疲れも知らず   作:おゆ

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第百一話  489年 1月 供養

 

 

 この緊急事態、もしもキルヒアイスがブラスターを持っていたならば、正確な射撃で難なくアンスバッハを倒しただろう。

 

 しかし今はそれがない。

 

 アンスバッハへ素手で格闘戦を挑むしか方法はない。そして格闘戦ならキルヒアイスの技量は確かである。迷うことなくアンスバッハへ突き進む。

 

 

 

 ここで目を大きく見開いた者がいる。

 ヒルダだ。

 

 広間に諸提督たちと並んで立っていたのだ。もちろんこのテロに驚くばかりである。

 ただし今の衝撃はそういう意味ではない!

 その目にはアンスバッハの手が映っている。いや、正確には指だ。

 指にはめられている物体、それはヒルダもよく知っている指輪型ブラスターではないか。

 この広間の警備兵は指輪型ブラスターの存在さえ知らず、そのチェックはできなかった。とうてい高級貴族しか買えない希少な超小型ブラスターであり、その小ささにブラスターだとは思いつきさえしなかったからだ。

 

 アンスバッハはハンドキャノンだけではなく、ブラスターも持っている。

 これではキルヒアイスが危ない!

 

「その指輪が! ブラスター!」

 

 ヒルダの慌てた声に一瞬キルヒアイスも動きが鈍る。

 

 ついでヒルダは叫びながら腕を前に差し伸ばす。この場で武器を持っているのはアンスバッハ以外ではヒルダしかいない。

 警備兵はアンスバッハの指輪もチェックできなかったと同様にヒルダの方も見逃してしまっている。

 指輪はヒルダの細い指にはやや大振りで、デザインも洗練されているわけではない。しかし帝国貴族というものは、その昔指輪は家印として使われていたという古事を知っていて、往々にしてそれを形ばかり真似ている場合がある。また、先祖の形見として代々受け継いだ指輪を身につけている場合も少なくない。ヒルダの指輪も特に奇異には思われなかった。

 

 今、ためらっている時ではない。

 握り拳を作り、アンスバッハに向け狙いをつける。

 

 

 撃った!

 

 ところがヒルダの射撃は大きく外れた。

 殊の外射撃の上手いヒルダでもこの距離からでは無理だった。

 

 

 指輪型ブラスターを当てることは最初から難しい。普通のブラスターと違い射軸の微妙な調整はできず、安定しないためだ。基本的に近距離の護身用にしか使えない武器である。

 

 だがアンスバッハを驚かせることには成功した。

 自分以外にも指輪型ブラスターを持っている者がいたとは、アンスバッハにとって予想外だ。

 ブラウンシュバイク家ほど豊かな貴族がこの場にいたのだろうか?

 もちろん、アンスバッハはヒルダが名門カストロプ家令嬢エリザベートから直々に指輪を渡されていたとは思いもよらない。

 

 アンスバッハはヒルダへ自分の指輪型ブラスターを向ける。邪魔者を排除する奥の手のつもりだったが仕方がない。すぐさま撃ち返す。だがそれも当たらない。

 アンスバッハは牽制のために使っただけだ。

 ヒルダのような貴族令嬢を殺すことに意味はない。むしろ指輪型ブラスターの射程外であることを確認さえすれば充分である。

 もうそれ以上ヒルダに構わず、再びハンドキャノンを持ち上げようとした。

 それによってラインハルトを斃す。もう迫るキルヒアイスごと貫通させて当てよう。威力のあるハンドキャノンではそれができる。

 

 ヒルダはそんなアンスバッハを見て、また右腕を上げて撃とうとした。

 当たるとは自分でも思えない。だが他に何もできることがない。

 

 

 そこへ突然右腕を掴まれたのを見た。ヒルダの近くにいた男が掴んだのだ。

 

「お嬢さん、驚かずに。そのまま腕の力を抜いて」

 

 ヒルダはそう言われても驚かざるを得ない。

 しかし、それが射撃を邪魔しようとするものではなく、その逆であることもなんとなく分かった。

 

「足を開いて、柔らかく。顎は引くこと」

 

 その男は腕を保持し、アンスバッハへ向け軸を合わせてきた。

 

「今です、撃って!」

 

 放った!

 命じられるままにヒルダが撃った、その一撃が命中した。

 アンスバッハの肩を射抜き、ハンドキャノンを取り落とさせた。重要な神経を貫いたのだろう。再び拾おうとしても腕に力が入らない。

 

 ヒルダは自分の射撃の成果に目を見張る。

 

「お見事」

 

 その不思議な男は腕を離し、丁寧に礼をしてくる。

 

「これは失礼しましたお嬢さん。私はコルネリアス・ルッツと申します」

 

 その者がヒルダの近くにいたのは本当に幸運だ。

 ここで重要なアシストを務めた者こそ、帝国軍でも随一の射撃の名手、ルッツ提督だったのだ。

 

 

 

 ラインハルト暗殺は失敗した。

 アンスバッハはキルヒアイスに取り押さえられえてしまった。

 その直後、アンスバッハは血を吐く。失敗を悟るやいなや予め口に含んであった自害用の毒を噛み潰している。

 

 しかしラインハルトを見据えてこう言い放った。

 

「ローエングラムよ、このことは憶えておくがいい。お前は自分の実力で勝ち切ったと思っているだろうがそれは違う。お前に勝つ方法はあったのだ。聞きたいか」

 

 アンスバッハは毒のため呼吸もままならない状態になったが、目の光は依然として鋭い。

 

「こちらが帝国軍の補給基地に命じ、物資を汚染させれば必ず勝っていた。あの艦隊を維持するには相当の物資を消費するはず、物資不足を最初から見抜いていた。しかしこちらはそういう手は使わなかった。なぜか分かるか。物資を求めて略奪に走る恐れがあったからだ」

「むう……」

「領民への被害を恐れた。だがお前はどうだ。以前勝つためだけに焦土作戦をとったことがあるだろうが!」

 

 アンスバッハは途中からキルヒアイスが押さえる必要もなく横たわり、どこにも力はない。

 ただし顔はラインハルトに向け、それを言い切った。

 

 言葉はブラウンシュバイク公の恨みつらみなどではなかった。

 そうではなく、意外なことに艦隊戦の前の戦略についてであった。

 

 ラインハルトは何も言い返すことができない。

 アンスバッハの言うことは正しいことだからだ。

 帝国軍の補給基地から物資を奪えなければ、とても艦隊行動を続けることはできなかった。元からの物資では全く足りない。

 しかし強奪する前に対策を立てられたらどうなっただろう。すなわち、物資を放射能で汚染されれば推進剤はともかく食糧はどうしようもなくなったはずだ。やむなく近隣の星系から略奪して足しにするか、白旗を上げるしかなかった。

 

 アンスバッハはそんな略奪をさせてしまう可能性を考え、ラインハルトに物資面からの戦術をあえて仕掛けなかったのだ。

 武人の矜持として、あえてそうしなかったと言っている。

 

「勝てるのにそうしなかったこっちと、領民を餓えで死に追いやろうとも自分が勝てばいいと思ったお前には差があるぞ! 今、お前は汚れ切った帝国貴族を掃除したと思っているだろう。だがその手を自分で見てみろ。ラインハルト・フォン・ローエングラム、汚れ切った手で何を掴めるというのか!」

 

 このアンスバッハの罵倒は、これ以上ないラインハルトへの痛撃になる。

 

 

 

 ここでただ一人アンスバッハに言葉を返せた者がいた。

 

「言いたいことはそれだけか。アンスバッハ准将。いや、失敗したテロリスト。では言っておくが、ローエングラム元帥に具申し、叛徒との戦いで辺境を焦土に変えたのはこの私だ。その言葉は私に向けて言うべきだった」

 

 それはオーベルシュタインだ。

 冷たい義眼が揺らぎもせずアンスバッハを射抜く。その信念は、一命を燃やし尽くした忠臣の言葉さえ退けるものなのか。

 しかしアンスバッハはもはや言葉を発することはできず、そのまま息を引き取る。どのみち会話をしたいのではなく、言いたいことを言い切ったことで充分だ。

 忠臣としての壮烈な死に様だった。

 それが幸せなことなのか、満足したのかは本人しか知らない。

 仕える相手がブラウンシュバイク公だったことに対し、後悔はないのか、それもまた不明だ。他人には分かりようがないことである。

 ただし、最後まで寸分も曲げることなく忠義を貫き通したという事実は変わらない。

 

 

 ラインハルトは忠臣アンスバッハをせめて丁重に葬るのだった。

 その陰った表情を見て、キルヒアイスはこう言う他ない。

 

「ラインハルト様、お気になさることはありません。皆のために前に進むのが課せられた義務なのですから。藪の中に道を切り拓く者は、藪を切り倒さなければなりません。藪の蔓には蔓の言い分があるでしょう。それを聞くのも大事なことだと思います。しかし、それで止まることはできないのです」

「分かった、キルヒアイス。心配するな。俺は立ち止まったりはしない」

 

 そしてついに、ラインハルトはアンスバッハのための真の供養に気付いたのだ。

 

「逆説的になるが、帝国を新しく作り変えることこそがあのアンスバッハという者の供養になる」

「ラインハルト様、それはどのような」

「門閥貴族に忠義を強いられる運命は過酷なものだった。アンスバッハも結局はそんな者の一人だ。これからはそういう運命になる者を無くしたい。つまり、二度とアンスバッハのような者を出さないのが供養だ」

「そうですね、ラインハルト様。今まで皇帝を打倒してアンネローゼ様を救い出すことばかり考えていました。しかし、これからは新しい目標を持たなければなりません」

 

 ラインハルトはキルヒアイスに大きくうなずき返した。

 

「そうだ、そのためにも俺は帝国を全て新しくする。そして俺は忠義を求めない。忠義は寄せられるものであって求めるものではない。上に立つ者がふがいなければ忠義など不要、いつでも取って代わればいい」

 

 

 それは本物の覇王に変わろうとする瞬間であったのかもしれない。

 

 ゴールデン・ルーヴェは天空に向かい大きく羽ばたいた。

 

 

 

 




 
 
次回予告 第百二話 転回

エルフリーデと金銀妖瞳、再び
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