ヨブ・トリューニヒトの声明が出された。
ここに至ってオーベルシュタインも考え込む。
講和がないなら帝国と同盟は戦争状態が続いていることになり、帝国軍がインフラを破壊し、都市を廃墟としても法的には何ら構わない。
ただし帝国への悪感情は決定的になる。
しかも占領後の復興費用が馬鹿にならなくなってしまう。それでは征服しても帝国に益にならず、かえってお荷物になる可能性すらある。
帝国にとって核心となるのはオーディンを中心とした安定的な政権運用である。
同盟領征服は確かに歴史的快挙であり、帝国民衆にはこれ以上ない朗報だろう。しかし征服の果実が得られるだろうか。もし得られるとしてもかなり先になるのに、それがインフラ破壊によって更に未来になるのはどうしても避けたい。
オーベルシュタインはもうハイネセンにいる必要はなく、再びラインハルトと政略について調整すべきだと感じた。
そのためにガンダルヴァ星系ウルヴァシーに行く。
「ワーレン提督、私はこれからローエングラム閣下の所に行く。ここにある艦隊の半数、七千隻を護衛に伴うがよろしいか」
「それは構いません…… ではこちらは残り七千隻でハイネセンを守備していればよいのですね。多少不安ではありますが」
「その通り、任せたい。そしてワーレン提督が不安に思うことはない。敵が七千隻以上で襲来してくる可能性はない。そういう意味も含めて自動防衛要塞を自爆させていたのであればあのホアンという者は相当の狸だが」
オーベルシュタインはホアン・ルイの考えを読んでいた。
ホアンはアルテミスの首飾りを逆に帝国軍が運用し、同盟軍によるハイネセン奪還を妨害することを危惧していたのだ。
帝国軍は人質作戦でアルテミスの首飾りを無力化したが、もちろん同盟軍がそんなことをできるわけがない。ならばストレートにアルテミスの首飾りが威力を発揮して同盟軍を叩いてしまうだろう。それは悪夢であり、だからこそホアンは真っ先に首飾りを自爆により消した。
「ですが閣下、敵がここハイネセンに襲来しないという根拠をお聞かせくださればより安心できます」
「それは自明のことだ。敵がハイネセン奪還にこだわり、犠牲を払っても成し遂げようとすれば他の星系はどう思うか。やはりハイネセンばかりを優遇し、自分たちのことはどうでもいいのかと憤慨するだろう。ここは帝国とは違い、星系を束ねるのは難しいことらしい。それは焦土作戦をやらなかった、いや絶対にやれなかった理由でもある」
「なるほど……」
「それと私がここハイネセンに長くいてはならない大きな理由がある。それは火のない所に煙を立てようとする連中を未然に抑え込むためでもある」
「オーベルシュタイン閣下、それはいったいどういう意味でしょう」
「敵の首都星を占領している状態を続ければ、帝国に対して独立を企てているという妄想を生じさせかねない。わざと敵と講和せず、裏では手を組み、独立を狙っているという話が作られる」
「まさか、そんな!」
「残念なことに私はキルヒアイス提督とは違い、そう言われる余地がある。不本意ではあるが未然に防ぐべきであろう」
オーベルシュタインは自分のことを含め実に的確に分析している。
一つはハイネセン奪還作戦がないことだ。そうなれば、ここに大軍を置いておく必要はない。
もう一つはオーベルシュタインの忠誠が疑われることである。
ラインハルト自身がオーベルシュタインを疑うのでなくとも、誰かがそれを疑えば噂は広まってしまう。むろんオーベルシュタインが叛旗を翻すとは荒唐無稽なことだと、オーベルシュタインを嫌っている者でさえそう思う。だが実際のオーベルシュタインを知らない人間が噂を信じてしまうことはあり得るのだ。
こうしてオーベルシュタインはラインハルトの方に合流する。
一方、やっとフェザーンにルパートとエカテリーナが降り立つ。
帝国軍のフェザーン占領から逃亡し、長いようで短い潜伏生活だった。
しかし今、フェザーンの陽光の中に戻ることができたのだ。
「ありがとう、ミュラー。やってくれると思ってたわ」
「いやエカテリン、これは僕ではなくてロイエンタール提督のおかげだよ。もしも徹底抗戦などされたら目も当てられなかった」
真っ先にエカテリーナはミュラーを労る。
そして直ちにフェザーンの再建に努力する。しかしながらフェザーンの民衆も官僚もエカテリーナやルパートに対し、やや複雑な感情を持っている。
もちろん帝国の支配から逃れ、フェザーン人による支配に戻ったのはとても嬉しいことだ。エカテリーナが優れた軍略でそれを成したことも疑いない。
だが軌道エレベーターは使用不能になり、それによる経済的打撃は大きい。
しかもそれが亡き自治領主アドリアン・ルビンスキーによる襲撃の結果だという疑惑がある。
それともう一つ、フェザーンの自治領主は決して世襲ではない。エカテリーナが治める根拠がない。
フェザーンでは自治領主の代替わりの度に官僚や財界の上層部が候補者の実力を審し。その信認があってこそ領主と認められるのだ。明文化はされていないがそれがフェザーン伝統のルールである。血統主義の考えはそこにない。
いわばフェザーンは民主主義の一歩手前にいる。
フェザーンは商人の国として始まった。まるで一隻の船のように、その船長は実力で選ばれ、遭難を免れてきたようなものである。
アドリアン・ルビンスキーのいない今、実子だからといってエカテリーナが当然のように差配するのはおかしい。
しかしエカテリーナは先手を打っていく。
最初に軌道エレベーターの損傷がアドリアン・ルビンスキーによるものだということを明らかにした。それは疑惑を疑惑のままにしない決意である。
その上で、鋭意再建に努力することを約束したのだ。
次にフェザーンの自治がいかに価値あるものであるか、今も膨大な血を流しつつ帝国に抗っている同盟を引き合いに出して説明する。
そして最後、エカテリーナは一つ約束をした。
フェザーンが自治を守るということだけではなく、逆に帝国に食い込んでみせるというものだ。それは父アドリアン・ルビンスキーが描いた夢でもあった。
これは後年「魔女帝の空手形」と呼ばれるものになる。
この時点で詳しいことは説明されなかったがエカテリーナは自信たっぷりに見えたと伝えられている。実際そうなるかはエカテリーナ自身にも分からない。しかし道筋がゼロとも思っていないことは確かだ。
これら一連の行動と弁舌により、エカテリーナは事実上の自治領主後継と見なされる。
今の激動期、いつものようにしっかり自治領主選考を行える状況ではなく、とにかくリーダーが必要だったこともそれを後押しした。
言い方は悪いがどさくさ紛れのようなものだ。
オーディンにいるニコラス・ボルテックなどが知りもせず、蠢動もできないうちに決着がついてしまっている。ちなみにルパートはそういった表舞台には出ず、エカテリーナの補佐役に徹するのがいいと考えている。
そんなフェザーンにヒルダと銀河帝国正統政府の一行が到着した。
もちろん喜んでエカテリーナはヒルダを迎える。
ヒルダこそエカテリーナの待ち望んだ頭脳であり、共に戦略を練り上げたい。帝国の側にも優れた頭脳はあり、それを上回るためにはヒルダがどうしても必要なのだ。
ところがヒルダの方はなぜかエカテリーナに複雑な表情見せているではないか。
いつも快活で前に出てくるヒルダが、足取りも重そうだ。
「エカテリン、何と言ったらいいか……」
「あなたらくないわね、ヒルダ。何を言いたいの?」
「エリザベートが、脱出できなかった。ハイネセンで亡くなったと聞いたわ」
次回予告 第百三十八話 玉突き戦略
戦いの終わりは……