伽藍洞の比翼 作:窓色未草
「あなたはきっと誰よりも強くなれる」
「あなたは誰よりも弱い」
青い光が揺らめいて、どこからか不明瞭な声が響いている。
「あなたはきっと世界をも従えるでしょう」
「あなたは私の手の平からは逃れられないでしょう」
俺はその声の主を探そうと身を返そうとするが、体はどうにも一向に動く様子がない。
「あなたならば、きっとすべてを知ることができるでしょう」
「あなたはあなたではないから、いつか私になるでしょう」
どういうことかと視線を下ろしてみれば体が透けていた。確かにそこにあるのはわかるが、人型かどうかも怪しい不定形の空間で青い光の揺らめきがずれている。
「あなたは私」
「私はあなた」
そして一拍遅れて声の聞こえてくる方角も全くわからず、その空間そのものが轟いているように感じる。そしてその声の余韻を食らいあって不明瞭さは増していく。
「だからあなたは私にすべてを捧げなさい」
「だからこそあなたは何も変えることができないでしょう」
その言葉を機に体と思われる空間のズレが真っ二つに引き裂かれた。痛みは一切ない。そのまま俺の体は、視点すらも裂かれたままどこかに落ちて——
——何かが落ちてきたような衝撃が走って体が跳ねる。身が縮こまるように瞬発する。
閉じていた目を開き、身を起こす。辺りを見回せば、見覚えのある風景が目に入る。小さな机と椅子、寝具に小さな鏡、部屋の隅に置いてあるなどは俺たちが使い古した鞄だ。横を見ればアメリアが眠っているのが見えた。
ベッドから足を下ろし、靴紐を結ぶ。枕の下に置いて置いた短剣を取り出す。危険を感じたわけではない。ただの習慣。用心が過ぎるよりも、足りないことのほうが圧倒的に多く、用心が過ぎて困ることも多くない。それに、戦場では一度のミスが原因で命を落とすことは決して珍しくはない。つまりは、用心に越したことはないということだ。
短剣の鞘を始めとした道具を腰のベルトに括りつける。身に着けている服は戦闘用に作られているが、軽装であることもあり、常用できる。大事にされた道具には魂が宿るという言葉がある。
それは丁寧に扱い、欠かすことなく身に着けた物品は生者の霊気に影響を受け、《《化ける》》のだ。妖精や付喪神など、総じて精霊と呼ばれるもの。精霊の宿る物品は強い魔法の力を持ち、こちらの指示を受けずとも行動してくれるだろう。そこまでいたらなくとも、異能の力はより強く作用するようになるし、物理的に振るうにしても、長く触れることによって重心、傷、摩擦などの理解が深まり、僅かにだが効率的に扱えるようになる。
辺りの気配を探り、周囲に人の気配もなく視線も感じないことを確認すると、靴とズボンに仕込んでおいた予備の物を含め財布から金が抜かれていないか確認する。よく使う普段使いの財布はアメリアと分けて保管しているが、こういった予備の金は確認しないものだ。確認する回数が多いほどそれがばれる可能性は増えるのだから。無論隠し金は動作の邪魔にならないように仕込んでいる。
そうやって点検を行っているとアメリアが起きた。呼吸の乱れから目が覚めていることがわかるが、動きはない。そのまま数十秒黙ったまま作業を続ける。すると彼女の目が薄く開き、目だけで辺りを見回した。俺はその様子を視界の隅に捉えたまま、簡単なハンドサインを行う。作業が不自然にならないように仕込んだサインの意味は単純だ。"問題なし"。いつもの儀式のようなものだ。
アメリアはいつも眠ることに恐怖を感じている。長い間無防備に体を晒していることが恐ろしいらしい。彼女の母親が亡くなってからは特にその傾向が強く、人の気配にも敏感になった。わざと小さく音を立てながら作業すると彼女はすぐに目を覚ます。だから俺は彼女わ少しでも安心させたいからこの儀式を毎朝繰り返す。自分とそう変わらない彼女が自分を頼りにしていると思うとこの時間が堪らなく愛おしく思えるのだ。
アメリアは辺りを確認した後、こちらを見ていたが、そのサインを見ると上体を起こした。
「おはよう、ヒース」
「おはよう、リア」
いつもと同じ挨拶を繰り返す。そうして微笑みが垣間見えるとこちらもうれしくなって思わず小さく声に出して笑ってしまう。
この声を聴くといつも思うのだ。俺は自分の名前があまり好きではない。ヒースコートってなんだよ、それは家名じゃないのか?オノエラとかまるで女みたいな家名だな、とか思うのだ。
だからいつもヒースと呼んで欲しいと言うのだが、いつも皆に呼ばれているからか、あまり特別なものなのだと思えない。せっかく二人だけの時間なのだから特別な呼び方で名前を呼んで欲しいと思うのだ。いつも彼女はヒースコートと俺を呼ぶから、特別と言えば特別なのだが物足りないとも思うのだ。
「……昔のようにひーちゃんとか呼んでくれないかな」
「……昔のことを蒸し返さないでくれる?いつまで過ぎたものばかりを見ないで」
口を突いて出てしまった言葉は取返しが付かないものだ。失言をしたと思ったけれども彼女は微かに視線を下ろしているものの、不快感で歪んではいない。頬は紅潮しているものの、それは怒りによるものでは無く、むしろ羞恥心によるものに思えた。一見いつものように澄ました表情をしているように見えるが、その口端は浅く開き、視線の揺らぎもいつもより大きい。
もしや過ぎたものを見るなとはそういうことなのだろうか。いつも彼女は素直じゃない。本心を隠そうとして、それを隠しきれていない。そんな姿がまたいじらしく愛おしい。それでも、内心を正確に推し量るのは難しいのだが。
「そうだなぁ。確かにリアは日に日に美しくなってるからね。今ここにいるリアを見ないと勿体無いね」
「……ばかね」
リアはその可愛らしい唇を、何か言いたげに何度か開閉した
そんな姿もまた愛おしく、笑みが溢れて止まらない。
「さて、こんなものかな」
会話と平行して進めていた道具点検も粗方終わった。
「リア、きみから見ても問題ない?」
まだ頬の赤みが抜けきっていないリアに訪ねる。リアの視界にずらせば簡易点検はできるのだが、どうしても本職には敵わない。
リアは無言で此方の服を眺めた。俺の衣服や剣には彼女の手に依って様々な述を掛けられている。それは多岐に渡り、塵や風邪、日光や外気温、ただの雨から返り血まで弾くような加工や、ただ単に頑丈かつ遮断性を高めることで防御性を高めるなど幅広い効果があるが、それだけに述式と言えるものはとても複雑で、目に見える寸断レベルでないと区別できない。
「服は大丈夫そうね」
リアは此方の身に付けている服を回りながら観察し、予備の服も寝具の上に広げてから、そう結論した。
「剣も見るわ。見せてくれる?」
リアの言葉に応えるように剣を鞘から引き抜いた。
此方も刃の歪みや傷など、目に見える段階では既に点検を終えている。俺は純粋な剣士ではないが、剣の無い時の恐怖は散々叩き込まれている。だから、使用後は当たり前だが、使用しておらずとも毎夜点検している。
昨夜軽く点検したときと同じく不備は見て取れなかった。
「……」
リアはふと刀身に手を伸ばすとその腹を何らかの紋様描くようになぞり始めた。視界をリアのものに合わせてずらしその行程を確認する。すると剣は濃淡が入り交じる淡い光を放っていて、それに内包された何かを見て取ることは出来なかったが、指に合わせて微かに濃淡の紋様が蠢いていくのが辛うじて解った。
「ちょっと積み重ねた経験と述式がずれてたわ。
もう合わせておいたから、阻害されることは無いと思うわ」
そう呟いたリアの言葉に、万感の意を込めて感謝の言葉を紡いだ。
「ありがとう、リア。剣がずれてたなら短剣のほうはどうなのかな?」
「剣に比べてヒースの活性状態にある霊気に触れる機会が少ないから成長も遅いみたい。まだ調整までもう少し掛かりそうね」
「んー。やっぱり駄目か。
「無理ね。短剣は武器じゃなくて道具だから。下手に述を込めると使える範囲が狭まるわ」
「なら仕方ないか。それじゃあ、盾も頼むよ」
「任せて」
相違って彼女は差し出された盾を受け取った。正直盾は余り好きではない。十全に扱えた試しが無いし、両手で剣を握り締めたほうが動きやすいと感じる。
それでも盾が一つあるだけで大きく負担が違う。多少の負傷は突っ切れるし、対衝撃防御能力においては鎧をも上回るうえ、素材も多く消費しないために、値段も安く、質が高い物のが手に入りやすい。
俺が使う盾は丸盾で、胴体を隠せる程度の大きさでとても一般的な形式のものだ。一般的であるということは習熟しやすく、取り回しが良いということ。上位となれば話しはまた変わるのだろうが、俺にはもて余すだろう。戦闘の|形≪スタイル》を考えてもこれが良いと思う。
「盾も問題ないわ」
「ありがとう。……リア、俺は先に表に出てくるよ」
「行ってらっしゃい。私も直ぐに行くわ」
剣を手に取り、背中に固定する。昨日は人々を無駄に刺激しないように布を巻いていたが、今日はそう長く使わない。それに昨日の内に許可も貰っていたから、気負もなく外に出せる。
そうして俺は表に出た。
「あら、貴方がヒースコート君?」
庭に出ようと宿の中を歩いていると、受付の位置にエイミーではない女性がいた。
「……そうだが、あなたは?」
最低限の警戒をもって会話をする。
「私はビオラ・ラークスパー。エイミーの母親をやっているの」
「……もしかして貴方が元冒険者の」
「そうね。確かに私は昔冒険者をしていたわね……」
彼女は小さく吐息した。
「これから鍛練?まだ早くないかしら……。試験は明日なのでしょう。余り根を詰めると体を壊すわよ……?」
「問題ない。軽く流すだけだ。……少し二人で観光したいから、早めに時間を取っただけだ」
「まだ朝ごはんも食べていないんでしょう……?せめてご飯ぐらいは食べてからにしなさいな。安くしておくわよ?」
確かにこの宿でもパンぐらいは売っていると聞いていた。しかしまだ日が昇ってから一時間すら経っていないのだ。それならば居ないほうが普通だ。ここは故郷のような田舎ではないのだ。まだ起きていない人も大勢いるだろう。身支度をする時間も考えれば尚更だ。
「……部屋にアメリアを残してる。彼女の分も頼む」
腰に着けた財布からいくらか貨幣を取り出し、パンとジャムを受け取る。その際に少し質問をしてみることにした。
「ビオラさん。なんでこんな朝早くからなぜ起きてたんだ?」
「あら?此処がどこだか忘れていないかしら……。ここは冒険者も数多く泊まる宿。なら色んな生活習慣をもつ人が集まるもの。冒険者って戦える旅人みたいなものだから……」
それを聞いて疑問が溶けた。よく考えれば彼女は元冒険者なのだ。ならば、俺たちのような辺境出身でも可笑しくないし、そんな人と知り合いの可能性も非常に大きいものだ。それに、旅するものの朝も早いし、聞くまでもないことだった。
「パン、ありがとう」
そう告げて振り返る。そしてパンを二つとジャムをもってアメリアの元へ帰った。
「リア、入るよ」
一声かけて一拍待つ。否定の言葉が返ってこないのを確認して扉を開ける。
「随分早かったわね。どうしたの」
「もう起きてる人がいてね。パンを貰ってきたんだ。」
後ろでに扉を閉めて答える。どうやら遮音性も高いらしく、昨日も人の声も聞こえてこなかった。敷物も敷いてあるため、足音も聞こえない。管理や防犯の関係から敷物のない宿は多く、今まで旅の合間に止めてもらった宿ではどこも敷いている所はなかった。
「こんな時間に?誰だったの?」
「元冒険者の人だった。昨日聞いた人みたいだね」
リアは手に持っていた杖を
「それじゃあ頂こうか。」
「いただきます」
手短に食事の挨拶を済ませ、パンをちぎり、ジャムを塗り口に運ぶ。狐色の焼き目をした生地が赤い光沢に彩られていく。果物から作られたジャムは程よい甘さと酸味をパンに与えてくれる。よくあるしっかりとした固い生地ではなく、非常に柔らかく食べやすいパンに非常によくあう。それでいて食感を演出するために表面は固く焼き上げられているが、浅く切れ込みが入れてあるため、ちぎりやすくなっている。
「今日もまた夢を見たよ」
「そう」
ジャムを小さくちぎり取ったパンに塗りながら話す。
俺は眠るたびに不可解な夢を見る。それだけならありふれた話なのだが、少しだけ不思議なことがある。その夢はいつも鮮明に覚えていられるのだが、時折現実でも夢に出て来た見知らぬ人に会ったり、夢で出て来た道を実際に通ったりすることがあるのだ。もちろん、毎回現実の物となるわけではないし、役に立つわけではない。むしろ余計な先入観に捕らわれて失敗することもある。
けれど毎回変わっていく夢を鮮明に覚えていられるということは、会話の種ぐらいにはなる。
「どんな夢だったの?」
「青い光の中でただどこからともなく声が響いてくる夢だった。
なぜか体も見えないし、ずっと聞き流してたら体を真っ二つにされてどっかに落ちて行って目が覚めた」
「……相変わらず取り止めのない夢ね。
その声はなにを言ってたの?」
「お前は強くなれるけど、誰よりも弱い。あらゆることを知れるけど、私の手の平から逃げられないし、何もできない。あなたは私なんだから私に全部捧げなさい。こんな感じ」
「本当に意味不明ね……。」
そう呟いたリアの顔はこちらを見ているけど、理解できないことを聞いたと言わんばかりに眉をひそめている。
「まあ、所詮夢だしな……」
「そうね……」
この微妙な雰囲気になることも日常茶飯事だが、だからといって習慣を崩すのもどうかと思うのだ。それに同じ感情を抱いているとすれば、これも悪くない沈黙だとも思っている。
「今日はどうする?」
「そうだな……。鍛錬は明日に疲れを残さないように軽く流して、しばらく拠点にするんだから少し町を歩いてみよう」
「そう……」
再び訪れた沈黙の余韻に浸るように水筒から水を飲む。そしてそのまま二人で黙ったままパンを頬張り続けた。
宿の裏手の庭。小さな広場になっている其処には炭にいくらかの的が用意された其処でヒースコートとアメリアはそれぞれの得物振るっている。ヒースコートは剣を両手で握り、アメリアは弓を射っている。
ヒースコートは緩い動きで剣を構え振り、動きの終点ではしばし静止することを何度も繰り返した。上下左右斜め突きの計九種を型に従ったまま振るう。それは実戦で扱うようなものではないが、相手がいないときはいつもこのようにしている。実践では当てれば傷を与えることが出来るためどうしても剣筋が乱雑になりがちだ。それを補正するためにも基本形を崩さずに丁寧に鍛錬する。時間があれば架空の敵を乱取りするの型もあるが、明日のために控える。
刃は触れるだけで相手を傷つけるが、それだけでは剣術とは言わない。剣を振るう際には切れる振り方というものがある。それは刃の角度や触れた際の動き、相手の受け方や頑強性など多岐に渡る要素によって変わるがその中の一つに剣に重みを乗せるという技術がある。
それは単純に言えば拳で握り相手を殴りつける際に打点を合わせる技術と近いものだ。刃がぶれない様に握りしめ、弾き飛ばされないように手首を柔らかく持つ。そうして相手にぶつかるときに刃を押し付けるように斬り、胴体に納めていた体重や肉体の連動を刃に乗せる。相手を拳で打つとき、すぐに返す時よりも当てた瞬間に停止させたときや、振りぬいたときのほうが強く相手を打ち抜くことが出来る。これは所詮決めの一振り、すなわち必殺の意を込めた一太刀だ。今回はその太刀を何度も繰り返して修練した。
必殺の意を込めれば隙が多く生まれる。それを少しでも削り取るために何度も繰り返す。隙とは動きが止まること。体重を込めた一撃を振るえば足が止まる。最大効率をもって斬るためには体の末端から力を順々に伝えていく必要がある。そうして伝えたあとは力を失い動かすことが出来なくなる。もしその一太刀で仕留めきれねば、他者の介入があれば自分の隙を晒すことになる。それゆえ連動を早く、早く、刹那を越え雲耀の太刀へ至れと隙を削るのだ。
隙とは動きの停滞。体の一部が動きを失い、遅れる故に生まれるもの。つまり隙を殺せば隙を生む時間も少なくなり、威力も増すのだ。
一方アメリアは術も使うが、町の中ではあまり大規模な物はできない。だから矢を射るごとに矢に術をかけて制御を練習している。半分は純粋な弓の鍛錬として術を用いず、半分は実戦に近い形として用いている。そしてアメリアの背後には杖が浮遊しており、アメリアが移動するごとに追尾してゆるゆると付いて回っている。
初めは立ち止ったまま射っていたが、徐々に歩きながら、矢を同時に数本持って連続でいるなど徐々に難易度を挙げている。何度か事に矢を回収して繰り返していたが、最終的には
風を読み、脈の流れや呼吸による体の動きすらも読むことを目指し、集中する。弓や弦のしなりによって生まれるブレをも予測し、肉に染み付いたその動きを止めることなく繰り返す。
そうして二人は鍛錬を終えて、部屋に荷物を預け、身支度を整え町にでた。
この後、二人は昼頃まで散策しどこかで食事をとった後、公園で日が傾くまでのんびりしていたことでしょう。
ただ、ネタと技量が足りないので省略します。