疲れも知らず   作:おゆ

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第百二十九話 490年 5月 この身は愛に

 

 

 ヨブ・トリューニヒトが居住区にいったん戻り、最低限の用意を整えて出てくる。帝国軍が迫りくる中、早くシャトルでハイネセンを脱出しなくてはならない。同盟を存続させるために。

 

 そんなトリューニヒトをエリザべートが待ち受けていた。既にハイネセン脱出を聞いたからだ。

 

「済まないオーレリー、私はハイネセンを離れる。いつ戻れるか分からない。そして……」

「そして、何でしょう。戻れなくなったら、というお話でしたらもう心は決まっております。私はいつまでもお待ち申し上げます」

「違う! そうじゃない! 待たなくていいんだ。君は、君の幸せを見つけてほしい」

「そんな……」

 

 トリューニヒトはもう戻れない可能が大きいと思っている。いや、それは単に戻れないのではなく行った先で死ぬということだ。同盟の亡命政権など帝国に見つかればどうなるかは決まっている。

 

 ここでエリザベートの頬に、トリューニヒトの右の手の平が添えられた。

 真剣ではあるが、とても柔らかい表情だった。

 トリューニヒトの真摯な心が伝わる。自分のことではなく、あくまでエリザベートを気遣うものである。

 それが分かってエリザベートに幸せが溢れた。

 

 だが今はこれ以上ゴネることはできない。困らせてはならない。

 

 本当なら付いていきたいのだ。どこまでも。

 しかしそれはトリューニヒトの足手まといになることであり、どうしても言い出すことができない。

 

 

「せめて宇宙港までお供します」

 

 話を打ち切ってエリザベートは歩き出す。何かしていないと心に波が立ってどうにもならない。

 二人は地上車に乗り、間もなくハイネセン宇宙港に到着した。

 

 

 

 だがそこで二人は異様な光景を見ることになる!

 何と空港入り口の階段下に装甲車が止まっており、兵士たちが小銃を持って探索しているではないか。むろんトリューニヒトはそんな防備を頼んだ覚えはない。

 しかも宇宙港を守っているなら分かるが、そうではないような勘が働いた。

 

 用心のため地上車をやや離れた場所にこっそり置き、二人は徒歩で空港入り口を目指した。

 だがそんなことでは見つからないはずがなく、空港に入る直前呼び止められた。

 

「ヨブ・トリューニヒト議長閣下であらせられますな」

「……そうだが。君は誰かね」

「小官は統合作戦本部ロックウェル少将。さて、確認できたことですし、こちらへご同行頂きたい」

「何? 私はこれから宇宙港に用事がある。用件ならまとめて政府に伝えたまえ」

「要件はあなたにあるのですよ。正確にはあなたの命に、ですが」

 

 そしてあろうことかロックウェルは腰のホルダーに収まっていたブラスターに手をかけた。脅しであることは明らかだ。

 

「君はロックウェル少将といったかな。その行動が何のつもりなのか説明を聞いていない」

「説明? 簡単なことですよ議長。もう帝国軍は目と鼻の先、同盟は終わりだ。ハイネセンも占領され、血に飢えた帝国軍は何をするか分からない。なにせ百五十年分積もり重なった恨みがある。当然、同盟軍人など真っ先に血祭りでしょう。少なくとも将官クラスは処刑されるに決まっている」

 

「そうとも限らんと思うが。帝国のローエングラム公は敵味方関係なく有能なものを取り立てると聞いている。いや、それは執着といえるほどだとか。かつて敵であった帝国貴族に与していた将でさえ麾下に加えているそうだ。ならば同盟の将もむやみに殺すはずはない。過剰な心配はよしたまえ」

「それも可能性ですが議長、しかしここで確実に生き残る方法がある。帝国にとって大きな功績を上げればいい。それはもちろん同盟の中枢部の人間を始末することです。もちろんそれには議長、あなたが一番いい」

「要するに裏切りか。それにはあらゆる意味で同意しかねる。同盟にとっても、私にとっても、むろん君にとっても」

 

 

 何とロックウェル少将は自分の命を助けるため、同盟を裏切ろうとしている。評議会議長トリューニヒトを帝国軍への手土産に使おうというのだ。それがどれだけ有効なのかここで話しても意味がなく、ロックウェルはそれに取り付かれている。

 限りなく卑怯であり、唾棄すべき行動なのは明らかである。

 

 しかし今やらねばならないのは捕まらないことだ。同盟の未来のために。

 

 トリューニヒトが敢えてロックウェルの意図を知りながら話をしたのは間を取るためである。

 後ろに控えていたエリザベートが旅行カートを水平に振り、充分に遠心力をつけてロックウェルに叩きつけた。

 思わぬ方向からの攻撃にロックウェルは避けられない。左の脇腹に重いカートを当てられ、横にひっくり返った。右手を腰のブラスターに掛けていたため、受け身を取れず昏倒する。

 

「ありがとうオーレリー。さあ早く、空港に! 裏切り者はおそらく一人じゃない」

 

 二人は空港に駆け込み、発着ゲートを目指す。それを追って幾人もの同盟の軍服を着たものが追ってくる。若手の将校か佐官なのだろう。総勢7,8人にもなる。同盟軍の中にはロックウェルのように思慮の浅い、卑劣な者がこんなにもいたのだ。

 

 二人はエレベーターを待たず、階段を駆け上る。三階まで上がったところでロビーを走る。

 受け付けカウンターを通り過ぎ、チェックゲートが見えてきた。

 旅行客は誰もいない。ハイネセンポリスは数時間前から戒厳令が敷かれ、空中に飛び立つのは禁止され、市民は陸路での疎開が粛々と行われている。

 しかしそれでも空港職員すらいないのはおかしい。

 その答えは数秒後に得られる。視界の片隅に入ってきたものがある。空港職員をまとめて隅に押し込め、小銃を持って見張っている兵士が一人いたのだ。

 

「お前ら止まれ!」

 

 走る二人の後ろからそんな声がした。追って来た若手将校たちだろう。

 

 

 そして撃ってきた!

 

 走っている方向のやや前方だ。これは警告だった。

 だが二人は怯まず進み続ける。止まればどのみち殺されるのだ。

 

「馬鹿者! 誰が警告しろと言った! あいつらを撃ち殺せばいいんだ!」

 

 そんな声もする。若手将校の一人がもう一人の者、おそらく部下を怒鳴っている。

 たぶん最初に撃ってきたの者は武装もしていない者を無警告で撃つことができなかったのだろうが、それが二人に幸いした。

 

 あともう少しで搭乗ゲートだ。それを過ぎればシャトルの中になる。

 後ろから火線が飛んで来たのが分かった。追ってきた者たちはゆとりを失い、とにかくブラスターを撃つことにしたようだ。ひっきりなしに飛んでくる。

 トリューニヒトは少しだけ走るのを緩めてエリザベートの後ろに回ろうとした。ブラスターからエリザべートを守るため、自分の身を盾に使おうとしていることは考えるまでもない。

 

 

「いいえ、そんなことはならさずに」

 

 エリザベートはじんわり胸が熱くなった。

 私はこの人を愛してよかった! 心からそう思う。

 

 結局速度を優先し、並走して走る。

 この時トリューニヒトには非常な後悔がある。オーレリーを空港入り口に残しておけば殺されるか、人質に使われるだけだ、そう判断して連れてきたのだが、かえって重大な命の危険に晒されている。とてつもなく悔やまれる判断ミスだった。もしもオーレリーに何かあれば、自分はどうしたらいいだろう。どうやって詫びればいいだろう。

 

 二人はやっと搭乗ゲートまで着いた。ここを越えればわずか数メートルでシャトルにつながる通路に入れる。もう終点だ。

 強化樹脂製の扉は閉まっていたが、その横に制御コンソールがある。床から細い柱が立ち昇り、手元の高さで水平にディスプレイが取り付けられているタイプだ。

 

 エリザベートがすぐさまそれに取りついて、ディスプレイをタッチして操作を始める。

 早く、ここの扉を開けなくてはならない。

 

 だが追っ手はだいぶ至近まで来ていた。

 その分ブラスターも狙いが正確になってきつつある。

 

 扉が開いた。

 

 二人は手を取り合って駆け込む、ようにはならなかった。

 エリザベートがトリューニヒトを扉の向こうにある搭乗通路へ向かって突き飛ばしたのだ。

 

「オーレリー! 君は何を…… さあ早く一緒に!」

 

 

 その時、ブラスターの一撃が後ろからエリザベートに当たる!

 

 背中の中心だった。一瞬、小さく跳ねる。

 しかし、エリザベートは何事もなかったかのようにすぐさまコンソールの方へ取り付き、今度は扉を閉める操作を始める。

 

 

 

 最初からこうするつもりだった。

 

 扉を閉め、ついでに開ける操作を絶対にできないようにしておかなくてはならない。そうでなければ追っ手はシャトルにまで入り込み、今度こそトリューニヒトの逃げ場はなくなる。逆に開けられなければ扉はブラスターなど貫通しない強度で作られていて、もはや心配ない。

 

 震える指で操作を続け、扉は閉まった。

 エリザベートの意図に気付いたトリューニヒトが、それでも連れて行こうと再び出て来る前、間一髪のところで間に合った。

 

 エリザベートは小さく咳こむ。

 味と苦しさから、血が口から垂れたのが分かる。

 ここでトリューニヒトと扉越しに目が合った。トリューニヒトの顔は本当に必死な表情だ。

 

「オーレリー! こっちに来てくれ! 一緒に行こう、オーレリー!」

 

 いいえ一人で行って下さい、と言葉には出さず、エリザベートは最後の仕事にとりかかる。

 本物の宝石のついた髪留めを引き抜き、それをコンソールのディスプレイに叩きつけるのだ。そうして開閉操作を不能にするつもりだ。

 

 

 

 しかし、振りかざした正にその時、いくつものブラスターに狙い撃たれた。

 光条がエリザベートの胴体に吸い込まれ、柔らかな内部を破壊する。

 

 手が止まる。

 

 だがそれは一瞬だ。

 目には強い意志の光が消えていない。

 思いっきり振り下ろした拳と髪留めがディスプレイに叩きつけられ、ガシっという音を立てる。

 ディスプレイにヒビが入った。

 出ていた表示が滅茶苦茶に乱れる。これでもう操作はできない。

 

 その間にもまたブラスターに撃たれる。倒れないエリザベートに業を煮やし、若手将校たちはメッタ撃ちにしてきたのだ。

 光条に次々と貫かれ、エリザベートはそのまま膝を折る。

 そのまま床に崩れることはなく、ほんのわずか残った力を使い、コンソールに胸を当ててもたれかかる。

 

 この血と体で最後まで妨害し、絶対に扉を開けさせはしない。何がどうあっても。

 顔を迫ってきた若手将校たちに向け、ありったけの力で睨みつける。

 

「オーレリー! オーレリー!!」

 

 ああ、愛する人の声が聞こえる。

 最後に一言言おうかと考えた。

 私はオーレリーじゃないのよ。エリザベート・フォン・カストロプなのよ。

 エリザベートこそ本当の名前、本当の自分である。

 

 エリザベートの名前で一度だけでも呼んでほしい。

 

 意識が混濁していく中、いいえそれもまた違う、と思い返した。

 愛する人にとってはオーレリーこそが私なのだ。それでいい、それで構わないと思った。私はオーレリー。

 

 

 一方の若手将校たちは驚愕していた。若い女がどんな兵士も真似できないような勇者の振る舞いをしたのだ。痛みに耐え、命を投げ出して目的を遂げようとする。

 

 だがその驚愕は多少の怯えにはなったが、決して尊敬に変わることはなかった。

 卑劣な若手将校たちはそこまで高尚な精神は持っていない。

 エリザベートは別に武器を持っているわけではなく、絶命まで待たなくともコンソールから引きずり下ろせばいい。そう考えた彼らは近寄ってコンソールからエリザベートを蹴り飛ばす。

 一度二度は抵抗したが、エリザベートにもう力は残っていない。やがて床に転がる。

 そして若手将校たちはエリザベートの胸の下にあったコンソールを見て呻き声を上げた。

 

 そのディスプレイが完全に壊れていたからだ。ヒビが入っているだけではなかった。更にエリザベートの胸から流れ出た血が染み透っていたのだ。もうタッチ操作はできず、扉は開けられない。シャトルへの搭乗通路にいるトリューニヒトを追う手段はなくなった。

 

 

 床に崩れたエリザベートはもう虫の息だ。

 

 まもなく死の静寂が意識を消し去る。感じていた激痛も今はなく、体はそれを伝える機能さえ失いつつある。

 今考えるのはヨブ・トリューニヒトが無事に逃げられたかどうか、それだけだ。

 

 もう一つ、エリザベートが感じていることがあった。

 それは幸せともいえる満足感だ。

 

 以前にも同じように死にかけたことがあった。それは兄マクシミリアンを止めようとした時である。

 その時は悲愴なまでの使命感に動かされていたが、決して幸せというものではなかった。

 

 しかし今は幸せだ!

 同じく命を投げ打つことでも以前の場合とは全く違う。

 この身は愛に使う。

 愛する人を生かすため、この命も体も血の一滴までも使った。

 これ以上満足なことがあろうか。これ以上幸せなことがあろうか。

 

 

 ああ、愛する人よ、一緒に歩けなくて残念です。

 しかし私はあなたの未来を信じています。

 私はここで終わり、魂になりますが、あなたの幸せを祈っております。

 いつまでも、いつまでも……

 

 オーレリーとして、エリザベートとして……

 

 

 エリザベートはここに絶命した。

 過酷な宿命を背負わされ、数奇な運命に翻弄され、だがそれでもまばゆいばかりに純粋な女の生涯だった。

 

 誰にも恥じることはない。

 

 

 最後まで、真っすぐに歩き切ったのだ。

 

 

 

 




 
 
次回予告 第百三十話 末路

卑怯者は成敗!
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