疲れも知らず   作:おゆ

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第百九話  489年12月 建国の遺志

 

 

 エカテリーナはミュラーと同様にアップルトン提督に対しても艦隊の展開を命じた。

 フェザーンの二個艦隊は帝国軍を迎撃せず、自由惑星同盟領に退避する。

 しかしそれは来たるべき時に反攻するためだ。それまで自由惑星同盟軍と協調して行動するか、あるいはしっかり隠れるか、決めていない。

 

「アップルトン提督、艦隊をしっかりまとめ上げ、ミュラー提督と連動して下さい」

「もちろん、ご命令とあれば」

 

 アップルトン中将は嬉しそうだ。そして気を引き締めつつも闘志を掻き立てている。自分がこの艦隊を率いる意味がもう間もなくはっきりするだろう。

 来る敵は帝国軍、思いっきり戦う。今度はアムリッツァでの借りを返してやる。

 

「作戦は何がいいでしょう。アップルトン提督」

 

 エカテリーナは率直に意見を聞いた。

 腹の探り合いはせず、短い言葉で真っ向から聞いたのだ。それはもはや客人としての提督ではなく、信頼できる同志のような扱いである。その真実がアップルトンの胸にすとんと伝わる。

 

「最適な迎撃法でしょうか。帝国軍が万全の態勢を整え、苛烈な意志をもって迫るのであれば正直自由惑星同盟の存続は危ういでしょう。悔しいことですがあのローエングラム公には戦力も覇気もあります。銀河の歴史を変えるほどの英雄が出てきたと思うべきでしょう。対して同盟は相対的に弱体化しきっています。であればフェザーンが取るべき道は悠長なことをせず、全力で自由惑星同盟軍と協調しなければなりません」

「つまり、最初から同盟と協調すべきってことね」

「そうです。傍観者ではいくら姑息に立ち回っても帝国が同盟を倒すついでに踏み潰されるのがオチです」

 

 フェザーンとしては二大勢力の漁夫の利を得るのが効率的である。

 しかしこの情勢はそんなに生易しいものではなく、帝国側の優位は動かない。ならば生き残るためには弱い方、すなわち自由惑星同盟に全面的に味方した方がいい。

 

「なるほど理にかなっています。そして具体的な方法は」

「帝国軍の数にもよりますが、フェザーン回廊出口に縦深陣を敷いて待ち構え、最大限効率的に消耗させていくべきでしょう。同盟としては航路と補給の両面で自領で戦う優位性を生かさねばなりません。つまりハイネセンまでの距離を味方にします。逆にいえば橋頭保を簡単には作らせず、力勝負に持ち込ませない、これに尽きます」

「そうね。おそらく同盟の首脳部もそう考えるでしょうね」

 

 

 

 一方のヒルダである。フェザーンに留まるのは自分にもサビーネにも危険だと思っている。

 銀河帝国正統政府とラインハルトが戦闘状態というわけではない。ラインハルトから賊と決められたこともなく、逆にラインハルトを賊と認定したこともない。

 一種の放置状態だ。

 皇帝であるサビーネを敬わない時点でラインハルトを賊と認定してもよい根拠はあるのだが、そこはヒルダの政治判断であり、決定的な亀裂を表面化させないためだ。

 だが、フェザーンが帝国軍に占拠されればさすがに捕らえられてしまうだろう。ラインハルトの側でもさすがに放置するわけにはいかない。ぺクニッツ子爵家の娘が見つかっている以上、銀河帝国正統政府など名目上も不要で、目障りであり、存続させるに値しない。

 

 そこでヒルダは正式に自由惑星同盟政府に亡命の打診をした。

 こっそりフェザーン艦隊に紛れて同盟領に移動することはしない。それをすればますます敗残の皇帝僭称者というイメージになる。

 

 

 さすがにこの案件は同盟政府を揺るがせた!

 

 何と同盟と150年もの間戦ってきたゴールデンバウム王朝が亡命してこようというのだから。

 事は重大、ニュースは直ちに極秘扱いになり、最高評議会議長ヨブ・トリューニヒトに伝えられた。

 しかしここでヨブ・トリューニヒトは先送りや隠蔽といった方策はとらない。

 むしろ民主的な判断に従い、先ずは議員にしっかりと情報を公開し、その上で意見交換を行うこととした。

 しかし様々な議論が飛び交い、たちまち議会は収拾がつかない状態になってしまう。

 

「即刻拒絶だ! それしかない!」

「考えるまでもない話だ。今帝国を刺激してどうなる。責任が取れるのか!」

「もしもローエングラム公がそれを理由に侵攻を正当化したら。身震いがする」

 

 評議員の大多数がそういう反応をした。

 それこそ拒絶反応といってもいい。

 しかしそれにも一理あり、現実的な判断ともいえる。どんな火種も今は遠ざけるべきである。燃え盛る大火になる前に消すのだ。今、同盟の国力は帝国と堂々と渡り合える状態にないのだから、刺激は避けるべきである。

 

 

「いや、ここは一つ受け入れた方がいい。いざとなればその正統政府とやらの首を差し出せばいいではないか」

「武力で帝国と差がある今、政治的な交渉が何より大事だ。手札は一枚でも多い方がいい」

「これは逆に帝国に恩を売るチャンスだ。その道具にしてしまえばいいだけだ」

 

 そう主張する者たちも一定数いる。リアリストのグループのようだった。その主張は酷薄なようだが、同盟のため利用できるものは何でも利用する、そういう判断に基づいている。

 

 

 一方、ひときわ声を張り上げるグループもいる。

 

「冗談じゃない! ゴールデンバウム王朝の子孫など受け入れられるか!」

「話にならん。150年の英霊に何と言えばいいんだ。初めから議論するようなことじゃないだろう」

 

 激しい感情で反発する。愛国心が強ければ強いほどそういう人間が多い。

 確かにこれまで同盟軍が戦い続けた相手は何だったか、ゴールデンバウム王朝そのものではないか。

 

「受け入れなど無理だ。帝国とゴールデンバウム王朝は同義語だろう。市民が納得するはずがない」

 

 若干穏健な発言でも市民感情はおそらく反発しかないと予想している。

 

 

 

 ヨブ・トリューニヒトはしばらく議論に任せた。こうなることは予想の範疇だ。

 ただし自分はもう結論を出している。それが受け入れられるかそうでないかは分からない。

 ただしそれが受け入れられなくとも、多数決により最終的に決まったことには従うつもりだ。

 民主的な手続きは何より尊い。ただしその前に全力で説得を試みることはもちろんである。

 

「諸君、大体の意見は聞いた。しかしここで議長として私も主張させてもらう」

 

 何だろう、これまでにない新規な意見だろうか。

 しばし議会は静寂に包まれ、トリューニヒト議長の発言に耳を傾ける。

 

「諸君らがこの同盟を思う気持ちは分かった。それなら今からの話を理解できるだろう。なぜなら、我が自由惑星同盟の建国の精神を問うものだからだ。アーレ・ハイネセンはかつて何を言ったか。それは帝国から逃れる者たち、帝国から迫害される者たちは同志である。共に力をあわせ、新天地で礎を築こう、というものだ」

 

 そこまでは皆も意見は一致している。

 同盟の発足以来の国是だ。

 

「今回の案件も本来なら議論すら必要なく、入国管理局の事務手続きで済むはずだったろう。しかし私も亡命を希望する者の名が特別な意味を持つことを理解している。そこで議会での討論を行うこととした。だが討論が次第に本来の道から外れていくことを看過しえない。同盟の精神が忘れられていることを許容できない。諸君らにはもう一度原点に立ち返ってもらいたいのだ。そうすれば見えるものがある」

 

 ヨブ・トリューニヒトは力を込めた。

 同盟の政治家ならば決して忘れてはならないものがある。

 

「アーレ・ハイネセンがこの話を知ったなら、寛大にも亡命を受け入れるだろうと私は確信している。帝国の顔色をうかがう必要などない。利用価値を計算することは更に必要ない。我が自由惑星同盟は、自らの理念に基づいてのみ行動を決める。それだけが指針なのだ。例え亡命希望者がゴールデンバウム王朝の末裔だろうとその理念を適用できないはずはない。利益のために、あるいは復讐の怨念のために理念から外れてはならない。帝国の現政権から圧迫されている者を迎え入れよう。簡単なことではないか。それこそが我々が同盟の後継者である証しであり、更にアーレ・ハイネセンの心を今に伝える者の義務である」

 

 同盟の精神、それは何にも増して尊いものだ。

 それを捨てたらもはや同盟ではない。アーレ・ハイネセンの子ではなくなるのだ。

 物理的な国家の存亡以前に同盟はその精神において滅びてしまう。

 

「諸君、我々の誇りとはどこにあるのか、忘れてはならない。それは建国の遺志ではないか。そしてその灯を保つことではないのだろうか」

 

 

 政治家たちはこの演説を聞き、襟を正した。

 同盟の誇りはそこにこそあるのだ。

 

 議会では投票が行われたが、結果は本当にごくわずかの差で亡命受け入れが可決された。

 

 ヨブ・トリューニヒトは安堵の溜息を漏らした。

 それを聞きつけたホアン・ルイが声を掛ける。

 

「議長、名演説だったね。演説が得意な御仁だと思っていたがやはり大したものだ。いや、これは皮肉じゃない。皮肉っぽいのは私の癖だが、今のはそうじゃない。私も実は議長が建国の遺志を持ち出してきたことで安心しているんだ。それは大事なことだからね。議長も亡命受け入れを決められて安心だろう」

「受け入れが決まって安堵しているのは事実だが、少し思い違いをされているようだ。私が最も安心しているのは投票の結果の方だ。僅差だったろう。それでこそ安心できた」

「それは何のことだろうね、議長……」

 

 

 さすがのホアンでもトリューニヒトとが言う意味が分からない。

 投票の結果が僅差、それが良いとはいったい何だろう。

 

 しかしさすがに思い当たることがあり、顔の表情が緩む。そしてヨブ・トリューニヒトの政治家としての姿勢に信頼を持った。

 

「そうか、議長、掛け値なしに見直したよ!」

「分かったようだね。そう、私の演説によって意見を変えた者も多い。しかし、一時の感情に流されず、自分の思う所を曲げない者も多くいたのだ。だから僅差になった。その冷静さも大切なことだろう」

「ああ、確かにそうだよ議長。同盟の精神と民主主義は熱狂ではなく、それぞれが真摯に考え、考えを押し付けも捻じ曲げもせず、互いの考え方を認め合うことで守られる」

 

 ホアンは更に笑顔になった。

 軍事力はさておき、精神面において同盟はまだまだ捨てたものではない。そう分かったからだ。

 

 

 

 

 




 
 
次回予告 第百十話 父の決意

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