疲れも知らず   作:おゆ

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第百三話  489年 3月 狐と狸

 

 

「お初にお目にかかる。と言いたかったがそれは違うようだ」

 

 オーディンに到着し、地表に降り立ったロイエンタールはそこで待ち受けていた者に対して渋い顔つきで挨拶をする。

 

 その相手のエルフリーデ・フォン・コールラウシュは知らない女ではなかった!

 それどころか強い印象がある。

 会話をしたのもわずかであり、単に車に一緒に乗ったことがあるというだけだ。だが、その特殊な状況から忘れられるものか。

 

 

 そして今のエルフリーデの立場を考え合わせると、警戒すべき結論が出る。

 エルフリーデは今や皇帝アマーリエから直々に委託されたという形で帝国政府を支えている。

 それは居並ぶ文官たちも驚くほど素晴らしい手腕であり、オーディンの混乱を瞬く間に鎮めている。もはや戒厳令は解除され、街に物々しさはない。治安も街を一人で歩けるまでに回復している。商店の壊れたガラス窓は片付けられた。そして最も重要なことである食糧輸入と流通は回復し、もう人々が奪い合うことはなく、その表情にも明るさが戻っている。

 

 エルフリーデはヒルダやサビーネの陣営の重要人物であり、能力も高いことが証明された。そんな人間がロイエンタールとあの嵐の夜に偶然出会ったわけがないのだ。縁などという甘い言葉で言うべきではなく、ロイエンタールはあの時見張られていたという結論を出さざるを得ない。とんだ食わせ物だ。

 

「ようこそオーディンへ。ロイエンタール提督」

 

 エルフリーデの方では前に出会ったことなどおくびにも出さず、涼しい顔だ。

 

「エルフリーデ嬢、いろいろと聞きたいことがないわけではないが、それは本題ではない。目的を話そう。こちらはローエングラム元帥からの指示でオーディンを受け取り、暫定統治をするために来た。しかし暫定統治の方は手を下すまでもなくうまく回っているようだ。街を一目見ただけでも分かる。そのことについては深く感謝する」

「ほめてくれるのかしら。とっても嬉しいわ」

 

 それには取り合わずロイエンタールは話を続ける。下手にそういうところへ返事を返すと話が捻じ曲がるものだ。謀略家を相手にする時には気を付けなくてはならない。

 

「ついては後のことを我らに任せ、早々にガイエスブルクのマリーンドルフ嬢のところへ立ち去るのがよかろう。もちろん送って差し上げる」

「冷たいわね。そう急がなくてもよろしくてよ。別にこちらは地上部隊を動かすこともせず、抵抗していないのですから警戒されるいわれはないわ。どのみちローエングラム元帥の到着はもうしばらく先のことでしょうに」

「だからといって先に延ばす必要もないだろう。お互いのためにも」

「お互いのために、ね。そうかしら?」

 

 ロイエンタールはいよいよもってエルフリーデを早くオーディンから出すべきだと感じた。

 何を企んでいるのか分からない以上、火種はなるべく遠ざけた方がいい。

 だが結局のらりくらりとエルフリーデはオーディンに留まった。

 

 

 

 エルフリーデはヒルダからもう連絡を受けていた。

 ローエングラム元帥が政権をサビーネに渡さないつもりだと知った。心楽しくはないが、ヒルダほどには衝撃は受けない。銀河帝国を統べる権力、それは誰を狂わせても驚くには値しない。

 

 ヒルダは本当の意味での権力の巨大さが分かっていなのだろう、と思う。

 

 誰かを投獄したり処刑したり、逆に褒美を与えて喜ばせたり、権力があれば何でもできるのだ。

 戦いを始めるのも止めるのもできる。

 恋人を引き裂いたり結び合わせたりさえできる。舞踏会に呼ぶのも前線に送るのも心一つでどうにでもできる。それを楽しいと思う人間には権力は至福であり、人生をかけて追い求めるものだ。

 

 ヒルダがそういうことを分かっていないのは善良だからである。権力を悪用することを考えず、民衆への統治責任を先に考え、その重みを感じ取るからだ。

 しかし自分にはそうしたヒルダだからこそ好ましいと思っているのも事実である。

 ここでエルフリーデは思う。

 もしサビーネが皇帝になれば、自動的にヒルダも帝国の尚書級の高官になるのは自明であるが、そこまで考えているのだろうか。

 

 とはいえ、現実に立ち返ればヒルダにも自分にもローエングラム元帥を阻む実力はない。ここでオーディンの地上部隊という軍事力を駆使しても全く無駄だ。それなら中途半端はせずに今は協力するフリだけでもしておいた方がいい。

 そういうわけで、ロイエンタールを出迎えた。

 

 ここからはエルフリーデ自身でも分かっていない心の奥底がある。

 オスカー・フォン・ロイエンタールという男に興味を持っている。なぜだろう。

 あの嵐の中、稲妻の光を浴びている横顔を見た時から、なのか。

 

 

 

 一方、この二転三転する情勢に揺れるオーディンで、野心を持つ者がまだ存在した。

 それは先にアンスバッハをさんざん悩ませたトゥルナイゼン子爵家だった。未だ一定の数の貴族から支持を得ている。

 密かにエルフリーデとロイエンタールの衝突を期待していた。そうなれば漁夫の利が期待できる。一方に与すれば影響力は拡大し、もしも仮に共倒れしてくれれば、自分が上に立ってオーディンを統治するチャンスがくるではないか。

 

 しかし現実はうまくいかなかった。なにしろエルフリーデは冷静で、ロイエンタールと争う気が全く見えない。

 

 そこでやや危険な賭けに出てしまう。

 逆にロイエンタールを焚きつける、という。

 オーディンを根拠地にしてロイエンタールが自立の挙に出ればいい。

 

 それは全く荒唐無稽な話ではない。それなりの勝算もある。

 今回、ロイエンタールは一万五千隻もの艦隊を与えられている。それはオーディンで変事があるかもしれないというラインハルトの危惧により、それだけの数が割かれているのだ。しかも、ロイエンタールは部下からの信望が厚い将である。

 オーディンの確保と艦隊、両方の条件が揃う。ローエングラム元帥の手元にある艦隊はたったの三万、対抗も可能だ。

 加えて大義を掲げることができる。

 最初から逆臣とされたローエングラム元帥から離れ正道に立ち返るとすれば理由として充分ではないか。

 

 ロイエンタールにそんな内容の密書が届けられた。

 いちいちそんなことに構うほどロイエンタールは神経質ではないが、退屈しのぎに読んでみた。

 そこにはオーディンを根拠地に独立をしないか、という危険な誘いだ。オーディンを占拠すればどれほど有利なのか、どれほどの権力を得るのか詳細に記されてある。おまけに、独立に心が決まれば、オーディンにまだ残っていて穏然たる力を持つ武断派貴族こぞって味方すると書いてあった。

 

「何だと思えば要するに叛逆か。俺がローエングラム元帥に叛意を持つとでも思ったのか。馬鹿なことを。平時に乱を起こそうとする輩はどこにでもいるものだな」

 

 しかしロイエンタールはこの密書の意外な活用法を思いついた。

 ネタに使い、あのエルフリーデの反応を見て今後の参考にしよう、と。

 エルフリーデをディナーに招待し、さっそくそれを披露する。

 

 

「陳腐なものね。軽挙妄動を絵に描いたようだわ。下らない。人をそんなことで操れると思っているのかしら。私が言うのもなんだけど、謀略家を馬鹿にしているわ。もし実現の可能性があると本当に思っているなら更に馬鹿だわね」

 

 エルフリーデは小気味よく切って捨てた。

 そのはっきりした物言いにロイエンタールも爽快感を覚えて笑ってしまう。

 

「俺と同じようなことを言う」

「それでどうするの? まさかこれに乗るの? こちらとしては乗ってくれて、それで自滅してもらえれば助かるけど」

 

 その時分には二人ともワインを数本開けている。

 二人とも自分が酒に強い方だと思っているが、いささか量が多すぎる。その力もあってざっくばらんな話ができる気持ちになった。

 

「そんなわけはない。ローエングラム元帥に逆らうなど考えたこともない。俺はこう見えて忠臣だ」

 

 エルフリーデはけらけら笑った。傑作の冗談を聞いたようだ。

 

「そうね、面白いわ。いろんな意味で。人は自分が考えるほど自分のことが分かっていないものよ。その瞳の奥を見せてくれない?」

「俺の瞳など見ても面白くない。自分で言うのもなんだが」

 

 思わず金銀妖瞳を逸らした。ロイエンタールはその瞳にまつわる悲劇も、それによる自分の心の屈折もエルフリーデに話していない。いや、ミッターマイヤー以外誰にも話したことなどない。

 だが、この謀略家の女には話していないことまで瞳から読み取られてしまいそうな錯覚に陥る。

 

 

 

 うふふ、と笑ってエルフリーデは椅子にそっくり返る。

 赤ワインに香る息を吐いた。

 

「まあいいわ。あ、ところでその密書、誰からか突き止めて逮捕させてもいいわよ。簡単なことだわ。暇潰しにいいかもしれない」

「それには及ばない。そんな下らないことで処罰したら刑務所がいくつあっても足らないだろう」

 

 その夜、二人はいっそう深酒をしながら話込んだ。

 ロイエンタールは自分の一面を話さずとも理解してくれるように感じた。しかしそれは不思議なことに不快ではない。

 

 

 数日後、今度は逆にエルフリーデがロイエンタールを呼び出した。

 

「もうオーディンにいる意味はないし、そろそろお暇するわ。ローエングラム元帥がオーディンに来る前に出て行かないと面倒なことになりそうだし」

「そうか。だが、もう一度会える日を楽しみにしている」

「どんな女にもそう言うんでしょうね。口が滑らかだわ」

「疑われるかもしれないが、それは本心だ」

「疑ってしまうわ。女たらしさん」

 

 そう言うと、エルフリーデはあっさり宇宙港から出立した。行き先はもちろんフェザーンだ。

 

 

 そのきっかり三日後、またエルフリーデは宇宙艇からロイエンタールに連絡を取る。

 それはもはやロイエンタールの艦隊がエルフリーデを追っても追い付けないと分かっている位置を計算してのことだ。

 

「ロイエンタール提督、一つ報告しておくわね。やっぱり密書を書いたトゥルナイゼン子爵はそのままにしておけなかったわ。少し脅かして、財産をほとんど戦災孤児基金に寄付させたわよ」

 

 そんなことを言いながら、エルフリーデは右手を上げて何かを通信画面に見えるようにした。

 実はトゥルナイゼン子爵のことなどほんのオマケの話に過ぎない。

 伝えたい重要なことは別にある。

 エルフリーデの細い手、そこに持たれていたものはロイエンタールでも分かる。画面を通して小さく見えるだけだが、その意味も貴重さもケタ外れの物体だ。

 

 エルフリーデは銀河帝国の国璽を手にしている!

 

 それこそ正式の皇帝即位に必要なものである。

 おそらくエルフリーデは日数をかけてそれを探し回り、ついに見つけたのだろう。ブラウンシュバイク公がアマーリエを即位させた後、アマーリエさえ知らないところに秘匿しておいたものだ。

 

 

 これにはさすがに冷静沈着なロイエンタールもしまった、という顔をした。

 

 それを見て、エルフリーデがまるでいたずらを仕掛けた子供のように笑顔を作った。

 

 

 

 




 
 
次回予告 第百四話「立て直し」

同盟ではその頃……

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