疲れも知らず   作:おゆ

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第百四十話  490年11月 帝国の後継者

 

 

 ヒルダの提案が通った。

 これで帝国軍の長かった戦役は終わり、ついに帰国の途につく。

 フェザーン回廊を経由し、帰りには戦うことなく帝国領に戻っていく。

 

 ビッテンフェルトを始めとして各将は悔しがるが、それはもちろん敵国に城下の盟を誓わせ、足下に従えることを目指して進んでいたからだ。百五十年にも渡る因縁の戦いの決着はそういうものだと思い込んでいたのだし、それが叶わないのは……消化不良とも言える。

 ただし一般兵士の意見は別だ。敵領での長期滞在は神経を削り、いい加減不安が募ってきた頃合いだった。喜んで帰国の命令を受け入れる。

 

 

 

 その寸前、約束通りフェザーンを仲立ちとして帝国と同盟の間に協定が結ばれる。

 

 先にエリューセラ星域を出て、リオヴェルデ星系に移っていたヨブ・トリューニヒトはこの呼びかけに応じている。

 協定の内容をしっかり精査した上で調印した。

 それを同盟議会も批准し、正式に帝国と同盟は戦争状態ではなくなった。あまりに長くお互いを認めてこなかったが、新時代を迎えたのだ。

 

「同盟側の落としどころは、帝国の属国あるいは保護国ではないこと、つまり国家主権が維持されるのが第一だ。なおかつ市民が政治を決める民主主義が守られればいい。具体的には帝国から派遣される査察官が政治的最終決定をするのではなく、文字通り見張るだけに徹するなら受け入れよう」

 

 もちろんそれ以外の内容は大幅に帝国有利となっている。

 特に軍備は厳しく制限され、結果帝国がいつでも再征服が可能という含みがある。

 

 統合作戦本部は修理途中の損傷艦の廃棄を命じ、それで軍備縮小を図るが、もちろんビュコックやグリーンヒル同様、ヤンもそれに倣う。

 

「やれやれこれでちょっとは楽になるかな。戦いが終わっても運営で苦労したら何にもならない。スリムな組織の方が楽ができそうだ」

「しかし帝国がまた攻めてきたらどうします? この第十三艦隊も三分の一、五千隻まで減りましたよ」

「いや、たぶん帝国は攻めてこないんじゃないかな。なぜだかローエングラム公の鋭気をもう感じない。講和なんかしないで、補給路確保のため直ぐにどちらかの回廊へ攻めかかると思ったんだが。それも余計な民間人のいないイゼルローン回廊へ」

 

「先輩、平和なんて永遠に続かない、これは先輩のいつもの言葉ですよ」

「まあ、再戦になればなったでイゼルローン界隈を根城に頑張るさ」

「そうそう、年金までは頑張って下さい」

 

 

 

 この激動の年はこうして終わる。

 だが、その翌年は最大級の激震に見舞われることになる。

 

 ウルヴァシーからオーディンに帰還する途上、ゆっくりとラインハルトは衰弱していた。

 そしてオーディンに着いてしばらくするとベッドの上で過ごすことが多くなった。それから、わずか半年で逝去したのだ!

 黄金の覇王は戦場ではなく、ベッドの上で、病によって世を去った。

 

 その最期を親友キルヒアイスと最愛の姉アンネローゼが看取った。

 もちろんラインハルトは最後にこの二人へ感謝を述べ、また祝福している。

 

「キルヒアイス…… あの日以来、お前の人生を借りていた。俺のせいで軍人にしてしまったが、お前はたぶん俺と違って軍人になる以外にも多くの道があっただろうに」

「いいえ違います、ラインハルト様。ラインハルト様のお側にいられた人生がわたくしにとって最良のものです。他の人生は有り得ません」

「嬉しいことを言ってくれる。だがキルヒアイス、これからは自分の人生を歩め。その上で姉上を幸せにしてくれ」

 

 

 この話を聞くと諸将は慟哭する。

 

 オーベルシュタインだけはいつもの表情を崩さない。しかし内心では大きな落胆があった。ヒルダとの約束を反故にしてラインハルトを皇帝にするプランが崩れてしまったのだ。

 しかし最悪ではないのだろうと思い直す。

 なぜならラインハルトが皇帝になって間もなく崩御したのであれば、もっと悪いことになりかねない。おそらく後継者に指名されるであろうキルヒアイスは性格が良すぎ、帝国を安定的に運用することができるだろうか。

 ましてカザリン・ケートヘンを皇帝にするのは論外だ。その赤子の後見が皇帝と同義になるからである。

 それならばまだヒルダとの約束を守り、サビーネをいったん皇帝に据えた方が安定する。

 むろんゴールデンバウム王朝を倒すのがオーベルシュタインの隠された悲願であることは確かだ。それでも、年若く、王朝の腐った悪癖とは完全に無縁のサビーネまで斃すことはないと判断している。

 

 

 

 ここからは政争の季節がやってくる。

 

 この戦いには完全な勝者がいない。なぜなら完全な敗者がいないからだ。

 結局のところ、皆はそれぞれの居場所に収まることになったのだし、そこでふさわしい働きをすることになる。

 

 ラインハルトの逝去から二年が経ち、やっと人々は激動の時期が過ぎ去ったことを感じ、その春のようなのどかさに憩うことができるようになった。

 思えばあのフリードリヒ四世皇帝崩御から息つく暇もなかったのだ。

 貴族間の対立、帝国を二分する内乱、ブラウンシュバイク公による乱脈、ラインハルトによる刷新、そして帝国軍による同盟領遠征があった。

 その最後の最後、サビーネ・フォン・ゴールデンバウムによる治世が成った。これはその母クリスティーネと叔母アマーリエのどちらも望んだことである。

 

 

 

 帝国はこの英邁な皇帝を迎え、再び興盛に向かおうとしている。

 長く澱んでいた社会は一気に風通しが良くなり、この明るい兆しによって、何と帝国の人口が増加に転じている。これは帝国発祥以来初めてのことだ。

 

 帝国の政治体制は国務尚書にオーベルシュタインが就いている。帝国宰相はいない。

 そのオーベルシュタインは持ち前の合理主義と清濁併せ呑む手法で社会を速やかに効率化していく。

 

 ただし政治に関わるのはオーベルシュタインだけではない。

 

 注目されたヒルダは何と宮内尚書の地位を要求し、それに就いている。

 それは別にサビーネの世話をしたり、宮中行事を取り仕切るという意味ではない。サビーネと各種の相談を行い、その決定を補助するという意味だ。

 そうしてヒルダは帝国政治に大きく関わっている。

 

 しかしヒルダがどうして宮内尚書という尚書の中では最も軽んじられやすい尚書に就いたのか。つまり一歩引いた地位にいるのか。

 それは大きな権勢を持つことに対する反発を和らげる目的がある。亡きリヒテンラーデ侯は皇帝から信認され、国務尚書の立場で政治を動かした。いかに私心のないリヒテンラーデ侯といえども、その巨大な権力によって反発を受け、本当の味方はなかなか作れなかったのだ。その轍を踏まないようヒルダはなるべく自分を大きく見せない。

 それともう一つ、ヒルダはサビーネがいつまでも自分に頼るようではいけないと考えている。いずれは自分の足で立ち、自分の頭で考えてほしい。それには偉大な宰相の存在など有害でしかない。

 

 とりあえず帝国はヒルダとオーベルシュタインの二人で回されているようなものだ。お互い性格的に好きになれることはないと思っているが、その能力は認め合っている。

 

 もちろん意見を戦わせるばかりではなく、最初から一致することもある。

 例えば帝国貴族の扱いなどはその一つかもしれない。

 今、帝国から貴族の領地は全廃された。内乱で生き残った貴族家は一割もいなかったのだが、その三百の貴族家の所領というものはなくなった。いかに先祖伝来の領地だと言い張り、抵抗しようとそれは断行されている。

 

 ヒルダは、非人間的な搾取を生む土壌を残すつもりがなかった。

 オーベルシュタインはゴールデンバウム王朝の悪癖を一掃したかった。

 

 それで一致した。そして二人の考えのベースには、そういった封建的なやり方は、ある一面新規開拓の迅速化というメリットがあるが、しかし今の帝国には必要ない。

 事実上そうなのだ。帝国初期から見れば今の人口は非常に少なく、敢えて新規開拓なんかしないで、効率を考えながら再開拓すればいい。

 ただしその後の貴族の扱いについては若干意見が分かれた。

 ヒルダは適度な年金を与えることを主張し、オーベルシュタインはその必要もないとした。ここはヒルダの意見が通っている。そのため、オーディンにおける貴族的な文化は一定レベルで残ることになったのだ。小さなことではあるがヴェストパーレ男爵夫人による芸術サロンも無事に存続できている。

 

 

 一方、軍務尚書にはキルヒアイスが就いた。

 その下にミッターマイヤー元帥、ロイエンタール元帥の双璧が並び立つ。

 更にメックリンガー、ビッテンフェルト、ワーレン、ルッツ、ケスラーといった上級大将がいる。同盟領での戦いの不手際からケンプとシュタインメッツは昇進せず大将に留められているが、どのみち彼ら全員にとって同僚のようなものであり、ざっくばらんな関係が築けている。

 

 その仲の良さを見抜けなかった人物がいないわけではない。

 野心家のグリルパルツァー中将は自身の栄達のために派閥争いを焚きつけるという愚かな行為を行い、そのツケを払うことになる。日頃争っているように見えるメックリンガーとビッテンフェルトも、互いを追い落とそうと思うわけがない。

 

「あの猪も、卿のように陰で何かを企むことはない。なぜならそれが猪たるゆえんだからだ」

「いくら奴が下手な絵を描くところで、おそらく美意識を爪の先ほどは持っているだろう。妙な小細工をしないくらいにはな!」

 

 結果、一致してグリルパルツァーを辺境の閑職へ追いやったのだ。

 

 そして帝国軍はキルヒアイスの性格のように穏やかな軍縮へ進んでいる。もはや同盟と過度の緊張を引き起こすことはない。それどころか海賊退治に関して協調出撃することすらあったのだ。

 

 結局のところ、帝国と同盟はイデオロギーの戦いだった。

 それがエスカレートし、不倶戴天の仇同士になってしまい、相手を征服するまで戦いは終わらないと思い込んでいた。

 それはただの感情なのだ。

 もともと生存という意味で戦いは必要ない。

 どちらも人口が減り続け、放棄された開拓惑星すら多くある以上、領土獲得に何の意味もない。

 互いに手を出さなければそれで済む。むろんキルヒアイスも平和に尽力する。

 

 

 

 ついでにいえば、やっと一子を設けたミッターマイヤーも、何とエルフリーデとの間に第二子を授かったロイエンタールもその平和路線に協力する。

 

「この俺が子沢山とは皮肉が過ぎる。誰もが想像できなかったろう。むろん、俺もだ」

「いいじゃないかロイエンタール。ただし仕事ばかりでなく子育てにも協力してやれ。見たところそっちの奥方はエヴァンゼリンより頭はいいが家事は苦手そうだ」

「その通り、正直言えば彼女の方が仕事に回るべきなのかもしれない。艦隊指揮以外なら俺より立派にできそうだ」

 

 ミッターマイヤーは驚きに目を見張る。

 あのロイエンタールが惚気を語っているとは!

 

 

 

 




 
 
次回予告  最終前話  花束

その先の未来へ
 
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