疲れも知らず   作:おゆ

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第百七話  489年12月 戦略家

 

 

 今度はトリューニヒトが訝しがっている。

 それも当然、オーレリーの反応は過剰であり、明らかにキルヒアイスの名を知っているとしか思えないものだからだ。

 

「あ、いえ、その名前には聞き覚えがあって」

 

 これだけはエリザベートも正直に認める。

 

「フェザーンでもよく出ていた名前でした。」

 

 それは嘘ではないが、誤魔化しの範疇である。

 トリューニヒトはそういうこともあるかと納得してしまった。オーレリーは一年ちょっと前までフェザーンにいたのだから。

 

「フェザーンでも有名…… キルヒアイス上級大将の戦歴を見るとローエングラム元帥の副官が長くて、自分が指揮をとったことはほとんどないらしい。帝国のカストロプ動乱以外には目立った功績は見当たらない。つまり補佐として良い働きをしているかもしれないが、それもローエングラム元帥の旧くからの友人であることを割り引かなくてはならないし、まして自分が艦隊指揮をとった場合はどうだろうか。実績の薄い者を当てるなど、帝国軍の人選はちょっと謎だな。どこまで本気なのだろう」

「いいえ! 決してそんなことはありません!」

 

 エリザベートは全力でそれを否定した。しばしトリューニヒトも言葉を返せなくなるほどに。

 

「その者は凄く強い指揮官と聞いています。並外れた才覚ともちきりでした。あ、フェザーンの噂で」

「なるほど、フェザーンではそんなふう判断しているのか。あのフェザーンが」

 

 エリザベートはそれだけは伝えたかった。

 自分の正体がエリザベートだとバレないためには、素知らぬフリをするのが一番だろう。

 しかし、敢えて危険を冒してもそれだけは言いたかったのだ。

 このハイネセンの平和が壊される予感がする。

 自分が手に入れた平和、しばしの安らぎも春の雪のように消え去る、そんな予感が。

 

「帝国軍は、本気です!」

 

 キルヒアイスは優しい人格なのだろうが、それと能力は別だ。

 とにかく敵に回せば危険なのだ。尋常な相手ではない。

 

 

 

 結局、ヨブ・トリューニヒトはエリザベートの言葉を帝国の情報に通じているだろうフェザーンの判断と捉えた。それ以外に解釈のしようがない。

 そしてそれを統合作戦本部の見解より優先させた。

 帝国はもう大きく変わった。それなのに統合作戦本部こそ過去の情報に引きずられている可能性があると見た。

 それを政治家らしいセンスで思い至ったのだ。

 

 ヨブ・トリューニヒトは同盟軍統合作戦本部の案を承認せず、疑義を挟んで送り返す。

 帝国軍の動向には不明の点がある。最前線のヤン・ウェンリー提督の意見を汲み、もう一度協議すべし、と注釈を付けた。同盟政府を率いる最高評議会議長の見解として。

 それを受け、統合作戦本部でもフェザーン回廊への注意が向けるようになる。

 今の同盟軍には政府に自分たちの作戦案が拒絶されたことで面子を潰されたと思うような狭量な者はいない。担当したグリーンヒル大将は柔軟な考え方をする将である。

 同盟艦隊の動員予定は大幅に引き上げられ、予算や物資が計算された。

 ビュコック第五艦隊、再建途上のホーランド第七艦隊、ルグランジュ第十一艦隊も出動準備が命じられ、首都星直衛の第一艦隊以外の同盟軍機動兵力の全てが即応態勢をとったのである。

 

 

 そうした影響を及ぼしたエリザベートはもう一つのことを考えている。

 フェザーンが危険だ。

 あのフェザーンのことだから自分が考えている以上のことを既に考慮している公算が高い。

 それでも自分は重ねて伝えなければならない。

 とにかくあのキルヒアイスを帝国が使ってきた、その意味は計り知れない大きなことに思えるのだ。

 その予感に従い、エリザベートはフェザーンのエカテリーナに向けて危急を知らせる。

 

 

 

 実はその頃、フェザーンでもキルヒアイス出陣を掴んでいる。

 さらには帝国国内での追加の艦隊の出動準備が進められている情報まで集めていた。帝国中の経済情報が集まるフェザーンであれば、物資の流通や価格から情報を紐解くことには長けている。

 

 帝国は大規模に軍事行動予定している。いったい何を企んでいるのか。

 その不穏な情勢にフェザーンのルビンスキー家も協議を繰り返していた。

 

「帝国の内政も固まっていないうちにまた出征とは、帝国も飽きないことだな」

「いえ、お父様、内政を固めるために出征が必要なのでは?」

「なるほどエカテリン、そうなるか。確かにな」

 

 アドリアン・ルビンスキーは満足げである。

 娘エカテリーナの利発な分析は健在だった。

 このところアドリアン・ルビンスキーはなぜか体調を崩し、周囲が心配する中、一向に回復しない。

 そのため今はあまり私宅から出ずに政務を行なっている。子供たちが立派に成長するのがいっそう楽しみになっているのだ。

 

「確認するがその意味は何だ、エカテリン」

「一つにはローエングラム元帥の軍事的実力を保守派に今一度知らしめることかしら。他にも、外征で結果を出して民衆の支持を盤石にすることもあるわ。まあ軍事行動が単なるポーズではなく、征服の果実を手にするのが目的であることは変わらないでしょうけど」

「いずれにせよローエングラム元帥は負けることなど考えてもいないだろうな」

 

 エカテリーナはいったんラインハルトが軍事行動を起こす以上、絶対に勝ちに行くと見ている。単なる見せかけということは有り得ない。

 

「エカテリン、もしそうだとすればどこまでを視野に入れているかが問題だ。イゼルローン要塞を取り返すことか、あるいはそれ以上の征服なのか」

「いくら自信があっても戦いには相手があること、イゼルローンを取るだけでも難しいことでしょうに」

 

 先の戦いでもラインハルトは急きょオーディンに戻らざるを得なかったため、要塞を陥とすまで至らなかった。しかし要塞側でもけっこうな善戦をしていたのだ。同盟軍随一の智将ヤン・ウェンリーの魔術のような策によって。

 

「我がフェザーンへの影響としては、その外征が失敗に終わった場合、帝国がこっちに矛先を向けてくる恐れがある。何としても戦果を上げるための八つ当たりだ。外征がうまくいっても同盟が弱体化、八つ当たりはそれ以上に迷惑なことだな」

「あるいは無理を承知の同時作戦、ということも」

 

 そこまで考え至ったのはエカテリーナの慧眼である。

 柔軟な思考により、帝国がフェザーンを狙う可能性を排除していない。

 

 しかし、エカテリーナも実のところ本当にそうだと思っていなかった。

 軍事上の常識として一つの戦場に力を集中すべきだからだ。

 それにイゼルローン奪還こそ誰しも分かりやすいパフォーマンスになり得る戦果で、しかもラインハルト自身がやりかけたことでもある。是非とも達成したいだろう。

 

 

 

 この時期にハイネセンのエリザベートから緊急の通信が入った。

 エカテリーナらはキルヒアイスの出陣自体は既に知っていることでもあり、ハイネセンの同盟政府が危機感を持って迎撃を考えていることはむしろ安心材料だ。

 だが、一つ気になる。

 エリザベートの通信には、イゼルローン要塞のヤン・ウェンリーがフェザーン回廊こそ主戦場になる可能性があり、注意が必要だと言っていることまで含まれている。トリューニヒトからエリザベートが何気なしに聞いた情報である。

 それがエカテリーナの神経をざわつかせた。

 

「帝国軍は、フェザーンに来る!」

 

 エカテリーナはそのヤンの思考過程を忠実に後追いし、全く同じ結論を導き出した。

 

「お父様、ラインハルト・フォン・ローエングラムがフェザーンを狙っています! 帝国は思いのほか大作戦をとるつもりですわ!」

 

 時間を無駄にせずエカテリーナはアドリアン・ルビンスキーに主張する。

 

「いきなり考えを変えるとは、その根拠は何だエカテリン。単なる直感では済まないことだぞ。その考えに辿り着く理由がいる。そもそも帝国がフェザーンに対し実力を振るうなど前例がない」

「実のところ直感が本当の理由だけど、もちろん客観的根拠もあるわ。一つにはローエングラム公が大作戦を人任せにすることなどあり得ない」

「それについては、帝国の内政が完全に落ち着いたわけではなく、オーディンを留守にできないのが理由だとも言える。それに今まではローエングラム公が陣頭に立って戦いたがる性格であっても、立場が変わったのだ。もう単なる軍事的指導者ではない。ローエングラム公が為政者となったからには自ずとやり方を変えることもあろう。むしろ為政者の長が戦いの前線に出る方があってはならないことだ」

 

 一応アドリアン・ルビンスキーは常識的な判断を伝える。だが、そんな常識は捨て去るべきだとエカテリーナの方では確信している。

 

「普通ならそう考えても不思議ではないでしょう。自分の身を守ることがすなわち帝国を守ることだ、と。しかしローエングラム公がそうするでしょうか。あのローエングラム公が」

「……確かにそうだ」

「それにキルヒアイスを遣わすとは絶対に勝利する決意もあるでしょう。友であるキルヒアイスに敗戦の不名誉をかけることは考えられないもの。しかし現実は帝国軍の一部しか与えていない。これは大きな矛盾としか言えない」

 

 このエカテリーナの考えをアドリアン・ルビンスキーも理解した。

 フェザーン自治領主ならずとも為政者というものは、どんな厳しい未来でも目をつむることは許されない。楽観的な予測に逃げるなど愚かであり、かつ卑怯だ。

 

「最後の理由、それは同盟軍最高の智将ヤン・ウェンリー提督が気付いているということ。これはとてつもない重みを持つことだわ。これ以上どんな根拠が必要でしょうか。早く対処しましょう、お父様」

 

 

 その一方、フェザーンには今ヒルダらの銀河帝国正統政府が存在している。正式にフェザーンが認めたという形ではなく、単なる客として宿泊しているという形だ。

 

 先のサビーネのささやかな皇帝即位、そして正統政府の発足を発表しても不思議なことにオーディンの帝国は干渉してこなかった。

 ヒルダは考える。

 

「もうこちらの小勢力など相手をするまでもなく、消滅すると思っているのかしら。いいえ、そんなことはないでしょうね」

 

 ヒルダの策としては帝国継承の正統性を確保した上で、フェザーンの庇護のもと粘り強く交渉していくつもりだった。いずれ情勢は変化し、妥協点も変わるだろう。

 例えばラインハルトの行う政策が急進的過ぎて、旧来の勢力が反発して結集し、再び混乱するかもしれない。あるいは利権に溺れて理想を忘れた者たちによって腐敗するかもしれない。情勢はまだ決定的ではないのだ。時を待つのも策の一つである。

 

 ヒルダとしてはラインハルトと決定的に対立するのではなく、最終的に宥和し、納得できる優越を確保してサビーネをオーディンに迎え入れさせたい。

 

 ただしヒルダの持久策はあくまで帝国、フェザーン、同盟の枠組みが存続するのが前提である。

 今、ヒルダもまたエカテリーナから帝国軍の動きを聞いた。

 帝国軍の規模、率いる将、そしてエリザベートからもたらされたヤンの戦略的思考も含めた一切の情報だ。

 ヒルダはいっそう情報を吟味し、誰よりも深く考えている。

 

 四万隻でのイゼルローン要塞攻撃、そして総司令がキルヒアイスであること。

 キルヒアイスの為人についてヒルダはエリザベート以上に知っている。

 

 何かひっかかる。

 どうしてキルヒアイスなのか。何かの意味があるのか。

 答えを出せそうで出せない。

 エカテリーナは軍功による箔を付けさせるためと考えたようだが、本当だろうか。

 いいえ、それはない。もはやキルヒアイスが帝国のNo.2であることは明らかであり、今さらそんな必要はない。

 

 考えろ。考えろ。

 指揮下の艦隊司令がワーレンという用兵巧者、ヒルダも知るルッツという良将、これらは順当なところであり、不思議はない。

 

 しかし参謀がオーベルシュタインというのが最も解せない。

 

 不自然なものに感じられてならない。

 思慮深いキルヒアイスにオーベルシュタインは正直あまり必要なく、またこの二人が仲が良いとも考えられない。

 だいたいにしてオーベルシュタインは軍人ではあるが、どちらかというと政治的な駆け引きが得意であり文官に近いという感触がある。ヒルダは少なくとも会談を通して何度も煮え湯を飲まされた経験から分かっている。

 オーベルシュタインの意味とは……

 

 

 ここでようやくヒルダの思考が結晶になる。

 だが、その結論は自分でも冷や汗が出るものだ。

 帝国の戦略はそれほど恐ろしい。ヒルダはエカテリーナにすぐさまそれを伝えた。

 

「違う。イゼルローン方面が単なる陽動で、帝国軍の本隊はフェザーンを狙っている、そんな単純なものじゃないわ!」

 

 大戦略家ヒルデガルト・フォン・マリーンドルフ、その叡智は生涯に渡って数々の功を上げている。

 その中でも最大に位置付けられる功績が目前であった。

 

「エカテリン、帝国の考えはたぶん、いえ確実に二重の罠だわ」

「二重の罠!? ヒルダ、それっていったい……」

 

 

 




 
 
次回予告 第百八話 恋の時間

フェザーン滅亡の危機、そのとき二人は

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