帝国軍はやむを得ず同盟領内で分散しつつある。
参謀長たるメックリンガーはさすがにこの現状について危惧していた。
「閣下、これは敵の手でしょう。政治上やむを得ない状態を作り出し、我が帝国軍を分散させる策を打つとは。むろん我らを各個撃破をするためです。かつて敵が我が帝国領で似たような動きをして、結果無惨なことになったのを思い起こします」
「だとしてもメックリンガー、問題はない」
「それはいったい……」
ラインハルトも敵領内での分散が愚行なのは百も承知している。
メックリンガーに言われるまでもない。ただしこの場合、帝国軍は戦力において圧倒的に優位にあり、多少戦力を分けようが同時各個撃破される恐れはない。
「メックリンガー、周辺状況はどうであれ敵の戦力は一にも二にもヤン・ウェンリーだ。奴ほどの者なら戦術で勝利を重ねても戦略を覆せないことはよく知っているだろう。単純な各個撃破を繰り返す訳がなく、奴が挑んで来るとしたら狙いは一つしかない。必ずや俺を狙ってくるはずだ」
「閣下を狙ってくるとは不遜な輩ではありませんか。ではなおさら分散させずに守りを固め、ヤン・ウェンリーなどに付け入る隙を無くすべきだと存じます。閣下の戦いへの意欲は、あえて申し上げますがこの場合必要ありますまい」
「それでは戦いにならん。向こうとしても勝算が全くなければ仕掛けてくることはあるまい。しかしそれでは奴を撃破し、敵の戦力を根絶やしにすることがかなわなくなる」
覇気にあふれたラインハルトの発言にメックリンガーはそれ以上何も言えない。
戦い、そして輝くのが覇王の意志なのだ。
だがもっと不快なニュースが帝国軍に飛び込んできた。
同盟領の諸星系が独自行動をしないよう牽制するため、シュタインメッツ艦隊を先遣として進ませていた。それがあろことかヤン・ウェンリーの奇襲を受け大敗を喫したのである。
同盟の人口稠密部への玄関口ともいえるトリプラ星域に差し掛かったシュタインメッツ艦隊をヤン艦隊が狙い撃った。
自領であることを最大限に生かし、通信網を使って位置を正確に把握する。その上で絵に描いたような奇襲だ。
ヤンの第十三艦隊が横合いから最大戦速で突撃にかかる。シュタインメッツ艦隊が探知したのはもう相当加速が終わった後である。今までのヤンの艦隊戦では、心理術の高さから、後の先を取った上で柔軟な対処により勝ちを収めることが多かった。
しかし突撃に不得手であることは決してない。第十三艦隊はフィッシャーの統率力やアッテンボローの思考力はこんな場合でも充分に有効だ。並の艦隊よりはるかに鋭く収斂した突撃をしてみせるのは当然である。
シュタインメッツや参謀たちが対抗策を考えている間に第十三艦隊はもう至近に迫っていた。
だがシュタインメッツも一流の将帥だ。そこでうろたえて回頭などしなかった。
そのまま艦隊の前進速度を増していったん逃げる方を選択した。多少の損害はもうやむを得ないものと覚悟して、仕切り直しをするためである。それもまた思い切った策といえるものだ。
しかしそんなことをヤンは読み切っている。
むしろ愚将によって乱戦になる方を恐れていたぐらいだ。
第十三艦隊は増速してシュタインメッツ艦隊へ接触を成功させてから、むやみと戦果を求めたりしていない。横撃の果実を得ることよりも、ひたすら鋭く切り裂いてシュタインメッツ艦隊の分断に徹している。
分断がうまくいけばヤン艦隊からアッテンボローの分艦隊が出撃する。シュタインメッツ艦隊の前衛の鼻先にちらつき、惑わすためだった。
「ほらほら、あんよはこちら。帝国軍の赤ちゃんたち」
結果的にシュタインメッツ艦隊の前衛はそれを無視できない。捉えられそうでいながらすんでのところで逃げられ、捉えられない。気が付いた時にはシュタインメッツのいる前衛は分断された後衛と再合流できない態勢に追い込まれている。
「しまった! 我々は乗せられたのだ!」
シュタインメッツは幕僚たちに向かい、苛立ち紛れにそう言ったが既に遅い。
この態勢を作り出せば、もはや第十三艦隊に自動的に勝利は転がり落ちてくる。
ヤンは単純に攻勢を命令するだけでいい。
戦いが開始された時点では二つの艦隊の艦数に大差はなかった。しかし今やシュタインメッツ艦隊は見事に切り分けられた。第十三艦隊の方が数的優位を確保したならば、敵味方の損失比は俄然有利になる。それは時間が経つほど加速度的に開き、第十三艦隊にほぼ損害がないままどんどんシュタインメッツ艦隊を追い詰めていく。
なんとか思い描いていた勝利を実現できて、ヤンはほっとした表情を見せる。
ベレー帽を手に持って扇ぎ、誰が見ても気が抜けている姿になっている。遠目で見ても、やれやれうまくいったと言っているのが聞こえてきそうだ。
フレデリカが「前衛を振り回しているアッテンボロー提督の負荷が過大です」と注意し、ヤンが「ああそうだった」と答えるのと時を同じくして、会戦はほぼ終わりを告げた。
しかし次にヤンは不思議な行動をとっている。
シュタインメッツ艦隊の損壊が一定数を超えれば第十三艦隊は定跡通りの包囲殲滅にかかっていた。シュタインメッツ艦隊の各艦は大破中破、動力機関をやられシールドも張れず砲撃もできなくなったものが増えてくる。
ここで突然ヤンは攻撃を中止させる。そしていずこかへ去っていった。
この報を聞いたラインハルトだけにはその理由が分かっていた。
「あのペテン師め、シュタインメッツ艦隊を破ったばかりではなく、どうしてもこちらから救援を出させようというのだな。完全に殲滅するわけでもなく、さりとて膨大な損傷艦を敢えて残しておくというからには。そしてこちらは否が応でも更なる戦力分散をせざるを得ない」
ラインハルトはヤンの悪辣な策に苛立ちはする。しかし奇妙な興奮に捉えられている。もちろん、ヤン・ウェンリーがうまく帝国軍を踊らせ、戦力を分けさせるのは不愉快だ。しかし逆に言えばこれは決戦の下準備に過ぎない。
ヤン・ウェンリーは必ずラインハルトを仕留めにやってくる。その下準備を一生懸命にやっているわけだから。
ラインハルトとしては最高の敵将であり、自身がライバルと認定する唯一の将と戦えるのだ。やっとアスターテやイゼルローンでの借りを返し、征服を完全なものとできる。
「ビッテンフェルト、トリプラ星域に赴き、シュタインメッツ艦隊の残存を収容せよ」
「はっ、直ちに。しかし閣下、そうなればしばらくガンダルヴァ星系には閣下の本隊しかいなくなります。せめて誰か他の者を呼び戻されては」
「ビッテンフェルト、卿らしからぬ深慮だな。忠告と受け取っておこう。だがそんな心配は無用だ。本隊しか残らず、戦う相手がヤン・ウェンリーだとしても、俺が奴に負けると思うか」
実は横にいるメックリンガーこそビッテンフェルトと同じ心配をしていた。そして単純な猪武者だと思っていたビッテンフェルトがそんなことを言ったことで驚いた。多少見直す気になったほどだ。
それと同時にメックリンガーはもう一つのことを考えざるを得ない。
「閣下は若干危険な道を歩もうとしておられる。そこへ忠告をして、受け入れられる者はたぶん一人しかいないのだろう。ジークフリード・キルヒアイス、なんと貴重な存在であることか」
そしてついにガンダルヴァ星系近傍にヤンの第十三艦隊が姿を見せる時が来た。
待っていた報を受け、いよいよラインハルトが出立する。
「よし、直ちに出撃する! メックリンガー、ウルヴァシーにはヴァーゲンザイルを残し、これを守らせよ。残りの全艦隊でヤン・ウェンリーを撃滅する」
「閣下! 今戦いに臨むとは勝利の条件に充分ではありません。せめてミッターマイヤー提督だけでも帰陣させ、絶対的に勝利できる戦力を保持した上で赴けばよろしいでしょう。この状態で戦うことは必要ありますまい」
「いや、これはどうしてもやらねばならん。俺自身がヤン・ウェンリーの非礼な挑戦を受けてやろうというのだ。そしてこれは同盟とやらの最後の希望を打ち砕くことでもある」
ラインハルトは本隊二万三千隻を率いてガンダルヴァ星系ウルヴァシーを進発し、ライガールに至る航路をゆっくりと進む。ヤン・ウェンリーの艦隊がこれよりは少ないと見積もられたため、メックリンガーも最後には出立に同意している。
「ヤン・ウェンリーよ、失望させない戦いをせよ。これは命令だ。貴様がイゼルローン回廊を離れたことで、キルヒアイスが首都星ハイネセンをきっと陥とすに違いない。もはや戦略的に勝負はついているのだ。手に入るのが勝利か、あるいは完全な勝利かだけの違いしかない」
ラインハルトは一人、ブリュンヒルトの展望室にいた。
そこに備え付けられたシートに深く座り、赤ワインを手にする。
空気のない宇宙では星々が瞬くことはない。ただひたすら美しく煌めくのを眺めながら、それが目に入らないかのように呟いている。
星からすれば、豪奢な金髪と赤ワインのグラスの取り合わせの方がよほど美しいだろうに。
「だが俺は完全な勝利が欲しい。国家の滅亡も個人には関係なく、宇宙では強いものが勝つ。ここで勝負だヤン・ウェンリー! 舞台は整った。俺と貴様のどちらが強いか間もなくはっきりする。これは俺にとって必要な試練だが、貴様を打ち砕き、必ず乗り越えてみせる!」
人類社会の未来、国家の興亡、そこへ英雄の意地まで乗せて運命のガンダルヴァ会戦がここに始まる。
次回予告 第百十九話 決戦! ガンダルヴァ~騙し合い~
速攻を仕掛けるヤン、そしてラインハルトの天才の閃き