第十一話 483年 1月 新しい国
翌月、アドリアン・ルビンスキーがついにフェザーン第五代自治領主に就任した!
しかし華やかな式典はない。
フェザーン行政府の通達が各地へ行くだけで済ませる。
ルビンスキーによる所信演説も映像配信だけであり、大勢を集めた舞台などない。いかにもフェザーンらしい実質的で合理的なものだ。
もしも帝国の一般的な貴族領であればこうはいかず、代替わりに際しては華やかな式典と数多くのパーティーで莫大な経費を使ってしまうところだ。それが普通である。
その場合、一般民衆は貴族の代替わりを祝うどころか重税のためにかえって呪うのが常である。
フェザーンのやり方はもちろんフェザーン商人や民衆には歓迎されるものだ。
新しい自治領主の誕生はすぐさまフェザーン市場への好反応となって表れる。
強力なリーダーシップをとるであろう自治領主の出現を心から歓迎した。そこには大きな期待感がある。
このニュースはもちろん帝国や同盟にも流された。もちろんその動向は大きな経済的影響を持つからだ。
そして様々な反応をもたらす。
オーディンへ着任したばかりの高等弁務官ボルテックは苦虫を嚙み潰した顔だが、特に何も言わない。嫌なことではあるが市場の好反応は予測の範囲内だ。その場にいた第一秘書もいつもの無表情を崩さなかった。
オーディンではもう一人、このニュースを重大な関心を持って聞いている者がいた。帝国の政治を一手に握る国務尚書、リヒテンラーデ侯その人である。
「新しい自治領主、さてどんな奴腹かの。帝国に仇なす者でなければよいのじゃが。儂が手を伸ばさねばならぬものか、確かめる必要があるわい」
自治領主就任、これでルビンスキー家の権限と実行力は格段に増大する。
こうなっては今まで抵抗してきた官僚サイドは自分の職域を守れるかどうかが全てだ。警戒心を高めて変化を待ち受ける。たが核となるボルテックが去った以上表立って反抗のリーダーシップを取ろうとする者はいない。しかしルビンスキー家は特に報復はしなかった。
しかし始めから通告していた通り、自主独立路線を進めることを改めて示す。
意外なことにそれは性急なものではなく、どの政策もじっくりと議論を煮詰めてから決める日程にしてあり、穏やかなものだ。
そのため混乱は最小限に抑えられる。
「内政はこれでいい。フェザーンはどのみち繁栄に向けて転がり出した石だ。思わぬ障害さえなければいっそう繫栄していくだろう。フェザーンの位置そのものが繁栄の基盤である限り」
「お父様、すると問題は外交でしょう」
「エカテリン、その通りだ。これをうまくやっていかねばな。帝国と同盟のどちらも刺激せずに政治的独立を保ち続かねばならん。それがフェザーンの基本だ」
近頃、ルビンスキーは子供たち相手に語ることが多い。
特に才気を見せるこの娘相手に。
その才がどこまで伸びるのか、それを確かめたいという思いがある。
「でも低姿勢だけではいけませんわね」
「どういうことだい、エカテリン。地道に帝国の警戒心を解く努力を続けなくちゃ」
ここでルパートが素直に疑問を口にして会話に割って入る。
ルパートもひとかどの策士であり、外では様々な表情と口ぶりで相手を惑わし、その優れた話術は場を支配する力を持つ。
しかしこのルビンスキーの家の中では心の内を偽る必要はなく、素直でいられる。
ここにアドリアン・ルビンスキー一人ならばまた違ったのかもしれない、とルパート自身も考える。実際は妹エカテリーナの存在により緊張感はなく、虚勢を張る必要もない。
今も気取らずに率直に聞いただけだ。
「兄さん、フェザーンを下手に攻撃したらかえって損になるときっちり意識させるのも大事なことよ。フェザーンの繁栄で帝国も同盟も経済が回る。しかし、欲張ってフェザーンを手に入れようとしたら、経済がたちまち滞って莫大な損をする、と。もっと言えば、占領して統治しようものならとうてい無理だと。フェザーン人は今と違う統治になれば必ず反発し、すんなり従うはずはない。そう思わせなくては」
「手を出しても厄介極まる、そういうことだね。エカテリン。そういう印象をあえて強く見せつけて」
「そうよ兄さん。庭に咲けば可憐で美しいけれど食べれば毒になるすずらんの花みたいに」
これらの会話を聞いてアドリアン・ルビンスキーはいたって満足げだ。
子供たちは成長し、政治的センスを身に付けつつある。
「そこで言っておく。フェザーンに手を出させない根本的な背景を心に留めておくことだ。それは帝国と同盟の力が均衡していることが必要になる。この二つがお互いを一番の敵と思っている限りフェザーンに手を出す余裕がない。無理に手を出してフェザーンさえも敵に回せばやっていけない状況であれば」
「帝国と同盟の均衡、それが絶対条件ですね」
まさにそれがフェザーンの基本方針になる。
ルビンスキーは子供たちにそれを改めて認識させる。
「しかしそれは自然に任せておいてはならない。微妙な均衡など簡単に崩れてしまう。フェザーンがそれを保たせるのだ。強い方を弱め、均衡を保つ。そのために策を打つ」
「そうだと思います。でもお父様、それにも二つ条件があるように思いますわ。一つは、フェザーンが何をしても均衡を保つのが無理なほど傾いてしまうことがないこと。それともう一つ、帝国と同盟が宥和してしまう事態が起きて、フェザーンだけが孤立してもいけませんわ」
そしてルビンスキーは最後に最も重要なことを伝える。要となるものだ。
「エカテリン、そのためには正しい手を早く早く打たねばならん。誰よりも早く。フェザーンの何よりの武器はこの位置だ。経済もだが、何といってもどちらの情報も握ることができる位置だ。得た情報を加工し、適切なタイミングで適切な場所に流すことで帝国と同盟を踊らせてやればいい。もちろんその前に正確な情報をくまなく集めて分析することが絶対だ」
三人の会話はほぼそれで終わる。
しかしエカテリーナはもう一つのことも思った。
今の権力者の動きも大事だが、未来にとって最も大事なのはこれから躍り出るだろう人間の実力や意志ではないか。
そう思ってしまったことについて、エカテリンは自分でも不思議だ。
何かが基になっている。
まだ歴史の舞台に立っていなくとも、必ず登場してくる実力を持った者たちがいる。
心に浮かんだのは黄金色をした少年である。
狂気ともいえる激しさと苛烈な意志、そして抜群の軍事センスを持っている少年だ。
幼年学校を卒業し、帝国軍に入った後はどうしているだろう。そのことが頭から離れない。
アドリアン・ルビンスキーはエカテリーナの心を知ってか知らずか一言だけ言った。
「宇宙の動きはいっそう加速しているように思える。未来へもっと目を向けねばな。今までの常識がこの先も通用するとは限らんのだから」
アドリアン・ルビンスキーは着々とフェザーンの実権を掌握し支配を盤石にしていく。ルパートやエカテリーナもよく働いた。
「フェザーンの隠し財産がこれほどあるとはなあ。財務官僚をすげ替えて帳簿を洗い直しただけで出てくるとは。しかも関係改善調整金だとか、一目みるだけでは何の意味か分からないようにわざと変えてるんだから始末に負えないよ」
「兄さん、そんなものだわ。嘘はつかない、だけど勝手に誤解するものを親切に教えてあげることはしない、そんなところね。姑息だけどしょうがないのかもしれないわ」
忙しさも一段落した頃、エカテリーナに朗報が届いた。
あのナイトハルト・ミュラーが中尉となり、そしてついにフェザーンへ駐在武官として赴任するというニュースが届いたのだ!
工作通りだが意外に早くなった。
待ち遠しかったその日、仕事を捨て置いてエカテリーナは軌道エレベーターに迎えにいく。
「ミュラー、ようこそフェザーンへ。また会えて嬉しいわ」
「エカテリン、いやフェザーン自治領主ルビンスキー家令嬢エカテリーナ様、御意を得ます」
もちろんミュラーはおどけて言っているのである。
二人の立場は変わったとはいえそこまで杓子定規なミュラーではない。
「銀河帝国フェザーン駐在武官、ナイトハルト・ミュラー中尉、ただいま着任しました」
「ご苦労。ではさっそく引き継ぎを行ない、任務につきたまえ。くれぐれも言っておくが粗相のないようにな」
二人はひとしきり笑う。
ミュラーもエカテリーナも中身が変わるはずはない。
「ミュラー、案内してあげるわ。フェザーンに来たからには見るものも食べるのも多いわよ!」
エカテリーナは張り切って自分のホームタウンを案内するつもりだ。
それは自分の地元に来た友達を案内する少女のノリである。
一方のミュラーはフェザーンの観光案内なんかより、エカテリーナが相変わらずの接し方をしてくれることの方が嬉しい!
ミュラーはもともと都会の華やかさに興味を魅かれるような人間ではない。どちらかといえば貧乏性な小市民だ。
それよりもしもエカテリーナが自分に興味を失い、名前さえ忘れるようなことになっていたら…… そして単なる帝国の下っ端を見るような目になっていたら……
心配だったのだ。
元から身分の差は隔絶している。
いや、自分は何を考えているのか。
令嬢の子供時代のおふざけが永遠に続くはずなどないではないか!
いつか令嬢は身分を自覚し、それなりの階級の者しか相手にしなくなるのだ。それはもうどうしようもなく確かなことである。今そうではないことで安心するのは滑稽としか言いようがない。
そう思おうとしても、やはり目の前の変わらぬ様子に安堵する自分がいる。
ミュラーは着任してもやるべき仕事はあまり多くない。
駐在武官というものは文官である弁務官の警護と、軍事上の専門知識を生かしての軍事情報分析のアドバイスが仕事である。
ところが、フェザーンは今のところ安定しているので厳重な警備は必要ない。
そして、フェザーンには商業輸送艇を海賊から守る警備艇はあっても、本格的な艦隊戦を行なえるような艦隊はない。
そこまでは必要ない。なぜなら海賊は貧弱な仮装巡洋艦を使って襲ってくるものであり、本格的な軍用艦を一隻くらい闇市場で手に入れることもないことはないが、それにしても数十数百隻並べて艦隊を成すことなどあり得ない。
海賊に対処するフェザーンの警備艦艇はせいぜい一度に百隻も運用すれば御の字だ。むしろフェザーンは軍事力を持たないから帝国を刺激しないでいられるのだし、その方針に合わせる。
つまり駐在武官が注意を払うべき軍事力そのものが最初から無い。
帝国にとって問題となる軍事力はフェザーンではなく自由惑星同盟を名乗る叛徒の軍である。しかしそれについてはもちろんイゼルローン回廊で情報収集すべきものだ。
それでもここフェザーンに駐在武官が必要とされる理由がないわけではない。
いるだけでフェザーンに帝国の軍事力を身近に感じさせるためだ。
つまり単なる広告塔の役目である。軍服を着てパーティーに出るだけで帝国軍を意識させ、無言の牽制をするのに役に立つ。
若いミュラーは仕事がこんなに少なくていいのかな、と思う。
更に言えば、自分で言うのもなんだがフェザーンを威圧するような硬い軍人の雰囲気が無いのも分かっている。
これではあまり役に立っていないのではないか?
帝国のフェザーン駐在高等弁務官、すなわちミュラーの直接の上司はレムシャイド伯爵である。
伯爵にはミュラーが平民だからといって蔑む雰囲気はなく噂通り帝国貴族の中では開明的である。だからフェザーンで弁務官ができるのか、弁務官をしているからそうなったのか、ミュラーには分からない。
ともかく顔つきは穏やかであり、貴族にしては人当たりが柔らかい。
「ミュラー中尉、情報収集などの外交は文官がする。まあ、駐在武官職は艦隊勤務の合い間の骨休めだと思ってもらっていい。羽目を外したり、問題を起こさなければとりあえず良い。君は見た所トラブルを起こさない人物と思ったが、私のこの見立てを外さないでくれ」
「そう言って頂いてありがとうございます。帝国のため、勤めを果たさせて頂きます」
「それと君はルビンスキー家の令嬢と親しいようだね。噂では令嬢がオーディンの女学校にいた頃からの知り合いだとか?」
「その通りです。弁務官殿。なぜか親しくさせてもらっています」
「ではなおさら女関係のトラブルに気を付けてもらいたい。その令嬢にとって面白くないことになれば、フェザーンと帝国の外交に響くやもしれん」
「気を付けます。よもや帝国の外交に妨げになるようなことはいたしません」
妙な釘を刺されたものだ。
女関係のトラブル?
つまりエカテリンが嫉妬をするような事態がありえるのか?
ミュラーは自分に限ってそのどちらもあり得ないと考えた。
次回予告 第十二話 義侠心は健在なり