一方の同盟でも動きがある。
いったん同盟から離脱しかけたマル・アデッタ、ジャムシードなどの星系が復帰している。ハイネセンへの偏重を改め、均衡のとれた発展を約束することで同盟の再統合が果たされたのだ。
むろん、これはトリューニヒトの政治的交渉の手腕が最大限発揮された結果である。
その後も同盟は苦闘しながら前進する。帝国から課された安全保障税は重くのしかかるが、社会を効率化し、帝国から技術を取り入れて凌いでいる。
そして少なくとも政治の腐敗とは無縁でいられた。
そんな同盟で最も注目されている人物、ヤン・ウェンリーはついに辞表を提出した。
おまけに軍を辞めて政界に転出するつもりもない。本人は純粋に自分の思う正道に返る気になっている。
「アッテンボロー、どうやら本当に平和が続きそうだ。少なくとも現役でいられる間には。だったら歴史書の執筆意欲が無くならないうちにそっちに専念するべきじゃないか」
「先輩、年金は足りるんですか? フレデリカ夫人のと併せても足りないんじゃ」
「それなら三月兎亭のウェイターでもしようかな」
「はあ……それはちょっと……」
しかしながらヤンの引退は許可されず、辞表はシトレ元帥の机に死蔵されることになる。
「どうだろうヤン君。この職なら君も納得すると思うのだが。人を殺すのではなく生かす職場となる。メルカッツ提督と共にとりあえずやってみてはどうか」
「……」
同盟軍はヤンを手放す気などさらさらない。
捕虜交換手続きや帝国軍との人事交流の窓口というものを予め設置し、ヤンが辞表を出そうものなら話を持ち出そうと待っていたのだ。
シトレ元帥にそう言われて考え込むヤンに、今度はグリーンヒル大将がとどめを刺す。
「私はね、ヤン君。まさか年金暮らしの男と娘を結婚させたつもりはないんだよ。君は本を書くと言っているが、売れる見込みはあるのかね。いや、君も知る通り物書きはみんな大丈夫と思って書くものだが、結果は言うまでもないだろう。だからこそ娘が苦労するのを見過ごせない」
実際にはそんな心配はない。
ヤンが書いた本であれば内容がどんなものであっても同盟で売れないわけがないのだ。
それほど魔術師ヤンは市民から人気がある。
しかしながら自分の人気に思い至らないヤンは、結局軍に留まり、グリーンヒル大将らをほっとさせることになる。
____ そこから更に三十年の月日が流れた。
小規模なテロは頻発するが、帝国と同盟の国家同士の戦いが巻き起こることはついになかった。
その中、同盟では悲しむべきことにヨブ・トリューニヒトがテロによって斃れている。
やはり帝国をあくまで打倒し、民主主義で宇宙の全てを塗り替える、そう主張する勢力は同盟に根強かったのだ。理想主義と言えば耳当たりがいいが、要するに現実を見ることがない。彼らは帝国と戦うことが絶対正義と信じている。そこに妥協の余地はない。
同情すべきところがないわけではなく、そういう者の多くは肉親や恋人を帝国との戦いで失っていることが多い。イデオロギーによる大義と、個人的な復讐心が絡み合っているところがどうにも救われない。
彼らにとってトリューニヒトは帝国へ尻尾を振り、同盟の精神を捨てた裏切り者である。
トリューニヒトは演説の壇上でブラスターに貫かれた。
生涯独身のまま、同盟のために尽くし続けた生涯を終える。そして息を引き取る前にジョアン・レベロに後事を託した。しかしそのレベロも長くはなく、やはりテロに斃れている。
その後に評議会議長に就任したホアン・ルイは長く勤め、それにより同盟は発展基調のレールに乗り続けていられた。皮肉なことにトリューニヒトが泥を被ったおかげでホアンは清廉なイメージのままであり、強硬派を何とか抑えることができた。もし同盟が混乱し、暴発すれば帝国に付け入れられたかもしれない。
一方、帝国の方ではこの間にオーベルシュタインが死去している。
それはテロではなく病死だった。オーベルシュタインは眼だけではなく、体のあちこちに弱いところを抱えていたのだ。しかし最後まで表情を崩すことはなく、苦しみを表に出すことはなかった伝えられている。
盛大な国葬が営まれ、この時ヒルダは本気でオーベルシュタインの死を悼んでいる。
気の許せない競争相手ではあったが、帝国の発展に私心なく努力している姿を誰よりも知っていたからだ。
オーベルシュタインは本人の希望通り、愛犬の墓の横に葬られ、小さく墓碑を置くだけに留められている。
墓碑銘には愛犬ロルフと永遠に遊ぶ、と書かれていた。
今からは唯一の理解者といつまでも過ごすのだろう。
その後間もなく、皇帝サビーネにより一つの行事が行われた。その治世を通してただ一度の私事と言われている。
サビーネとヒルダが今や銀河帝国全軍の総旗艦となったバルバロッサに乗る。
そして帝国軍をほぼ総動員し、荘厳な列をなし、果てしない輝点を伴って進む。
目的地はキフォイザー星域、ついで打ち捨てられて久しいレンテンベルク要塞にも訪れる。
それはサビーネの父リッテンハイム侯と母クリスティーネへの献花のためだ。
クリスティーネ夫人の好んだ柔らかな色のアネモネとカラーの花束が孤独で暗い宇宙に添えられる。
今も鮮烈に記憶されているあの日……父母は戻らぬ人となった。
今、せめてその魂へ花束を届ける。
このサビーネの姿に泣かぬ者はいない。
もちろんヒルダは号泣する。
あの日の誓いは果たされた!
ヒルダは余人の及ばぬ知略を十二分に発揮し、戦いに勝ち抜き、見事サビーネを皇帝にした。
だがそれでも…… やはりその二人に立派になったサビーネを見てもらいたかった……
そしてこの三十年の動きで誰もが認めざるを得ないのは、フェザーンの興盛だった。
どんなに政治的なさざ波があろうと、結局はどうしようもなく大きな流れというものがある。
水が低きに流れるがごとく、どうにも止められない流れが存在する。
帝国と同盟を結ぶ結節点にあるフェザーンはどのみち支配的立場に立つのだ。
絶対的利点から嫌でもそうならざるを得ない。
フェザーンはもはや帝国にも同盟にも根を張り、通商から情報、そして経済、技術まで多くの分野で頂点に立つ。
かつてアドリアン・ルビンスキーは帝国と同盟のバランスが崩れたら、一方に宇宙を統一させ、フェザーンが裏から支配することを考えていたものだ。
それは手前勝手な夢物語のようであったが、実はそうではなかった。
平和になれば通商がいっそう活発化し、自動的にフェザーンの地位が上がり、オーディンを凌ぐことを計算に入れた予測だ。
逆にいうと戦乱があったためにその流れが押しとどめられ、フェザーンの優越を一時的に隠していたようなものである。
そのフェザーンの自治領主としてエカテリーナが君臨する。
自治領主の座を諦めきれなかったニコラス・ボルテックが異を唱えたこともあったが、哀れにも一蹴されている。
これにはボルテックの側にあって優れた策を打っていた第一秘書グラズノフが、帝国と同盟の和平に伴って辞職し、出奔していったことも大きい。むろんグラズノフは同盟の情報局に帰ったのだ。
グラズノフを失ったボルテックなど実力もない道化に過ぎない。
エカテリーナは夫であり軍務を司るミュラー、兄であり外交全般を司るルパートに支えられている。この頃にはエカテリーナの両翼と称されたアップルトン中将は役割を終えたとして同盟に帰還している。
もちろん、エカテリーナの資質を以てしても正道だけで登り詰められるはずはなく、裏の政略はドミニクが司っている。
ちなみにドミニクは一度だけ私事で謀略に動いたことがある。それはオーベルシュタインの死後、長くその庇護にあった帝国安全保障局長ハイドリッヒ・ラングを失脚させたことだ。遠い日、恋人を獄死させられた意趣返しである。しかし、そのこと以外では誠実にエカテリーナを補佐し続けた。
こうして魔女帝と呼ばれたエカテリーナの時代が来る。
それに対し、オーディンの帝国はむやみと反発することはない。オーディンが人類社会全体からすればむしろ偏った端に位置し、そのために単なる地域代表へ地位を低下させていくのを受け入れる。
ヒルダはそういう文明中心の移り変わりに理解があり、むしろ円滑な移行を考えていたからだ。
非公式という隠れ蓑を使い、ヒルダとエカテリーナはざっくばらんな交流を絶やすことはなかった。まるであの女学校の頃のように。時折はヴェストパーレ男爵夫人を招くことすらあったのだ。
それは人類にとってこの上ない幸福になった。
歴史上そういう文明中心の移り変わりにおいては旧勢力と新勢力が激しく戦い、血が流れるのが普通なのである。それがなくて済んだのは一つの奇跡としか言いようがない。
帝国が内部的変容に忙しかったことも背景にある。
もう皇帝の絶対的権威の国ではない。
そうではなく、帝室は敬愛の対象になる。皆が恐れではなく愛でもって仕える。それこそヒルダの理想としたところだ。
帝国は一般選挙こそないものの、内容的にはもはや同盟にかなり近付いている。
貴族の専横は過去のものになり、誰もがチャンスを持っている。
いや、そうならなければ、同盟やフェザーンと益々交流を深める中でイデオロギー的に破綻せずにいられる方策はない。
近い将来、長くても数十年以内にはフェザーンを中心として帝国も同盟も統合され、人類社会の分断はなくなるだろう。
ラインハルトが火のような激しさで先鞭をつけた人類社会の統一は、エカテリーナとヒルダによって前進し、やがて達成される。
誰もがそう予想するまでになった。
もちろん、人類にとって明るい未来である。
次回予告 最終話&エピローグ トウキョウ
今、三部作が一つに
そのフィナーレ