「議長、今の同盟に最も重要なことは国を保つことだと存じ上げます。ここで話すことにそれだけの価値があるとわたくしは確信しております」
トリューニヒトは何も言わずにヒルダを見る。先ほどの言葉はもちろん衝撃的だ。
沈黙を了承と受け取ったヒルダが話を続けていく。
「では端的に申し上げます。イゼルローン要塞の放棄はやむを得ないかもしれませんが、結果的に悪手です。帝国はそれを誘導しました」
「何を言いたいのでしょう? その理由は」
「なぜなら帝国軍はあくまでイゼルローン方面からこのハイネセンを陥落させるつもりだからです。ヤン提督のいないイゼルローン回廊を通り、間もなくここハイネセンにやって来るでしょう。逆にフェザーン方面の帝国軍こそ囮なのです」
「話されることがよく分かりません。ならば是非ともその考えに至る根拠をうかがいたい」
トリューニヒトは疑わざるを得ない。なぜそんなことを確信を持って言えるのか。
目の前のマリーンドルフ嬢は確かに正統政府を背負って立つ傑物である。わずか二十一歳でありながら、サビーネから全幅の信頼を置かれている。実質的に銀河帝国正統政府はこの嬢に率いられているのだ。おまけにあのローエングラム公と渡り合おうというのだから無能なはずはない。
それは報告書を見ても分かるが、こうして直に見ると完全に得心が行く。
少し話しただけで怜悧な頭脳の持ち主であることはすぐに分かる。完璧な同盟語の素養、フォンのつく貴族家の令嬢でありながら短髪、そして瞳の色が薄いことさえその印象に拍車をかける。
だがしかし、それでもこの嬢は軍事の専門家ではないはずだ。それなのに極めて難解な軍略を一刀に切って捨てるとは。
「では根拠をお話ししましょう。これ以上なくシンプルなものです。この国を一過性に掠め取るならいざ知らず、ローエングラム公が恒久的に治めようとするならば最大の難点は何でしょう。それは位置そのもの、言い換えれば帝国との距離です。しかも帝国とはわずか二本の回廊でつながれているだけです」
「地理的には全くもってその通りです」
「その上で、占領地を帝国は少なくとも当初において軍事力を使って抑えつけなくてはいけません。いかに宥和的な政治を行なおうとイデオロギーの差は厳然として大きく、不安定になることは避けられません。そのため、駐留する部隊の規模を決して少なくはできないのです。軍事力は必要、しかしこれが仇になります」
「仇に? それはいったい……」
「仇になるとしか言いようがありません。帝国から遠く、軍事力もある。すなわち統治を任された者が叛乱を企てるには理想的な条件が整っているのではないでしょうか」
トリューニヒトは絶句してしまった!
今、同盟の存亡の危機にある。
だがしかし、この嬢はその次のステージのことを語っているのだ!
全くもって空恐ろしい。帝国の戦略がもはや戦争後まで見据えていることを考え、それさえも上回る眼を持っているとは。
「この地理的条件がある限り、仮に同盟の滅亡後、統治を任された者は帝国に逆らうことが可能になるでしょう。それは野心を持つ者にとって大いなる誘惑といえます」
「ミス・マリーンドルフ、同盟がなくなっても、やってきた帝国人によってまた叛乱ですか。全くもって救いがたい。同盟市民は民主主義とは関係ないところで再び帝国にとって叛徒になり、何の益もない戦乱に巻き込まれる運命になると。おっしゃる論理については同意しますが、私としては同盟が滅んだ後のことを考えるのは正直不愉快です」
トリューニヒトの正直な気持ちだ。
同盟は民主主義を国是とし、それを守るために苦しいながら戦ってきた。生産力を振り向け、戦場では血を流してきたのだ。
その同盟が滅び、民主主義を奪われても、なお戦乱が続くというのか。帝国人の野心というどうしようもなく下らないもののために。
「確かにこの国には災難としか言いようがありません。議長、深く同情いたします。しかし同時に帝国にとってもせっかく手に入れた領土が叛乱の温床になるなら奪った意味がありません。しかもただ領地を失うだけではありません。帝国自体も不安定になります。部下が叛乱を起こしたとなれば、余計に悪い状態になるからです。ローエングラム公の権威が失墜することは間違いありません。ただでさえローエングラム公には王朝の血筋というような絶対的権威は無いのですから」
「その通りになるでしょう」
ヒルダはここで結論を言い放つ。
「軍事的侵攻がうまくいっても、手に入るのは宇宙統一の栄光どころではありません。距離と言う地理的条件がある限り、叛乱に対し再度討伐しても元の木阿弥、帝国にとって永遠の悪夢に変わり果てます。そこで考えられるのは一つしかありません。それは叛乱を起こすことがあり得ない人間に治めさせればよいのです。いいえ、ローエングラム公の取り得る方法はそれしかないでしょう。そして該当する人間は広い帝国でもたった一人しか存在しません」
「ミス・マリーンドルフ、ローエングラム公に対し絶対に叛乱を起こさない、その人物とは」
これが肝心なところだ。
だからイゼルローン回廊が問題なのである。
「それはすなわち、ローエングラム公の親友、あるいはそれ以上の半身とも言うべき存在、ジークフリード・キルヒアイスだけなのです」
しばし時が止まる。
トリューニヒトはヒルダの言葉を噛みしめ、その意味するところを理解する。
その話はとても論理的だ。
「もちろん、征服だけを他の将にさせたり、あるいはローエングラム公自身が行うこともあり得ます。ですが将来を考えれば征服の武勲をキルヒアイス提督に与えるのが最適になるのは自明でしょう。そう考えれば全てのピースが綺麗にはめられるのです」
「全てが、解き明かせると」
「議長、キルヒアイス提督以外の将はご存知でしょうか?」
「名前くらいは報告で聞いていますが、文官である私にはその意味まで知らぬことです」
「ではそれぞれの名前と特徴を挙げてみましょう。参謀のオーベルシュタイン大将、この人物は戦いにおいて表舞台に立ったことはなく、戦闘指揮より政略を得意とする性格はむしろ文官に相応しいものです。そして文官として見るならこれほど怜悧で有能な人物はおりません。つまり戦いではなく、占領後の統治の補佐となることを見越して付けられたと見るべきです。他にワーレン中将、ルッツ中将はいずれも知勇に優れた将ですが、最大の特徴は武に頼らない柔軟な姿勢にあります。ここにも恐ろしく合理的な理由が認められます。占領後に住民と衝突を起こすことがないように、という」
トリューニヒトは呼吸が浅くなる。
背筋の凍る思いだ。
ヒルダの解析はあまりに説得力に満ち、非の打ちどころがない。
そしてそこまでの壮大な戦略を描きながら侵攻してきたローエングラム公ラインハルトに惧れを感じざるを得ない。
「…… ミス・マリーンドルフ、では同盟は帝国の戦略に乗せられ、このまま滅びの道を歩むと。しかし、それならヤン提督がイゼルローンを再び死守すれば、もう少し抵抗できるのではないでしょうか」
「いいえ、おそらく要塞を放棄した後で取り返しがつきますまい。そして、ヤン・ウェンリー提督が途中でそれに気付いたとしてもやはりフェザーン方面に行かざるを得ないのです」
「それはどういう理由でおっしゃるのでしょう」
「帝国の侵攻を完全に挫くためにはたった一つしか方法がありません。それはローエングラム公を戦場で斃すのです。彼の部下たちはそうなれば侵攻どころではなくなります。そもそも侵攻自体彼らにとって必要性はなく、帝国の動揺を収める方がよほど大事なのは自明です。先を争って帝国へ引き返すでしょう。そうすればこの国の危機は去り、憂いは断たれます」
「なるほど、分かりました。ヤン提督はローエングラム公を斃すためだけに向かい、そこで勝負をかける、と」
「はい。おそらくそれができる可能性があるのはヤン提督だけ、本人もそう思っているでしょうから。そしてチャンスはこの時しかありません」
「では、同盟はそれに賭けるしか……」
「その通りです。しかし危険な賭けになります。そのヤン提督の思いも帝国軍は見透かしていることでしょうから。むろんヤン提督の軍事的能力は計り知れませんが、帝国のローエングラム公もまた相応の準備をしてくるでしょう。そしてこの帝国の罠は分かっていても避けられません」
「イゼルローン方面も当初牽制、フェザーン方面はローエングラム公自身が囮、二重の罠だとは…… 帝国はそこまでの戦略で」
事態は恐ろしく深刻だ。
だがトリューニヒトは気付いた。
ここでヒルダが熱心に語っていることに意味があるに違いない。
避けられない滅亡なら語る意味もないからだ。
この戦略家はおそらく何かの考えを持っている。
「……ミス・マリーンドルフ、お話を聞いて震えが止まりません。帝国に対しても、そしてあなたの戦略眼に対しても畏れるばかりです。しかし、そこまでおっしゃるなら、これを避ける手立てをお持ちだということでしょうか」
「むろんわたくしも自信などございません。帝国の二重の罠はそれほど恐ろしいものです。申し上げられることがあるとすれば、取り得る可能性の一つくらいなものです。それも極小の可能性として」
「小さな可能性も今は縋りたい気分です。是非聞かせて頂きたい」
「その話にはいくつかの前提がございます。一つにはフェザーン、厳密に言えばルビンスキー家と緊密に連携すること、そしてもう一つは議長閣下自身に覚悟が求められます」
小さな大戦略家ヒルダはトリューニヒトへ秘策を話す。
銀河の歴史は確実に分岐点に差し掛かった。
その頃、イゼルローン方面では要塞から同盟艦隊が一隻残らず去ったことを知る。
むろん帝国艦隊がすぐさま動き出した。
「なんと奴ら、イゼルローン要塞を放棄したのか! さすがはヤン・ウェンリー、なんと大胆なことを。完全に予想を外された」
「しかしこれでやっとイゼルローン要塞を獲れるではないか。魔術師に奪われた要塞を取り返す、我らの悲願が達成されるというものだ」
ルッツとワーレンがそう言っている。
四万隻の帝国軍がここイゼルローンにやって来た目的は達成されようとしている。圧迫を加え、フェザーン方面と連携し、この果実をもぎ取ったのだ。
皆が興奮する中に参謀長オーベルシュタインの姿はない。これはいつものことだ。艦橋に参謀長がいてしかるべきだが、なぜか自室で行う事務仕事があるとのことで出てきてもいない。キルヒアイスもそれを了承している。オーベルシュタインは要塞の軍事的な変化に関心すら無いようだ。
次いでビューローとベルゲングリューンも言う。
「キルヒアイス閣下、直ちに要塞へ部隊を送り込みましょう。恐らく徹底的な精査が必要と思われます」
「確かに。奴らが変な置き土産をしたかも知れず、突然自爆などしたら目も当てられません」
だが、それに対するキルヒアイスの返答はその場にいた全員が耳を疑うものだった!
「そうですね。ですが当艦隊は要塞の占拠をいたしません」
一同は驚いた!
理解できない。せっかく放棄に追い込んだイゼルローン要塞を占拠しないとは、いったいどういう意味なのか。再度二人が問う。
「閣下、要塞を占拠せず、ということはこのまま囲んでおくだけということでしょうか」
「確かに何がしかの罠があるかもしれず、閣下が慎重になられるのも分かります。しかし、罠には限度があり、排除できないわけがありません。お任せ下さい」
そういった声を聞いてもキルヒアイスは笑みを増すだけだ。
手を指し伸ばし、凛とした声で四万隻の艦隊の行動を決めた。
「いいえ、要塞など放っておきます。これより全艦隊は直ちに発進、イゼルローン回廊を敵領地に向けて航行します。その後敵の首都星ハイネセンを真っすぐ突き、降伏を引き出すのです」
これほどの驚きがあるだろうか!
キルヒアイスは要塞など最初から相手にしていなかった。その攻略が目的ではない。
宇宙統一、それこそがこの艦隊の使命だった。
「皆様に説明が遅れました。ラインハルト様の艦隊こそが陽動です。それにより、全ての敵の戦力がそちらへ集められることになりました。今から当艦隊が宇宙統一を図る本隊になります。物資については先の輸送船団に満載してありますから、イゼルローン要塞からわざわざ奪取する必要はなく、そんな時間は取りません」
蓄えていた補給物物資は持久戦に見せかけるものではなく、敵首都星ハイネセンを直撃するためのものだった。
キルヒアイスのイゼルローン方面帝国軍はそのまま回廊同盟側出口へと航行する。
そして同盟領に入っても滑るように進み、ティアマトなどの星系へは目もくれない。
次回予告 第百十七話 無防備都市
エカテリーナの放つ手とは