サトシ「幕末以降の日本史もわかんねえ!」【解説】 作:ぽかんむ
カキ「今回は政治に戻るぞ」
サトシ「前回は......日米和親条約とかのところだったっけ?」
マオ「そうだよ。そのあとに将軍継嗣問題......つまり次の将軍を誰にするかという議論が起きたの」
スイレン「このときの候補は二人! 一橋慶喜と徳川慶福」
マーマネ「結局は井伊直弼の独裁で将軍は慶喜に。第十四代徳川将軍・徳川家茂となったよ。ついでにこの頃井伊直弼は大老になったんだ」
リーリエ「そのあとに直弼は天皇の勅許を得ずに安政の五か国条約を結んだのです。前回言い忘れたのですがこのときに堀田正睦は追放されてします」
スイレン「そのあとに直弼はかの有名な安政の大獄を行い、一橋派を弾圧。徳川斉彬・梅田雲浜・頼三樹三郎・橋本左内 等を処罰した」
マーマネ「慶喜もこのときに謹慎させられてしまったよ」
カキ「それから幕府の政治を批判した吉田松陰も処刑された。彼は長州で松下村塾を開いて、桂小五郎・高杉晋作・伊藤博文・久坂玄瑞など後々攘夷志士と呼ばれるようになる人材の育成に努めていた」
マオ「だけどそんなことしたらヘイトを集めるのは当然。1860年に彼は水戸藩脱藩者17名と薩摩藩士1名によって殺されたの。これが桜田門外の変よ」
サトシ「確かに水戸藩は南紀派って言ってたけど、水戸藩は徳川御三家の一角なのにどうして?」
リーリエ「それなのですが、水戸藩は"昔この国は天皇が修めていた。だからそれが望ましい"と言っていたんです」
マオ「確か歴史書も作っていたのよね」
スイレン「次に公武合体策についてだよ。その前にこれが作られるようになった背景を説明するよ」
カキ「この頃には尊皇攘夷論という思想が広まった」
リーリエ「これは尊皇論と外国人反対の攘夷論が幕藩体制の動揺と外国の圧力によりくっついたものです」
マーマネ「その結果生まれたのがこれってこと。幕府を非難するもので、長州が中心となって活動したよ」
マオ「これは要するに天皇を守るために幕府を倒すという建前の上に成り立っているわけ。そこで幕府はこう考えた」
安藤信正「あれ? 俺たち(幕府と朝廷)が組めば俺たち批判=朝廷批判になるやん! そしたらあいつら大義名分なくすじゃん!」
孝明天皇「いいね! 朕も幕府大好きだしやろうぜ」
スイレン「もちろん実際に↑のような話し合いがあったわけではないよ。あくまでイメージ」
カキ「そしてこれを実現するために、老中・安藤信正(直弼の後任)は公武合体を成立させるために和宮(孝明天皇の妹)と徳川家茂を結婚させようとした」
マーマネ「だけど1862年の坂下門外の変で安藤は失脚」
スイレン「そのあとに薩摩藩主の島津久光は松平慶永を政治総裁職に、松平容保を京都守護職にするなどの幕政改革を行った(文久の改革)」
マオ「長州藩は幕府に圧力をかけて攘夷の決行を宣言させたの」
リーリエ「こうして長州藩は下関海峡を通る外国の商船を大砲で砲撃して攘夷を始めてしまいました」
カキ「だけど時勢が公武合体に傾くと長州藩は厳しくなり、1863年の八月十八日の政変で急進派の公家もろとも京から追放されてしまった」
リーリエ「同じ頃に大和では天誅組の変が、但馬では生野の変が、水戸では天狗党の変が起こりました。いずれも尊皇攘夷派です」
マーマネ「翌年、再起を賭けた禁門(蛤御門)の変でも長州は敗北してしまった。これにより久坂玄瑞・来島又兵衛などが戦死してしまったんだ」
スイレン「禁門の変の責任追求として第一次長州征伐が。朝敵となった長州を幕軍が攻撃」
マオ「更に長州は下関海峡の砲撃の仕返しを受けてしまう。これが四国艦隊下関砲撃事件だよ」
カキ「こうして長州は攘夷が無謀なことだと悟った」
スイレン「一方薩摩藩でも、イギリス人を薩摩藩志が殺した事件─生麦事件─の報復を受けてしまっているよ(薩英戦争)」
サトシ「外国強すぎるだろ......」
マーマネ「まあねえ。それで外国の力を思いしった両藩は討幕に考えを切り替えるのだけど......」
カキ「薩摩と長州は犬猿の仲だった。とは言うのも薩摩藩はこの頃は幕軍だったからな......」
スイレン「だけど討幕を成し遂げるにはこの二藩の連携が欠かせないと考えたある男が尽力するの」
サトシ「ある男?」
マオ「坂本龍馬よ!」
リーリエ「あと中岡慎太郎もですね。彼も龍馬と同じくらい活躍していると思うんですが、いかんせん地味ですよね。二人とも土佐藩出身です」
マオ「だって龍馬の方が名前からして格好いいじゃん」
カキ「そして彼らのお陰で1866年に薩長同盟が結ばれたぞ!」
マーマネ「ただこの同盟は密約だから、幕府は今まで通り薩摩藩を頼り続けるよ」
ありがとうございました