『平和は歌を聴きに来ない』   作:-)

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※前回までのあらすじ

①ルナアタック事変後、一人でノイズの討伐や各調査を行っていたクリスは、その中でガングニールを纏った響に酷似した”幻槍・シャドウガングニール”に遭遇する。

②響も合流しクリスと共に戦うが、シャドウは逃走。二人は報告のために臨時本部である風鳴弦十郎邸へと行き、そこで一夜を明かす。

③明朝、翼も合流。弦十郎から二課によるシャドウ追跡の報告を聞くも、監視カメラの映像などは全て痕跡を消されていた。クリス、翼、弦十郎の三人はその裏に今二課を悩ませている組織”バックコーラス”の存在を感じるが……?


”バックコーラスとは何か”

「――――って、なんですかぁ?」

 

 コケっ、てな音を伴う空気が部屋を満たした気がした。内心で誰かがすっころんだ音か、はたまたその三人に入れなかった響が首を傾げた音かは定かでない。

 実際首を傾げていた響に、弦十郎が苦笑を見せた。

 

 「あー、そうだったな、響くんには伝えていないからな」 

 「えぇ!? わたしの知らないところでわたしの知らないことをなんてそんな水臭いことしてたんですか!? 師匠らしくもない!」

 「案ずるな立花、私も緒川さんから聞いて間もない」

 

 言った翼が肩に手を置けば、響の表情は一瞬で明るさを増す。そのまま翼と両手繋いでぶんぶん振るう姿に、弦十郎は苦笑を深めるばかり。

 

 「それなりの考えあっての処置だったんだが……いい加減話さないわけにもいかないな?」

 

 言葉は独り言のようながら、その目はクリスに向いていた。気が付いたのは受けたクリスのみで、表情に不満を滲ませながらも、好きにしろとばかりに一瞬小さく肩を上げて見せる。

 

 「それで師匠、実際のところ何なんですかその“ばっくおーらい”って?」

 「“バック・コーラス”だ、立花」

 

 変わらず翼の手をにぎにぎしながら響が問う。「しかし意外と小さな手だな」「そうですかー?」などという女の子なやり取りまでしている。

 

 「うむ、そうだな……響くん、君、“SNS”は利用する方か?」

 「“えす・えぬ・えす”? って、インターネットで色々呟いたりするアレですか? いやーわたしああいうの苦手で……」

 

 やっていたのは中学生の頃までだ。厳密には2年前の事件以降、自分が不特定他者から良い目で見られなくなってからはずっと触っていない。そんな冷たい過去を思い返しかけるも、今現在握っている翼の手の暖かさですぐに我に返った。同時に、話の繋がりにも気づく。

 

 「えっ、もしかして“バック・コーラス”ってそのSNSなんですか?」

 

 響の言葉に弦十郎が頷いた。

 

 「SNSと言っても、響くんの言うような広く多くの人間が利用するタイプのモノではない。もっと狭い範囲で、特定の話題についてのみ取り扱うようなものだ」

 「と、すると、やっぱりその“特定の話題”ってやつがヤバげな訳ですね。なんについてだろ、びっくりどっきり秘密兵器的な……?」

 「あー、立花? 考えるのはいいが、まず手をだな」

 

 手を顎へと、翼の手ごとに持って行きながらに考え込む。言ったセリフと取った動きと、何から何までバカっぽいが、本人的には全力で大真面目だ。

 しかしそうやって悩んでいるのは響のみで、やがてそのことに気づくと目をパチクリとやる。他の三人からの視線が、じっと響へと向けられていたのである。

 

 「えっと、なんかわたしが察し悪い感じですかね?」

 「立花、だから手――」

 「いや、そういうわけでもない。ただ、なんと言うべきか……」

 「よりにもよっての“当人”がそういう反応なのも笑えるな、っつーだけの話だよ」

 

 弦十朗が言い淀んだ二の句を、クリスが紡いだ。勝手にかなりの皮肉を加えつつ。

 

 聞いた響、まず一度目を瞬く。

 

 続いて二度目の瞬きで、まぶたを開くと共に眉が潜まる。

 

 そして三度目のが終わると同時に、その目が大きく広く見開かられた。

 

  「えっ、ちょっ!? ええぇぇーーーーっ!? わた、わた、わたしですかぁ!?」

 「きゃあ!? 立花!? 立ち上がるはいいがその前に手を離しなさ、待て立花走るな窓の外には誰にもいな、いない! いないから……立花ァっ!!」

 

 翼の悲鳴と響のそこ良しどこ良しと確認する声が部屋中を跳ね廻る。

 そして間もなく元の位置へと舞い戻り、弦十朗にビシリと敬礼を決めた。左手で。

 

 「だ、だ、だ、大丈夫です師匠! とりあえずこの部屋周囲は人影なしで安心です!!」

 「お、おう、そうか。ご苦労だった」

 「お前ホントに勢いとテンションで生きてんなぁ」

 「た、立花……ホントに手……」

 「あぁ!? ご、ごめんなさい!!」

 

 行き場不明のテンションは、響が受けたショックそのものであるとも言える。

 なのでそれを窘める意味も兼ねて、咳ばらいも挟まず弦十朗は早急に話を続けた。

 

 「とりあえず安心して欲しいんだが、゛バック・コーラス゛内でも君たち個人を特定する情報は確認されていない」

 「あっ、そうですか!? あぁそっかぁ……よかったぁ……」

 

 言って、その場でへたりこむ。

 この安堵、先の乱心。ふざけた奴だとクリスは思う。

 

 (でもまぁ、これ全部が馬鹿の持つ゛日常゛に対する想いの顕れでもあるんだろな)

 

 そんなことを、自分が話を聞いた時の淡泊さを思い返しながら考えた。

 

 (あいつは……どうかね?)

 

 そう頭を過ぎり、翼に意識を寄せる。

 しかしまぁ当たり前ながら、その様子から見えるのは暴走に付き合わされたことによる疲労のみ。その心は何も見えてこない。

 クリスは内心で小さく舌を打つ。

 

 (こいつのそういうところが、あたしと同じだってのは、ちょっとばかり都合が悪いが……)

 「さて……緒川さんからも聞きましたが、つまりバック・コーラスとは立花だけに限らず我々装者について取り扱うSNSということでよいのですね?」

 

 と、考えている内に早くも翼が復活していた。

 髪を掻き上げる表情は、汗を浮かばせながらも氷を思わせるほどに引き締まっている。

 あんな馬鹿に巻き込まれたものだから、仕切り直しの意味でより一層の真剣さを引き出してのけたのだろう。こんなところでも“剣”な女。クリスとしてはつまらなかった。

 

 「しかし叔父さま、二課に取っても情報戦は一つの本懐。インターネットの監視は常の生業であり、情報の統制も行われているはず。降って湧いた新鋭がのさばる道理もないのでは?」

 

 神妙な面持ちで尋ねる。剣の雰囲気から放つ言葉もまた格別の切れ味だった。

 

 元より二課の仕事はシンフォギアの運用のみではない。その存在の秘匿も併せて政府より仰せつかっている。

 人の口には戸を立てられないというが、二課の手腕に掛かれば戸どころか門から核シェルターまで設置に施錠も思い通りと言ってよい。

 いわんやインターネット上の情報強者(笑)など、赤子どころか胎児も同然。手を捻るどころか頭をねじ切ることさえ容易い。

 そんな情報猛者の集いたる二課をして全くの手出しが叶わない存在など、それこそ国家そのものか、はたまた魔法やら錬金術やらおとぎ話の住人ぐらいのものか。

 

 「翼の言う通りだ。ネット上で活動する連中であれば、二課に対応できない理由はない。これまで同様にな」

 

 真っ直ぐ射貫いてくる翼の問いかけを、弦十郎は腕を組んで真っ向から受け止める。

 剣たる翼に負けず劣らずに真剣な面持ちは、次に紡いでくるであろう言葉の重々しさを予感させられた。

 

 「だが、バック・コーラスは通常のネット上には存在しない。それが、俺たちが奴らに手を届かせられずにいる最大の理由だ」

 「通常のネット上に……存在、しない?」

 

 思わず自らの口で改めて唱える翼。しかしその意味を全く理解できなかった。

 元よりそういった知識には疎い方である。“インターネット”は知っていても、“通常のネット”だとか“そうでないネット”だとか、いまいちピンと来ない。

 翼が横目で見れば、どうやら響も同じらしい。頭に大きなハテナを浮かべている。

 そんな二人を見かねてか、クリスが捕捉の声を上げた。どうにも気ノリしない表情だったが

 

 「そんな難しく頭使うなよ。そこらのパソコンなんかで誰でも繋げるインターネットには転がってないってだけだ」

 「えーっと……クリスちゃん、つまり?」

 「あー、まぁずばり言えば “バック・コーラス”へのアクセスには専用の端末が必要ってこった」

 「専用の端末?」

 

 クリスと響とが教師と生徒をしている横で、翼は新たな疑問に首を捻った。

 

 「“バック・コーラス”はそこまで利用者の幅を狭められたものなのか?」

 

 “装者について取り扱うSNS”――“バック・コーラス”をそう理解してから、翼はその目的を装者やシンフォギアの情報収集であると想像していた。

 

 聖遺物の活用手段たる“櫻井理論”と共に、シンフォギアの存在自体は世界へと公表された。だがガングニールやアメノハバキリ、イチイバルといったシンフォギア個々の詳細な情報は未だ広く共有されてはいない。それを纏う装者については言わずともがな。

 そのため翼は、“シンフォギアについての目撃情報を収集するなどでどうにかその性能や用いられている聖遺物の詳細を捉えたい諸外国のどこかしら”という風にバック・コーラスの正体を想像していたのだが。

 

 「専用端末となれば、ただネット上でSNSを運営しているのとはわけが違うだろう? それでは広く多量な情報が集まらないように思うが」

 「まっ、普通はそう考えるわな」

 

 クリスが皮肉げな意味を浮かべる。翼はついムッして言葉を投げようとしたが、そこに弦十郎が割り込んだ。

 

 「クリスくん、悪いが話を進めておいてくれるか? 俺はあの映像を準備する」

 「げっ、朝っぱらからアレ見せんのかよ。」

 「“バック・コーラス”が如何に異常であるか、百の言葉を重ねるよりもアレを一度見せる方が早いだろう?」

 「まぁそうだけどなぁ……」

 

 二の句を告げなくなったクリスを余所に、弦十郎はいそいそと部屋の端にあるパソコンへと向かい、色々と配線を繋げ始めた。

 

 「アレってなに? どんな映画?」

 「映画じゃねぇよ。気持ちは分かるが」

 「そちらはじきに分かることだろう。それよりもだ、雪音」

 「うぉっ!?」

 

 ずいっ、と翼がクリスに顔を寄せた。不意打ちのあまり逃げる機を失って、クリスはその整った目鼻立ちを眼前で堪能するはめとなった……優秀な反射神経で避けれてしまった響はちょっと悔しがった。

 

 「先ほど叔父様が言った通り、話を続けてもらいたい。私の“普通ならそう考える”ようなこととは違う事実を、是非聞かせてほしい」

 「わかった! わかったからちょっと離れろ! トップアーティストが顔面の近距離安売りしてんじゃねぇ!」

 「うわぁ、これはキテますね。たまげたなあ」

 「勝手にたまげてんな! こいつの距離感がなんかおかしいんだよ一方的に!!」

 

 慌てて立ち上がりつつ、クリスは翼から距離を取る。テンパった頭を掻くも、首元まで広がった朱色は落ちてくれそうにない。

 

 「まぁ、あれだ。とにかくだ。通常のネットに存在しない云々についてとかは今おっさんが準備してるやつ見てからとして……」

 

 クリスはすっと翼を指さした。

 

 「お前が言った利用者の制限で情報が集まりにくくなるってやつだが、その辺“バック・コーラス”の連中は全く問題にしてやがらない」

 

 クリスの言葉に対し翼は目を細め、無言で続きを促す。

 

 「っつーのも連中は不特定多数なんかに頼ることなく“確実な情報源”ってやつを持ってやがるからだ」

 「“確実な情報源”ですって?」

 

 目は開かれ、無言でもいられなかった。

 シンフォギアについての“確実な情報源”。その言葉に翼が思い起こす言葉は一つだったからだ。

 つい先のルナアタックにおいても存在した、特異災害対策本部が組織である以上最も致命的で、考えたくはない最悪の可能性。

 戦慄のままに、その可能性が口を衝いて飛び出した。

 

 「まさか、櫻井女史に続き、他にも内通者――」

 「――ではないから、安心しろ」

 

 スコンっ、とずっこけ。

 言い終えられなかった言葉は、それと対照的に戦慄も何もないあっけらかんとしたクリスの言葉で強引に締めくくられたのであった。

 

 「……雪音、そういう余計な勘違いを狙う言い回しは品性を疑うぞ」

 「ドキっとしたろ? さっきのお返しだ」

 

 ケラケラ笑うクリスを、翼は先ほどとは違う意味で細めた目で睨めつける。

 そんな二人をさておいて、響は一人で考え込んでいた。

 翼の言うような内通者の存在など、響は端から想像していなかった。そのため頭に浮かべたのは、漠然と自らの正体を知る人々のことである。

 

 「うーん、師匠たち以外だと、まず未来でしょーそれから詩織ちゃんたちでしょー? でもってえーっと、あっ、最初に纏った時のあの子もそうか。元気にしてるかなー」

 

 指折りと共に人を数える度に、シンフォギアを纏ってからの思い出もまた想い起こされいく。

 その思い出が導くままに、もしかしたらあの時のあの人にもバレていたかも、などとカウントが増していった。

 辛かった戦いの日々であると同時に、この手で守れた命との日々。考えている内に、響の表情は明るさに増していく。

 

  その明るさが、途端に消えた。

 

 気づいたのだ。

 確実な情報源に成りえる存在。その内多くの者が当てはまる共通点。

 政府関係者でなくても、響や翼のことを知らなくても、“シンフォギア”について確実に知る者たちを。

 

 「あ、あの、クリスちゃん?」

 「あ? あーっと……」

 

 響の呼びかけに、クリスから軽薄な笑みが消える。響の声の引き攣りは、次に出る言葉を彼女へ知らせるに十分なものだったのだ。

 

 「もしかして、バック・コーラスの情報源って……“私たちがこれまで助けた人たち”だったりするの?」

 

 クリスは、否定の言葉を返さなかった。それだけで十分だった。

 

 聞き捨てならない言葉、見過ごせない反応、翼は焦り、捲し立てる。

 

 「なっ……いや、だが、目撃者には箝口令が敷かれている筈だ。無闇と口外するとは……」

 「例外っつー題目で誘われてんだよ。政府からの通達を偽ってな」

 

 上を見遣るように顎下に指を当てつつ、クリスは頭の中にある言葉を掘り起こしていく。

 

 「確か、秘匿義務に囚われず自由に経験や心情を吐露し、交流できる場を設けることで、ノイズ災害という未曽有の悲劇による心的負担を少しでも軽くなることを……うんぬんかんぬん」

 「あっ、そうか、なんで助かったのかとか周りに説明できないのって案外キツイもんね……」

 

 目を伏せ、小さい声で響が呟く。脳裏に浮かんだのは、かつてのライブ会場での悲劇と、シンフォギアを纏ってすぐの日々。

 訳の分からない事態に巻き込まれ、絶望的な状況を生き延びて、しかしその経験は内に秘めることしか許されない。

 周りには納得してもらえないことも多いだろう。それによってあらぬ誤解をうけることも、関係が壊れることだってある。

 響もまた、それらの悲劇をその身で知っていた。だから、バック・コーラスに参加した人々の心は痛いほどに分かった。

 

 「待て、立花。問題はそこではないだろう?」

 

 感傷に浸る響へと、翼の待ったが入る。そしてその勢いのまま続ける。

 

 「被災者らがそうと知らずにバック・コーラスに協力していることは分かった。だが、バック・コーラスが彼らへと端末を送付できるということは……」

 「奴らがある程度シンフォギアの動きを把握してるか、あるいはこっちが口止めしてる目撃者の情報を握ってるか、だな。言ったろ、狙い撃ちだって」

 

そう言って、指鉄砲で翼に狙いをつけるクリス。その銃身……つまりは人差し指を握って、翼がクリスを睨み言った。

 

 「解せない。なぜ二課が、政府が、それを許している。把握している全ての目撃者にコンタクトを取り、可能な限り端末を回収すべきなのではないのか」

 「あたしに言うなよ。まぁ少しは対応もしてるんだろうが、さっき馬鹿が言ったような不満を解決できるメリットもある。事実を広めなけりゃ情報漏洩も黙ってられるし、こーいうのがウィンウィンってやつなのかね?」

 

 掴まれた指を引き抜き、その手で作るのは二本指を立てたVサイン。誰の勝利を称えたものかは、今は分からない。

 実際、シンフォギアの存在自体は既に全世界に開示されてしまっている。

 弦十郎の言う限り、装者の正体というトップシークレットは幸いにも把握されていないようでもある。政府自らが弱みを曝け出せるには、未だ状況は足りないらしい。

 それはつまり端的に言えば、“状況を甘く見ている”ということに他ならないのだが。

 

 「よし、準備出来たぞ」

 

 と、弦十朗の声に全員がそちらへと振り向いた。

 いつの間にか、天井から壁際に沿うようにしてスクリーンが降りてきている。その側で弦十朗がパソコンを操作していた。

 

 「師匠、電気消します?」

 「いや、今回のは映画じゃないし大丈夫だぞ」

 

 弟子が持つ自身へのイメージに我ながら呆れつつ、すぐに切り替えクリスたちへと向き直る。

 

 「さて……今から流すのは、バック・コーラスへのアクセスに用いる専用端末を分解検証した際の記録映像だ」

 「入手は出来ていたのですね」

 「ああ。数は少ないが、送られてきた内容に疑問を感じた者もいてくれてな。彼らから回収できたんだ」

 

  言いながら、弦十郎が一層強くパソコンのキーを叩く。するとスクリーンに映像が映し出された。

 

○ 

 

 防護服に身を包んだ研究員が、様々な器具の並べられた実験台の前に立っている。そして器具の中心には、件の端末が置かれていた。見た目は一般に流通しているものと違いはない。

 

 映像の中の研究員が器具を用いて端末の固定具を解いていく。どうやらまず端末を“開く”ことから始めるらしい。

 研究員は瞬く間に全ての固定具を外し終わると、端末を持ち上げ、蓋を取るよう端末を前後に開く――その瞬間だった。

 

 端末が開き切る前にその中から大量の“水”が溢れ出した。

 

 水は研究者の手の中を瞬く間に満たし、実験台へ零れ落ちる。使っていない器具が流され床に落ち、雑多な金属音が鼓膜を乱す。

 

 予想外の事態に研究員も動揺したのだろう。水から逃れるように、端末から手を引っ込めてしまった。

 端末は実験台へと落ちて、大きな水音を上げた。それに掻き消されたかのように、金属音も止んで、全ての音が消えた。

 

 研究員も立ちすくむばかりで、動くものもなく、さながら時間が停まってしまったかのようである。

 

 

 ただ一つ、端末の中で脈打つ肉片を除いては。

 

 

 ピンクがかった白い色。つるっとした表面。小刻みに震え続ける。

 落とした拍子に外れた端末より覗くその肉片を映しながら、映像は停止した。

 

 ○

 

 

 しばらく、誰も動かなかった。

 ややあって、コツンと鳴った小さな音でようやく現実の時間が動き始めた。正確には盛大に跳ねた翼と響の肩で突き動かされた形だが。

 

 「よう、おかえりさん」

 「た、ただい……只今見せて頂いた映像は一体なんなのでござるのでしょうか!?」

 「落ち着けバカ、隣の奴みたいな喋りになってんぞ」

 「わ、私はござるなどと言った覚えはない!!」

 

 クリスの並べた冷やかす言葉で、翼もクリスも良い具合に麻痺した頭を冷やせたらしい。先ほどの音も、クリスが机を軽く小突いた音である。一仕事終えたクリスは言わんこっちゃねぇだろうがとばかりの視線を弦十郎に飛ばした。

 しかし弦十郎の方にとって、映像への反応は既に覚悟していたものだった。故に、渋い顔で更に異常な言葉を口にした。

 

 「悪いが、まだ話は終わらん」

 「ええ、これ以上何が……」

 「映像にあった肉片――人の脳と同質のものであることが、検査の結果判明した」

 「ヒっ!?」

 

 更なる事実に動揺が走る。それでも、弦十郎はつらつらと続けていく。

 

 「先ほど話の中で、バック・コーラスは通常のネットに存在しないといったな」

 「は、はい、言いましたけど」

 「通常のネットではない、バック・コーラスが存在するネットだが、おそらくこの肉片によって形成されている」

 「は!? はぁっ!?」

 「肉片から強い脳波のようなものが発せられることが分かったんだ。それにより他の端末間で独自のネットワークを形成し、そこでバック・コーラスを運営していると思われる」

 「い、いやいやいやいや! 師匠!? まっ、ちょ、ちょっと一回待ってください!」

 

 怒涛の新情報、それも妙にえぐくて、目の前がチカチカする。

 

 響の悲鳴の通りに、弦十郎は言葉を途切らせてくれた。

 しかし止めた響は、言葉を発さない。発すべき言葉がまるで思い浮かばない。

 口元に手を当てていたかと思えば、その手が額に移って、次の間には両手で頭を抱え出す。言葉にならないあーだかうーだかのうわごとを垂れ流して。

 

 「あ、あ、あ、有り得ない! と、思うんですけど! さすがにちょっと!」

 

 うわごとがようやく成した形は、同じぐらいに意味のない戯言だった。

 

 「ひ、人の脳がどうとか! 脳波がとんでビュンビュビューンとか!? 常識をちょっと離れて小旅行ってレベルじゃないですよ!?」

 「……落ち着け、立花」

 

 翼に背を叩かれて、響の肩が跳ねあがる。叩いた手で、そのまま手なずけるように撫でられて、少しずつだが混乱を落ち着かせていった。

 

 「“司令”、立花ほどの言い方は控えますが、些か突飛な推測に過ぎるように思います。何か別に根拠があるものとお見受けいたしますが……?」

 

 “司令”と、使い慣れない呼び名を翼が口にする。特異災害対策本部二課を纏め上げる者への強い問いかけ。

 響のように取り乱すのが当然の状況において、それでも沈黙を守った果てに出た翼の言葉である。これまでの事実確認とは重さが違った。弦十郎もまたこれまで以上に力強い頷きで応える。

 

 「無論、根拠はある。映像にもあったあの液体だ」

 

 パソコンを再度捜査して、映像を端末が開いた瞬間まで巻き戻す。

 端末からあふれ出した、無色透明の液体。響は思わず身体を引いた。

 

 「この液体についてもサンプルを回収、分析を行った。その結果、ガングニールやアメノハバキリに近いものが見つかった」

 「……つまり、あの液体は、液状化した聖遺物であると?」

 

 驚きに身を震わせつつも、翼はあえて平時と変わらぬ調子の言葉で尋ねた。防人として、いつまでもただ驚愕に身を任せるわけにはいかなかった。

 

 「いや、液状化したのではなく、もとから液状の聖遺物だろう。というのも……」

 「データがあったんだとよ。あのくそったれフィーネが遺した記録にな」

 「了子さんの!?」

 

 クリスの吐き捨てた言葉を、響は前のめりになって受け止めた。

 

 フィーネこと櫻井了子――どちらが真の名であるかはもはや定かではないが――の研究データといえば、世に広く公開された櫻井理論が記憶に新しい。だが彼女が行っていた研究がそれだけの筈もない。

 彼女亡き後、二課の類稀なる調査能力によって、彼女が“次”に向けて遺したと思われる研究データは幾つも発見されている。だが、その殆どが解読不明なまでに暗号化されているなでで、半ばブラックボックスと化していた。

 

 

 「ああ、比較的簡単に解析できたデータの中に、あの液体についてと思しき記述があったんだ」

 「そうですか。了子さんが、遺してくれていた……」

 「“遺してくれていた”、ね。あのフィーネがそんな殊勝な真似――」

 「してくれてるよ! 了子さんなら!」

 「お、おぉ、そう、か」

 

 輝く目に断言し返されて、クリスは己の曖昧な言葉を飲みこまざるを得なかった……フィーネとの付き合いはクリスの方が長い筈だが、曖昧な言葉以外を吐くことも出来なかった。

 

 「して司令、櫻井女史のデータにあった聖遺物とは?」

 「ああ、それがこのデータにある――」

 

 言いながら弦十郎がパソコンを操作し、一つのデータを開くと、画面上に一つのレポートのようなものが映った。

 びっしりと並ぶ文字列は、響はもちろん翼にも何が何やらさっぱりわからない。分かったことは精々一つ。文字の傍らにある画像が、どうやら流れる川の絵であることぐらい。

 

 「――“ムネモシュネの水”だ」

 

 “ムモシュネ”。聞きなれない言葉に、響と翼は顔を見合わせた。すかさず弦十郎が解説を挟む。

 

 「”ムネモシュネ“というのは、ギリシャ神話に伝えられる女神であり、記憶を司っている」

 「記憶……」

 「“ムモシュネ”という名を持つ川もある。黄泉の国にある川で、その水を飲むとあらゆる記憶を忘れなくなり、全ての真理を見抜く全知の力を身に着けられるという」

 「また記憶。となれば司令、聖遺物である“ムモシュネの水”にも記憶に関する力があるのですか?」

 

 口調は疑問だが、確認の意味で問われていた。言った翼も周りの皆も、神話などの伝承がただの夢物語でないことは以前の戦いでよく分かっていた。

 あれらは間違いなく歴史なのだ。聖遺物と、それを生み出した超上的な何か……フィーネが言うところの゛あのお方゛達の。

 

 「間違ってはいないが、記憶に関すると言うと少し語弊がある。正しくは記憶を含むあらゆる情報に関する力だ」

 「情報?」

 「ああ、了子くんのデータでは゛ムネモシュネの水゛には情報を溶かし込むことが出来るらしい」

 「うっ、また難しい感じの話がぁ」

 

 響が頭を抱えた。しかし、そこは百戦錬磨の司令官たる弦十朗、そうなることなど織り込み済みだった。

 

 「分かりやすく言うとだ、響くん」

 「はい?」

 「暗記パンって知ってるか?」

 

 酷い話題の落差だった。翼はむせた。

 一方クリスは見るからに分かっていない表情。

 

 「何だその、いまいち胡散臭い名前のパンは」

 「えぇっ!? クリスちゃん、ドラ○もん知らないの!?」

 「溺死体(ドザえもん)がどうした」

 

 どうやら余計な疑問が一人分増えてしまったらしい。とはいえ肝心の響には話が通じているようだから、弦十朗は話を続けた。……頭の片隅で、どの劇場版のDVDを貸し付けてやろうかと考えながら。

 

 「あれはパンの表面に数式などを書いて食べることで、その内容を完璧に記憶することが出来るだろう?」

 「はい……あっ! ムネモシュネの水もおんなじで、テストの答案を溶かして飲んだら忘れなくなるってことですね!」

 「情報を取り込ませる方法については不明だが、概ねそんなところだ。しかし、どうやらそれだけではない」

 

弦十朗は声を落としながら続けた。自らも改めるその意味を解釈しなおすように、ゆっくりと。

 

「ムネモシュネの水を介して取り込ませた情報は、どうやら取り込んだモノの性質にも影響を与えるらしい」

 

 すぐに意味は分からなかった。翼も、響も。

 しかし、二人とも勘は良い。聞いてきた情報を頭の中で掻き混ぜれば、すぐに形となった。

 

 「つまり、こう、鳥の情報なんかを水に混ぜてぐいっとやれば、私の背中からも羽がばさっと生えてきて……」

 「そして、同じように情報さえあれば、決して生命活動を絶やさず念波でネットワークを形成する脳のカケラさえ、創り出せるということか」

 

 翼の出した答えに、響はハッと顔を向ける。彼女の頭ではそこまで想像が及ばなかったが、つまりはそういうことだった。

 “ムネモシュネの水”。全知故に万能の聖遺物を用いれば、出来ないことなどきっとない。

 そして今、その力が自分達(そうしゃ)の情報収集に全力を傾けられている。それも何も知らない人々の感情を利用する方法で。

 

 「……バック・コーラスの人たちは、一体なにがしたいんでしょうか」

 

 響は自分の背に改めて冷たいものが這うのを感じた。

 

 ノイズの討伐を始めとして、今や響の生の半分以上は非日常の中にあると言ってよい。

 だが、それでもあくまで“非”日常なのだと、響は思っている。

 学校に通って、みんなで過ごす日常――暖かい陽だまり。そちらこそが響にとっての帰るべき場所なのだ。翼もきっとそうだろう。

 

 バック・コーラスの明確な目的は分からない。しかし、聖遺物まで用いての異常な情報収集の果てには、日常の崩壊が想像されてならなかった。

 

 冷たい想像に冷えた頭に、温かい手が乗せられた。

 

 「あいたっ! いたたたたたた!?」

 

 手が伸びてきた方を見る前に、その手にぐっと力が加わり痛みが走る。

 それだけで誰の手かすぐにわかった。

 

「バカのくせにバカな想像しなくていいんだよ、このバーカ」

 

 クリスの嘲るような笑いが、響の耳を刺した。

 




※「ベネット!? 失踪したんじゃ……」
※ぼく「残念だったな。遅筆だよ、ただの。」
※本当に残念。
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