疲れも知らず   作:おゆ

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第百四話  489年 3月 立て直し

 

 

「申し訳ございません。閣下。あの女狐にしてやられました」

 

 オーディンに到着したラインハルトはロイエンタールから国璽を持ち去られたことを聞いた。

 

「まあいい。どのみち血統では正統な皇帝になりようがないのだから、ゴールデンバウム王朝時代の形式など取り繕っても仕方がない。そんな石ころのようなもので騒ぐ必要もなかろう」

 

 ラインハルトは自身の覇気をきらめかせてそう言った。この実力の時代、伝統や形式の出番はない。

 

「だがしかし、ロイエンタール、卿にしては不始末ではないか」

 

 そういう面に疎いラインハルトでも、ロイエンタールがエルフリーデという女にしてやられた所以が想像できた。怜悧なロイエンタールでも甘いところが出てしまったのだ。

 しかしラインハルトの表情は言葉ほどきつくなく、そのことで咎めることはない。むしろ面白がっているようだ。

 

 ここでオーベルシュタインが一つのことを指摘する。

 

「しかしその問題はこちらに関することではなく、向こうの側にあるものです。すなわち、こちらにはただの石ころでも、向こうが活用すれば大きな意味を持つかもしれません」

「オーベルシュタイン、国璽は皇帝即位に使う物、つまり向こうがそれを行使するということは、オーディンではない場所で即位をする可能性があるということだな」

「御意。サビーネ・フォン・リッテンハイムが正式な皇帝として即位をしてくる可能性があり、火種になるやもしれません。帝国にはまだまだ実力よりも形式を重んじる者がいると存じます」

 

 

 

 一方、ヒルダやサビーネはどういう方策を立てたか。

 

 実は最後の最後までヒルダはラインハルトに対し確約を結んでいない。

 ヒルダとしては自治領を手にすることで妥協してもその先の展望が見えない。じり貧に追い込まれてしまうのは明らかだ。

 ラインハルトが最初からヒルダらを潰すつもりで自治領を提案してくるほど悪辣だとは思えない。

 

 しかしこちらから何か仕掛けたら別だ。いや、そう誤解されるだけでお終いだ。

 ラインハルト側からすれば、こちらを潰すには軍事すら必要ない。

 リッテンハイム領は現時点で豊かな星系が多いが、帝国の思惑一つで孤立させられ、経済的に締められたら全くお手上げだ。本当にやる気になれば方法はいくらでもある。そうされたらリッテンハイム家は貧乏星系の主に成り下がってしまい、領民は納得せず、下手をしたら暴動になる。誰しも他の星系より貧しいのを見せつけられたら我慢できないだろう。

 つまり同じ自治領といってもフェザーンとはまるで置かれた条件が違うのだ。

 フェザーンなら位置的に帝国と同盟との貿易を独占でき、それによる莫大な利潤は帝国といえど無視できない。

 

 やはり自治領の案は呑めない。

 それでは自動的に帝国政府に媚びへつらっていかねばならず、事実上の臣下であるのと変わりがない。

 

 しかし他の選択肢も苦しい。

 例えばいったんフェザーンに身を寄せるといっても不安定に過ぎる。フェザーンの思惑が今後どうなるのか分かりようがないし、力を貯えることもできない。

 

 かといって帝国政府内に食い込み、ラインハルトによる新しい秩序の建設に協力する…… いやそれは論外だ。正にそのゴールデンバウム王朝の血統が邪魔をしてしまうのだろう。刷新には古い血は邪魔でしかない。

 

 結局のところヒルダはサビーネのいるフェザーンに戻った。

 それをエカテリーナも何も言わずに迎え入れる。

 

 仕切り直しだ。

 

 しかしまだ負けたわけではない。情勢を見ながら再び仕掛けるだけだ。

 

 

 

 

 銀河のもう一方の勢力、自由惑星同盟はどうか。

 銀河帝国の未曽有の内乱という絶好機にも関わらず、軍事的に手を出さなかった。アムリッツァでの多大な損失を癒すのが優先と誰もが思っていたのだ。

 フェザーンによる情報遮断で帝国の情勢が掴み切れないという事情もあったが、帝国の変化を全く感じ取れないわけではない。最も内乱について肌身に感じるのは最前線、すなわちイゼルローン要塞である。

 大会戦の行われていない平時でも、帝国側哨戒艦隊と回廊内で出会うことは定期便ともいえるくらい頻繁にあり、それらと偶発的な遭遇戦になってしまうも日常茶飯事だ。

 しかし、それが目に見えて減ってきていた。

 

「やれやれ、帝国軍も休暇を取ったのかなあ。それとも超過勤務手当が出なくて嫌になったのかもしれないな」

「先輩、ちょっと先輩の基準で物事を考えないで下さいよ。帝国軍相手に」

「冗談だよアッテンボロー。手当があっても割に合わないさ。哨戒も楽じゃない」

 

 本当に冗談なのだろうか、とアッテンボローは思ってしまう。

 

「しかしアッテンボロー、帝国側の哨戒が減ったことは事実だが、それだけでは何とも言えない。考えられる可能性が多すぎる。良い可能性も、悪い可能性もね」

「では少しばかりこちらの哨戒網を広げてみてはいかがです」

「そうだな、それもまたいい案だ、アッテンボロー。ただし動員する将兵の超過勤務手当はきちんとつけてやってくれよ」

 

 はいはい、と言いつつアッテンボロー自身が戦艦マサソイトに乗り、遠距離偵察に出た。しかし、やはり帝国側の哨戒と全く遭遇しないではないか。それならとばかりにイゼルローン回廊の帝国側出口付近にまで進んでも抵抗を受けない。

 

「やっぱりこいつはおかしい」

 

 これを受け、ヤンはイゼルローン要塞からハイネセンへ向け重要通信を送った。イゼルローン回廊から帝国軍消失、というものである。そして返ってきた返事は「イゼルローン要塞を守備しながら引き続き情報収集に当たられたし」という辺り障りのないものだった。

 

 そのようなハイネセンの消極的な姿勢をヤンも是とした。

 

 イゼルローン要塞の主砲トゥ―ルハンマーの修理は思いのほか難航して未だ終わっていない。そのため帝国の異変に付け込んだとしても、かえってしっぺ返しを喰らったら大ごとになる。今攻められたらイゼルローン要塞を守りきれるかわからない。従って、迂闊な事はできないのだ。

 アムリッツァで機動戦力に決定的打撃を蒙った同盟軍は艦隊再建までの間、冒険せず雌伏した方がいい。

 

 

 それでもヤンは非常に慎重に足掛かりをつける。

 回廊の帝国側出口周辺にまで基地を設置したのだ。それは帝国への侵攻のための橋頭保という意味ではなく、あくまで防御のためのものであり、索敵が主な目的となる。

 それがあまりにも早く役に立つ時がくる。

 

「帝国軍高速巡洋艦隊約五十隻、使節信号を出したまま回廊に侵入しつつあり!」

 

 それら基地が驚きの事件を知らせてきた。

 

「何だって? 侵攻ではなく使節信号…… それなら通信の周波数を合わせて音声に変換を」

 

 ヤンがそう指示してから直ぐに音声が届いた。

 

「こちら帝国軍ウィリバルト・フォン・メルカッツ大将、及びアーダルベルト・フォン・ファーレンハイト中将、自由惑星同盟への亡命を希望する」

 

 これにはイゼルローン要塞も大騒ぎになる。

 元々イゼルローン回廊は軍事的な前線であり、亡命者がここへ来ることはなく、亡命希望者は全てフェザーン回廊の方を通るものだ。

 

 いや、そういう問題ではない。やって来た人物が重要過ぎる。

 

 

 この少し前、メルカッツやファーレンハイトは辺境をゆっくりと航行している時にブラウンシュバイク公の死を聞いた。

 続けてラインハルトがオーディン入りしたニュースが入り、これで帝国の実権はラインハルトが握ることに確定した。

 メルカッツらはゴールデンバウム王朝の末裔サビーネが即位し治めることを期待していたのだが、これでその望みが消えたことになる。もう帝国の実権はラインハルトのものだ。当然、帝国軍も刷新される。

 

「これで我らの居場所は完全になくなったな、ファーレンハイト」

「ではメルカッツ閣下、我らはどこかへ行かねばなりますまい。とはいえ、行き先は二つに限られます。フェザーンか、叛徒のところか」

「フェザーンはかねてから独立の機運を高めておる。帝国から我らを保護してくれようが、先の捕虜収容所への攻撃など手段を問わぬやり口から、焦りを感じざるを得ん」

 

 フェザーンは逆に大魚を逃した格好になる。

 しかし、これは結果論だ。その時メルカッツらは皇帝アマーリエを戴く帝国軍へ属していたのだから。

 

「では閣下、叛徒のところへ」

「儂の副官シュナイダーも卿と同じ意見を言う。叛徒とは長年戦ってきた敵だ。こちらにも向こうにもわだかまりはある。しかし、イゼルローンにいるヤン・ウェンリーは信頼できる人物だと」

 

 こうしてメルカッツとファーレンハイトはイゼルローン回廊にやってくる。

 

 イゼルローン要塞は大騒ぎになったが、ヤンは二人を受け入れないという選択肢を思いもしなかった。二人を何かに利用するということではなく、純粋に頼られたら応えたいと思ったのだ。

 こうして二人は自由惑星同盟に亡命し、ヤンのもとに一時匿われる立場となった。

 

 

 メルカッツらは期待通りヤンの庇護を受ける。

 イゼルローン要塞に逗留し、何と護身用ブラスター携帯と自由な行動まで許された。捕虜ではなく、市民扱いである。

 しかしながらイゼルローンに留め置かれること自体は本来おかしなものであり、同盟軍統合作戦本部が身柄を預かるべきものだからだ。

 辺境の勝手な動きは同盟軍として歓迎されない。

 特に勝手な人事や増強は軍閥化の第一歩とみなされても不思議ではない。

 ところが多くの意味で今のハイネセンは不安定であった。こんな時にヤンからメルカッツらを送られてきたとしても火種のようなもので、ありていに言ってしまえば迷惑だった。

 統合作戦本部はシトレ元帥が事実上引退した後、クブルスリー本部長のもとグリーンヒル大将、ドーソン大将が脇を固めている。そしてやっきになって再建を図っているがそうそううまくいっていない。アムリッツァで受けた傷はあまりに大きいものだった。資材、人員とも圧倒的に足らない。

 だが、そんな危急の情勢なのにまだロボス派の残党が暗い怨念をもって妨害にかかるのだ。

 

 こんな時に統合作戦本部が帝国軍の宿将を預かってもどう扱うべきか。

 どうせ何をしても揚げ足を取られ、痛烈に批判されるに決まっている。だからあまり手を出さず無関係でいたかったのだ。

 

 

 

 ただし同盟軍に意外なところから朗報というべきものが舞い込んできた。

 アムリッツァ会戦の大敗により帝国軍に囚われていた大勢の将兵が、何とフェザーン経由で帰還してきたのだ。

 これで前線の将兵が賄える。

 すっかり死亡扱いにしてしまったせいで遺族年金の捻出に頭を悩ませていた後方部も助かる。

 

 何よりホーウッド中将、ルグランジュ中将の帰還は統合作戦本部を喜ばせた。艦隊指揮官こそ今の同盟軍にとって何にもかけがえがない。

 

「そうか、アップルトン君はフェザーンに残ったのか。もちろん彼のことだ。我が同盟のことを思う行動なのだろう」

 

 クブルスリー本部長がホーウッド中将とルグランジュ中将をねぎらう。アップルトン中将のことは残念だがその動機と心情はよく分かっている。むろん裏切り行為どころかその反対に同盟を思っての行為であることも。

 

「本部長、まさしくその通りです。その犠牲によって我らが同盟に帰還できたことを申し訳なく思います」

「当面はアップルトン君について悪い噂になるだろうが、なんとかそれを鎮めよう。それともう一つ、君らに頼みたいことがある」

「何でしょう、本部長」

「特にこれはホーウッド君にやってもらいたいのだが、旧ロボス派の面々を束ねて、しっかり手綱を付けておいてほしいのだ。このままでは不貞腐れたり暴走したりする人間が出てくる。ただし、ロボス・ファミリーは元々無能な者ばかりではない。ロボス元帥が消えた今、彼らは身の置き所がなくなっている。良い方向に使われないのは我々にとって痛い損失だ。彼らを使いこなすのはロボス派の一端を担っていた君でなければならない」

 

 実はこれはグリーンヒル大将の発案である。

 同盟軍では今、クブルスリー本部長の実直さ、ドーソン大将の実務、グリーンヒル大将のセンスが生かされている。

 

 

 

 




 
 
次回予告 第百五話 運営

ヨブ・トリューニヒトの悩み

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