園原高校一年生の須藤晶穂は、夏休み時の街中で、未練と出会う。

主演
須藤晶穂
浅羽直之

友情出演
アロハシャツを着たサングラスの兄ちゃん
ラフな格好をした、ショートヘアの姉ちゃん
「あの子」

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ありがちの物語

「お、浅羽じゃん」

 

 夏休み時の街中で、偶然にも浅羽直之と遭遇した。高校一年へ進級してから、浅羽とは別クラスになってしまったもので――こうして顔を合わせるのは、実に久々だった。

 一方の浅羽は、能天気そうな顔で「久しぶりー」と手で挨拶を交わす。

 

「何してたの?」

「適当に散歩してた。――晶穂こそどうしたの? 取材か何か?」

「まあね。最近、ここいらへんでラーメン店が出来たから、そこで取材を」

 

 中学の頃から、やることはまるで変わっていない。新聞部である晶穂は、「行き当たりばったり」というグルメ新聞を連載していて、園原市内にある料理店を隅から隅まで取材するのが「趣味」だった。

 

「お、そうなの? ……せっかくだし、一緒に行ってもいい? 腹減っちゃってさ」

「いいよ」

 

 あっさり承諾してしまって、晶穂は途端に冷静になって思う。

 これ、デートという奴じゃなかろうか。浅羽とは中学からの付き合いになるが、それまでにお誘いをかけるチャンスだなんて一度たりともなかった。

 ――正確に言えば、「なかった」のではない。誘えるはずがなかった、というのが正しい。

 中学の頃の浅羽は、そんな顔をしていた。

 

「じゃ、行きましょ。『電光堂』って言うんだけれど――」

 

 園原高校に入学してから、環境は随分と変わった。新しい友達が出来て、ちゃんとした新聞部に入部して、中学の頃の仲良しグループは自然消滅して、浅羽ともあまりお喋りをしなくなった。

 だのに、

 

 日焼けした浅羽の顔を見て、中学の頃の「夏の思い出」が、鮮明に思い起こされようとしている。

 

 ↓

 

 これは昔から自覚していることなのだが、晶穂はよく食うし飲むし好き嫌いもしない。それに連なって、上品げな喫茶店の空気も好きだし、大衆的なラーメン店の匂いも大好きなのだった。

 音を立てて戸を開けて、店員から「っしゃいー!」と歓迎される。この時点で、評価ポイントがぐんと上がった。

 

「カウンターは……埋まってるか。向かい席に座りましょ」

 

 浅羽がこくりと頷いて、晶穂に連れられるがまま席に腰かける。真正面、二人きり、見つめ合いの形になって、少しばかり「む」と唸ってしまった。

 ――すぐにでも店員が駆け付けてきて、お冷を二つ置いて、「ご注文はお決まりでしょうか?」晶穂が「とんこつ」浅羽が「しょうゆ」。

 かしこまりましたー! 元気いっぱいに店員が去っていって、今度こそ浅羽と二人きりになる。こうして誘ってみたはいいが、さてどうしたものかなあと頭を捻ってみると、

 

「晶穂」

 

 頭が、びくりと震えたと思う。

 

「何?」

「夏休み中は、ずっと取材してたの?」

「あー、まあね。園原って意外と、食べるところが多いし」

「へー。……ラーメン店といったら、『古龍』ぐらいしか知らないなあ」

 

 古龍とは、晶穂が生まれた時から存在する、それなりに有名なラーメン店だ。何度か来店したことはあったが、流石は生き残りというべきか、ストレートに美味い。

 

「だから、新しくラーメン店がオープンしてたなんて知らなかった。晶穂は耳が早いね」

「ジャーナリスト目指してるしね」

 

 へえ。浅羽が、感心したような顔で頷く。

 その反応に気分が良くなったせいか、晶穂は「それで」と前置きして、

 

「浅羽は何してたの? この夏休み」

「部活」

 

 その一言で、晶穂の口から「部活?」が漏れる。

 

「何してるんだっけ」

「剣道。お陰で、平日とそう変わらない日々を過ごしてるよ」

「うわー、つらそー」

「べつに、強制参加ってわけじゃないんだけれどね。あんまり参加してない部員もいるし」

 

 晶穂が指を差し、「え?」と笑いながら、

 

「てことは、自主的に? 浅羽が?」

「そ、自主的に。信じられない?」

「んー……いや、ぎりぎり信じられるわ。だってあんた、UFOを探すために、山籠もりしてたくらいだもんね」

 

 山籠もり。その言葉を聞いて、浅羽が「懐かしいなあ」と苦笑する。

 中学生の頃、晶穂は浅羽とともに、「太陽系電波新聞こと園原電波新聞」なるゲリラ部に所属していたことがある。なぜ「電波」なのかといえば、部長こと水前寺邦博の趣味が大いに取り入れられているからだ。

 水前寺という男は、成績優秀で、容姿端麗で、運動神経抜群というハイスペックな男なのだが、残念ながら根っこからの超常現象マニアでもある。正確に書くと、超常現象マニアにハイスペックがついて回ってきた、という方が正しい。

 そのお陰で、太陽系電波新聞こと園原電波新聞の記事は、俗世とは無縁の「神秘的テーマ」一色だった、だった。

 晶穂が入ってからは、「模範的な」記事がじわじわと侵攻していって、ある一定の権力を持った後に、晶穂はこう言ったのである。

 

 ――太陽系電波新聞って、名前が何かあれですし。こう、親しみやすい名前にしませんか?

 

 当然、親しみやすさもへったくれもない水前寺は、断固反対した。気の強い晶穂も、負けじと退くことはない。負けず嫌いが負けず嫌いに意見を申し出る時ほど、不毛なことはないのだ。

 そんな中で、互いの意見を取り持ってくれたのが、他でもない浅羽である。浅羽のお陰で、「太陽系電波新聞」は「園原電波新聞」として生まれ変わることが出来た。

 

 今にして、思う。なんで、あんなことで戦っていたんだろうと。

 

「今思うと、私も山籠もりに参加していればよかったかなー。楽しかったんでしょ?」

「まあね。収穫は……ゼロだったけど」

 

 一瞬の、歯切れの悪さを晶穂は見逃さない。

 同時に、ジャーナリスト志望者としての「カン」の火が入る。収穫とは、「浅羽にとっての」収穫とは――

 

「お待たせしました、しょうゆ一つにとんこつ一つでーす」

 

 店員の声に、晶穂の意識が呼び起こされる。何でもないように「どうも」と頭を下げて、眼前で湯気立つとんこつラーメンに食欲が刺激された。

 鉄人定食経験者として、晶穂はまず「ボリュームはいい」と目で判断した。質より量を重点に置きがちなので、意識的に評価ポイントが加算されてしまう。

 

「いただきます――部活で思い出した。部長とはよろしくやってるの?」

「うん、時々家に遊びに行くよ」

「へえ。で、部長は『いいとこの高校』で、ちゃんと成長した?」

「ぜんぜん」

 

 浅羽が笑い、晶穂も「でしょうね」と微笑む。

 水前寺曰く「学歴さえしっかりしていれば、CIAに入りやすくもなろう」とのことで、浅羽や晶穂とは別の高校へ入学してしまったのだ。それ以来、水前寺とは顔を合わせてはいない。

 けれども、浅羽とは相変わらずよろしくやっているらしい。羨ましいのやら、そうでないのやら、ラーメンを食べながらで思う。

 

「なんか、あっちでも新聞部を立ち上げたらしいよ。しかも、部員も八名ほどいるんだって」

「え、本当に?」

「うん、いいとこの高校なのに。頭が良い人っていうのは、何でも興味を持つのかも」

 

 そうなんだろうなあと、根拠もなく晶穂は思う。

 興味の対象を学ぶには、楽しもうとするには、やはりどうしても頭を使わざるを得ない。これが意外と面倒くさい。

 けれど、そうじゃない人は「それでそれで?」と、興味を追求する。寝る間も惜しんで、興味の中身を解剖しようともする。頭が良いから足跡を正確に追えて、そこから新たな発見を見いだせて、また「それでそれで?」と興味を追跡して――

 なるほど。

 ジャーナリスト志望の自分と、超常現象マニアの水前寺が、なぜこうも付き合えたのか。今更になって分かった気がする。

 

「なるほど、部長は今も健全に生きていると」

「うん。晶穂も、よかったら家に来いってさ」

 

 浅羽の話を聞きながらで、とんこつラーメンのスープをれんげで掬ってみる。そのまま飲み込んでみて、喉を通じて熱と脂っこさと肉っぽい重みがよく伝わってくる。

 評価点プラス。

 

「えー? 確かデカい家に住んでいるんでしょ? 部長って」

「まあね。でも、あくまで友達ん家なんだから、気にすることは無いんじゃない?」

 

 スープはなかなか、麺はどうだ。

 電光堂ご自慢の麺を、よく咀嚼してみる。中くらいの太さが、奇をてらっていない柔らかさが、歯からそして舌へ走ってくる。そのまま胃の中へ入れようとした瞬間、とんこつスープに浸った麺の味が、晶穂の血液を巡る。

 評価点プラス。

 

「友達……部長と友達だったかなあ、私って。よく考えたら、ただの部活仲間だったような」

「僕からしてみたら、晶穂も部長の友達だと思うけどね。二人ともアクティブに張り合ってたし、お似合いだと思ってたよ」

「えぇー? そうかなあ」

 

 うん、と浅羽が頷く。

 新しく出来たラーメン店は、とても繁盛しているといっても良い。カウンター席には兄ちゃん姉ちゃんが談笑しているし、他には軍服姿のあんちゃん姐ちゃんがだははがははとラーメンをすすっている。その中には、アメリカ人も混ざっていたり。店内に設けられたテレビは、夏休み中だというのに今日もニュースを伝えていた。

 基地を備えた園原市にとっては、ごくごくありふれた光景だ。

 

「ま、気が向いた時にでも、顔を見せてあげなよ。すごく喜ぶと思うよ」

「考えとく」

 

 アメリカ軍人が、「お前、最近フラれたんだって?」と同僚を煽る。同僚らしい黒人が「そうなんだよ。ショック過ぎて、マジで軍人やめようかなって思ってる」、これまた別の軍人が「今日は俺がマネーを払ってやる、どんと話せ」と、黒人の背を叩いた。

 恋、か。

 ちらりと、日焼けした浅羽の顔を見つめる。スポーツをし始めたからだろうか、浅羽はずいぶん早いペースでラーメンをすすり続けている。

 

「――ねえ」

「ん?」

 

 浅羽の箸が止まって、お冷をちびっと飲む。

 

「なんであんた、剣道部に入ったの?」

「え? あー、それは……」

 

 晶穂が、二度、三度ほどまばたきをする。部活に入るのに、何か恥ずかしいことでもあるのだろうかと、そう考察していると、

 

「強くなりたかったから、かな」

 

 晶穂の、箸の動きが止まる。

 

「晶穂は知っていると思うけど、中学の頃の僕ってさ、こう、ナヨナヨしてたじゃない? 部長みたく判断力もなくて、晶穂みたく積極性もなくて」

「そう、かな」

「そうそう。でさ、色々あって、自分はなんて情けない男なんだと実感しちゃって」

 

 色々。

 ラーメンの味に夢中だったはずの晶穂に、急な「冷め」が体に生じた。

 

「――色々?」

「うん、まあ、色々」

 

 晶穂の顔色が無となって、けれども浅羽は微笑していて。

 前の浅羽がよく見せた、へらへらとした笑いではなく、どこか達観したようなごまかしを、晶穂はカンで察する。

 

「……それは?」

「ああ――そうだね。今なら、いいか」

 

 二年前に、中学二年生の頃に、浅羽は言った。「『あの子』がいなくなった理由を、いつか話す」と。

 

 「あの子」は、突如として自分の前に現れた。それから非日常的な騒ぎが起こって、己が眠る恋心とやらを問われて、対抗心のまま鉄人食堂でメシを食い合って、「なんてかわいい子なんだろう」と知って、友達になって、ふっと姿を消してしまったあの子のことを、晶穂は忘れてなどいなかった。

 

 その「いつか」が、今、訪れようとしている。

 

「実はさ、僕、あの子と逃避行しようとしたんだ」

「逃避行、」

「うん。まあ詳しくは言えないけれど、あの子を守る為に仕方なく……って感じ」

 

 晶穂は、黙って「うん」と頷いた。

 

「でもさ、学生二人がさ、どこか遠くへ逃げようだなんて甘すぎたんだよね。逃げるのにも、お金が必要だしさ」

 

 晶穂の無言。

 

「で、最後には、僕がへばっちゃって――あの子とケンカして……色々あって、あの子のお兄さんが保護してくれた」

 

 お兄さん。

 ラーメン店の喧騒の中で、晶穂ははっきりと聞こえた。

 

「……喧嘩別れ、したの?」

「いや、謝ったよ」

 

 もう辛くないよ。そんな風に、浅羽は言ってのける。

 

「ちゃんと、好きって告白した。あの子も、僕に応えてくれた。……それきりだよ、事情は『察して』」

 

 どこで告白したのか、なんで会えなくなったのか、浅羽は一切口にしてはくれなかった。

 たぶん、真実を耳にしてしまった時点で、自分も日常を歩めなくなるからだろう。「あの子」は園原基地の出身であって、本来なら自分達一般人と深く関わってはいけない、「別世界」の人間なのだ。

 ラーメン店を見渡す。知らぬ存じぬとばかりに、園原基地の軍人たちが失恋話に花を咲かせている。

 

 詳しい事は、絶対に問わない。怖いから。

 ――けれど、

 

「……そっか」

 

 もう十分だった。あの子が、普通の女の子だったことを知れたから。

 満足していた。須藤晶穂に、勝ち目なんてなかった事を知れたから。

 

「もう二年も過ぎちゃったけれど、僕は未だに不満タラタラなんだ。もっと力があったら、自信があったら、守れたらって……今でも思ってる」

「……だから」

「そう。剣道部に入って、オトコになろうとしてるってわけ。将来は警察官にでもなろうかなって、割と本気で思ってるよ」

 

 きっと、本気で言っているのだと思う。寂しそうに笑い、語るからこそ、そう信じられる。

 ほんとう、格好良い男になってしまった。今の浅羽に告白されようものなら、自分なんてコロッと落ちてしまうだろう。

 

 テレビから、『先日、ホームレスの男が通行人に暴行を加え、現行犯逮捕されました』とニュースキャスターが語る。次に、警察に連行されるホームレスの顔が映し出された。

 浅羽がちらりとテレビを見る、「あ」と声が漏れたのを聞き逃さない。そのまま「ふん」と鼻息をついて、ふたたび晶穂と目が合う。

 

「僕、この町のことが好きだからさ。だからせめて、ここの日常だけでも、守ろうって思ってる」

「……いいんじゃない」

「後は、あれだね。こういうことを続けていたら、奇跡でも起こってまた会えるんじゃないかなって。何だかオカルトじみた発想だけれど、『元部員』だし、いいでしょ?」

 

 園原電波新聞の部員だった浅羽直之は、もういなくなってしまった。今ここにいるのは、ヒーローになろうとしている、浅羽直之という男だ。

 認めよう。晶穂は、首を縦に振るう。

 

『――次のほのぼのニュースです。縮小作業が続けられている園原基地ですが、基地内にタヌキが忍び込んだ模様です』

 

 晶穂が、「へえ」と呟く。浅羽は、「あのタヌキ、もしかして」と苦笑する。知り合いか何かか。軍人たちが、「え、そんなことあったのか?」とテレビを見た。

 

 基地は、もうじき縮小されようとしている。米軍も、あと一年もすれば、園原市から撤退する予定だ。

 ――二年前に、来るはずの「戦争」が終わりを告げたからだ。園原市の住民が「戦争は来るのかしら」と口ずさんでいる間に、いつの間にやら全てが終結していた。

 テレビ越しから、戦争終結のニュースを見知った晶穂も、「え、終わったの? そうなんだ」とあっさり思ったものだ。

 

 あと一年もすれば、昔馴染みの園原基地が消える。あの頃の水前寺テーマが、跡形もなくなる。

 寂しいなあ、と思う。けれど、変わっていくものは仕方がない。それは世界だろうと、基地だろうと、浅羽だろうと、自分だろうと、逃れることの無い必然だ。

 

「――ね」

「うん?」

 

 けれど、目の前でしょうゆラーメンをすすっているこの男は、未練をかかえられて「いる」。そうすることは意外と難しい。

 

「あのさ、」

 

 戸が開く。誰だろうと目を向けてみると、アロハシャツを着たサングラスのおじさんに、夏らしいラフな格好をしたショートヘアの姉ちゃん。カップルか何かだろうか。

 その時、「あれ」と思う。どこかで会ったような。

 

「何か用?」

「え! あ、う、うん。変な質問になるけどさ」

「うん」

「その――やっぱり、恋とかする気って、ない?」

「ないね」

 

 ――しょうゆラーメン、お前は? 

 ――んじゃあ私もしょうゆ。

 

「へえ……今のあんたなら、モテそうなんだけどな」

「ああ、告白なら一度されたよ」

「え、マジ?」

「マジ。中込から告白された」

 

 ――今、世間は夏休みだっけ? あーあーおじさん子供になりてえなー。

 ――馬鹿なこと言ってんじゃないの。あんたがいないと、色々メンド臭いことになるでしょ。

 

「中込って、あの中込真紀子!? うっそ、マジ?」

「マジマジ。何か、中込さん好みの男になってたみたいだね」

 

 ――あー、もう一度プールに飛び込みてえなー。

 ――勝手に飛び込めば? 海には縁がある仕事してるでしょ。

 ――いやいや、夏休み終了間近の、学校のプールに飛び込みたいのよ。

 

 あのおっさんと姉さんの声、やけに大きいな。

 だからか、軍人達の失恋話が聞こえない。

 

「そっかそっか、あんたやるじゃん。あの堅物から好かれるなんてねー……あれ? 浅羽?」

 

 浅羽の目が、何処か遠く据わっている。晶穂は根拠もなく、「剣道部の顔だ」と思った。

 

 ――ハア? なにそれ、意味わかんない。

 ――いやいや、これがめちゃくちゃ気持ちいいんだって。おれ、この体験の為なら高校にだって入学しなおすね

 ――ばっかみたい。

 

「……浅羽?」

「あ! いや、ごめん、何でもないよ。……で、中込さんについては、ちゃんと断ったよ」

「ふーん、そっか」

 

 はっきりした。浅羽はほんとうに、未練タラタラのままで今を生きているのだろう。

 その未練の為なら、浅羽は運動にも励むし、恋だってしない。不毛に見えるそれだが、浅羽は未来の事しか考えていないのだと思う。

 

 また、いつか会える。そう信じていなければ、浅羽一人の手で、裏山にでっかいでっかいよかったマークを刻み込めるものか。

 

 ラーメンを食べ、お冷を飲み、いつの間にやら完食する。電光堂のラーメンは中々悪くはない、記事にも書いておこう。

 さて、

 

「じゃ、私はそろそろ帰るわ」

「わかった。晶穂の記事、読むね」

「えー? 恥ずかしいなー」

「なんでだよー」

「なーんとなく」

「ったく……まあいいや」

 

 席から立ち上がって、

 

「晶穂」

「ん?」

「――聞いてくれてありがとう」

「どういたしまして」

 

 まったく、本当に格好良い男になってくれちゃって。

 先にわたしが浅羽と出会ったのに、浅羽と同じ部活動に励んでいたはずなのに、怒ったり笑ったりしたはずなのに、なんで恋心をかっさらわれたんだか。

 すこしむかついてきたので、悪あがきをしてみようと思う。

 

「浅羽?」

「うん?」

 

 無駄だと分かっているから、浅羽の決意は決して揺るがないと分かっているから。だからあえて、口にしてやる。

 

「私がどうして、太陽系電波新聞部に入ったか、知ってる?」

「え? ……そういえば、何でだっけ?」

 

 逃げるように、カウンターへ駆け込む。焦りながら財布の中身を確認して、ひーふーみーと数えて、650円ちょうどを確認して、

 沸いて出てきた恥ずかしさをごまかすために、須藤晶穂は、浅羽めがけピースサインをかまして、

 

「浅羽がいるから」

 

 浅羽が、「へ」と顔を固まらせる。作戦は成功だ。

 店員へ650円を支払い、ごちそうさまでしたと言葉を交わして、じゃねーと店から出ていく。

 

 電光堂から逃げるように、むやみやたらに両足を走らせる。これでも運動は得意な方だが、無計画に全力疾走をかませば息だってすぐ切れる。

 体から、汗が流れる。夏の気温のせいだ。

 心臓が、膨れ上がる。走り回ったせいだ。

 呼吸が、乱れている。心がいたいせいだ。

 

 見上げる。

 

 両目から、涙が落ちる。恋が、できたからだ。

 

 ↓

 

 電光堂で耳にした、「プールの体験談」とやらは、きっと自分へ向けられたものなのだと思う。

 むしろ、そうでなければまるきりおかしいのだ。親の顔よりよく覚えているグラサンのおっさんが、親の顔よりよく覚えている姉ちゃんに対して、これ見よがしに「夏休み終了前の、学校のプールに飛び込むって最高だぜ」なんて語られようものなら、浅羽直之としては「餌」に釣られるしかないじゃないか。

 

 だから浅羽は、夜の高校へ忍び込んでやろうと決めた。

 模範生徒として今を生きていた剣道部員浅羽は、悪ガキになってやろうと誓った。

 

 正直ビビってはいるが、宿題は済ませたし、剣道の練習には日々励んでいるし、成績も中の上だし、園原高校の生徒だし、ちょっと忍び込んだところでバチは当たらないだろう。

 そう思い込むことにして、浅羽は難なくプールの更衣室へ足を踏み入れた。真っ暗闇なので、ペンライトを駆使して水着一丁になる。

 懐かしいなあ、このシチュエーション。

 感慨深く、本当にほんとうにそう思う。

 緊張する。

 深呼吸する。

 二年前の夏が、頭の中で流れる。

 楽しかったことを思い出して、口元が曲がる。

 辛かったことを思い起こして、ため息が漏れる。

 あの子を見捨ててしまった事に、歯を食いしばる。

 あの子が、「仲間たち」の空へ旅立ったあの場面が、浅羽の両目にいま映る。

 

 どうしようもなかったけれど、どれもこれも大切な過去の思い出だ。

 だから、竹刀を握るように両こぶしをつくる。僕はかつて、あの子の為に世界だって滅ぼすと決めた。魔王になると誓った。

 

 ――僕は今度こそ、あの子の力になるんだ。

 

 両肩で、ひと息つく。

 暗がりの更衣室には、人気も幽霊もいない。ペンライトを消して、落ち着いた暗がりの中で「よし」と小さく呟く。

 更衣室のドアを、音もなくそっと開ける。笑わずに、恐れもせずに、試合中の顔をしてみせる。冷たいコンクリートの足場を、一歩一歩踏みしめていって、

 

 水色が泳ぐプールサイドに、一人の女の子が腰かけていた。

 

 ――含み笑いがこぼれそうになる、感情が大爆発を起こしかける。心の中で、「またあの人にやられた」と愚痴る。

 まあいい。

 些細な恨み言よりも、でかい喜びに身を任せた方が、ましに生きられるから。だから、

 

「――ねえ」

 

 スクール水着を着て、帽子まで被った女の子が、はっと浅羽に目を向ける。

 ――覚えてくれているかな、僕のこと。

 目の前にいる女の子は、世界の事情にずっと振り回されっぱなしでいた。まだ子供なのに、戦争だの破壊だの戦闘機だのと、シリアスど真ん中に突っ込まされていた。

 仲間を失って、体をいじくり回されて、希望を見失って、記憶があやふやになって、恋愛感情すらも仕組まれて、それでも「僕の為に戦う」と言ってくれた、あの子のことを、僕は今度こそ救いたかった。

 大人が出てきたら、口答えしてやればいい。実力行使に及んで来たら、竹刀という魔王の剣を振るえばいい。

 少なくとも、そう思えるバカさは、今の僕にはある。

 もう、見捨てない。

 

「……あの」

 

 そっと、近づく。

 今更ながら、プールに照明が当てられていることに気づく。軽く舌打ちして、「ほんとあの人は」と苦笑するしかないのだった。

 

「……あ」

 

 あの子の、会いたかった人の声。

 

「やあ、こんばんは。僕のこと、覚えてる?」

 

 あの子がそっと立ち上がり、軽やかに足音を立てながらで浅羽に近づいてくる。コケないかな大丈夫かなと思った矢先、あの子は転倒しかかって、

 

「っと!」

 

 浅羽の体が反応し、ようやく、ようやく、その子を抱き留めることが出来た。

 生きている。

 体温が感じられる、胸が当たっている、浅羽の腕が掴まれている、あの子の呼吸が伝わってくる。間違いなく、僕の前に、あの子がいる。

 

「――浅羽」

「――おかえりなさい」

 

 冷静に、言えたはずだった。

 

「世界を救ってくれて、ありがとう」

「浅羽も、会いにきてくれてありがとう」

「今度こそ僕は、君の力になる。その為に、剣道を始めたんだ」

「どおりで、すごい体」

 

 冷静に、やりとりをしているはずだった。

 

「……今まで、何処に?」

「どこなんだろう。島、だったかな。とにかく榎本が、ブラックマンタが、助けてくれた」

「そうなんだ」

「それで榎本が、色々やって、わたしを『ただの』日本人にしてくれた」

 

 この世には、敵わない人がいるんだなあ。

 ――冷静に、そう思っていたはずだった。

 

「ということは」

「うん。浅羽とずっと、一緒にいる」

「よかった。僕も、ずっと君のことを、」

 

 そっと、距離を離す。あの子の目が、髪が、体が、声が、命が――「何もない」手首を見て、浅羽は、

 

「――伊里野」

 

 ひとときの間、

 

「はなさない! 絶対にはなさない! 伊里野といっしょに戦う! 伊里野といっしょに幸せになりたい!!」

 

 涙が止まらなくなった、声が溢れ出てきた。

 ――どうしようもない世界の流れこそが正義ならば。僕は、暴君たる悪になろう。

 今なら、そうやって覚悟を決められる。だって僕は、夜中のプールに忍び込める悪ガキなのだから。

 

「浅羽」

「うん」

「なかないで」

 

 ああ、そうだ。

 目を拭い、大袈裟に息を漏らす。ちらりと伊里野のことを見て、伊里野はにこりと口元を曲げて、言う。

 

「ねえ」

「うん?」

 

「――泳ぎ方、教えて?」

 

 そんなことを言う伊里野に、浅羽は子供のように笑ってしまう。

 ここから、恋が、ぜんぶが始まったんだっけ。

 

「分かった、いいよ」

 

 ビート板を手にとろうとしたが、ふと、思いとどまる。

 伊里野の手を、掴み取ってやればいい。そうすることで、伊里野の気持ちが直に伝わるだろうから。伊里野がここにいるという実感を、間違いなく感じ取れるだろうから。

 

「じゃ、やろうか」

 

 伊里野は、「うん」と頷いてくれた。

 

 ↓

 

 夏休み明けの初日から、園原高校はちょっとした騒ぎに飲まれていた。

 クラスメート曰く、「C組に、超めんこい転校生が来たらしいぜ!」とのことらしい。最初こそ「ふーん」と頬杖をつく晶穂だったが、まずは「夏休み初日?」と呟いて、「可愛い転校生?」と唸って、本能が理性が「まさか」を連呼する。

 両足を奮い立たせ、悟られないようC組まで早歩きする。途中で男女のグループと正面衝突しそうになったが、気圧されたのだろう、どいてくれた。

 廊下に出る。C組の前には大多数の男どもが、少数の女子が、「あの子?」「可愛いじゃない」「ちょっと待て、あの子どこかで」「あ、あ! 中学の頃!」「なんか親しげに話してるヤローがいるぞ」などと感想を言い合っている。その中には「付き合っちゃおうかな」とかほざく男もいたが、残念ながら、その願望が叶えられることは無い。彼には強く生きて欲しい。

 

 ――さて。

 晶穂は、我がクラスであるかのように、C組へ堂々と足を踏み入れる。C組のクラスメートが「誰だ?」と晶穂へ注目する中、浅羽と「会いたかったあの子」が、「あ」と晶穂に気付いて、

 席から立ち、真っ先に動いたのは、

 

「あきほ!」

 

 どこかたどたどしくて、子供っぽくて、けれども確かに、私の名前を呼んでくれた。

 伊里野加奈が、晶穂のことを強く抱きしめる。強い驚愕に寿命が縮みそうになって、沸いてくる歓喜に血液が熱くなっていって、伊里野がここにいるという事実に笑いが出そうになったから、だから晶穂も伊里野を抱きしめ返す。

 C組が、廊下から、「きゃー」だの「おおー!」だのと大声が響き渡る。うるさくてやかましいが、今の晶穂からすれば歓声にも聞こえる。それくらい、今はめちゃくちゃ機嫌が良い。

 

「――伊里野、おかえりなさい」

「うん。ただいま、晶穂」

 

 髪を撫でる。嫉妬してしまうくらいの繊細な柔らかさが、晶穂の指から伝わってくる。

 

 まったく、まったく、可愛い子だ。これじゃあ、浅羽がホレてもしょうがないか。

 だから今度は、絶対に手放すんじゃないわよ。ちゃんと、幸せにしてあげなさいよ。

 

 

 ――伊里野の夏が、始まろうとしている。

 




ここまで読んでくださり、本当にありがとうございました。

リアルタイムの青春を、自分なりに終わらせられたと思います。
なるだけ設定を間違えないように書いたのですが、ご指摘、ご感想があれば、お気軽に書いてください。

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