「脱柵だっ!!」
響くサイレン。空を照らす探照灯。道なき道を駆け上る足音。捕まれば命は無いだろう。なのに何故、自分は走っているのか。足を止めないのか。
決まっている。行かねばならぬ。風俗へ。
決意を新たにした瞬間、目の前で疾走る閃光と爆音。閃光手榴弾だと気付いた時には、時既に時間切れ。目を開けば、あっという間に縛られた己の手足と光を背にした憲兵隊。
暗がりの中でもハッキリと見える能面のような顔の憲兵隊は、養豚場行きの豚を見るような目で見下していた。
「愚かなことをしたな」
「黙れッ! アレは最早拷問だ。真綿で首を締めるようなものだぞ!」
「軟弱者の言葉だ。オイ、お前ら抑えろ。『躾』を始める」
その言葉で途端に血の気が引いていく。かつてのトラウマが荒波の様に押し寄せた。
無表情で抑える憲兵隊。
固定されるケツ。
振りかぶって構えられる精神注入棒。
そして、そして。そして!
「や、やめろ!」
「お前の同僚は半刻も経たずに堕ちたが……お前はどうかな?」
「やめろ! やめろッ! やめて! あ、あぁあ……あぁああああああああああああああ!」
「あ……?」
襲いかかる痛みが来ず、恐る恐る目を開ければ、灯りの落ちた自室の天井。そんなある日の夜中過ぎ。
2、3度瞬きをして、縛られたはずの右手をペタペタと目鼻が付いているかなど意味も理由も分からない確認をする。そこでようやく確信を持ち、安堵のため息を吐く。
「夢……」
時刻を見れば丑三つ時。偶然だろうか。いやこれは悪霊の仕業だな。いるはずも無い悪霊へ殺気を持って睨みつける。おのれゴルゴム、許さん。
そんな取り留めのないことを考えているとふと、思い浮かぶことがある。
結婚した同郷の友人のことだ。こんな時、アイツみたいに恋人や妻でもいれば、この寂しさは埋まるのだろうか。愛する人と共にいれば例え薄手の毛布一枚だろうと暖かいのだろうか。
そんな柄でもない弱音が最近、よく脳内を掠めている。多分、大人としてだとか男らしさといったもので適当に積み上げられた天然ダムから、越流水のように弱音が漏れてくるのだろう。
今にも決壊しそうなこの構造的に貧弱なダムを見て、本能でも理性でもない何者かが、そんな呟きを嘲笑ってる。ニタリニタリと下卑た笑みをしながら囁いてくる。
自分は、モテたくて軍の門を叩いたのではないか。と。
あぁ、そうだ。そうだとも。
軍人はモテるぞと親戚のオジサンに言われたあの日から。
学校生活、ただひたすらに勉学に励んでいたあの日も。
なぜ陸軍に? と聞かれたから、女の子にモテるためです。と正直に言ったあの日も。
海軍の方がモテるよと言われ、吐血するほど勉強して、押し込み強盗の如く高級士官の門を叩いたあの日も。
同郷唯一の友人からの結婚を知らせると絵葉書が届いたあの日も。
常に、抱き続けた、夢。
そう、自分には夢がある。
キレイなお姉さんと仲良くなって、エッチな日常生活に融けて、爛れた日々を送るという、ささやかながらしかし、決して譲れぬとジークフリート線以上の強固さであると謳った夢がある。
その、一念。雨垂れ石を穿つが如く、煩悩は海大を卒業させる。ピンクサイドはいいぞ。
他の真面目な学生は怒りたければ怒っていい。だが嘘偽りなく、自分はそのエネルギーで、ここまで昇ってきた。つまり、他の奴らは煩悩が足りん。熱意が足りん。理念頭脳気品優雅さ勤勉さが圧倒的に足りん。豊臣秀吉の小田原征伐の如く、節操無く集めるのがコツ。
しかし、現実はどうだ。芸者を侍らし夜の街に消えていくなぞ絵空事。豊臣秀吉の朝鮮出兵とこれまた一緒。明智光秀を笑えない。
無論、描いた未来とあまりに違う現実に辞職願を叩きつけようか迷ったりもした。
地味で冴えない仕事であるし、なのに世間様からの目は異様に厳しく、恋文は一通たりとも届かないが抗議文ならキロ単位で届く。それ故本名の公表どころか家族にさえ言えない。国防担う軍人なんだから優しくして。そんな愚痴の1つや2つちょっと緩めるとすぐ漏れるぐらいには、不平不満はある。
しかし、この鎮守府で最も頼りにならない我が両腕には、世界で一番大切な我が部下達の幸せな日々という宝物を守る、ペンと判子が握られている。
故に、大本営と現場を繋ぐ中間管理職たる自分に遊ぶ暇はない。
そう、例えば毎日朝早く起きて艦娘達のスケジュール管理表とにらめっこして。
毎日欠かさず演習や実戦結果を基に訓練内容の精査や反復練習の監督をして。
毎日汗だくや煤だらけになる艦娘達からフワッとした彼女達を包む、本能を揺さぶるすっごいいい香りを無意識に嗅いでしまったり。
毎日何が嬉しいのか我先にと自分の近くに座る艦娘達と食事を一緒に取りながら、昨日見たテレビやマンガ、ゲームの話をして。
毎日露出過多な衣装に目を奪われないと格闘する自分を嘲笑うように、目の前で艦娘達が谷間や山脈を縦に横にと揺れる地殻変動を起こし。
毎日仕事の終わりに見慣れたがそれでも見惚れる夜景をバックに、それ以上の美しさをした艦娘達と酒やジュースをつまみ片手にお喋りをして。
毎日夜眠れない艦娘達を寝かしつけるため、パジャマ姿の彼女達へ子守唄や思い出話をしたり、時々夜の鎮守府をこっそり二人きりでデートをし。
時には人肌恋しい艦娘を安心させるため、1つのベッドにお互い薄い寝間着と下着のみで腕を背に、足を絡め合う、いわゆる抱きしめ合いながら心音を子守唄とし、眠れぬ夜を過ごしたりする。
……うん。よく考えれば女性との触れ合いに関しては、なんの不満もないね。ごめん。さっきの戯言取り消しておいて。
いや、でもなー。贅沢言わないから、せめてオッパイは揉みたい。悲しいことに提督は男の子なのだ。
そして贅沢言うならセックスしたい。そう、セックス。やましい事に男の子は欲張りなのだ。
男らしいって昨今のジェンダー問題的にどうなの? 女の子だってオッパイは好きなんだよ? なんて疑問は捨ててしまえ。
少なくとも自分の経験上、初めて『オッパイってエッチだよね』と言った奴は男だった。その次も男だったし、次の次も男だった。だからオッパイが好きなのは男らしいのだ。Q.E.D。証明完了。
はてさてセックスはともかくとして、オッパイを揉むにはどうしたらいいのか。金はある。時間も書類があれば作れる。後は艦娘の許可があれば、可能なアレ。
そう、答えは風俗! 正解者には提督バッチをプレゼンツ! 3つ集めてメロンパン入れと交換だ。
うーん、まさに黄金立方体のような完璧なロジック。我ながら惚れ惚れするネ。
艦娘達からの評価はこの際気にしない。モーマンタイ。モーマンタイ。なんとかなるさ。ならなきゃ海の藻屑になるだけさ! HAHAHA!
しかもお金は口座にたくさんあるからちょっと上乗せすればセックスだって可能! いやっほぅ! へへへ、見ろよ。金銭感覚がアヘ顔タブルピースしてやがるぜ! Oh,Yeah!
三寸劇からの二人羽織、一人漫才と演じ、決意を背中に希望は胸に。時計を見れば目が覚めてからもう30分は経っていた。あらやだわ。明日もとい今日も朝早いのに。
まぁ、気分転換が上手く行ったと考えよう。切り替え重点とても大事。後1時間寝れるかどうかだが目を閉じてキレイなお姉さんとの妄想を瞼の裏に思い描くとしようか。
あ、提督になる良い子の皆。綺麗なお姉さん像であーんな事やこーんな事をムラムラもにょもにょさせていく時には、適当なビラ本を艦娘達には見つからない場所かつ手の取りやすい場所を新世界の神になったつもりで必ず用意しよう。
何故なら、ちょっっっと気を緩めただけで綺麗なお姉さんが古鷹とかに変わってしまうのだ。エッチな古鷹なんて大変好みでドストライクだが、罪悪感と背徳感がベトコントラップよろしく唐突に襲い掛かかる。これに嵌って抜け出せなくなった挙句、憲兵どころか特高に捕まった阿呆を自分は知っている。無論、その末路も。
まぁ、艦娘達ほど綺麗な女性はいないからね。少なくとも自分は知らない。仕方ないね。
とは言え、どんな夢でも思い描くのはメンタル的な健康にいい。ホントホント。提督嘘つかない。良い子の皆もお母さんの目の届かないところでやって、悪い子になってみよう。
でも悪い子になっても風俗は社会人になってから! お兄さんとの約束だ。怖いオジさんに捕まっても知らないゾ。それでは夢世界へご機嫌よう―――
「提督はそんなに、綺麗なお姉さんがいいんですか?」
―――耳元で、聞き慣れた彼女の声がする。
自分は努めて平静に、彼女の問いに応えた。
「そりゃあ、モチのロンで男なら誰でも思い描くんだぜハリー? ところで質問していい?」
「ハイ。提督、私が答えられることであれば」
「いつからここに?」
「提督が寝てしまったすぐ後です。私からもいいですか?」
「どうぞ、古鷹」
「提督は、オッパイを揉んでみたいんですか」
良い子のみんな。もう一つ、これだけは絶対に約束して欲しい。妄想する時は小声であっても決して口に出さない。綺麗な艦娘に捕まっても、お兄さん助けられないゾ。寧ろ助けて、誰か。
誰か。