翌朝。
用賀からJR新宿駅に行くには田園都市線で渋谷に出て、山手線に乗り換えなければならない。倉橋と武原には、用事が出来て休む旨を担任に伝えてもらう為、2人にメールを送信する。さっそく返信が届いた。俺は『夕方にネロンガで落ち合おう』とメールすると2人から『おK、了解した』と来たので一安心だ。ネロンガは俺達が利用しているネットカフェである。
朝の満員電車に乗るのは精神的苦痛がある。何が辛いかと俺の股間をまさぐる痴漢と、耳に息を吹きかけて来る痴女には我慢がならない。
通勤ラッシュでJR新宿駅は混雑している。制服姿で歌舞伎町に行くと補導に引っかかるのでトイレでカジュアルな普段着に着替えた。バッグは邪魔なのでコインロッカーに預ける。
「やっぱり直接行くより、事前に届ける事は連絡しておくべきかな?」
新宿駅東口側の地下街にあるコーヒーショップに入る。カウンターでエスプレッソと、ジャーマンドッグを注文して受け取り、空いている席はないかと見渡す。運良く奥の席が空いていたのでそこに座った。携帯の時計を見ると8時20分だった。大半の会社は、9時から始まる所が多いって親父が言ってたのを思い出す。時間潰しにと、ゲーム音楽を聞きながら持って来たライトノベルを読み始めた。
「時間だ。よしっTellするか」
浦木さんから貰った名刺を財布から取り出し、電話をすると数回の呼び出し音で相手が出た。
『如月商会でございます』
女性の声だ。女子社員かもしれない。
『あ、あの、深町涼太と言いまして、じ、実は浦木さんの件についてですが……』
『少々お待ちください』
いきなり待たされた。携帯の通話料は高いからとっとと出ろよ、とイライラしながら待つ。
『お待たせ致しました。浦木の件についてですが、詳しく教えて頂けませんか』
さっきとは変わって何か高圧的な口調で一瞬、ムッとした。念の為餓鬼の件は伏せ、昨日の出来事と、わざわざ届ける為に学校を休んで、JR新宿駅まで来ている事を話した。
『当社の場所は非常に分かりにくいので、社の者を迎えに行かせます。現在いる場所と貴方の服装を教えてください』
『は、はい……』
俺は今いる店の名前と着ている服と色を話すと、その社員はすぐに電話を切ったが、俺は途端に期待と不安に襲われた。
「謝礼の為とはいえ、学校サボってこんな事しなきゃ良かったかな……」
不安な気持ちでは続きを読む気になれない。時間がとても長く感じる。
周りを見るとスーツ姿のサラリーマンだけで、制服を着た高校生はいない。エスプレッソをもう1杯頼んで携帯のメールを見ようとした時。
「深町……涼太君ですね?」
「え?」
顔を上げると黒いパンツ・スーツ姿の女性が立っていて、にこやかな笑みを浮かべていた。歳は20代後半位? で茶髪のショートボブカットが似合う超美人だ。スタイルの良さがブランド物? のスーツを通してよく分かる。黒のネクタイを締め、仕事が出来るカッコいい大人のオンナだ。
「はじめまして。私、如月まどかと申します」
「深町涼太です」
如月まどかと名乗る女性は名刺入れから1枚取り出したので、俺も皺になった浦木さんの名刺を出すと、お互いに交換した。
「確かに浦木さんの名刺だわ。まだ信じられない……あの人が……」
端正な美貌は悲しげで、まるで恋人か長年の友達を失ったように見える。
「事務所に案内するからついてきてね」
「は、はい。お願いします」
颯爽した足取りで店から出た。ハイヒールなのにかなり早足で俺は遅れがちになる。
地上に出て靖国通りを横断すると、そこは歌舞伎町だ。朝なので多くの店はシャッターを降ろしている。開店しているのは24時間営業のファミレスか、コーヒーショップくらいだ。それに人通りも少ない。3人のホームレスなのか、それとも酔っ払いが路上で寝ている。
「深町君は歌舞伎町によく遊びに来るの?」
「いえ、映画を観るくらいです」
遊ぶといっても渋谷か秋葉原、二子玉川ぐらいだ。
「ここは面白い街よ。以前は治安が良くなかったけど、今は安心して遊べるわ。表は、ね」
じゃあ裏通りは変わんないのかよ。
裏路地に入ると、雰囲気が一変して昔ながらの古い街並みになった。錆びたエアコンの室外機が無秩序に並び、紙屑が散乱している。読めない漢字や、英語以外の怪しげな看板が古びたビルの壁に貼ってある。路面は石畳で、周りを見ると雑居ビルばかり目につく。中華街が更に退廃した妖しい雰囲気を醸し出している。
「はぐれると迷子になるわよ」
振り向かずに言う。突然、背後から男の怒鳴り声がした。
「オメェは、メス犬だ!! メス犬ならメス犬らしくしやがれっ!!」
「あうぅ」
何か叩く音と共に女のうめき声がして、振り向いたら信じられない光景を見た。
「え、うっ!! 嘘だろ!!」
俺は、ゴクリと喉を鳴らす。そこに一組の男女がいた。男は全身刺青に褌姿で、女も全身刺青の全裸で四つん這いになって首輪を着けられていた。紐は男が握っている。反対の手にある乗馬用の鞭で、女の背中を容赦無く叩いている。男は腹の出たキモい中年男。女は20代後半か30代かもしれないがかなりの美人だ。男のニヤニヤした顔と女は恍惚に喘ぐ表情で俺を見た。
ヤバ!! 目が合っちまったよ……
2人は反対の角に曲がり姿を消した。こ、これだけは言える、全裸露出プレイ……変態だ。
「どうしたの?」
「へ、変な2人がいたんです……」
「あらそう、ここでは普通よ」
「……」
事も無げに言うので反論できない、さすが歌舞伎町だよ。歩いていると目的地に着いた。
「このビルの4階よ」
「なんて言うかレトロチックなビルですね」
戦前に建てられたのか蔦に覆われ、赤レンガで造られた5階建てのビルだ。中に入ろうとした時、入り口に1人の女性が現れた。
「はぁぁいまどかぁ、お元気してるぅ?」
「私は相変わらずよ。それよりアケミはどうなのかしら? 町内会費を滞納すると、このビルから叩き出されるわよ」
「分かってるてばぁ……大丈夫ぅ今度も股開いてぇ、この熟れた身体で払うからぁ……あははははは」
茶髪の腰まで伸ばしたロングヘアで、ケバイ化粧をした年齢不詳の女は、俺達をニヤニヤ見ている。ヤクでもやってラリっているみたいだ。着ているのは、身体にピッタリ張り付いた袖無しの真っ赤なワンピースで、胸元が大きく開いて胸の谷間がはっきり見える。丈もギリギリのラインで黒の網タイツに、金色のピンヒールを履いている。挑発的で過激な服だ。胸と両腕に色鮮やかな、悪魔と妖精のタトゥーを入れている。
「でぇ、この坊やは、もしかしてぇこれぇなのぉ?」
指を立てると、まどかさんは鼻で笑う。
「違うわ、この子は浦木さんの代理人とでも言うべきかしら」
一瞬、女が真顔になった。
「そうだったの……あんないい人が……こんな子供がここに来るなんて妙だものねぇ」
「本来ならそうかも、ね……」
「アンタ、女の子みたいだわぁ。お化粧させてドレスを着させれば、ウチの子になれるわぁ……うふふ。楽しみだわぁぁ」
俺を見てニタニタ笑う。全く失礼なオバサンだ。
「あぁ、新鮮な男のミルクを搾って飲みたいぃ……」
俺達にヒラヒラと手を振ると、千鳥足でビルから離れた。
「あ、あの人は?」
「彼女は盛りのついた宿無しの野良猫よ。外で悪さをして、この街でしか生きられない……哀れな女」
まどかさんは哀れな子を見るようだ。
ビルに入って奥の古びたエレベーターに乗ると、まどかさんは4階のボタンを押した。ガタガタと音を立て今にも止まりそうだ。
「だ、大丈夫ですか?」
「多分、ね」
幸いにして止まらず4階に着き、ドアが開くと薄暗い廊下を目にした。周囲を見ると俺達以外誰もいない。ワックスの匂いが漂う廊下を進むと靴音が響く。右に曲がると両開きのドアが見えた。右側に、黄ばんだネームプレートが貼られ『有限会社 如月商会』と表示されている。
「ここよ。中に入って」
「失礼します」
まどかさんに続いて俺も事務所に入る。
入って右側に来客用のソファとテーブルが置いてある。反対側に書類棚と社員用の事務机があり、机は4台で上に電話の他に、パソコンの本体と液晶モニターが置いてある。出かけているのか俺達以外誰もいない。窓側の正面に両袖の机がある。
「お茶でも淹れるからソファに座っててね」
「あ、はい」
俺が本皮のソファに座ると、まどかさんは奥の給湯室に入った。殺風景な事務所で、何の仕事をしているのかちょっと気になる。突然、男の声が響いた。
「このガキは、何だ?」
いつの間にか黒のシルクスーツを着た男が入り口に立っていた。ネクタイも黒色だ。手入れをしていないボサボサの髪と無精ヒゲに、黒のサングラスを掛けていて、表情が見えないが何か危険な雰囲気だ。ズカズカと歩いて俺の反対側に座ると、懐からタバコを取り出し、1本咥えると顎をしゃくる。
「おい!!」
「は?」
「は、じゃねぇよ!! 火ぃ付けんのがわかんねぇのかよ!! 最近のガキは全部言わねぇと理解出来ないのか!! ったくよぉ」
虫の居所が悪いのか俺に悪態をつく。サングラスを外すと蛇のような鋭い目つきをしている。
あの浦木さんと同じ暴力的で荒んだ雰囲気が漂う。
な、何だよこいつ……こ、怖いよ……
「駄目よ竜也、こんな子供相手にイラついて大人気無いわよ」
給湯室からまどかさんが戻って来て、
「チッ、このガキがウチのモンだったら木刀でヤキ入れてるトコだぞ!!」
「この子は堅気の学生よ。アンタの若衆じゃないわ」
「んな事分かっている。最近のクソガキは甘やかされて躾がなってねぇ!! ったくよう……」
堅気、若衆、の単語が出てきて身震いする。こ、この事務所はアレだ、メッチャヤバイ!!
男は苛立たしげに煙を天井に吹くと、吸っていたタバコをクリスタルカットの灰皿の底に押し付けた。まどかさんは男の横に座ると浦木さんの名刺を彼に渡した。
「フン、確かにあいつのだ……おい、預かったブツがある筈だ。それを出せ」
ドスの効いた低い声だ。竜也さんは俺を値踏するように睨む。
「は、はい、こ、これです」
俺は上着のポケットから、茶封筒に入ったSSDを震える手で竜也さんに渡そうとしたが、まどかさんが受け取った。
「まどか、それをパソコンに接続して確かめろ」
「分かったわ」
まどかさんは、立ち上がって机の上にあるパソコンにSSDをコードで接続している。
「お前が浦木と出会った経緯を教えろ」
「は、はい……」
俺は震えそうな声で昨日の出来事を話すと、竜也さんは中を見つめ、しばらく無言だった。
「そう言う事か。ブツは奴等に奪われず、謝礼に目が眩んだお前さんが、無事に届けてくれたって言う訳か」
「そ、そう……です」
「フン、で、中身は見たのか?」
押し殺したような声で話す、こ、怖い。
「き、気になって見ようとしましたが、パスワードの入力設定があって無理でした。あ、あとコピーもプロテクトが掛かって出来なかったです……」
俺は正直に話した。
「そうだろうな。もし見れたら無事には済まないぜ」
俺が怯えているのが分かるのか、竜也さんは口を歪めニヤッと笑う。でも眼は笑っていない。
ああ、この場から帰りたいよ……来なきゃよかった。
「竜也!! 例のファイルが出たわ!!」
「そうか、これであいつも無駄死になら無いわけだ……」
「あの、もしかして浦木さんは……」
まさかと思うけど。
「ああ、奴等に殺れたよ。ウチの中では腕利きだったのにな……」
「もしかして浦木さんとは友達だったとか……」
竜也さんがタバコを咥えると、俺はすかさず置いてあるマッチで火をつけた。ふぅ、成功だ。
「古いダチだ。出会った頃はよく喧嘩ばかりしていたが……ってそんな事よりもだ。謝礼がまだだったな。まどか」
「用意してあるわ」
俺はまどかさんから厚い封筒を受け取った。緊張で身体が震える。
「確かに渡したから無くさないでね。後、この受領書にサインして、深町君の名前でいいわよ」
「まっ辞退しても構わんがな……ククク……」
緊張と興奮で俺は竜也さんの声を無視して、言われるままに受領書にサインした。
「オッケーこれでいいわ。本来は浦木さんが受け取る筈だけど……遺志を継いだ君が受け取った……」
竜也さんは俺を意味有り気な感じで、ニヤニヤして見ている。これはもしかしてヤバイフラグを立てたのかな。
「これで手続きは終わりだ。まどか、このガキを近くまで送ってやれや」
「分かったわ。行きましょう、深町君」
「はい」
立ち上がって事務所から出ようしたら、竜也さんが呼び止めて俺に名刺をくれた。
「まぁ、これも何かの縁かもしれん……ありえないとは思うが、困った事があったら俺に相談しろや。じゃ、あばよ」
竜也さんは振り向かず手を振ってソファに座った。
「ごめんなさいね、深町君。竜也の性格と口の悪さは昔からなので気にしないで」
「いえ、気にしてませんから……」
俺はもう二度と会わないから気にしていない。それに今は『懐が熱い』からだ。ビルを出てから路地に向かう。さっきの悪趣味ケバ女はいないのでホッとする。
「ありがとう。竜也は面倒見が良くて、この街の住人から慕われているのよ」
「へえ、そうなんですか? そんな風に見えないですが……」
本当に意外だよ。借金の取り立てとかで嫌われているのかと思った。
「竜也が君に、名刺を渡したのもそうなのよ。堅気には滅多に渡さないわ」
これは男のツンデレなんですかね、あんまりよく分かりたくないです。
来た道とは違い、飾り窓の多い路地を歩く。人影は無いけど熱い視線を感じるのは、気のせいなのかな? やがて10メートル前方に、人が行き交う大通りが見えてきた。
「ここまでくればすぐ大通りに出るから。じゃ、元気でね」
「はい、ありがとうございます。如月さんもお仕事頑張って下さい」
俺は頭を下げて礼をすると、まどかさんはにっこり笑う。大通りに出て振り向くと彼女の姿は見えなかった。
しかし信じられない、まるで夢を見てるみたいだ……
時計を見ると10時を過ぎていた。あれからそんなに時間が過ぎていない。夢みたいだけど、2人の名刺と謝礼が入った封筒があるので夢では無い。落とすとヤバイので歌舞伎町にある銀行に向かう。人に見られない様にして、ATMで自分の口座に預け入れをする。残高を確認するとニヤつく。
金額は897、500円を表示している。元の残高は、97、500円だったから浦木さんが受け取る謝礼は、800、000円だ。
普通の高校生が手にする金額では無い。あの時、浦木さんの頼みを断っていたら手にしていなかったし、まどかさん達と知り合う事もなかっただろう。人との出会いとは何か恐ろしい面がある。
「人助けってのはいいモンだよなって……ってあいつは黒井? なんで新宿に?」
浮かれた気分で人混みの中をJR新宿駅に向かう途中、黒いセーラー服姿の黒井日菜子が歩いているのを見た。とっさに店の影に隠れて様子を窺う。一瞬、黒井は俺の方を見たが、気がつかず歌舞伎町に向かった。
「あいつも学校サボっているのかよ、俺も人の事言えねぇよな」
黒井の姿を見失ったので再び、JR新宿駅へ向かう。
倉橋と武原と合流するまで、時間は充分ある。さてどうしようか。