第百十七話 490年 3月 無防備都市
ヒルダは早いうちに帝国の戦略を看破している。今はトリューニヒトにそれを語ったわけだが、その前にも一人へ向けて語っている。それはヒルダがハイネセンに赴く前、エカテリーナへ会っている時のことだ。
帝国の大戦略に対する策を考えるため二人は協議を重ねていた。
エカテリーナにすれば、帝国にあっさりと飲み込まれるフェザーン自治領を取り戻すためにどうすればいいか。
ヒルダにすれば、ラインハルトによる宇宙統一を阻むにはどうすればいいか。むろんそんな未曾有の功績があれば帝国臣民は熱狂し、歓呼でもって新王朝樹立を認めるだろう。サビーネは完全に過去のものになってしまう。
幾つかのアイデアを出しては消しの繰り返しが続く。
それは二人の頭脳をもってしても容易に答えが出るものではない。
しかし、いくつかのアイデアは残された。
その大半はヒルダではなく、元々エカテリーナが出したものだった。フェザーン自治領の人間だからこそ考えられたアイデアであり、形式に拘らないから発想できたものだ。
それゆえ、一連の策動は後世「魔女帝の伸ばした腕」と呼ばれることになる。
フェザーン艦隊はポレヴィト会戦後、同盟艦隊と行動を共にしていない。
同盟艦隊は帝国軍がガンダルヴァ星系ウルヴァシーまで進んできたのに合わせ、同盟領のもっと深く、バーミリオンまで退いていた。
しかしフェザーン艦隊は逆にフェザーン回廊の近くに戻っていた。むろん、決して帝国軍に察知されないようにしている。普通にはあまり使われない航路を辿っているので見つかる恐れはない。帝国軍はそんな細かい横道のような航路まで把握できるはずがないからだ。
それはフェザーンならではの知識であり、フェザーン商人にとってすれば隅から隅まで熟知しているところで、その辺りの地理なら同盟領なのに同盟政府よりも詳しいくらいなのである。
そんな航路途中にフェザーンは帝国軍来襲までのわずかな時間を使って艦隊用の補給物資を運びこんでいた。それは数回の軍事行動には不足ない量である。
つまり密かに拠点化まで行っていたことになる。
エカテリーナ自身もフェザーンを脱出してからここにいた。ルパートも一緒だ。
そこで補給を終えたフェザーン艦隊は再び出航していく。
エカテリーナから新たな命令を受け、今度はマル・アデッタ星系まで密かに進んでいったのだ。
目的地に到着するやいなや、隠密行動どころか今度は大々的に軍事的示威行動を行なった。
元々フェザーン艦隊は旧帝国貴族私領艦を主体とし、アムリッツァ会戦で帝国が鹵獲した旧同盟艦を更に横取りしたものを加えて構成されている。
そんなフェザーン艦隊がマル・アデッタからほど近い宙域で演習の真似事をしたのだ。それもただの演習ではなく、艦隊から幾つかの旧同盟艦を出し、何とそれらを標的に使っての攻撃演習であった。
哀れにも艦隊の前に出された無人標的艦は砲撃の餌食にされる。
更にその様子を一般受信できるような形で広く発信した。
これは同盟人にとっては憤りを感じるショーになった。
シールドも張っていない旧同盟艦一隻に対し、百隻単位の帝国艦がメッタ撃ちにする。砲撃している旧貴族私領艦はほとんど帝国軍のお下がりであり、軍事専門家でない限り同盟領に侵攻してきた帝国艦と見分けがつくはずもない。
もちろん旧同盟艦はあえなく爆散する最期を遂げる。
これはもはや演習というものには見えない。その様子は同盟を帝国がこれからどう扱うか、分かり易い見せしめである。
それを幾度も繰り返し行うのだ。
無力な同盟が抵抗もできず帝国に打ち砕かれるかのようなデモンストレーションだった。
一方、マル・アデッタ星系には有人惑星が一つだけあるが、もちろん辺境だけあって人口は多くない。経済発展も遅れていた。
マル・アデッタは小惑星が多く通商には不向きだったからだ。そのため主要航路の側に位置しながら、その恩恵のおこぼれに預かっていない。ランテマリオが交易拠点としてそこそこ栄えているのとは対照的だ。
貧しい住民たちがその配信された見せしめ映像を見てパニックに陥った。
避難にかかる費用も捻出できず、住民のほとんどはマル・アデッタに留まっていたのである。フェザーン方面から帝国軍が侵攻してきたことはむろん知っているが、イゼルローン回廊付近の同盟領星系に比べて危機意識は薄かった。そのため、こんな貧乏な辺境星系まで餌食にすることはないと高をくくっていたのだ。占領する価値などないことがこの場合僥倖を生んだと思って安心していたのに。
もしも帝国軍に侵攻を受けたなら、どんな恐ろしい運命が待っているのだろう。頼みの同盟艦隊はポレヴィトで敗退し、守ってくれる見込みはない。
結果的に一つの実を結んだ。
マル・アデッタ星系は追い込まれ、その身を守るために考えられる限り唯一の方法を使う。
すなわち、「無防備都市」の宣言をした。
これは侵攻してきた帝国軍に対し、ゲリラ的なことを含め一切の武力的な抵抗をしないことを明言するものだ。その恭順の代わりに、虐殺などの不法行為を受けない。一種の紳士協定である。
だがしかし、この方法は諸刃の剣でもある。同盟政府の命令無しに行えば、すなわち同盟からの離脱とも受け取られかねない。
追い詰められた末の最後の手段だ。
その波紋は同盟領を揺るがせ、予想外の事態を招くこととなった。
なんとマル・アデッタにほど近い星系、ジャムシードまでがそれに追随してきたのだ。
ジャムシードは地理的にハイネセンまでの航路に直接面しているわけではない。つまり今回の帝国軍侵攻が直接的に脅威になる可能性は少なく、帝国軍が仮に寄り道をすれば到達する可能性もなくはない、という程度だ。
それでもジャムシードは無防備都市宣言を敢行した。
しかもこれでハイネセンが文句を言おうものなら、ジャムシードの方から同盟を離脱することさえちらつかせるほどの強硬さだった。
こうなったのはジャムシードが以前からハイネセンの同盟政府に対し批判的だったからである。
自由惑星同盟は銀河帝国以上に人口の集中が進んでいる。
帝国とほぼ変わらない数の星系を含んでいるのに、人口は半分以下しかないのだから当然である。ハイネセンを含むバーラト星系、及びその近くのリオヴェルデ星系に人口も富も集中している。
その格差にジャムシードなどの発展途上星系は不満があった。
ゆっくりとした人口減に加えてハイネセンへの転出が慢性的に続いている。
その上憤懣やるかたないことに、同盟艦隊維持のために人員も資源も供出しているのにも関わらず、同盟政府はイゼルローン回廊近くのエル・ファシルやシャンプール、パルメレンドなどへ投資を集中させている。エル・ファシルはともかくシャンプールなどは農業も工業もなく、駐留拠点として成り立っているような星系だ。国防上の理由でそうせざるを得ないのは分かっていても、それらの星系が好景気かつ豊かなのを見ればジャムシードとしては気分は複雑になる。
同盟政府によりジャムシードは寂れるままに捨て置かれている格好なのだ。
そして決定的な出来事が実は十数年前も前に生じた。
同盟の多大な国費を投じて、首都星ハイネセンに自動防空要塞システム<アルテミスの首飾り>が設置されたのだ。
その十二個の超高性能要塞群は一個艦隊でも退けるという恐るべきものであるが、建設費用は一個艦隊よりもはるかに高い。
良い点は人員を使わないことで、悪い点はもちろん移動できずハイネセンしか守れない。
最後までこれに反対し続けたジャムシードなどの星系は無視された。
「ふざけるな! 同盟の国力が衰退する中、どうしてハイネセンばかりが贅沢なシステムを持てるのだ! そもそもハイネセンに帝国軍が来る事態になっていれば、同盟の他の星系はどうなっている。とっくに蹂躙されているではないか。そんな状態でもハイネセンだけを守るというなら、もはや同盟などとは名ばかりで実態はハイネセン一国主義だ。ジャムシードはこれまでも同盟に多大な供出をしている。それが報われず、こんな結果になるのは看過できない!」
そう怒りを爆発させたものだった。
自由惑星同盟は帝国と違い、惑星同士の連合が国是である。
そんなところへあからさまなハイネセン優遇が形になったのだ。ジャムシードが憎悪に近い反感を持つのは仕方がない。
ジャムシードが繰り返し政治的議題にしようとしても、それこそ多数決の民主主義によって敵わず、その都度歯ぎしりをするだけに終わってしまう。政治的発言権は人口に比例するからである。疲弊したジャムシードなどから人口が流出し、それにより更に発言権を失い、無視されるという悪循環だ。
ハイネセンからすれば言い分はある。ハイネセンを含むバーラト星系を管区とする同盟第一艦隊を大幅強化したいのに、アルテミスの首飾りで我慢してやっているという格好だ。首都星は政府機能を持つ中枢である。そこを守るのに他の星系と同じ規模の艦隊しか置かないのは、そもそもおかしいという論法である。確かに位置的条件を加味しなければそうとも言えるだろう。
首都星は絶対的だという思考がある限り、ジャムシードと話が合うはずがない。惑星単位で正に「帝国的」になってしまっていたのだ。
富の偏在が守るべきイデオロギーを蚕食し、形骸化する。
少数派から見れば、多数決による意見の封殺こそ帝国主義である。
こんな下地が、今回の帝国軍侵攻によってとんでもない形で噴出したのだ。
ジャムシードはむちろん民主主義を積極的に放棄したのではない。市民の命は政治より優先されるべきという確固たる信念があるわけでもない。あえて言えば同盟に対して「不貞腐れ」たのである。
そしてジャムシードはマル・アデッタのような開拓途上惑星とは違い、人口もそれより多いが、何よりも自由惑星同盟建国時から加わっている数少ない星系の一つなのである。輝かしい伝統を持っているのだ。
たちまち同盟内に激震が走った。
特にジャムシードに立ち位置が近く、以前から同情的であったシヴァやタッシリといった星系に動揺が激しい。
ただし驚いたのは侵攻してきた帝国軍も同じである。そんな余波は考えもしていない。
それも当然、帝国人としての考えでは中央に逆らうことは謀叛であり、もちろん帝国における謀叛は絶対的に懲罰を意味する。すなわち帝国からの離脱は文字通りの意味で完全抹殺と同義だ。
今、自分たちの侵攻によってそんなことが起きるとは想定外のことで、困惑するしかない。
この事態は帝国軍内で討議され、このまま放置もできないという結論になった。
もしもそれら無防備都市宣言をした星系を放置すれば、逆に帝国軍が見捨てたという恰好になってしまう。国家からの離脱というリスクを負う星系を今度は帝国軍がなんとかしなくてはならない。そうでなければ、今後本当に必要な時に降伏を引き出す際の障害になってしまうからだ。
何よりも次々と星系がバラバラになっていけば、征服後の統治が困難になってしまう。
「やむをえん。ミッターマイヤー、ご苦労だがランテマリオからジャムシードにかけて布陣し、そこで睨みを効かせよ。そしてケンプ、マル・アデッタまで逆行し、その住民を保護せよ。決して略奪はするな」
そんな指示を与えるラインハルトに熱はない。
こんなことは純粋な戦いではなく、ラインハルトの興味を引かない。ラインハルトの思いは来たるべき宿敵ヤン・ウェンリーに向いている。
この頃にはヤンがイゼルローン要塞を放棄した知らせが届いている。
エカテリーナとヒルダの策謀の第一段階はうまくいった。
もちろんこんな地殻変動が起きたのだ。見た目通りの単純なことではなく、ジャムシードへ相当の内部工作もした結果である。
ついでに言えば、ハイネセンの同盟政府はマル・アデッタやジャムシードなどの星系に対し明らさまな非難をしていない。経済的にも政治的にも報復せず、むしろ静観といっていい態度をとっている。
当然ながらこれに訝しがるハイネセン市民は多く、ジャムシードが帝国に擦り寄ったとして激昂する者もいた。ハイネセンからすればジャムシードは裏切りだ。仇敵銀河帝国へ徹底抗戦をするどころか、実害もない内から早々と安全確保を図ったのだから。
その怒りの矛先はジャムシードだけではなく、評議会議長ヨブ・トリューニヒトまで及ぶ。それにも関わらずトリューニヒトは静観のスタンスを取り続けた。
しかもこういった場合、水面下で懐柔策を取り同盟からの離脱を引き留めるのが普通であろうが、トリューニヒトはそういう動きも一切していない。
つまりジャムシードの対し、政治的な落としどころを探してもいないのだ。ジャムシードとしてはそれほど強硬なことはしないつもりもあったのに、振り上げた拳を引っ込めることができなくなってしまった。
これではまるで同盟からの離脱を勧めているかのようだ。
むろん、それが真実である。ヒルダとトリューニヒトの事前の協議のゆえであった。
次回予告 第百十八話 決戦! ガンダルヴァ ~そして舞台は整う~
ついに始まるヤンとラインハルトの正面決戦、先ずは前哨戦ライガール・トリプラ星系!