疲れも知らず   作:おゆ

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第百十話  489年12月 父の決意

 

 

 イゼルローン方面に帝国側から戦闘艦ではなく、大規模な輸送船団が到着した。

 これ見よがしなその姿を、要塞の側ではやはり沈黙で見守るだけだ。

 

「これで帝国軍としては長期布陣が可能になる。それだけの物資が届けられた。むろん長期戦は本意ではないと思うんだが」

 

 ヤンは情勢の変化に応じて思考を巡らしていく。

 

「長期戦ってことじゃないでしょうよ。なぜなら物資ならイゼルローンの方が多く、物資でこっちが音を上げることは考えられませんから。単純な誘い出しじゃないですか? 遠征してきた相手の補給を叩く、これは当たり前ですから、それを敢えてさせようと」

「おっ、アッテンボローも戦術を語るようになったなあ。成長はいいことだ。先輩として嬉しいね」

「茶化さないで下さいよ。では先輩は釣り出し以外に何だと思うんです?」

「う~ん、他に考えられることは守備側に対する精神的な疲労と圧迫を加えることだろうか」

「それなら輸送船の中身が空でもいいわけですね。確かに効率的な手で」

「本当にそうなのかどうかは別として、今は考える材料が不足している。当面守備を固める以外にやることがないのは、変わらないんだが」

 

 

 

 その頃、既に帝国軍本隊は動いていた。

 

「今や機は熟した。ミッターマイヤー、ロイエンタール、ビッテンフェルト、シュタインメッツ、ケンプ、各艦隊を率いて準備が整い次第出陣せよ! メックリンガーは本隊に留まり幕僚長に任ずる。首都星オーディンの治安はケスラーを憲兵総監として最高責任者に任ずる。また、アイゼナッハは自身の艦隊と共にオーディンとどまりそれを補佐せよ」

 

 諸提督は既に出陣を予定していたが、やはり実際に行動するとなると興奮はある。

 

「卿らの目的地はイゼルローンに非ず、フェザーンである。今こそフェザーン回廊を利用して戦いに終止符を打つ!」

 

 黄金の覇王はこれまで誰もしなかったような華麗な軍略を駆使する、それはもはや確信に近かった。

 何と、これまで誰も考えなかったフェザーン回廊を利用することで、叛徒に攻め入るとは。どれほどダイナミックな戦略なのだろう。

 

 

 各艦隊司令が慌ただしく準備を進めて行く中、ミッターマイヤーとロイエンタールは共にワインを傾けることを忘れない。いったん出陣すれば次はどこで合流できるか分からないのだから。

 

「ミッターマイヤー、今回の大作戦だがやはりあの方らしい壮大なものだ」

「そうだな。あの方はこうすると思っていた」

「だがその壮大さに目がくらんでしまうが、やや腑に落ちない部分があるのも事実だ」

「それは俺も考えていることと一緒だろうな。変な言い方だが、さすがだロイエンタール」

「そう返されるとは思わなかったミッターマイヤー。不敬だぞ、くらいに言われるかと思っていたのだがな」

 

 ロイエンタールとミッターマイヤーは帝国の双璧と呼ばれる将である。その考えは戦略的にも深くに及んでいる。

 だからこそ解せないものがあるのだ。今回の出兵においてただ一点だけ。

 

「本当に不敬な時にはそう言うさロイエンタール。ともあれ今回の出陣、妙なのはそのスピードだ。敵の意表を突き、思いもしないフェザーン回廊から攻め込むというのが作戦の根幹だろう。それなら出陣をいったん欺瞞で覆い隠すべきではないか」

「全くその通りだ。最も有効なのはイゼルローンに行くと見せかけて反転し、一気にフェザーンを陥とすことだろうな。そんな電撃戦をとらないとは不思議だ」

 

 これ以上は考えても分からない。

 しかしながら勝利を疑うことは微塵もなかった。

 

 

 帝国軍は戦闘用艦艇だけで十一万三千隻を擁する大艦隊になる。これは先年の同盟軍による帝国領侵攻作戦以上の規模だ。

 

 フェザーンを指呼に臨む距離に集結していく。

 主力戦艦、戦艦、空母、軽空母、重巡航艦、軽巡航艦、駆逐艦、水雷艇から編成される一個艦隊、それぞれが整然と布陣を揃えつつある。微調整が終われば各艦隊はきっちり同じ距離を保つようになるだろう。

 見る者が見れば、その布陣の綺麗さだけでも指揮官の力量が分かる。そうでなくとも美しい光点の列の壮大さに心打たれる。

 

 反面オーディンにはわずか一万八千隻の一個艦隊しか残されていない。アイゼナッハは攻守にバランスが取れ、柔軟性のある将だが艦の数は少ない。それはラインハルトの本隊はもちろんイゼルローン方面のキルヒアイスも絶対に敗れることはないという自信の表れだ。

 

 

 

 

 このフェザーン回廊への侵攻は各方面へ急報としてもたらされる。

 

 イゼルローン回廊とは違い、フェザーン回廊近辺には民間用航路と軍事用航路の別はない。というより軍事用航路がほぼ存在しない。これまでは帝国軍もフェザーン回廊方面など考慮していなかったからだ。

 そうなると帝国艦隊は民間輸送船団に容易に発見される。何も隠しようがない。

 

「な、何だあれは! 帝国軍か! しかしどれだけの数がいるんだ!」

 

 民間商船の艦橋では、スクリーンに捉えきれないほどの光点を見て、異口同音に唖然とした声が漏れた。見たことも無い大船団、いや軍用艦で構成された大艦隊である。

 帝国軍は民間船に対し航路からの退避命令を発してきたが、攻撃をかけてくることはない。

 

 逆に帝国艦隊へフェザーン側の警備隊や航路局が静止を呼びかけても応えることはない。。むろん、誰もがこんな大艦隊に何をどう呼びかけても無駄だと思ったのだが、無駄を嫌うフェザーン人の中にも一応職務を全うしようとする者がいたのだ。

 

 しかしさすがにフェザーン政府直々の通信に対しては艦隊も返答を返してきた。しかしそれは問答無用というのに等しい。

 

「フェザーンといえど帝国領である。そこへ帝国軍が向かうことについて何の不思議もなく、事前通告は不要と判断した。むしろ艦隊駐留の準備を速やかに整えられたし」

 

 自治領であることについて全く考慮の欠片すら見せない。

 もはやフェザーンの軍事的占領は既定路線だと言い放っている。

 

 そのニュースがフェザーン二十億人を驚かせながら駆け巡ると、慌ただしく各種の艦船がフェザーンから出航していく。

 もちろん帝国軍から逃げるように出ていくのだ。しかし、それはフェザーンに停泊していた民間船全体からすれば一部だった。フェザーン商人たちはしたたかで、帝国軍がフェザーンに来たところでむやみに暴虐を働かないことを見通している。もしかすると新しい商売のチャンスがあるかもしれない。

 何より帝国軍としてもフェザーン商人からの信用を破壊することは得策ではない、そう考えるだろう。今後ともフェザーン商人の協力を得た方がいいのは自明だ。

 

 

 そして脱出していく側の船の一つにエカテリーナが乗っている。兄ルパートや父親アドリアン・ルビンスキーとは一緒の船ではない。もちろんルビンスキー家としてリスク分散のためだ。ちなみにヒルダやサビーネなどの正統政府の面々はもう一足先にハイネセンへ向かっている。

 

 

 フェザーン回廊からあとわずかで同盟領に入ろうと言う時、エカテリーナはルパートに連絡する。

 その通信で互いが無事に脱出したことを確認して喜んだのはいいが…… エカテリーナへ寝耳に水の情報が伝えられた。

 

「エカテリン、驚かないでほしい。自治領主アドリアン・ルビンスキーはフェザーンを脱出していない。」

「えっ、お父様が脱出できなかったの! そんな、どうして! まさかあのお父様に限ってヘマなんか」

「違うエカテリン。脱出できなかったんじゃない。脱出しなかったんだ。それを本人の口から聞いた」

「よけい変だわ! それで兄さんは平気なの? 自治領主のいないフェザーンなんて、どこをどうやって復興するの! いいえ、そんなことよりお父様の安全が第一だわ。帝国軍は見つけようと探しまくるに違いない。そして見つかったらただじゃ済まないでしょう。そうなったらどうするの!」

「平気とかそういう問題じゃないんだ。自治領主が自治領主として判断し、行動したんだ。僕らがどうこう言うべきじゃない」

 

 ルパートも困る。

 むろんエカテリーナの気持ちも分かるんだが、それとこれとは別だ。自治領主の判断に誰も逆らってはいけない。

 

「でも兄さん、これはそんな、普通のことじゃないもの!」

「気持ちは一緒だよ、エカテリン。しかしフェザーンは僕らに託されたんだ。まだ通信ならフェザーンに届く。早く、今のうち聞いておくといい」

 

 言われるまでもない。

 エカテリーナは直ちに父アドリアン・ルビンスキーに連絡をとる。

 

「お父様、言い訳は一切聞きません。早く脱出して下さい!」

「エカテリン、やはりそう言うか。お前が必死なのはよく分かる。それも父として嬉しいことだ。しかし、結論は変わらん。ここに残る」

 

 それでも食い下がるエカテリーナを優しく見て、簡潔に告げる。

 

「一つ隠していたことがあるのだ。エカテリン、実はこの父はもう長くはない。脳腫瘍だ。これはもはや末期で治しようがないらしい。もってあと数ヶ月とのことなのだ」

「えっ、そんな! このところ調子が悪いと言っていたのは、そのせいだったの!」

 

 エカテリーナは絶句する。

 自治領主アドリアン・ルビンスキーが知らぬうちに重病にあったとは。

 

「間抜けだと思ったろう。自分でもそう思ったぞ。大きなことを言いながら、自分のことはおろそかになっていた。ただし、それでも死ぬまでは働く。どうせならフェザーンに残り、さんざん帝国軍を悩ませ、後ろから撹乱して見せる。それくらいはやるつもりだ。お前たちとフェザーンのために」

 

 やっとアドリアン・ルビンスキーの真意が知れる。

 もはや助からないなら、最後までフェザーンのために命を燃やすのだ。

 

 

「エカテリン、お前という娘を持って幸せだった。親馬鹿かもしれんがお前はフェザーンを託すに足る器になれる。いや、経験が浅いことを除けばもうその器になっている。ルパートと共に、未来を作れ」

「そんな! お父様のいないフェザーンを作ってもどんな意味があるというの! ダメだわ、そんなの、そんなの許せない」

 

 エカテリーナの驚き、嘆き、それに構うこともなく父は締めくくる。

 

「かの同盟軍のヤン・ウェンリーは口を開けば年金のことばかり言っているそうだが、この父に年金は不要になった。その代わりドミニクを頼む。あれはあれで皮肉っぽいながら、忠義なところがあるのだ。助けてやってくれ」

 

 それで通信は切られた。

 歴代最高と言われたフェザーン自治領主アドリアン・ルビンスキー、いや一人の父親としてもっと話したいことはあったろう。これが本当に最後の会話になるのだから。

 しかし、そんな未練は自分から断ち切った。

 剛毅な父、そして自治領主、その姿を覚えておいてもらいたかったのだ。

 

 

 エカテリーナの方も再び通信をとることはなかった。

 父との別れ、感情は渦巻いて果てることがない。

 こんな日が来るとは予想もせず、いつまでも一家は優しい風の中にいると思っていた。それが思いもよらない悲しみに変わるとは、こんなに突然に。

 

 ただし頭では分かっている。

 こんな悲劇は銀河のどこにでも転がっていて、長く続く戦乱の人類社会では珍らしいと言うに値しない。

 そして何よりもここで立ち止まることは、父の期待に背く。

 これまで教えられ、培われてきた父の思いを無にする。

 

 先に立って導く人間はもういない。だが自分はアドリアン・ルビンスキーの子として、その誇りを胸に力の限りを尽くす。

 

 これからは自分の信じる道を行くのだ。

 

 

 俯いた表情も、身に走る震えも、消してやる。

 呼吸すら難しい嗚咽も、胸を潰してくる痛みも、今だけのものだ。

 明日には引きずらない、そう決めた。

 

 

 だから今は敢えて言おう。

 さらば父よ、と。

 

 

 

 




 
 
次回予告 第百十一話 縦深陣を突破せよ

存亡を賭けた戦いが始まる

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