マオ「今回は平安時代に入るよ!」
リーリエ「桓武天皇は平安京(所在・山背国)に遷都しました」
サトシ「流石にそれは俺でもわかるぜ! 794(なくよ)ウグイス平安京だよな?」
カキ「正解だ。ちなみに都をここにすることを勧めたのは、和気清麻呂。宇佐八幡神託事件の時にも出てきたな」
マーマネ「始めに桓武天皇の行ったことを纏めるよ」
1,勘解由使の設置
マオ「国司の不正を正すためだよ。この時代、沢山の税を徴収する国司が多かったからね。国司が交代するときには解由状というものを審査もしたよ」
2,健児の制
カキ「従来とは違って郡司の子弟や有力農民で兵士を集めて少数精鋭を目指した」
3,農民の負担を軽減
マーマネ「これまでは六年に一度だった班田の支給を十二年に一度に変え、公出挙の利率を5割から3割に軽減したよ」
カキ「これの経緯には浮浪や逃亡、戸籍を女性と偽る偽籍の増加があったからなんだ」
4,徳政論争
スイレン「当時民衆の生活を苦しめていたのは平安京の造営と蝦夷征伐。そこで彼はこの二つを止めることにした」
マーマネ(蝦夷の話はのちほど)
リーリエ「徳政論争の翌年に桓武天皇は亡くなります。その後平城天皇を経て、弟の嵯峨天皇が即位しました」
カキ「平城天皇(上皇)は病気だったから一度弟に位を譲ったんだが、その後重祚と平城京を企てて嵯峨天皇と対立。二所朝廷と呼ぶ」
スイレン「810年に上皇配下の藤原仲成・薬子(兄妹、式家)がそのために動くけど結局失敗」
マオ「薬子は自殺、仲成は射殺され、平城上皇は出家したよ。これを薬子の変と呼ぶ」
マーマネ「この事を教訓に嵯峨天皇は蔵人所というものを作り、その長官である蔵人頭に藤原冬嗣を抜擢した。ちなみに彼は北家出身」
リーリエ「主な仕事は秘密文書の管理でした」
カキ「それから平安京の治安維持、犯人逮捕、訴訟、裁判を担当した検非違使もだな」
スイレン「ちなみに律令以降に作られた役職はすべて令外官と扱われる」
蝦夷征伐
マオ「お次は蝦夷について!」
カキ「蝦夷との戦いは少なくとも飛鳥時代にまで遡る。大化の改新頃、日本海側に淳足柵・磐船柵というものが作られた」
スイレン「斉明天皇の頃には阿倍比羅夫という人が派遣され、日本海側の蝦夷の平定が進んだ」
リーリエ「奈良時代には多賀城(陸奥国府としても使用)、秋田城といった砦が作られました」
マーマネ「光仁天皇の時には蝦夷の豪族・伊治呰麻呂が起こしたら乱により、多賀城が一部燃えちゃったんだ」
サトシ「蝦夷ってほんと酷いやつらなんだな」
マオ「いつの時代も、時の権力者に従わない人たちは迫害されちゃうからね......」
カキ「桓武天皇の時代。征東将軍という位の紀古佐美という人物が出兵。しかし返り討ちにあってしまう」
リーリエ「彼の軍勢を打ち負かしたのは、蝦夷の族長・阿弖流為です」
サトシ「なんかかっこいい名前!」
スイレン「このままではいけない。そう考えた中央は、坂上田村麻呂という男を征夷大将軍に任命!」
マーマネ「彼の活躍で阿弖流為は倒された。彼は他に鎮守府を胆沢城に移したり、志波城を設置してるよ」
カキ「この坂上田村麻呂って男がまたすごいんだよな。阿弖流為は罪人として中央に送られるんだけど、彼は阿弖流為の延命を懇願したらしい」
スイレン「結局は死刑になっちゃうけど、一歩間違えれば自分まで裏切り者扱いされかねないなか、流石だなと思う」
リーリエ「嵯峨天皇の頃(811)、文室綿麻呂という方が派遣され、徳丹城を築きました。小さい反乱は起こりますが、これによってほぼ平定が終わりました」
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カキ「ところでこの時代、追加法令が沢山出された。そこで"格"、"式"というものが出来上がった」
スイレン「嵯峨天皇のときに作られたのが弘仁格式。他に二つあるのだけどそれはおいおい説明するね」
リーリエ「解釈の統一もしなくてはなりません。そのため、清原夏野が令義解というものを編纂しました」
マオ「惟宗直本も令集解という、似たものを作ったよ。ただし"令義解"は官撰注釈書。"令集解"は私撰注釈書。ごっちゃにしないようにね!」
マーマネ「大宰府内に作られた公営田、畿内には官田というものが作られたよ。どちらも直営田」
マオ「中央官庁には諸司田、天皇家は勅使田、皇族は賜田。これもね!」
カキ「これらはいずれも財源確保のためにとられたものだ。有力農民を利用したんだ」
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リーリエ「ところで、初めの方に薬子の変のあとに冬嗣が初代蔵人頭に就任したと言いましたね?」
サトシ「そうだな」
カキ「その後、藤原良房という者が後を継いだ。彼のときに起こった承和の変で、伴健岑・橘逸勢が失脚する」
マオ「そしてまだ幼かった清和天皇が即位。藤原良房は摂政になったんだ(858)」
スイレン「866年には、応天門の変。大納言の伴善男が源信に放火した。伴善男は流罪を言い渡されたけどね」
マーマネ「清和天皇は貞観格式を作ったよ。これで二つ目だね」
マオ「872年には、藤原基経が摂政に。光孝天皇が即位すると、関白になったよ」
カキ「次に阿衡の紛議。宇多天皇の勅使を巡り宇多天皇と、基経が喧嘩したと覚えていればいいかな」
スイレン「基経の絶大な権力の前には天皇でさえ、歯向かうことはできなかった。だけど基経が死ぬと宇多天皇ははっちゃける」
リーリエ「親政。つまり関白をおかず、政治を行ったのです。これを寛平の治と呼びます」
カキ「まあ流石に一人ですべてこなすのは無理なので、部下はいるけどな。それが菅原道真だ」
マーマネ「894年、道真の進言により、遣唐使が中止になったよ。理由としては唐が荒れてたから。民間の貿易がすでに盛んだったから、なんだけど実はもう一つ理由(説)があるんだ」
スイレン「道真は遣唐使の大使に任じられていた。これが彼を疎ましく思う藤原氏の策略だったのではというもの」
カキ「遣唐使は非常に危険な任。追い出されたのでは? と考えられなくもない」
リーリエ「事実、藤原時平に濡れ衣を着せられて、道真は大宰府に左遷されてしまいます。真相は闇のなかですけれど」
醍醐天皇の親政
スイレン「延喜の治と言われている。下に主なことを載せていくよ」
1,最後の班田実施
2,延喜の荘園整理令
3,延喜格式
※先に紹介した、弘仁格式・貞観格式と合わせて三代格式と呼ばれる
4,日本三代実録の編纂
5,三善清行が意見封事十二箇条を提出
村上天皇の親政
カキ「こっちは天暦の治」
1,最後の皇朝十二銭・乾元大宝の発行
2,延喜式の施行
マーマネ「しかし、969年に安和の変が起こったよ。源満仲の密告で源高明が失脚。これ以降、摂関が常置になった」
カキ「摂政や関白は、藤原家の氏長者(一番偉い)を兼ねる。だからそれを巡っての争いとかも起こるんだ」
スイレン「そんな中、現れたのが藤原道長。このときが藤原家の全盛期」
マーマネ「彼は後一条、後朱雀、後冷泉の3人の天皇の外祖父として、権力を手にした」
リーリエ「藤原実資の日記・小右記に記されていた和歌は有名ですね」
サトシ「どんなんだ?」
マオ「この世をば 我が身とぞ思ふ 望月の 欠け足ることも 無しと思へば」
カキ「意訳すると、"真ん丸なお月さまのように私は今満足している。俺最強!"って感じだな」
スイレン「彼は正確には関白になっていないのだけど、御堂関白とよく称されるよ。由来は彼の日記・御堂関白記から!」
マオ「彼の息子の頼通は、平等院鳳凰堂を作ったことで知られているね」