モンハン リアル補正 ~英雄の軌跡~   作:ふーてんもどき

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 暗殺者である老人が放った弾丸は、肉に食い込み血管を破った。

 カルロが舌打ちをする。

 

「カルロさん......?これ、え、なんで」

 

 カルロの腕の中で()()のアニータが混迷の声を漏らす。キャンプから走ってきただろう少女の息は弾んでいるが、途切れ途切れの言葉は、それとは関係ないだろう。

 カルロの二の腕からは血が溢れていた。

 

「逃げるぞ」

 

 老人が次弾を撃つより早く、カルロは痛みを無視して煙幕を張った。指折りの実力者だからこそできる早業である。

 視覚が効かなくなった草地で銃弾がやたらめったら放たれる。それを肩に掠めながら、左手にアニータを抱えて煙の中を森へ向かって駆けた。

 

 風が煙を散らした後にはもう人影はなく、老人は構えていた銃を下ろしてため息をついた。先ほどの緊張感はすでに煙と共に霧散して、しばらくは雲から出てきた月を眺めていた。

 丘の麓に広がる森から三人の人間がやって来る。ハンター、いや老人が雇った男たちが、依頼主を見て苦々しい表情で言った。

 

「すまん。逃がした」

 

 そんな彼らに視線を移して、老人は相変わらず穏やかな口調で話しかける。

 

「いえ、仕方がありません。しかし一体何があったのです?」

 

「煙玉と音爆弾を使われた。カルロの奴がキャンプから出ていく時にアニータに渡していたんだ」

 

 リーダー格の男が悔しそうに足元の石を蹴飛ばした。

 

「しくじったぜ。取り上げておきゃ良かった。まさか、素人が咄嗟に使えるだなんてよ」

 

 老人は不思議に思った。

 幼少の頃より長らく仕えてきた彼女は、マッチを着けたことがあるかすら怪しいものだ。三人の男に囲まれ殺されそうになった、そんな身も心も凍るはずの異常事態のなかで、あの箱入り娘がハンターの道具を有効に使ったと言うのか。いや、それだけに留まらず、たった一人で鬱蒼とした暗い森を抜けてきたのだ。

 老人は銃を懐に戻してフッと笑った。その笑顔はカルロと対峙していた時とはまるで気色が違う、好好爺に見えるものだった。

 

「お嬢様も、私の知らないところで成長してらっしゃるのでしょうかね」

 

 事態に似合わずのんびり呟く老人に、偽のハンターたちは困り顔で訪ねた。

 

「それで、これからどうする。来る途中に煙幕が見えたが、この状況からしても交渉は失敗したんだろ?」

 

「ええ、こちらも貴方たちに負けず劣らず大失敗です。素晴らしく高潔な人でしたよ。カルロというハンターは」

 

「奴が敵か。厄介だな。兵士のやつらも大概邪魔だったが、生きる伝説を相手に戦わにゃならんのか」

 

 生きる伝説。誰とも組まず、単身で最高の栄誉であるGの称号を得た男。

 それを聞いた老人の顔からはまた穏やかさが隠れ、口元が陰惨に吊り上がった。

 

「腕が鳴るじゃありませんか。それに悪いことばかりではないですよ。伝説とは言え、実際は手負いの人間。さらには大きなお荷物が付いています」

 

 松明を持っていた一人が、その炎を消す。森に逃げ隠れた相手に位置を知らせるだけの物に成り下がるからだ。そんな明かりがなくとも彼らには、暗殺者として鍛えられた夜目と嗅覚がある。

 

「さて、一仕事終えてしまいましょうかね。ほらどうです。雲も程よく無くなり、おあつらえ向きの、良い月夜ではございませんか」

 

 男たちはハンターの装いを捨て去る。必要なものは夜の森で音を立てずに動き回れる身軽さと、人を殺せる程度の攻撃手段のみである。月からも姿を隠すように黒い布を頭から膝下まで覆い、四人の暗殺者は野犬のごとく瞳を殺気で光らせる。

 老人が闇に向かって宣告した。

 

「さ、狩りの時間ですよ」

 

 

 

 

 

 

 アニータは震える手で、カルロの外套をぎゅっと掴んでいた。彼の右腕に手を回せれば、それが一番楽そうであったが、血が流れ続けているであろうそこに触れるのはる何としても避けたかった。

 

「カルロさん、カルロさん。もう休んでください」

 

 涙声でそう言うアニータに「まだだ」と短く答えて、カルロは森の中を走り続けた。右腕で蠢く痛みをまるで感じさせず、息すら荒げることなく森の奥へと進む。

 力強い彼に抱えられていると、何処からか安心感が湧いてきてアニータの緊張を解してしまう。彼女はそれが堪らなく嫌だった。苦痛をおくびにも出さないこのハンターは、現実として傷を負っているのだ。それも、自分のせいで。

 

「ごめんなさい」

 

 もう何度目かになる謝罪を口にする。カルロはさして興味もなさそうに決まった答えを返した。

 

「気にするな」

 

「私が、私がバカだったんです。浮かれて油断して、こんな所まで来たのに何も変わらない、貴方にも、迷惑をかけて」

 

 何やら固い葉っぱが宙ぶらりんのアニータの足を掠めて浅い切り傷を付けていく。そんな、以前なら深刻にとらえていたはずの事にさえ今の彼女は気付きもしない。

 

 カルロはひた走った。

 さしもの彼も呼吸が乱れ始めた頃に、ようやくその足は止まり、左腕に抱えていた少女をゆっくりと地面に下ろした。

 木々が余すところなく生い茂り、空の様子を完全に断絶している。暗すぎてアニータにはよく見えないが、一方が断崖の岩の層で塞がれている、視界も()()()()()()もたった180度に限定される場所。

 カルロは明らかに、ここで敵を迎え撃つ腹だった。木に背を預けて不安そうにカルロを見上げるアニータは、そんなことも露知らず銃弾を受けた彼の傷を心配するばかりである。

 

「お前には感謝している」

 

 カルロが唐突にそう言って、アニータは豆鉄砲を食らったようにキョトンと目を瞬かせた。

 

「俺はもう、駄目だと思っていた。お前は生きていないものだと諦めた」

 

 アニータはカルロが去った後に、キャンプ地で起こった出来事を思い返して震え上がった。あの時突き付けられた焼けるような殺気が、今でもひしひしと伝わってくるようで、彼女の喉を乾かさせる。

 

「だがお前はここに今、生きている。それはすごい奇跡だ」

 

「はい。運が良かったんです」

 

「いいや、決して運などで片付けられる話じゃない。俺が渡した道具を使い、スカートの裾を破いてまで夜の森を走り抜けて俺のところまで来た。それは、お前の勇気があってこその奇跡なんだ」

 

「勇気......」

 

 私はそれほどに凄いことをしたのかしら。

 実感が湧かず、半ば呆けてオウム返しに単語を呟く。そんな物語でしか聞いたことがないものが、自分に備わっている気はしなかった。

 カルロが腰に巻いていた小さな麻袋からいくつかの小道具を取り出しながら、いつになく饒舌に話す。

 

「誰もが持てるものじゃない。ハンターだって、本当の意味で勇気を胸に抱いているやつは、たぶん黄金ほどに珍しいだろう」

 

 カルロはアニータに笑いかけた。暗闇ではまだ夜目が効かないアニータにはよく分からない。けれども確かに、今まで無愛想だったカルロが彼女に見せた微笑みだった。

 

「俺は感謝している。お前の勇気と、それが起こした奇跡に......ありがとう」

 

 生きていてくれて、ありがとう。

 アニータの目に涙が溜まる。16年も生きてきて、初めて言われた気がする。誕生日は毎年祝ってもらってきたが、心の底からこの矮小な命を祝福されたことがあっただろうか。

 今にも泣いてしまいそうなアニータの肩に手を置き、カルロは言った。

 

「泣くのは後にしろ。お前、まだマッチは持っているか」

 

 アニータが胸ポケットから、カルロに煙玉などと一緒に渡されたマッチ箱を取り出す。

 

「玉は全て使ってしまいましたけど、これはまだ一本も使ってませんわ」

 

「じゃあどうやって煙玉と音爆弾に火を着けた」

 

「転んだすぐ後ろに焚き火の燃え残りがあって、こう、背中で隠すようにして着けられたの」

 

 ご令嬢にしてはなかなかブッ飛んだ武勇伝にカルロは愉快な気持ちになった。こんな切羽詰まった状況だというのに、アニータとの会話は意外に楽しい。

 マッチの火でピンセットの先を炙ると、カルロは覚悟を決めるように息を強めに吸った。

 

「何か、布みたいなのはないか。汚れていても良いから」

 

 それでしたら、とアニータは自分のスカートを破ろうとして、カルロが押し止める。

 

「やっぱりこれで間に合う」

 

 欲しかったのは声を押さえるための、猿ぐつわだった。さすがのカルロも、少女が履いているスカートを口に当てるのは抵抗がある。

 カルロは手近に落ちていた枝を口の端し深くまでくわえ、ピンセットを右腕の傷口に突っ込んだ。

 額に脂汗が滲む。麻酔もなしに痛覚神経をまさぐる苦しみはどれほどのものか。

 十秒ほどして引き抜いた先端には、歪に変形している弾が摘ままれていた。比較的軽い銃弾がカルロの腕の中で潰れ、その切っ先が筋肉や血管をズタズタに引き裂いたことだろう。狩りには必要ない、人間に苦痛を与えるためだけの機能。

 カルロは吐き捨てるように弾を地面に投げ、千切れた服の糸屑なんかも取り除いたあと、傷口を水筒の水ですすいで自分の服の端を破き、それでキツく縛り上げた。

 あっという間の出来事だったが、カルロの苦悶を耳にしたアニータは、すっかりその顔から血の気が引けていた。蒼白になって、カルロにおずおずと尋ねる。

 

「大丈夫? 死なない?」

 

「死なん」

 

「さ、触ってもいいかしら」

 

「駄目だ」

 

 心配からか意味不明なことを言うアニータを突き放して立ち上がる。カルロの傷ばかり気にかける彼女もまた、泥だらけになって体の節々に擦り傷を負っていた。

 

「手伝え。ここで奴らを狩る」

 

 カルロの言わんとしていることに理解が遅れて呆けているアニータに、詳しく言ってやる。

 

「もう追ってきている。生き延びる道は、奴らを打倒した先にしかない」

 

 ポーチから束になった細いロープを取り出してそれをアニータに放り投げる。

 両手でロープを危なっかしく受け取ったアニータが「どうして」と聞いた。

 

「銃で撃たれたのに無茶ですわ。ここで隠れていましょうよ。ね?」

 

「隠れていても事態は好転しない。きっと奴らは俺たちを探す手段を持っている。ここがバレるのも時間の問題だ」

 

「じゃあ、逃げるのは」

 

「それこそ無茶だ。ここは気球船で来ることが前提とされている狩場だ。地図にも載っていない中を、徒歩で街まで辿り着くことは不可能だ」

 

 アニータは閉口した。カルロが自分を庇ったときのことが思い出され、胸が苦しくなった。あの死地がもう一度来るというのか。

 

「罠を作る。そのロープを持ってこい」

 

 木の間に、地面すれすれの高さにロープを張る。草むらに隠れて昼間でも意識しなければ見つけられないだろう。

 その周りにカルロはまきびしを蒔いた。アニータが何気なくそれを素手で触ろうとして、厳しい声で「止めろ」と言われる。

 

「これは毒液に浸したハリの実のまきびしだ。大型モンスターに使うための強力な毒だ。人は触れるだけでしばらくその部位が動かせなくなる」

 

 アニータは心底恐ろしく思った。

 大型モンスターといえば下手な小屋よりずっと大きく、体の作りも非常に頑丈なものだ。本来それに使うはずの道具を、人に対して使おうとしている。触れるだけでも危険ならば、もしロープで転び、身体中に刺さってしまったらどうなるのか。

 一瞬、止めようとしたが、アニータはそれが場違いな意見だと気付いて口をつぐんだ。今はそれだけ深刻な状況なのだ。

 

 他にもカルロとアニータは、大木を中心地としていくつかの罠を仕掛けた。全てに殺傷能力があるわけではないが、どれもこれも人に向けて使用するには躊躇われるものばかりだ。

 カルロはまた左腕でアニータを抱え、大木の手頃な枝まで器用によじ登った。たった4、5メートルほどの高さだが、片腕の負傷と人を一人抱えた状態での木登りは常人の技ではない。

「見えるか」

 

 枝に座ってもまだしがみついているアニータにそう聞くと、彼女は大きく頷いた。

 

「ええ。すごいわ。さっきまで瞼を閉じているのと何も変わらなかったのに」

 

 アニータには今、罠を張り巡らせた下方の様子がおぼろ気ながら見えていた。あの暗殺者たちが音もなくやって来ても、そのシルエットでどうにか気付けそうである。

 

「目が慣れたんだな。若いだけあって順応が早い」

 褒められたと思ったのか、アニータは少しだけ得意気に鼻を鳴らした。

 

「そう? すごい?」

 

「普通だ」

 

 今度は拗ねてそっぽを向く。殺されそうだというのに意外と余裕があるものだと、カルロは苦笑した。

 早くも機嫌を治したらしく、アニータはカルロに話しかけてきた。

 

「まだ、少しだけお話ししてもいいかしら」

 

 カルロは見えない彼我の距離を考える。シルクォーレの森の広大さ。暗殺者たちの優秀さ。自分たちが今いる場所の見付けにくさ。精査して、もうしばらく余裕はありそうだと判断した。

 

「少しだけならな」

 

 そうしたら嬉々として話し始めるように思われたが、実際のところ、アニータは暗い口調で厳かに語りかけた。

 

「ねえ、執事と何か、話したんでしょう」

 

「......ああ」

 

「なんて言っていたか、教えてくださる?」

 

 どうしたものか、とカルロは考えた。裏切られたばかりの少女がどんな答えを望んでいるのかは見当がつかない。結局は、真実を脚色なく告げる他なかった。

 

「ネタばらしと、あとは事件の隠蔽の手伝いを迫られただけだ」

 

 アニータの口元が固く結ばれる。彼女にはその情報だけで十分すぎた。執事はもとから、自分を殺すつもりだったのだと納得できてしまった。

 

「そう......彼らは、護衛兵の方々は、どうなったのですか」

 

 期待のこもっていない口調。どうやら、察しはついているらしかった。

 

「爺さんの奸計でな。リオレイアを利用したらしい。たぶん、一人も生きてはいない」

 

「痛かった、でしょうね」

 

「どうだろうな。痛みを感じる間もない一瞬の出来事だったかもしれん。火竜は、人のいる世界とは隔絶した存在だ」

 

 重い沈黙が流れる。その間は、まるでアニータが亡くなった兵士たちに黙祷を捧げているようであった。

 

「......彼らとは、あまり話したことがありませんでした。けど何人かには奥さんや子どもがいて、そうでなくとも大切に思ってくれる人達がいたと思います」

 

 あまりにも、浮かばれません。

 そう言うアニータの声は、とても少女のものとは思えない深い哀愁を感じさせる。

 カルロは言い様のないやるせなさを覚えると共に、彼女に真の貴族の姿を見た。利権も利益も関係ない、人の上に立てる高潔な器。こんなところで死なせてはいけないと思った。

 

「どうして、私なんかのために、ここまでするのでしょう。酷いわ。私なんかに彼ら五人や、カルロさんの命が釣り合うはずないもの」

 

 アニータが静かに憤る。そんなことはない、とカルロは言う。

 

「命に優劣はない。ただ、何に価値を見いだすかは人それぞれだ。ギルドは一枚岩ではないし、それと癒着しているような貴族などに良識なんてない。そんな奴は、何でもやる」

 

 つまりそれは、あの暗殺者を差し向けた貴族やギルドの派閥にとって、アニータの命もカルロたちの命も、利権とやらの前では塵ほどの価値しかないということである。

 生きる上では何の意味もない理由で殺される。アニータは昼間にキャンプ地で見たケルビの死体に、自分の姿を重ねた。

 

「あの、死んでいたケルビも......」

 

「そうだな。あれは故意だろう。あわよくば、真っ先にキャンプ地に入ったお前をランポスたちに殺させる気だったんだ」

 

 カルロの言葉は率直で、アニータの胸中を散々に掻き乱した。許されないことだと思った。自分もそんな貴族の一部なのかと考えると吐き気がするようだった。

 袖を握るアニータの拳に力が入り、カルロは諭すように言った。

 

「だが、お前には良識がある。勇気もある。それは誇って良いことだ」

 

「ありがとうございます」

 

 照れ臭そうにアニータは微笑んだ。父親に学業の成績を誉められるより、ずっと嬉しかった。

 それから幾ばくかの躊躇いの後、アニータは顔を赤らめ、カルロに囁きかけた。

 

「ねえ、それじゃあ、もし無事に帰れたら......」

 

 そこまで言いかけて、大きな手で止められる。

 空気ががらりと変わった。カルロから伝わる緊張が一気に膨れ上がる。

 

 アニータにはまだ何の気配も感じられない。しかし命運を分ける時が、すぐそこに迫っているのだと理解することはできた。

 カルロが岩のように身動ぎすらせず息も潜めているのに習い、アニータも精一杯自分の気配を殺す。

 夜の森に虫の鳴く音と風の僅かなうねりだけが響く。

 

 そしてついに、カサカサと葉を掻き分けるような音が聞こえてきた。まるで小動物が何の気なしに移動しているような音。

 暗順応したアニータの目が森を這って進む影を捉えた。マントを頭から被っている暗殺者は、パッと見では人の輪郭とは分からない。あれが自分たちを殺すために動き回っているのだと思うと、毛が逆立つような恐ろしさを感じる。

 影は右往左往しながらも確実にカルロたちがいる大木へと近付く。そして罠のある領域まで踏み込もうとしたその手前で、ピタリと止まった。しゃがみこんでロープやまきびしが隠れている周囲を確かめている。

 気付かれた。

 アニータが凍りつく。

 声はしない。手招きをするようにジェスチャーを送ると、他の三人の影が森の奥から出てくる。彼らは付かず離れず等間隔で進み、手信号によって互いの状況を連絡し合いながら来たのだ。暗殺者の周到さ。油断は見られなかった。

 罠を見つけた一人のもとに全員が集合する。何かを示し合い、彼らはその一帯の捜索を始めた。

 次々に罠が見つけられ、越えられていく。ロープとまきびしも、自動式の毒矢も全て見破られる。ロープは切られ毒矢の仕掛けは解除された。

 アニータは死を間近に感じていた。絶望的な心境でカルロを横目で見るが、彼はまだじっとして、影たちの様子を観察していた。

 

「おかしい。近いはずなのに」

 

 ボソリと暗殺者の一人が呟く。虫の音に消え入ってしまいそうな小さな声。

 罠は見つけられてしまったが、アニータたちにはまだ気付いていないようだった。しかしその発言からして、すでにこの近くに潜んでいることは分かっているらしい。

 また手信号がやり取りされる。

 この場所を隈無く探そうということか。見つかるのは時間の問題だ。

 もうそこまで来ている。すぐ真下だ。

 近い、見つかる。

 

 緊張で頭がおかしくなりそうに思えたその時、カルロの手がアニータの目の前で人差し指を立てた。事前の打ち合わせを思い出し、アニータは目と耳を咄嗟に防いだ。

 カルロが神速でライトボウガンを構えて放つ。

 まるで無駄のない動きは、充填済みの散弾をほぼノータイムで発射させた。

 しかし暗殺者たちの動きも洗練されていた。殺気を感じ取った彼らは一瞬にしてその場を離れる。

 人には当たらず地面に着弾した弾は、その直後に爆発を引き起こした。火薬を内蔵した拡散弾では出ない規模である。地面に埋めておいた爆弾が、一緒に爆発したのだ。

 カルロがアニータを庇うように外套を広げる。爆風によって石が高速で巻き上げられ、暗殺者たちを襲う。360度に飛来する天然の散弾は二人の背中を撃ち抜き、一人の脇腹を掠めた。残りの一人は上手いこと地面に転がり逃げている。

 背を打たれた暗殺者が前のめりに倒れ、その先にあったまきびしに刺された。突如すさまじい叫び声をあげ、その次には事切れるように動かなくなる。対大型化け物用の毒の作用。

 

 しかし、仕留め損なった二人がそこで反撃に出た。カルロが次弾を装填するが、さすがに間に合わない。

 いち早く照準を定めた暗殺者が発砲する。殺気から逃れるようにカルロはアニータを小脇に枝から飛び降りた。彼らが居たところに暗殺者の榴弾が着弾し、小規模の爆発と共に人を二人支えていた太枝をへし折る。

 軽々と着地したカルロが、アニータを下ろす暇もなく片手でライトボウガンを構える。両手で扱うように設計された武器を、負傷した片腕で取り回す剛力。

 カルロともう一方の暗殺者が発砲したのは全く同時であった。

 暗殺者の貫通弾はカルロの手の先から肩までを貫き、カルロの散弾は暗殺者の全身を吹き飛ばした。

 ボウガンを取り落とす。カルロの右腕が力なく垂れ下がる。もはや腕としての用をなしていなかった。

 膝を着いて動きを止めてしまったカルロに、最後の一人の凶弾が襲いかかろうとする。

 

「やめて!」

 

 決着がつこうとしたその刹那、カルロの腕を離れたアニータが拾った石を無我夢中で投げた。

 まるで遠心力が活かされない、少女の投げ方。

 しかし石は、アニータに気を取られた暗殺者の頭を強かに打った。暗殺者が痛みに頭を抱えて呻く。

 その隙を見逃すほど、ハンターは甘くない。

 カルロは自由になった左腕で投擲用のナイフを投げた。暗殺者の首元を狙ったそれは大幅にズレて腹を刺した。

 それでも十分だった。血を吹いた暗殺者は、身を翻して逃走する。

 追おうとして、カルロは自分の力が急速に抜けていくのを感じた。失血と常人ではとても耐えられない激痛が、さしもの彼をも追い詰めていた。

 

「ぐっ......うぐ......」

 

「カルロさんっ!?」

 

 生き長らえた安堵に浸ることもなく、苦しむ相棒にアニータは駆け寄った。

 酷い傷だった。いや、これはもう、傷と呼べるのか。腕が丸々、破裂しているようだった。まともな明かりの下であれば、破れた皮膚と露出した筋繊維や骨が見えることだろう。

 

「ああ、そんな!しっかりして、カルロさん!」

 

 泣き叫ぶアニータ。

 強靭な精神力か、己が護る少女の声に呼び覚まされたか、カルロは大丈夫だと言うようにアニータの肩に左手を置いた。

 

「追う、ぞ」

 

 重そうに腰を上げ、カルロはよろよろと立ち上がった。アニータは涙を溢しながら首を横に振る。

 

「やめてっ、もうやめてください。死んじゃうわ」

 

「ここにいても、死ぬ。奴が、俺たちを殺せる可能性は、なくなって、いない」

 

 カルロは肩口で乱暴に止血を施し、最後の暗殺者が逃げた方向へと歩き出した。先ほどのように牡鹿のごとく森を駆けることは叶わず、身体を引っ張っていくようにして進む。

 

「ギルドの気球船を待っている時間はない......昼頃に、ベースキャンプを挟んで、ここの反対にある丘のすぐ側を、観測隊の定期船が通るはずだ。決着をつけたら、そこへ行こう」

 

 カルロは現実的な希望を口する。

 生きること。ただそれだけのために歯を食いしばって前へ行こうとする彼を止める術は、アニータにはなかった。彼女も涙で顔を濡らしながらも、その小さな体でよろめくカルロを支え、共に歩いた。

 木々の葉の隙間から見える空は、いつの間にか白み始めている。風の向きも変わった。

 夜が開けようとしていた。

 

 

 

 

 

 

「......お早い、お着きですね」

 

 おびただしい血の跡を追えば、またしても森を抜け、老人とカルロが対峙していた丘に出た。

 そこにマントを被った人影が座り込んでいて、やって来たカルロとアニータを見てそう言った。

 暗殺者の生き残りは、執事であった老人だった。彼の顔からは生気が全く失せて、もう飄々とした雰囲気も丁寧な物腰も、微塵も感じない。腕がはぜたカルロよりも死に迫られているように見える。

 

「終わりだ、爺さん」

 

 カルロが左手でボウガンを構える。アニータは彼の後ろに隠れながら、自分に仕えていたはずの老人を見つめている。その揺れる瞳は憎しみや嫌悪ではなく、悲しみと哀れみに染まっていた。

 そんな少女の様子に、穏やかな微笑みを浮かべて老人は言った。

 

「その……ようですね。いやはや、ここまでとは」

 

 老人には、暗殺者としての積み上げられた自信があった。今回の仕事も、筋書き通りであれば何の問題もなく事が運ぶはずだった。それは兵士五人という障害を持たされたとしても揺らぐものではなかったはずだ。

 しかしカルロが、一人でハンターの頂点にまで登りつめたこの男が、計算をことごとく狂わせたのだ。

 そんな男を雇ったのが、今回の暗殺対象である何も知らなかった少女だというのは、もはや笑えてしまうほど数奇な運命である。

 

「対人に、恐ろしく慣れてらっしゃる。四人同時に撃ち取るなど……ふふっ、狩ってきたのはモンスターだけでは、ないようだ」

 

「上へ行こうとすれば、しがらみも多大になるものだ。その中には俺を疎んだり、邪魔に思ったりする奴が何人もいた。あんたなら、よく分かるだろう」

 

「ええ......それはもう、馴染み深いものです」

 

 負の感情が馴染み深いなどと言う老人は、それだけでも確かに、闇で生きる者なのだと伝わってくる。

 

「私も、歳ですな。万全に万全を、保険に保険をかけたつもりが。その回りくどさ故に、目的を、果たせぬとは。.恥ずかしい限りだ」

 

 老人が項垂れながら悔恨を語る。

 それまでカルロの影に隠れていたアニータが、戸惑いがちに彼の隣に立ち、老人に話しかけた。

 

「どうして、どうしてこんなことをしなければいけなかったの。こんな危険で、恐ろしくて、辛いことを」

 

 そこまで言ったアニータを、老人は睨んで黙らせた。まるで、その先は口にするなと言うように。

 

「お嬢様。貴女には分からぬことです。生涯を陽の当たらぬ場所に捧げた、愚者の気持ちなどは」

 

 老人がちらりとアニータの足元に視線を移す。

 彼女が履いているのは、老人が贈った靴だ。履きやすく、歩きやすく、丈夫な、アニータの足に合わせて作らせた靴。

 あれが無ければアニータは今こうして生きていることはなかったのだろうが、老人にそのことを悔いている様子はなかった。むしろ満足そうな顔さえしている。その筆舌にし難い感情は、当人にもよく分かりはしないだろう。

 

「さて......」

 

 老人は座ったまま、懐を探る。

 その動作からアニータを庇うように引き寄せたカルロだったが、そんな彼らの様を見て、老人はうっすらと笑みを浮かべた。

 

「ご心配、なさらず。もはや、私に、逆転の手段はございません」

 

 それは真実だった。今の老人が攻撃を仕掛けても、それより早くカルロのボウガンが火を吹くことは明らかである。

 しかし、と老人が言う。

 

「奥の手ならばあるのですよ」

 

 彼が取り出したものは、銃ではなかった。大きな角のような形の、無骨な物体がその手に握られている。

 それは角笛だった。その用途は、モンスターの注意を吹いた方に向けるというものだ。ハンターなら誰もが知っているが、仲間の緊急時以外で使いはしない。

 老人の笑みは悪魔にとり憑かれたように凄惨なものになる。

 意味を図りかねたカルロだったが、青白い顔がだんだんと焦燥により歪んだ。

 

「やめ──!」

 

 やめろとカルロが言う前に、発砲する間もなく、老人は角の先端を口に当ててありったけの息を吹き込んだ。

 

 その音は夜明けの空を突き抜けた。

 山を越え、谷を越え、森丘にモンスターの咆哮にも似た盛大な笛の音が響き渡った。

 

「くそっ、本当にやりやがった!」

 

 どういうことかと、突然の出来事に追い付けないアニータがカルロに聞こうとした。

 しかし少女の声は、もう一度鳴り響いた音に阻まれた。力を使い果たした老人が二回目を鳴らしたわけでも、山びこが返ってきたわけでもない。

 それは、真夜中に聞いた、火竜の雄叫びであった。

 大空から滑るようにして彼らの前に降り立った竜が唸り声をあげる。

 朝焼けの空よりも鮮烈に赤い甲殻。雌個体よりも戦闘に特化した体型。

 

 空の王者、リオレウスが爆発的な咆哮を轟かせた。

 

 火竜は首を伸ばし、近くにいた老人を無造作に捕食する。立ち上がることすら出来ない老人は無抵抗のまま、リオレウスの強靭な顎に噛み砕かれた。

 そして飲み込まれる刹那に、してやったり、と言いたげにカルロたちを見て、そのまま竜の口の中へと消えた。

 

 自分の迂闊さに、カルロは歯噛みした。

 夜に聞こえた雌火竜の激怒の咆哮。あれはただ攻撃された訳ではなかったのだ。卵を守る親竜が、その守るべきものに危害を加えられたことにより、種の存続の危機として打ち鳴らした警鈴だった。

 そしてそれは一種の救難信号となり、つがいであるもう片方の親竜を呼び寄せもした。

 そんな竜たちのヘイトを、老人は角笛でもって一手に集めたのだ。お前らの敵はここにいると。

 

「ひっ」

 

 アニータが短い悲鳴を上げた。

 難なく人を平らげたリオレウスが、今度はアニータたちを睨む。完全に人間を敵と見なしている。

 圧倒的な力の化身を前にして立ち竦むアニータ。

 カルロは固まった少女に激を飛ばした。

 

「行けっ! 逃げろ!」

 

 ボウガンに弾を装填し、火竜の眼前に立ちはだかる。

 

「ベースキャンプまで逃げて、昼になったら狼煙を上げろ! 観測隊に助けを求めるんだ!」

 

「で、でも、カルロさんが……」

 

「いいから行け! アニータ!」

 

 躊躇は一瞬だった。

 呼ばれた自分の名に突き動かされるように、アニータは踵を返して走り出した。

 

 どちらから食おうか迷っていた様子のリオレウスの首が、逃げたアニータに向きかける。

 それをカルロの榴弾が止めた。顔面で爆発しても傷一つ負いはしないが、その意識だけはカルロの方へ向かせることができた。

 やったと喝采を上げられるのも一瞬で、その直後にリオレウスは一歩前へ踏み出して噛み付いてきた。つい先程、人を食い殺した凶悪な牙。

 カルロはそれを横に転がることで何とか避け、反撃の体勢をとる。

 しかしそこに、槍のような棘が何本も生えている尻尾が、超速で迫ってきた。

 手負いのカルロがボウガンの銃身でそれを受けられたことは神業に近いが、それでも竜の一撃は重すぎた。

 カルロの身体が手鞠のように地面を跳ねて、無様に転がった。上体すら満足に起こせず血ヘドを吐く。内蔵はズタズタに傷付き、皮一枚で繋がっているような状態だった右腕は完全に千切れて何処かへいってしまった。

 リオレウスは瀕死のカルロを眺めてから、再び遠くなっていくアニータへ意識を切り替えようとする。

 

 だがそれだけは、カルロが許さなかった。

 着火させた小型の手投げ爆弾をリオレウスに投げ付ける。強肩の面影はすでになく、爆弾は竜の足元にコロコロと転がって爆ぜる。

 もちろんダメージなど望めるはずもない。リオレウスは鬱陶しそうにカルロへ近付き、その尻尾をまた無造作に振った。

 今度は紙屑のように宙へ舞い、ドサリと地面に落ちた。か細い、正しく虫の息である。もうこれ以上攻撃されなくても、すぐに死にそうな風体だった。

 

 三度、リオレウスはアニータを捕らえようと動く。少女の姿はすでに視界からは消えているが、彼が飛び立てばすぐに見つかり、八つ裂きにされることは必至である。

 

「つれ、ないな......」

 

 血の泡を立てながらカルロは不敵に笑った。散々になった肉体で、もう這うことすら出来ない。

 

「何度も、よそ見、するなよ」

 

 それでも諦めてはいなかった。

 何の因果か、吹き飛ばされた先には、老人が使った角笛が落ちていた。この惨劇を呼んだ魔笛を、カルロが拾う。

 視界にはもう何も映らず、音もやけに遠く聞こえる。笛を持った感触もなく、痛みなどとっくに消え失せていた。

 しかし、あと一呼吸。息を吸い、吐き出す力があれば、それでいいのだ。

 

「爺さん......角笛ってのはな、こうして吹くのさ」

 

 尖端をくわえる。

 吹き鳴らすその直前に、瞳を閉じたカルロは、アニータのことを想った。

 今まで人を避けるようにして生きてきたが、彼女と過ごした時間は、嫌いではなかった。天涯孤独の人生が少し、彩られた気がしていた。

 

 さらばだ、アニータ。前を向いて生きろよ。

 

 

 

 

 

 

 アニータは何度も振り返りそうになった。その度にカルロの必死な顔を思い出し、自分を叱る。

 ろくな運動もしてこなかった少女の体力はすでに限界を越えていたが、それは止まる理由になどならない。生きねばならぬと、その思いだけを胸に、アニータはがむしゃらに駆けた。

 途中で靴が脱げてしまうが、それでも止まらない。裸足のまま、ヤワな足の裏が擦り切れようとも堪えてみせる。

 しばらくして、後方で凄まじい音が轟いた。

 アニータにはその音が、執事の角笛よりも、火竜の咆哮よりも、力強く雄大なものに聞こえた。涙が溢れて仕方がなかった。

 

 アニータは走った。走って、走って、ただひたすらに前へと走り続けた。

 

 

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