疲れも知らず   作:おゆ

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第百八話  489年12月 恋の時間

 

 

 イゼルローン要塞と帝国艦隊の戦いは終始平凡なまま続いている。

 

 帝国軍は決してトゥールハンマーの射程内には入ってこない。

 キルヒアイスは、トゥールハンマー砲台の損傷を知っているが、だからといって色気を出して強引な作戦を取ったりはしていない。そういうことに捉われることなく、作戦を揺るがせないのはさすがにキルヒアイスである。

 結果的に帝国軍の攻撃はミサイルを撃ちかけるくらいにとどめている。しかしその程度で要塞自体は小揺るぎもしない。せいぜい浮遊砲台が偶然それに当たってしまって壊される程度だでしかない。

 

「面白くない戦いであくびが出るぜ。見てても退屈、出番もないときた。帝国軍は余ったミサイルを捨てにここまで来たんじゃないか」

 

 そんなポプランにアッテンボローが呆れて返す。

 

「イゼルローン要塞がゴミ捨て場か。すると俺たちはゴミ虫ってことに」

「冗談じゃない。こんなダンディなゴミ虫がどこにいるってんだ」

 

 そんな会話を聞きながら、ヤンも考える。

 確かに戦いは平凡に過ぎて、やはり要塞を本当に陥とすつもりなどないのか。おまけに敵味方の損害を極力減らそうという意図を感じる。

 

 戦いが始まり、早くも二週間が経過した。

 要塞側は試しに宇宙港を開け、艦隊を出すフリをした。それでも食いついてこず、誘いは無駄になる。ひょっとするとトゥールハンマーの修理が完全に終わったと思っているのだろうか。

 膠着した戦い、いたずらに時間が過ぎていく。

 

「時間はどちらに味方するのだろう。同盟か、帝国か。個人としてはこうして紅茶が頂けるのは嬉しいことなんだが」

 

 ヤンはそう言いながらフレデリカの淹れてくれた紅茶を飲んでいる。

 アッテンボローが、また給料泥棒と言われますよ、と言いかけたがやめた。しかしヤンの表情が口調と違ってあまりに厳しく、さすがのアッテンボローも無駄口をしようと思わなかった。

 

 

 

 一方、フェザーンがついに動く。

 

 エカテリーナが果断に行動する。そこに何の躊躇もない。

 後に魔女帝の電撃と言われるほどの行動力だった。

 

 その骨子は惑星フェザーンをいったん捨て去るというあまりに大胆なことだ。もちろんあらゆる方面から反発を受けるのだが仕方がない。

 

 しかし断固として行う。

 昨日あったことが明日も続くとは限らない。惰性で考えてはならない。

 嵐の襲来に目をそむけることは許されないのだ。

 帝国が軍事力を向けてくるのならフェザーンを守りきれるはずはなく、せっかく造り上げたフェザーン艦隊も無駄になる。商業惑星フェザーンは最初から防衛システムを持っていない。要塞とは違うのだ。

 それならいったん明け渡し、自治権を放棄し、戦略的に撤退した方がいい。

 もちろんかなうものなら情勢の変化に応じて奪還にかかるつもりだ。温存する艦隊はその時に力になるだろう。

 

 経済的な混乱を最小限にするため、取引の一部制限、物資の放出を行ない、強制的に物資価格の乱高下を抑え込む。

 そして各種惑星の産業データ、商取引データといった情報に最大限のプロテクトを掛けていく。

 もちろん航路データはフェザーンの持つ最重要の機密であり、考えられる限り厳重に秘匿している。何重ものプロテクトの上、数限りない欺瞞データを散りばめて万全の態勢とする。それをうかつに信じたら、ワープ後すぐにブラックホールに突入するほどの危険なトラップである。

 そして官僚などにはルパートが上手に説明をする。帝国軍の侵攻を匂わせながら明言せずに人を動かすのは至難の業だ。絶妙なバランスが必要とされる作業を、しかしルパートは見事やり切った。

 

 

 雌伏には準備が必要だ。

 フェザーンの持つ貴重な軍事的実力である二個艦隊をエカテリーナは回廊を越えて同盟領付近に展開させた。自由惑星同盟には事後承諾だ。

 

「エカテリン、艦隊を急遽動かすんだね」

「そうよミュラー。作って間もない艦隊だけどもう出番が来そうよ。女学校の演劇みたいにドタバタのにわか造りね」

 

 それは下手なジョークだったが目は真剣だ。

 

「一緒に戦って頂戴。フェザーンの未来がかかっているわ」

 

 エカテリーナは真っすぐにミュラーを見た。

 ここに至ってその危険性を誤魔化すことは考えない。

 

「ミュラー、相手は帝国軍。ローエングラム元帥と戦うのよ。あなたの上官だったロイエンタール提督もおそらく一緒でしょうね」

 

 だがそうだとしてもミュラーに動揺はない。

 フェザーンを守る艦隊にいる限り、いずれ帝国軍が敵になるのは分かっていたからだ。

 それにエカテリーナがそう言ってくるのはミュラーに配慮しているからだろう。かつての上官や同僚と戦わせなくてはいけないことに対して。

 

 今、その気遣いが無用なことをしっかり示さなければならない。

 

 自分は艦隊指揮官であり、エカテリーナを安心させるのが本分であり、逆に気遣われるのはおかしい。

 何よりも自分は男ではないか。

 

「エカテリン、そんなに気をつかうことはないよ。迷いなんかない。今はフェザーン機動艦隊の指揮官だ。相手は関係無いだろう?」

「あなたはそう言うだろうと思っていたわ。だから戦えるのかどうかは聞かなかった」

 

 そこを乗り越えてもエカテリーナの表情が和らぐことはない。

 もう一つ言うべきことがあるからだ。

 

「ローエングラム元帥は帝国にある艦隊のほとんどを率いて来るでしょうね。そんな大艦隊が相手、戦いは厳しくなるわ。絶望的と言ってもいい」

「だから艦隊はフェザーンから撤退するんだね。まともに迎撃したところで意味がない。それは賢明だと思うよ。自由惑星同盟の領地に入った帝国軍が苦戦した時、やっと勝機が訪れる。そしてフェザーンを奪還する」

「確かに帝国軍が苦戦するのが前提、いいえ希望的観測だけれど」

「でも希望はある。可能性がゼロじゃない以上、最善を尽くすよ。そしてエカテリン、戦いがどうなろうと君だけは絶対に守る」

 

 

 今、エカテリーナは少しばかり表情を変えた。

 責務を負うフェザーンの支配層の顔から、あどけない少女の顔に。

 しかし自分でそれが分かり、あえて元に戻す。だが瞳孔がやや開いたのは隠しようがない。

 

「そうねミュラー、守ってくれなきゃ困るわ。この自由と繁栄のフェザーンを消し去らないためルビンスキー家を絶やしてはいけないもの」

 

 あえて茶化した。ミュラーの言う意味を感じ取りながら。

 ここではっきりさせるのは怖い。

 

「もう一度言う。絶対に君を守る。何があっても」

 

 ミュラーはエカテリーナがその頭の回転の速さで誤魔化したのが分かるので繰り返す。

 この時、艦隊指揮官としてではなく個人的なことで一歩踏み込もうとしていた。

 何があっても守る、つまり自分が斃されても守る、ということだ。

 ミュラーのその当たり前のように決めている決断の強さを感ざるを得ない。

 

「そういうことを言わないで、ミュラー。さっきは戦ってくれと言っておきながら矛盾するようだけど、負けてどうしようもなくなったら逃げちゃえばいいのよ」

「君を捨てて、逃げろだって!」

「そうよ! 死ぬのはダメよミュラー。あなたには生きていてほしい」

 

 どうしてそこまで言うのか、理由は聞かなかった。聞くまでもない。

 

「ミュラー、知ってる? フェザーン人は無駄なことをしない、切り替えの速さが自慢なのよ。いよいよの時は名前を捨て、どこか遠くの開拓惑星に行けばいい」

「僕は軍人だ。それに指揮官が一番守りたいものを捨てて逃げていいわけないよ。最後まで盾になるんだ」

「いいえ、逃げていいのよ。それに私だって死ぬつもりはないわ。帝国軍に殺されてたまるもんですか。負けても終わりじゃないし、その時のミュラーには役に立ってもらうんだから。絶対よ」

「負けた後でも……」

「その時には、名も知らない惑星で畑を一緒に耕しましょう」

 

 

 

 二人の視線が交錯する。

 想いは力となって眼に込められる。

 

 

「私は土も嫌いじゃないわ。水路を引いて、家も作りましょう。私は役に立つわよ。自慢じゃないけど虫も叩けないお嬢様と違うもの。知ってると思うけど」

 

 どれほど綺麗に組み合わせて飾った言葉より情熱的なプロポーズだ。

 苦労を嫌うのではなく、二人で分かち合えば、それは幸せに変えられる。

 

「エカテリン、耕すのは僕だけでいい。君は家で、そう料理でもしてくれたらいいな。その方が君らしいし、得意だろう?」

 

 ミュラーは愛を軽く口にできるほど器用な人間ではない。

 しかし強い想いは決して伝わらないことはない。いや、今のこの時こそ互いに伝わらないでどうする。

 

 何年も前からお互いを分かっていた。

 

 おてんばでどこまでも自由だけれど芯のあるエカテリーナ、優しくて底抜けにお人好しで意外に短気なところもあるミュラー、そう知っている。

 

 何年もかけて次第に分かってきた。

 

 どれほど相手が自分の心の多くを占めてしまっているのか、どれほど相手が自分に必要なのか、それを感情が知っている。

 

 二人の想いは同じである。

 どんな嵐に見舞われようと生涯を共にと願う。

 今が誓いの時だ。

 

 

 数秒後、男女の影が重なった。

 

 

 

 




 
 
次回予告 第百九話 建国の遺志

忘れるな、大義を!

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