六. 明日へと続く道
あの事件から一ヶ月が経過した。アキに不埒なことをしようとした弘樹は、学校を退学になり、家族と共に引っ越していった。現在は懲役二年を求刑され、裁判中らしい。とりあえず当面の危機は去った考えてよさそうだった。
レノンはといえば、あの後、アキの温情によって命を取り留めた。一部始終を見ていた彼女は、レノンがナイトの危機を救ったように見えたらしい。もとから動物好きということもあって、レノン専用のゲージまで用意して飼い始めてしまった。
野良ネズミはこうしてペットへと昇格したのだった。
ぽかぽか陽気に誘われて、ナイトは今日もリビングの窓際で陽光を一身に浴びていた。
『ナイトの身体って温かいなあ』
『おい、人をベッド代わりにしてんじゃねえよ』
レノンが人の身体の上に乗ってくつろいでいる。心地よさそうにまどろむその姿は、天敵であるはずの猫が側にいるとは思えないほど、リラックスしきっている。
『あんまりケチケチすんなよう。減るもんじゃないだろ?』
『お前、寝ぼけると時々、噛みついてくるだろ? 本気じゃないかもしれねえけど、あれ、痛いんだぞ?』
『そうなのか? 覚えてねえなあ』
『当たり前だ。記憶にあったら寝ぼけるって言わないだろうが。確信犯だろうが』
レノンが耳の裏を後ろ足で器用にぽりぽりとかいていた。
ネズミの癖に馴れ馴れしく接してくるレノンがいる。ナイトにとっての会話相手はレノンしかいないこともあり、今となっては毎日のように喋っている。
「あんたら、本当に仲が良いわよね」
冷蔵庫へと飲み物をとりにいっていたアキが、麦茶片手に、すとんと腰をおろす。
「ネズミと仲がいいなんて、他の猫に聞かれたら、笑われるわよ? ホント、猫っぽくないんだから……」
『うっせーな。男女に言われたくないっての。お前だって、女っぽくないだろうが』
休日ということもあって、アキは、ジーンズにTシャツという色気皆無の格好だ。
「ほら、おいで」
足を投げ出すように座るアキは、膝元をぽんっと叩いた。
ナイトがのっそりと動き始めると、レノンが背から転がり落ちた。彼を無視して、アキの膝元でナイトは丸まる。そんなナイトの背をレノンはまた陣取るのだった。
アキの手がナイトの耳の付け根を、わしゃわしゃと揉みほぐす。
『んにゃ……、もう夕方か……』
空は燃えるような赤に染まっていた。陽は沈みつつあり、もうすぐ一番星が輝くかもしれない。
きゅ~、きゅ~、という寝息をたてるのはレノンだ。いつのまにか彼もまたアキの膝上にいて、目を閉じたまま気持ちよさそうにしていた。
「……シンヤ」
床に横になったアキが、毛布も掛けずに寝ている。表情は決して穏やかなものではない。
彼女の頬に伝うのは珠玉のような一粒の涙だ。
猫になってからまだ数ヶ月だが、随分と慣れてしまったように思える。人の頃を思い出し、寂しくなることも、たまにはあるけれど。
慣れ。それは人間に備わった防衛機能でもある。たとえば小学校に入って、最初は不安だらけでも、やがては慣れて交流関係を築くようになる。そういう機能のことだ。別の言葉に代えるならば適応とも表現できるだろうか。
アキもまた、羽根沢深夜の死に適応していく。今はまだ深夜という人間を気にしてくれているけど、いつしかその記憶も風化していくのだろう。しかし、そうでなければならない。死者を思い、いつまでも立ち止まってはいけない。
だけれど、この世にはいない人間に未だ縛られているアキに、その一歩が踏み出せるのだろうか。
『本当に泣き虫だな。そんなんで、この先、やってけるのかよ……』
ナイトは涙を拭おうと近づいて――。
「……ありがと、ナイト」
アキが猫の名をぽつりと呟いた。
どきりとした。起きているわけではなさそうだ。たぶん、夢をみているのだろう。
涙を流しながらも微笑むアキは、表情に悲しい色がすでになく、ひまわりのような笑顔を咲かせていた。
『……いい笑顔だ。一体、どんな夢をみてるんだかな』
ナイトは小さな微笑みを自然とこぼしてしまった。
俺はこれからも、お前の側にいるから。
そんな誓いを込めて、ナイトは「ニャ~」と鳴いてみせた。
ここまでたどり着いた方、お疲れさまです。
読んでいただき、感謝です。
それではまたどこかでお会いしましょう✨