そして俺はニャーと鳴く   作:小竜

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第3話

三.越えられない壁

 

 不可抗力という言葉があるが、今の自分がおかれた状況が、まさにそれだ。

『ちょ、アキ!? いきなりなにをっ!』

 アキに気持ちを伝えるためにとあれこれ浮かんでいたアイデアが、宇宙の彼方へと吹っ飛ばされる。それほどの光景が眼に飛び込んできた。

 ナイトはアキの部屋にいたのだが、突如、彼女が洋服を脱ぎ始めたのだ。あたふたするナイトだが、視線は逸らさない。

 寝巻きを脱ぎ捨て、あらわになるアキの下着姿。形の良い胸と、緩やかな脚線美から目が離せない。小柄なアキは髪が短いこともあり活動的な外見をしているが、体型には十分女性らしさがある。

 眼をギンギンに輝かせ、ナイトは瞬きすることを忘れてしまう。

 アキが制服をクローゼットから取り出す。すぐに着替えるかと思えば、ごそごそと洋服ダンスを漁りはじめた。取り出したのは白い靴下と……、もう一枚のブラジャー?

『……って、あのブラジャー。思いっきり見たことあるぞ』

 そのブラジャーは昨年、アキの誕生日に羽根沢深夜がプレゼントしたものだ。ブラジャーのサイズはCカップである。服越しから胸のサイズを勝手に予想して買ったのだが、アキに渡した際には、深夜は顎を蹴り上げる一撃をお見舞いされた。さらに、三日ほど会話を拒絶された過去がある。

 あのブラジャー捨ててなかったんだな。そんな風に思っていると、アキはブラジャーを付け替え始めた。残念無念。アキは偶然にもナイトに背を向けてしまった。

 落胆の混じった長いため息が響いた。ナイトは、思わずふきだしそうになった。

 なんてこった! 意外にもアキは胸のサイズを気にしてたのかっ! いや、しかし、大きければいいわけでもないぞ。小さいのもまたステータスだ。

 眉根を寄せながらアキが首だけでこっちを振り向いた。

「なんでかしら? 今、とっても、むかついたんだけど」

 責めるような顔をして小猫を見下ろす。彼女と目を合わせたら命がなくなる気がして、ナイトはついっと顔を背ける。

 サイズがばっちりあっているBカップブラを着け直し、アキは制服へと着替え始める。

『下着姿で靴下からはくのかよ……。なんだかエロいな……』

 床に座り込んで靴下をはくアキがいる。やっぱり凝視してしまうナイトであった。

 

 

 

 

 

 

 自分が猫になったのはなんのためだ。少なくともアキの着替えを覗くためではないはず。煩悩の念を振り払って思いついた作戦は、『言葉で意思疎通が無理ならば文字で伝えればいい』というものだった。

 そんなわけで、リビングのテーブルにあった野菜大安売りの広告と、目につくところにあった油性ペンの一本拝借したまではよかったのだが。

『ぐっ、このっ!』

 文章で告白大作戦は、出だしから躓くこととなる。なぜならば、ペンは円柱形ゆえ、どうにも猫の手に優しくなかった。ペンのキャップは外せないし、前足二本で挟むようにして掴もうとしても上手く固定ができないし。

『んにゃっ! こんなんで字が書けるかあっ!』

 油性ペンに向かって強烈な猫パンチをお見舞いした。ペンがよく転がる。ころころ……ころころ……。

『何やってるんだ?』

『おりょ? レノン?』

 レノンの身体にペンが軽く当たって止まる。

『ちょっとな。ペンで紙に文字を書こうと思ったんだけど、キャップがとれないんだ』

『猫なのに文字を書きたいのか? ますます変な奴だなぁ』

 レノンがキャベツの芯をかじっている。ぷ~ん、と甘酸っぱい臭いがした。

『上手く書けんのか? なんて書くんだ?』

『そんなに気になるなら手伝ってくれよ。これが外れなくて、書こうにも書けねえんだよ』

『キャップが邪魔なんだな。なら、ボクにまかせとけ』

 レノンはペンのキャップ部分を口に突っ込むと、頬がぷっくりと盛り上がった。

『おい、何するつもりだよ』

『キャップがなくなればいいんだろう?』

『手伝ってくれるのか? でも、かなり固くて外れないぞ』

『ボクを……いや、ネズミを甘く見てるな? げっ歯類は歯が命なんだぞう?』

 ぱきんっと音を立ててキャップが割れ、ペンの先端があらわになった。

 

 

 

 

 

 

「ただいまー」

『おうっ、おかえりっ』

 テーブルの上でアキの帰りを待ち続けていたナイトは、ついにこの瞬間が来たと、歓喜にふるえた。アキの視線がテーブル上の広告へと向く。

 びっくりした猫みたく、アキがぱちぱちっと目を瞬かせる。

 ――俺は死んだけど猫になった。それもこれもお前に会うためだ。アキ、好きだぞ。

 レノンに協力してもらい、約四時間かけて創作した文章だ。まさに一世一代の超大作。さあ、アキはどんな反応を見せるだろうか。

 アキの視線がキャップなしの油性ペンとナイトとの間を、しきりに行き来する。

「ナイト。あんたねえ……」

『アキっ! 俺のことをわかってくれたか? それが俺の気持ちだっ!』

「いたずらしちゃ駄目じゃないのっ! もうっ、変な落書きなんかしてっ!」

 容赦ないアキの一言は弾丸のようで、ナイトの胸に突き刺さった。

 いたずらって……。たしかにミミズがのたくったような字だけど、そこまで酷いか?

「ほらほらっ! 油性ペンだからテーブルにまで写っちゃってるじゃないのよっ!」

 ぎらり。アキの目が光る。ナイトは彼女の瞳に、襲いかかってくる肉食獣の姿を見ていた。

「悪い子には躾が必要よね……。覚悟しなさいよっ!」

『うにゃあああああ! ごめんなさいぃぃぃ!』

 

 

 

 

 

 

 アキも彼女の父親も、それぞれの生活があるわけで、ナイトは基本的に一匹で過ごす時間が長い。一匹だけになると、することは一つしかなかった。それは昼寝だ。アキの寝室か、ソファーで時間を潰すのが日課になりつつある。

 寝てばかりだと飽きるだろう。最初はそう思っていたが、猫の身体は居眠りに特化しているらしい。何時間でも寝ていられる。そんなわけで今日もアキのベッドで眠っていたのだが。

 どうも妙な視線を感じる気がするのだ。最近、急にというわけではない。アキの家にきてからずっとである。少なくとも今は自分以外に誰もいないはずだが、どういうわけだろう。

 今日に限ってなぜかとても気になって、ナイトはアキの寝室をぐるぐると歩き回る。

 アキの部屋の窓際。クマのぬいぐるみが飾られていた。

『まさか、ぬいぐるみが生きてるってわけもあるまいし……』

 ぬいぐるみに、てしってしっ、と二度ほど猫パンチをかましてみるが、やはり反応はない。

 リビングでも妙な視線を感じることはあったけども。この人形は、えーと……、弘樹だ。あの男がプレゼントと言って、ぬいぐるみを置いていったのだ。

 他の部屋にも何匹かぬいぐるみがある。アキにぬいぐるみ収集の趣味なんて聞いたこともない。弘樹がプレゼントしたのだろうか?

 

 

 

 

 

 

 時々だが城島弘樹はアキの住むマンションへと遊びに来ることがある。

「ナイトー、こっちへ来てよ」

 ソファーの上で丸まって身動き一つしないナイトへと向けて、弘樹が笑顔でしつこく迫ってくる。だがナイトは耳をピクピクと動かすことすらしない。無視してやった。

「あたしが呼ぶとすぐに飛んでくるクセに、弘樹君だとどうして無視するの」

 アキがため息混じりにぼやいた。

 弘樹は野郎だ。アキの彼氏だ。敵と呼べる存在に振りまく愛想など、持ちあわせていない。

「ほらほら、ナイトー。お前の元飼い主だよ。少しぐらい興味を持ってほしいな」

 また弘樹に名前を呼ばれる。しかも今度は無断で身体を触ろうとする始末。

 必殺猫引っ掻き。伸びてきた弘樹の手を撃墜する。すると彼は苦悶の表情を浮かべた。

 弘樹の手の甲には、爪による引っ掻き傷があって、血がにじみ始めていた。どうやら爪が深々と当たったらしい。しかし、いい人の代名詞でもある弘樹のことだ。何事もなかったように笑顔をみせる。……ナイトはそう思っていたのだが。

 弘樹の瞳がすっと細められる。睨みつけた相手を凍死させるのではというほどの、衝撃的な視線に、ナイトの全身の毛が総毛立つ。

「ああっ、なにやってんのよ!」

「アキさん、そんなに怒らないで。僕は大丈夫だから」

 全ては幻想とでもいうように、敵意は霧散し、爽やかさを取り戻した弘樹がいる。

 ……今の弘樹はなんだったのだろう。見間違いではなさそうだが。

「大丈夫じゃないわよっ。血が出てるじゃないっ!」

 アキの叫び声に、ナイトの身体がびくりと反応する。恐る恐る見上げれば怒りの炎を身に纏ったアキがいた。すらりと長い指。関節を鳴らして生まれる威嚇音。アキの腕がゆるりと伸びてきてナイトの両頬を掴む。そのまま左右に頬を引き伸ばしてきて――。

『ちょっと待て。今のは俺だけが悪いわけじゃないだろっ。向こうにだって非が……、いたたっ! やめてくれっ! 今度からちゃんと壁で爪の手入れをしとくからっ!』

 

 

 

 

 

 

 ちょっと頬がヒリヒリする。アキに引っ張られたせいだ。

 ソファーはカップルである男女の占領下にある。二人は並んで座っているが、肩が触れあうほど寄り添ってはいない。アキと弘樹の間には、ナイトが割りこんでいる。

 少し前まで弘樹が楽しそうに会話して、アキが応じるような会話のキャッチボールがあったのだが、今はどういうわけか二人とも押し黙っていた。個室において男女が創りだす静寂には、どこか神聖なものがある。他の人間を寄せ付けない不可侵領域とでも言おうか。

 弘樹が動いた。アキの手に、自らの手を添えようとした。しかし二人の手が触れあうことはなかった。アキが、すっと手を引っ込めたのだ。

 弘樹の顔から笑みが剥がれ、みるからに強張っていた。

「アキさん。僕たち、本当に付き合ってるんだよね?」

 室内の静寂を打ち壊す、自信なさげな弘樹の質問。

「付き合ってもいない男子を家に招くほど、あたしはお人好しじゃないわよ?」

「……なら、どうして僕を避けるのかな」

 弘樹の声のトーンに重いものが宿った。ちょっとだけ部屋の空気がぴりっとした。

「別に避けてなんかないわ」

 アキが困った顔をした。

「それは嘘だよ。今、君は手を引っ込めたよね。それだけじゃない。この前、僕がキスをしようとした時だって……」

 なんだと? キス!? ナイトはぎょっとしてアキを注視した。

「前も言ったじゃない。気分がのらなかったって……」

「一回目だけじゃなくて、二回目も三回目も同じ理由だったよね?」

「それは……」

 弘樹の咎めるような一言に、アキはうつむいて口を閉ざす。

「ねえ、僕のことをやっぱり避けて――」

 弘樹が言いかけたが、アキは立ち上がることで会話を遮断する。弘樹は怯んでいた。

「ごめん。あたし、ちょっとトイレに行ってくる」

 言い残して、アキはリビングから廊下へ出て行った。

 どうもアキと弘樹は、想像以上に関係が上手くいってないらしい。しかも話を聞くと、優男の弘樹が積極的に行動し、アキが拒絶しているというのだから驚きだ。勝手なイメージではあるが、弘樹という人間は奥手そうに思えたのだが。

「チッ」

 アキのいないリビングに響いたのは、苛立ちをぎっしり詰め込んだ舌打ち。

「あの女、なんなんだよ……」

『なっ!?』

 ナイトは耳を疑った。目を疑った。弘樹があからさまに不快そうな面をしている。

 ナイトはしばらく魂の抜け殻みたいに呆然としてしまう。そこにある光景に、まったく実感がわかない。こいつ、本当に弘樹か?

 ナイトの視線に気づいた弘樹が、またもや舌打ちをする。

「さっきは引っ掻きやがって……」

 弘樹が唇を歪ませた。どうやらそれは笑みであるらしい。

「傷が残ったらどうしてくれるんだよ」

 弘樹の腕が伸びてきた。ナイトは前足二本を押さえつけられ、さらに首までぎゅうううっ鷲掴みにされた。首根っこを掴むという生易しいものではない。

 弘樹の意志で解放されるまで、その苦しみは続いた。

 なんて理不尽な力なのか。人間とは、こんなにも恐ろしい生物だったのか。力の差は圧倒的だ。生殺与奪の権利は弘樹にある。わずかに力を入れれば、首の根っこから折れてしまいそうだ。

 少なくとも子猫である自分では、太刀打ちできない暴力がそこにあった。

 

 

 

 

 

 

 トイレには行かず、自室へと戻ったアキ。自分のベッドへと倒れ込むように身を放る。

 アキは嘘つきだ。

 友達に、自分に、そして大好きな人に嘘をついた。

 大好きな人。心の中で灯火のように「あいつ」の顔が思い浮かぶ。どんなに思っても二度と会うことはできない。気持ちを伝えることはできない。

 スケベだけど、ここぞという時には、彼の強い意志やひたむきさによって自分は救われてきた。加藤アキという人間にはない強さ。自分にとって深夜という人間は、燦々と輝く太陽のようなもので、失うことなんて考えられない存在だった。

 思い出される深夜との日々。まずい料理の試食役になってくれたり、朝弱い自分を起こしに来てくれたり。一番印象的なのは母親が出て行ってしまった時のことだ。

 ――俺はお前の側にいるから。

 その言葉に、どれだけ心が救われたことか。折れそうだった心をあいつが支えてくれた。

 でも、そう言ってくれたあいつは、もういない。

 悲しかったけれど、一生懸命に堪えてきた。ふとした瞬間に過ぎるあいつとの思い出が呼び水になって、涙を湧かせそうになることもあったけど、歯を食いしばってきた。

 大声で泣いたら、あいつを心配させてしまうな気がしたから。

 少しずつ、あいつのいない生活に慣れようと努力もしたのだけれど。

 弘樹が恋人らしい関係を迫ってくるたびに想像してしまう。あいつの手は小さい頃と同じで柔らかかったのか、それとも男性らしい立派なものだったのか。とっておいたファーストキス。唇を奪う相手があいつだったら、どんな甘い雰囲気があっただろうか。

 あいつのことを忘れられない。

 ……忘れたくなかった。

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