが、犬ならば問題も無い。 

 これは犬の特権というべきものだろう。 

 

「どうやったら、この身体は元に戻るんだろうな?」 

 

 勇者様の呟きが耳朶を打つ。 

 私はそれを心地よさに身を委ねながらゆめうつつで聞いている。 

 

「流れ星に願ってみるか。元の身体に戻してくださいって」 

 

 流れ星に願い事? 

 前に誰かが教えてくれたような気がする。 

 私の願いは何? 

 

『アレンに会いたい……』 

 

 誰に伝えるでもなく、その願いだけが口から漏れる。 

 

「ん? なんだ寝言か? ……おやすみ、セリア」 

 

 ……おやすみなさい。 

 私は全身を安らぎに包まれながら眠りについた。 

 

 

「じゃーん! セリアにプレゼント!」 

 

 早朝から、何故かテンションの高いフィーが道具袋から何かを取り出す。 

 

「ぶっ! お前、何でそんなもん持ってんだ?」 

 

 それを見た勇者様が驚きの声を上げる。 

 無理も無い。 

 その手に握られていたのは、犬の首輪だったからだ。 

 

「んー。お母さんに18才の誕生日祝いにもらったんだよ。これを着ければお父さんが大人しくなるって」 

 

「あー皆まで言うな。ったく、何考えてんだ、シアちゃんは」 

 

 一体、どういう家庭環境なんでしょう? 

 って、私が着けるんですか、ソレ。 

 

「ちゃんと飼い犬だって主張しておかないと、危ないよ」 

 

 その言葉に、私もうなずかざるを得ない。 

 野良犬扱いで駆除なんてされたくはないからだ。 

 

「ほらほら首出して、首」 

 

 仕方なく、フィーに向かって首を差し出す。 

 余裕を持たせてくれているようで、首が絞まるような感触は無いがどこかくすぐったい。 

 

「ハイ、オッケー」 

 

 そう言って、最後の金具を閉じる。 

 その瞬間、不思議な感触が首に走る。 

 

『あの、何か嫌な予感がするんですが』 

 

 ためしに、もう一度外してもらう。 

 しかし、簡単にはめ込んだはずの金具が動かなくなってしまったようだ。 

 

「あれ? 外れない。お父さんもやってみて?」 

 

 勇者様がやっても状況は変わらない。 

 

「これ、呪われてんじゃないか?」 

 

「えーーー?!」 

 

 叫びたいのは、私の方です。 

 

 セリアはいぬのくびわをそうびした。 

 セリアはのろわれてしまった。 

 いぬのくびわをはずすことができない! 

 

『どうしろって言うんですか、まったく』 

 

「どどど、どうしよう? ごめんね、ごめんね」 

 

 慌てふためくフィーを見ていると、どこかおかしく思えてくる。 

 第一、犬である事自体がおかしいのだ。 

 これ以上の不幸があろうはずが無い。 

 この犬の姿で首輪が外れない事に一体どんな不都合があるというのか。 

 

「まあ、ここまで来たら、シアちゃんに頼るしかないか」 

 

 勇者様の提案に、フィーはさらに慌てる。 

 

「えー?! もう帰っちゃうの?」 

 

「いや、セリアだけ、ローレシアに送るんだよ」 

 

 その言葉に、少女は安堵する。 

 

「良かった。もう少しお父さんを独り占めできるって事だよね」 

 

「今帰ったら、どんな目に遭わされるかわかったもんじゃない」 

 

 本当に、どんな家庭環境なんでしょうか? 

 呪いの首輪を娘に贈る母親の姿を、見たいような見たくないような。 

  

 だが、私の思いに関係なく、話はどんどん進んでいく。 

 

「じゃあ、シアちゃんによろしくな」 

 

 勇者様が天に向けた両手のひらの上に、私の身体をちょこんと乗せる。 

 

『あの、これ、危なくないんですか?』 

 

「お前なら出来ると信じている」 

 

「大丈夫! セリアなら出来るよ」 

 

 妙に自信たっぷりに言うところが逆に怪しい。 

 そもそも、その言い方だとこちらに丸投げしているようにも取れる。 

 

『あの――』 

 

「喋るな、舌を噛むぞ」 

 

 私の言い分はもう通じそうに無い。 

 

「シアちゃんをイメージ。方向はこっちだな」 

 

 勇者様は精神を集中しているようだ。 

 どこか声を掛けがたい。 

 フィーはというと、少し離れた所で見守っている。 

 視線を合わせると、ついと逸らす。 

 

『ちょっ――』 

 

 思わず声を上げた瞬間、勇者様の呪文が完成した。 

 

「バシルーラ!」 

 

 突然、身体が弾かれるように空中に飛び出す。 

 

『ふむぐっ!』 

 

 口からは言葉にならないうめきが飛び出し、地上の二人が見る間に小さくなっていく。 

 どうやら、一直線にローレシアに向かっているらしい。 

 すごい速さで地上の景色が移り変わって行く。 

 この分だと、そう遅くないうちにローレシアにたどり着けそうだ。 

 

 ……ちょっと待って下さい。 

 これはどうやって降りるんでしょうか? 

 今ならわかります、二人のあの言葉の意味が。 

 

『いくら何でも、この高さから落ちたらひとたまりもありませんよーー!!』 

 

 私をこの境遇に陥れた二人を呪いながら、力の限り叫ぶ。 

 やがて来るだろう最期の時は刻一刻と迫っていた。 


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