話し合った次の日のことである。
政府広報担当官たちに対してアドリアン・ルビンスキーは次の自治領主に就任すればフェザーンをどう運営するか、その政策綱領を打ち出した。
これは気軽な談話の中で出たという体裁を取ったものだが、もちろんお膳立てはルビンスキーの方だ。
驚くべきはその内容である。
それはフェザーン自治領内での帝国籍艦艇の航路制限、通貨レートの一元化と変動相場への移行、それに付随しての取引市場の設立、帝国と独立した政策金利、そして同盟との貿易禁止物資品目の大幅な緩和など多岐に渡っている。
更なるフェザーン発展の基礎になるものと言えば聞こえはいい。
しかしこれは危険な一面を持っている!
帝国からの離脱と自主独立を鮮明にしたものだからだ。
今までそれをしてこなかったのはフェザーンの帝国からの独立志向が一線を超えないよう配慮していたからなのだが、それを踏み越えようとしている。
これはたちまちフェザーン内の民衆に大きな反響を呼び起こした。
全体としては歓迎されたといっていい。
商人たちにとっては今まで以上にやりやすくなるのだ。
帝国の側が勝手に商売をするのを抑え、フェザーンがいっそう金融センターとして発展する。貿易も拡大し更に富を持ち込むだろう。これまで以上にきらびやかな未来が見える。
しかし、もちろん反対論者も出る。
帝国から距離を置くなどとんでもない。そんなことをすればかえって帝国から本気で疎外されるかもしれず、もちろんそうなれば経済的に計り知れない打撃になる。
帝国には大人しく従えばいいのだ。目先の繁栄に浮かれて宿り木が宿主に逆らってはならない。
更に悪いシナリオもある。
帝国当局の怒りを呼び、もしも、苦労して築き上げた自治権を奪われることにでもなれば取り返しがつかない。帝国の持つ実力を使われたら話にならないのだ。
現状維持とそこそこの繁栄がフェザーンの限度であり、分を弁えた方がいい。
実際のところそういう反対論者の声は少数派にとどまる。
多数の民衆は経済的な効果を検証したり、冷静な議論をするよりも感情が先に立ってしまった。
独立というのは民衆の目にはそれほど魅力的なスローガンであり、感情に熱気をもたらすものである。
そこに理屈も何もない。
そうした下地を作った上でルパートがボルテック側に工作を仕掛けた。
ボルテックの周りに限っての噂を流したのだ。それはいかにもこの情勢に合わせた自然なものである。
「フェザーンの独立志向に対して銀河帝国は我慢の限界に達している。政治的な独立志向をはらんだ改革など言語同断であり、フェザーンの思い上がりを帝国はもはや看過しえない。遠からずして帝国自ら手を下し、フェザーンの政体を根本から作り変えることを決定した」
それはフェザーンの悪夢である帝国の実力行使についての噂だった。
ほどなくボルテックの耳にも入る。しかし、ボルテックは何も慌てる様子がない。
もちろん政敵ルビンスキーなどに注進に来ることもない。フェザーンにとってこれ以上なく重大な内容であるにも関わらず。
「やはりボルテックの奴は動かないか」
「お父様、これで決定的になりましたわね。」
「予想が当たっても嬉しくないものだな。もちろん外れてもいっそう嬉しくないが」
またもルビンスキー家は三人で密談をしている。
「ルパート、本当に動きはないんだな?」
「ええ、そうです。普通ならそんな恐ろしい噂を聞けば注進に来るか、少なくとも危惧するところでしょうが。ボルテックがこちらに隔意があるのは明らか、いえそれ以上にフェザーン全体のことを考えていないのかと」
「残念なことだわ。善良だとは思っていないけれど、やっぱり」
「まあいい。ここはフェザーン、個人の正義感より能力と実績が問われる場所だ。さて次の仕掛けも頼むぞ、ルパート」
「それも任せて下さい。うまく乗せてやるだけの話ですから」
ボルテックはルパート・ケッセルリンクがふいに訪問してきたことに驚きもしなかった。
それは完全に予想していたことだ。
ボルテックにはボルテックの計算がある。
ルビンスキーは独立志向を鮮明に打ち出した。完全に勇み足だな。自分がまだ自治領主になってもいないのに、大衆に迎合したとは。そして予想外に帝国上層部の反発に驚き、しっかり足元を固めておこうと慌てているのだろう。まあいい。どのみちこちらに損はなく、いったん出方を伺うとするか。
言葉にするとすれば、ボルテックの考えはそういうことになる。
ルパート・ケッセルリンクがボルテックの執務室に入り、対面すると上級補佐官に対する慇懃な挨拶をする。
ボルテックから促したところで本論に入った。
「ボルテック上級補佐官、先ごろからフェザーンで議論されている事項は充分ご存知であると拝察します。自治領主候補であるアドリアン・ルビンスキー氏が談話で発表した政策について様々な反響があるようです。そこでルビンスキー氏より、ボルテック上級補佐官に特別に調整したいことがあるとの旨、お預かりしましたので、本日伺わせてもらいました。」
「ほう、ケッセルリンク補佐官、用向きというのはそういう話なのか。特別の調整とはいったい…… ともあれ談話などで口を滑らせたとはルビンスキー氏らしくもない。その後始末に困るとは。まあ、フェザーンの独立志向などというものは帝国にしっかり根回ししなければ実現できるはずもなく、うかつな言葉で反発を招くのは必然の部類だ」
「全くお言葉通りです」
「それでは初めに伺っておくが、補佐官はフェザーン政府からの立場なのか、ルビンスキー氏個人の使いで来ているのか、はっきりさせてもらいたい」
最初にボルテックは軽い牽制をかけたつもりだ。
そんなことを知っても仕方がないし、どのみち本当のことなど聞けやしない。ルパートがルビンスキーの子だということは周知の事実である。
「それは要件とは関わりがないことと存じ上げます。あえてお答えすれば、どちらにせよフェザーンの利益のためというのは間違いないものです」
「そんなはぐらかした答えに満足するはずもないが、フェザーンの利益のためということであれば、私も大いに願うところだ」
フェザーンの利益、それはルビンスキーにとっては自治領主になることと同義語である。
逆にボルテックにとってはそれを阻害することだがフェザーンの利益とも思っている。
「ではボルテック上級補佐官、重大な問題なので今一度確認します。ルビンスキー氏の主義主張がフェザーンの独立志向と受け止められてしまいました」
「大変に大きな問題だな」
ボルテックは自分がそれに賛成か反対か言わないだけの慎重さはあった。
実のところボルテックでさえ内心は独立に賛成である。やはり、フェザーン人として帝国からの独立は魅力的なのだ。
「困ったことにフェザーンだけの問題ではなく、帝国に過剰な反応を引き起こしているようで、これをルビンスキー氏は憂慮しています」
「そのことは噂でよく耳にしている。フェザーンの独立志向に我慢ならず、帝国がフェザーン介入に前向きだと。実力行使も辞さない勢いだとか」
「補佐官、それはいったいどこから聞いた噂なのでしょうか。大変興味を引かれます」
本当に何食わぬ顔でルパートが言う。
ボルテックもまさかそのルパートが噂を焚きつけた本人だとは思うまい。
「いや、ケッセルリンク補佐官、それを詮索することもない。本当に風の噂というやつだ。はなから信憑性については取るに足りん」
「そう、普通であれば噂など放置するのが一番と存じます。ところが補佐官、この場合はほぼ真実だと分かりました。だからこそルビンスキー氏は憂慮しているのです」
「何と、それはゆゆしきことだな! フェザーンが今日あるのは、先人たちの苦労あって自治領として維持されているおかげだ。それが脅かされるとは、多少の富が手に入ったところでとても割に合わん!」
ボルテックは大げさに驚いてみせた。
ルビンスキーの失態であるからにはそれもまた小気味いい。
「全くその通りです。帝国に介入され、築き上げてきた自治を失うわけにはいきません。そのために私が来ました」
「ほう、そのための話だったのか。話が回りくどいようだが、それを防ぐ何かうまい手があるとでも」
「では率直に申し上げます。それはボルテック上級補佐官、あなたにオーディンへ行って頂きたいのです」
「な、何だと!!」
「フェザーンの高等弁務官としてオーディンへ行き、帝国政府にフェザーンの立場を説明し、帝国がフェザーンに介入しないように抑えて頂きたい。これがルビンスキー氏の要請です」
これにはボルテックも驚く!
言葉通りに受け取っているわけではない。
この困った事態を逆に利用して自分をフェザーンから遠ざけてしまうとは、正にルビンスキーにとっては実に都合がいい話を持って来たものだ。
今、自分がオーディンへ行ってしまえば、官僚たちを糾合した妨害工作もままならない。
遠からずしてルビンスキーは自治領主になってしまうだろう。
そしておまけに帝国によるフェザーン介入も防げれば万々歳というものだ。
まるで敵に塩を送るような真似であり、そんなことはできるわけがない。
「それはとても即答できないことだな。私が弁務官として赴いても力及ばず、帝国の介入が現実にでもなれば、かえって申し訳ないというものだ」
「ボルテック上級補佐官が最も適任だとルビンスキー氏は考えておいでです。その力量を高く評価し、ボルテック上級補佐官にできなければ誰にもできない、とのことです。ちなみにもし引き受けてもらえたら帝国との交渉権を全権一任するとの話まで」
「ふん、ルビンスキー氏にそこまで高く評価してくれたのは光栄だ。話は一応聞いた、すぐに返事などできない、それだけをルビンスキー氏に伝えておいてもらいたい」
話し合いを終えて執務室を退出するルパートは予定通りの感触にほくそ笑む。
あと一押し、そこまで来ている。
帰り道、ルパートはエレベーターまでの廊下を歩いていると何人かとすれ違う。
行政府ビルなのだから知った顔がないとも限らず、見過ごして失礼に当たらないためにもちらちらと視線を投げる。それは自然なことだ。
しかし、見えた者の一人に何か引っ掛かるものを感じてしまった。
その相手は無表情だった。
一瞬だけ視線が合っても何も表情が浮かんでいない。
それがかえって気を引いたのだ。
次回予告 第十話 陰に潜む者