ポレヴィト航路へ出立するのに先立ち、ビュコックは統合作戦本部にてグリーンヒル大将と会談を持っている。
それはフェザーン方面の話ではなく、イゼルローン方面、つまりヤンについての話だ。
二人の考えは驚くほど一致した。
「グリーンヒル大将、帝国軍の総数は多く、同盟軍は絶対的な劣勢に置かれておる。この上は遊軍を作っておく余裕はないじゃろう」
「つまり同盟軍を全て有効に使う、それはイゼルローンのヤン提督のことを仰りたいのでしょうか。ビュコック提督」
この二人はどちらも大将であり階級的には同格だが、あえて言えばグリーンヒル大将の方が少しばかり先任に当たる。しかし戦歴ではビュコックの方がはるかに優り、自然とそういう言葉使いになっていた。
「むろん最初からヤンの第十三艦隊を動かすという意味ではない。今もイゼルローン要塞は四万隻もの帝国軍と戦っている最中であり、そうやすやすと要塞を放棄していいものではないからじゃ。じゃがもしもフェザーン方面から来る帝国軍を儂らが阻止できず、フェザーン方面から同盟領に雪崩れ込まれたならば、その時には必ずしもイゼルローン要塞防衛にこだわらんでよいと考える」
「実は私も同じようなことを考えてはいました。帝国軍は二方面作戦が可能な物量を持っていますが、同盟はそうではない。戦略的に選択すべきだと。しかしそれにはタイミングが問題になります。戦局に応じて素早く柔軟に判断しなくてはなりません」
「それは問題にならんじゃろう、グリーンヒル大将。そこを考えるのも全てヤンに任せてしまえばよい。なに、少しばかり昼寝の時間を削っても文句は言わん」
「なるほど……」
確かに同盟はハイネセンを陥とされれば終わる。フェザーン方面から来る帝国軍か、イゼルローン方面から来るものかに違いはない。ともあれ優先順位をしっかり見極めないと防ぐことはできない。
ここでビュコックは丸投げ、といえば聞こえは悪いが、ヤンに自由裁量の権限を与えることを提言している。同盟随一の智将、魔術師ヤン・ウェンリーに託すのだ。
「こう訓示しておけばよい。すなわち、最善と思われる行動を取れ、と。ついでに言えば要塞から撤退するだけでも難事ではあるが、そこはそれ、あの魔術師が何とかするじゃろうて」
「なるほど、承知しました。では訓示は統合作戦本部からイゼルローンへ通達しておきます」
そして、ヤンはイゼルローン要塞司令室のスクリーンにてヤンはグリーンヒル大将を見ることになった。
「そういうわけだ。訓示は以上になる。ヤン提督」
黒のベレー帽を握りしめ、そのまま逃げ出したいような表情でヤンはグリーンヒル大将の言葉を聞いている。
「その、具体的なことはどのように」
「ヤン提督、情勢は流動的であり、ここで決めておけるものではない。その事を踏まえての訓示であると理解してもらいたい」
ヤンはその通信の後、いつものため息をつく。本人はことさら深くため息をついたつもりでも、回りにはいつものことにしか見えないのがヤンの不徳かもしれない。
「どうしたんです、先輩。今の訓示は先輩が自由に行動していいっていうことでしょう? だったら良かったじゃないですか。統合作戦本部もたまにはいい話を言ってきたんだから、ここは感謝しなくちゃ」
「どこがだい、アッテンボロー。おそらくビュコック大将の入れ知恵にグリーンヒル大将も乗っているんだろうなあ。どうも統合作戦本部は食えない面々がそろっているようだ」
ここでヤンはしまった、という顔をした。
素早く視線を動かし、側にフレデリカがいないことを確かめる。ヤンはフレデリカが父親ドワイト・グリーンヒル大将を大好きなことを知っていて、フレデリカの歓心を損ねることはしたくないのだ。
そしてフレデリカがいないと知ると安心して話を続ける。その様子がアッテンボローやシェーンコップにバレていないと思っているところがヤンらしい。そういう方面ではヤンに魔術師のまの字もない。
「お年寄りたちは若者に働かせたがるのかねえ。その訓示は休む暇なく働けってのと一緒じゃないのかな。自分で仕事を見つけて働けという訓示は仕事の強制と非常に近い関係にある」
あくまで訓示のマイナス点を言うヤンにアッテンボローも呆れ顔だ。
「ビュコックの親爺さんは置いといて、グリーンヒル大将は年寄りでもないし、先輩も若者と言うにはちょっと。それはとにかく、同盟が無くなれば先輩の年金も出ませんよ。いいんですか?」
「そいつは、困るなあ。本を読んで暮らせなくなる」
「じゃあ決まりですね。ここは一つ超過勤務して下さい」
本心では第十三艦隊を最大限有効に生かし、同盟を救いたいと思っているくせに素直じゃなく、毎回ボヤきを入れるのはなんだかなあとアッテンボローは思ってしまう。
そんな会話が終わると、ヤンの方はもう深い思索に入っていた。
その後たっぷり二週間の間、イゼルローン要塞は消極的姿勢を貫いた。具体的にはトゥールハンマーを一切撃たなかったのだ。
今までは牽制のために低出力でも時折撃っていたのに。
当然帝国軍では不審に思う。
そして、こわごわと要塞との距離を縮める。もしかすると砲台の修理に不具合が起きて、トゥールハンマーがもう撃てなくなっている可能性がある。
だがその時、イゼルローン要塞から堂々と第十三艦隊が発進してきた。
「キルヒアイス閣下、これは奴らの罠でした! こちらを騙して近寄らせたのです。満を持して艦隊を出してきたからには、おそらく艦隊の攻撃と併せてトゥールハンマーを最大出力で使うのでしょう。すぐさま離脱しないと危険です!」
参謀ベルゲングリューンがキルヒアイスに慌てて言ってきた。
イゼルローン要塞側の罠と見ての進言だ。
周りにいたワーレン、ルッツといった提督たちも軽くうなずいている。キルヒアイスの麾下にはそれに思い至らないほど思慮の浅い将はいない。
「そうですね。その可能性ももちろんあります。艦隊を一度要塞から遠ざけて下さい」
その言い方はキルヒアイスが完全に同意していないことを示す。
そんなに単純なことをするだろうか。
しかしキルヒアイスは進言に対し、軽く微笑んで了承した。
結局、トゥールハンマーが発射されることはなかった。
そして要塞から出てきた艦隊は一目散に加速しているではないか! それも帝国軍の方にではなく、同盟領方向を目指して進んでいる。まるで要塞を放棄して逃げ出しているかのようだった。
「何だこれは! まさか奴らは本当に撤退しているのではないか?」
「いや、多少大胆ではあるがトゥールハンマーにおびき寄せる罠に過ぎない。少し待てば諦めて要塞に戻るだろう」
「伏兵、あるいは援軍が近いという可能性はないか」
ワーレン、ルッツなどが議論を交わし、それでも結論は出ない。
議論に終止符を打ったのは総司令官キルヒアイスだった。
「当艦隊は、まだ動かないでおきましょう。トゥールハンマーを恐れている、そのように見せておけばいいのです」
表情はいつもの穏やかな微笑みであり変わることがない。
諸将はその言い回しにわずか妙な表現が入っていることに気付く。何の駆け引きが存在するのだろうか。少しの疑問を持ったが、行動としてはその通り動かなかった。
その結果、ヤンの第十三艦隊はイゼルローン要塞にいた民間人も全て収容し、犠牲を出すことなく放棄に成功したのである。
「先輩、あそこでトゥールハンマーをお見舞いしてやればよかったですね。どうせなら一発だけ最大出力で撃てば」
「やれやれアッテンボロー、あれでいいのさ。帝国軍はトゥールハンマーを使った罠を疑っていたから艦隊の方を追わなかったのさ」
「それは逆じゃないですか。撃った方がむしろ罠に見せかけられてよかったんじゃ」
「帝国軍の将は単純ではないよ。力量があることはこれまでの戦いで明らかだ。もし一発でも撃っていれば、裏を読まれ、逆に撤退を企図していることが見破られたかもしれない。撃たないのがこの場合の正解なんだ」
「そんなもんですか」
そこにはヤンとキルヒアイスの高度な頭脳戦があった。
ポレヴィト会戦の結果を知り、イゼルローン要塞放棄と艦隊脱出を決めたヤンと、イゼルローン方面の帝国軍を任せられたキルヒアイスとの。
結果だけ見れば、欺瞞の挟撃によって帝国軍を騙し、撤退に成功したヤンの勝ちに見える。しかしキルヒアイスは何も慌てず、予定通りという顔をしている。まるでヤンを放逐するのが正しいといわんばかりに。
ヤンの第十三艦隊艦隊一万七千隻は無傷で航行し、途中の星系で民間人を下ろすとそのままフェザーン回廊へ向かう。
ほどなくヤンは追加情報を得る。フェザーン回廊方面の帝国軍がウルヴァシーに大規模な駐留基地を作り、そこに留まっているという。
そこから、既に脳裏に想定戦場を思い描いていた。
それとほぼ同時期に同盟首都星ハイネセンへ銀河帝国正統政府、すなわちヒルダとサビーネなどの一行が到着していた。
亡命に必要な手続きにしばらくの日数を費やした後、代表してヒルダが同盟最高評議会議長ヨブ・トリューニヒトと面談をすることになる。さすがにトリューニヒトとしてもヒルダらを他の単純な亡命者と同列にすることはできず、いくつかの確認が必要になるからだ。
その頃にはヒルダもまたポレヴィト会戦の結果を知った。エカテリーナがヒルダにいち早く知らせているからだ。
迎撃に向かった同盟軍は破れ、帝国軍は同盟領内に橋頭保を築いた。自由惑星同盟存亡の危機である。
ただしそれはヒルダの想定する範囲内だ。あのラインハルトが大艦隊を率いている以上、簡単に迎撃を許すはずがない。
ヒルダには次の情報こそ重大な問題だった。
ヤンの第十三艦隊がイゼルローン要塞を放棄してフェザーン方面に向かっている。貴重な同盟戦力を充分に活かし、決戦を挑むためだろう。
だがこれを知った時、ヒルダはめまいがした。
着実に帝国軍は同盟側を詰んできている。
「それでは銀河帝国正統政府の方々へ、我が自由惑星同盟への亡命を了承しますが、いくつかの注意事項は遵守して頂きたい」
ヨブ・トリューニヒトは事務官から引き継ぎ、実質的な銀河帝国正統政府の長であるヒルダへ丁寧に確認する。
ヒルダもまた気もそぞろながら、それに返答する。こういう形式もおろそかにできないのだ。
「これらの書面に記された事項ならばどれも納得のいくものです。政治活動の制限、経済活動の報告義務などは当然です。逆の立場ならやはり同じものを書き出したでしょう、議長」
「結構、それでこちらも安心できるというものです。この事項は最小限のものとお考え下さい。では書面のご確認を頂けたということで宣誓書にサインを」
むろん、亡命を希望するヒルダらに拒むという選択肢がないことを口に出すほどトリューニヒトは失礼な人間ではない。恩着せがましいことを匂わせたり、居丈高になることはない。ヒルダらに対し過度に同情的になることもないが、せめて紳士的に接するのだ。
ただしここでトリューニヒトはさっそく裏切られる。
ヒルダの言葉は悪い方に意外なものだった。
「最初からその期待を裏切る形になるのは重々承知なのですが、ここで最高評議会議長であるあなたに申し上げたいことがございます」
「それは何でしょう、ミス・マリーンドルフ」
トリューニヒトはわずかに不信感をのぞかせながらも聞き出す。署名直前に何だろう。
「ありがとうございます、議長閣下。それは先頃、ヤン提督がイゼルローン要塞を放棄したことについてです」
それに対し、さすがにトリューニヒトは渋面を作らざるを得ない。
「ミス・マリーンドルフ! それはこの書面を読んで頂いた方がおっしゃる言葉とは思えません。最も基本的な事項として書かれている通りです。我が自由惑星同盟があなた方を受け入れるのはあくまで民主主義という理念によるものです。もちろんあなた方の思想信条を今すぐ曲げろとは言えません。ですが同盟に来られた以上、ここでは帝国への政治活動をしてはなりません」
「それは承知しております」
「むろん銀河帝国正統政府を立ち上げた立場なら何か言いたいこともあるでしょうが、少なくとも今は自重して頂きたい。同盟と帝国の政治や軍事に関わる話なら一切お聞きしません。むろんお答えも致しません」
「そのお考えはよく分かります。当然のことでしょう」
「それでは、宣誓書はまた別の者を取りに来させます。私は立場上、そういった内容の会談はできませんので。失礼いたします」
トリューニヒトが立ち上がりかけるも、なおヒルダは訴えをやめない。
その言葉でトリューニヒトを刺した。
「それがこの国を亡ぼすことになってもでしょうか? 議長、これは帝国の戦略の根幹に関わる話であり、もしも知らないでいればこの国は確実に帝国によって倒されます」
語る内容と揺るぎない態度に、思わずトリューニヒトも動きを止めた。
次回予告 第百十六話 二重の罠
同盟の命運は……