レイドック国軍によるムドー討伐隊がまたしてもムドーの姿を見失ったという話がザンテの耳に入った。またか。これで何度目だ・・・。ザンテはため息をついた。レイドック国軍が無能でなく、ムドーが彼らの言うようにあやかしの術を使うというのなら・・・、敵に幻を見せるマヌーサか、混乱させるメダパ二を使っているのか・・・。
呪文か・・・。ふとザンテは考えた。マヌーサもメダパ二もグループ系の呪文である。呪文にかかった者は幻を見たり混乱したりするが、呪文にかからなかった者には何も起こらない。これらの呪文の使用者は敵に何の影響を与えているのだろうか?すべての書物や教会の教えでは、それは人間の精神に影響を及ぼすとのことである。ザンテは右手のこぶしを握りしめ、自分の胸の中央に当てた。違う。ここに精神というものがあるとは思えない。私が魔の力を使っていた時、強く現象をイメージしていた。すると呪文を使う上で大事なのは・・・ここではないか?そう思いザンテは右手の人差し指で頭をコツンと叩いた。呪文を使う際、指先や杖の先端に意識を集中させろと魔法を使う者は習い、それがこの世界の常識である。だが私が集中させていたのは頭だ。強いイメージに比例して威力も高まった。ということは呪文とは・・・、魔法とは・・・、強い願いの具現化ではないのか・・・。
なぜそのような単純なことを、人間は、教会は、わざわざ詠唱や魔法陣といった複雑なしかけにしているのか?段階を踏んで覚えていくシステムとしているのか?王族や教会が自分達の地位を守るため?突出した才能を持つ者が出現するのを防ぐため?
・・・いかん、いかん。ザンテはぶんぶんと首を振った。本来なら人間の敵となりかねない私を、チャム様がここに連れて来て下さった理由は今ならよくわかる。人間として生きさせるためだ。余計なことは考えなくていい。私は医者だ。真理を追究する学者ではない。傷ついた人々を助け、そしていつかゲント族長となる。私のようなものを拾い育てて下さったチャム様の様に。
午後からは医者としての仕事がある為、ザンテは病院の役割もしている教会へ向かった。ここで病気や怪我のために訪れている者たちの診察をする。ムドーにやられたという兵士達も多数来ていた。一人一人回復呪文や、話を聞くことで丁寧に対応した。ふうっとザンテは息を吐いた。さて次の患者はと、名簿に書かれた名前を見て青ざめた。
「ザンテ様、次の患者様をお呼びしてよろしいでしょうか?」
看護士の役割をしているシスターが聞いた。
「あ・・・、彼女は・・・、いや、次の方とは知り合いです。申し訳ありませんが二人だけになりたいので席を外して頂けませんか?」
「・・・?わかりました。それじゃあ・・・」
シスターは部屋から出ていき代わりに一人の女性が入ってきた。
「久しぶりね、ザンテ。お医者様になっているとは思わなかったわ」
ザンテは魔の力で焼き殺した男性の子供の言葉に、何も言う事ができなかった。
「ずいぶんといい男になったじゃないの。私なんてこんなに痩せちゃって・・・。髪だってもうパサパサ。ザンテの方が年上なのに私の方が老けて見えるんじゃないかしら・・・」
アンナ自身がそう言うように、みすぼらしい姿をしたアンナの肌は乾燥しており、しゃべると歯も数本抜けているのが見られた。身だしなみを気にしていないのか少し臭いもする。
「アンナ・・・、君のお父さんにはすまない事をした。あの時の私はまだ子供でただ憎しみのままに・・・」
「憎んでって言うなら・・・、何で私を殺してくれなかったの?」
「え?」ザンテはアンナの言う事が理解できなかった。
「どうしろっていうの!?目の前で父さんを焼き殺されて!字もまともに読めない、農作業だって、裁縫だってまともにできない幼い私が!知らない土地で身内も亡くして、どうやって生きて行けって言うの!?父さんは盗賊たちから私を人質みたいにされて、脅されてて、私のために仕方なく!私のせいで!」
「あっ・・・、あう・・・あああ・・・」ザンテは何も言い返せなかった。
「私はもう十分罰は受けたわよ!何もできないから体を売って、でも客はあまり取れなくて、男に殴られて、病気ももらって、これ以上どうしろって言うのよ!?もうこれ以上苦しめないわよ!あんた私を殺しなさいよ!父さんみたいに、私を火だるまにして殺しなさいよ!もう嫌なのよ!こんな自分も、世界も!」アンナは座り込み号泣した。
シスターがドアを開けて入ってきた。
「何ですか!?あなたは!一方的にザンテ様を責めて!ザンテ様は今、たくさんの人々を救っておられて・・・」
「いいんです、シスター。私が・・・、私が彼女の父親を殺したのです。私は罵倒されて当然の人間なんです」ザンテはシスターをいさめた。
「ザンテ教えてよ・・・。お医者様だから頭良いんでしょ?なんで私は不幸なのよ?なんで父さんを殺したあんたが幸せそうに医者やってんのよ?ルビス様はなんであんたを愛して私を愛して下さらなかったの?どこであんたと私は分かれたのよ?ルビス様のいわれる因果はいつなのよ?父さんの罪をいつまで私が背負い続けなきゃいけないの?殺してよ!自殺は教会の教えだと地獄行きなんでしょ。あんたが私を殺してよ!これだけ苦しめたんだから責任取りなさいよ!殺してよ!死んで楽にさせてよ!殺して・・・、殺して・・・」
アンナはシスターに呼ばれたゲント僧によって抱えられ、ゲント村の外に連れ出された。
「ザンテ様、大丈夫ですか?お休みになりますか?」シスターは聞いた。
「大丈夫です。次の患者の方を呼んでください。患者の方々をお待たせするわけにはいきません」
ザンテはそう言ったが、待っていた患者の数人はもう帰ってしまっていた。
「つらい思いをさせてすまなかった。これは礼金だ。受け取ってくれ」
アンナをゲントの村の外へ連れ出したゲント僧がそう言ってアンナにゴールドの入った袋を渡した。
「これから3日間は家に居てくれ。怖くてたまらない時もあるだろうから、その時はこれを使ってくれ」
ゲント僧はそう言って粉薬を渡した。アンナは笑うしかなかった。戦時中恐怖で耐えられなくなり、精神に異常をきたす人間に使用されているというクスリをまさかゲント僧から渡されるとは思っていなかった。
「3日後、何もなくて、それでも辛いと思うならこれを飲め。ゲント精霊の導きの元、永遠の眠りにつくことができる」
今度は小さな瓶に入っている紫色の液体を渡された。
「毒薬じゃないの・・・。いいわよ。3日後飲むわよ。ゲントの精霊様は生まれ変わりをうたってらっしゃるのかしら?」
「いや、ゲント精霊崇拝に輪廻転生の考えはない。善き人も悪しき人も死後は魂を浄化され同じ場所で永遠の眠りにつくといわれている」
「そう・・・。同じ精霊崇拝でもルビス様とは違うのね。ルビス様は魔物でも清き心を持つものは人間として生まれ変わり、悪しき心に取りつかれたら生きながらにして魔族になるという考え方だったわ・・・」
「・・・ルーラで君の住んでいる町まで送ろう」
「いいわよ。キメラのつばさだけちょうだい。そして約束して。・・・必ずあの悪魔を殺して!あいつは、ザンテは、この世界で生きてちゃいけないのよ!」
「わかっている。魔族の落とし子の始末は必ず我々がやる。だから君もこのことは絶対に他の人にしゃべってはいかん。もしそうすれば、我々は君を始末しなければならなくなる。君がしゃべってしまった相手も含めてな」
アンナは上歯で下唇を噛みしめた後、キメラのつばさを空に放り上げ、その場を去って行った。
それから3日後の晩、チャムの部屋に一人のゲント僧が入ってきて報告した。
「アンナの身に何もおこりませんでした」
「ふむ・・・。で、いまアンナはどうしておる?」
「すでにこの世におりません」
チャムは目の前のゲント僧の様子からこのゲント僧自身がアンナを始末したと判断した。ゲント族の闇の部分を一人の売春婦によって世に広げられるよりマシだとチャムは思った。
「よし、次の段階だ。こちらの思い通りに動いてくれるといいのだが・・・」
チャムは言った。
シスターの説得により3日間の休養をとったザンテは、医者の仕事に復帰していた。その3日間の間、ただザンテはベッドの中に居ただけだった。だがこれ以上休むわけにはいかん。私を待っている患者のために、いずれはゲント族長となるために、ここで立ち止まるわけにはいかなかった。ザンテの思いとは逆に患者の数は激減していた。来ていた患者もしかたなくといった感じだった。アンナとのやり取りがもう世間に広まっていたか・・・。
ため息をつくザンテだった。
その日の夕方、仕事を終えたザンテにマールという名のゲント僧の一人が声をかけた。
「次期ゲント族長が決定したらしいぞ。チャム様のお孫様であるチャモロ様だ」