「……ん、ここはどこだろう」
エカテリーナは目を開ける。
おかしい。
自分はフェザーンで死んだはずなのだ。
それは静かに、夫ミュラーに看取られ、病室で逝った。
宇宙を支配するフェザーンの魔女帝としてはあっけなかったかもしれないが、それでも幸せな最期であった。
そして妙なことに気付く。ここは病室には間違いないのだが、エカテリーナの知っているものではない。豪華ではなく、質素で、それでいて花の香りがする。
おまけに病室には誰かがいた。品の良さそうな婦人だ。
その顔は最大限の驚きに包まれている。
「カタリン! カタリン!! やっと目を覚ましてくれたのね! ああ……」
その夫人は駆け寄ってくるやいなや、ベッドの上に飛びつくような形でエカテリーナを抱きとめる。
その瞬間、エカテリーナの頭に記憶が流れ込む。というより記憶の覆いが跳ね除けられた。
鮮やかに思い出される。
確か一家でエル・ファシルまで宇宙旅行に行って、その帰りにイゼルローン回廊で事故に遭って……
「ママ! ママなの!?」
「そうよもちろん、愛しい我が子」
「ママ、わたしはエカテリーナ…… だけどカタリーネ……」
「あなたはあなたよ。どちらでもあなたには変わりない。分かるわ、きっと長い夢を見たのでしょう」
「エカテリーナが、夢……」
それは信じられない!
自分はエカテリーナとして一生を生きたのだ。
フェザーンでアドリアン・ルビンスキーの娘として生まれ、オーディンの女学校に通い、ミュラーと出会い……
余りにも多くの物語があった。
出会った人はいったい何人いたのだろう。それぞれ記憶に残っている。
それに何より、激動の銀河をフェザーン自治領主として主導し、生涯を存分に駆け抜けたのだ。疲れも知らずに。
「ああごめんなさい。ママの言い方が悪かったわ。それは夢というより、現実にある世界よ。別の世界と言ったらいいかしら」
「別の世界?」
「たぶんあなたはそのエカテリーナという人生を歩んだのね。それもまた本当なの。本当にあったことなのだから、大事にするといいわ。でもこれからはわたしの娘よ。よく帰ってきてくれた……」
記憶の混乱はない。エカテリーナとして歩んだ人生をしっかりと覚えているが、同時にこの婦人カロリーナの娘カタリーネだった記憶もあるのだ。
しかし、どっちにしろわたしはわたしであることには違いない。
せっかく生きているのなら答えの出ない問題を考えても仕方がない。切り替えて、また人生を楽しめばいいだけではないか!
「それより何か食べるものある? ママ」
「まあ! あなたって、やっぱり!」
カロリーナママが思いっきり笑った。
いかにもわたしらしいことを言ったせいだと後で聞いた。
_______
「香央梨ーーー! 起きなさいよーー 今日は一時限目からあるって言ってたでしょ」
一階から母親の声がする。二階の私の部屋までそれが聞こえ、慌ててベッドから出る。
この生活にもだいぶ慣れてきたのだが、時折気が緩みすぎる時がある。
私は一年前から突然ここで暮らしている。
いや、その言い方は正しくないだろう。
私が暮らし始めたのではなく、別人の暮らしに私が成り代わってしまったのだ!
私はハイネセンの宇宙港で死んだはずではないか。
何条ものブラスターに体を貫かれ、それでも通路開閉コンソールを守って死んだ。
次に意識が戻り、目を開けた時、コンパクトで女の子らしい部屋が見えた。
正直意味が分からない。
命が助かった? いやあの状況でそれはあり得ない。
しかもここは病室などではない!
普通の部屋とベッドである。普通といっても見たことのないものが多過ぎるのだが……
その後、数日で状況が分かってきた。
ここはハイネセンでもどこでもない。私のいた世界のいずれの場所でもなく、別の世界なのだ!
そして私の今の体は…… 小柄で黒目黒髪、元の体とは似ても似つかない。
周りから香央梨という名で呼ばれている。
やはりそうかと思ったが、私はもうエリザベート・フォン・カストロプではない。この心以外は。
ここでの新しい生活に戸惑うことはいくらでもあったが、それでも何とかなっている。
私は一度帝国有数の貴族令嬢から、新しい名で一介の秘書見習いになったこともあるのだ。その激変を体験したからには、もう一度の激変くらいこなしてみせる。
それと勉強面で非常に楽だったことも幸運なのだろう。
この体の少女は大学一年生であり、オーディンの女学校とはまるで違う女子大学に通っている。
そこで主に学んでいることは、何と同盟語による文学だったのだ!
私は難なく同盟語を操ることができ、苦労することは何もない。
おまけにもっと驚いたのは、第二外国語の授業とやらで、最も馴染んだ言葉である帝国語と再会することができた。
一方で不思議なことに私はここの国の言葉にも不自由はない。元の香央梨という少女の記憶の一部が残っているのだろうか。
しかし私がここにいるということは、香央梨という少女の魂はどこに行ってしまったのだろう。
そこに答えはない。
ただし香央梨のことを深く知る上であれこれ探っていたら、部屋の本棚から驚くべきものが見つかった。
多くの菓子作りの本があったが、それは香央梨の趣味だと想像できる。
そしてそれらの本に挟まれて、何と銀河の歴史書があったのだ!
銀河帝国についても、自由惑星同盟についても、その本には事細かに書かれている。貴族、軍人、数多く出てくる名前すら見知ったものだ。
だが不思議なことに本当の歴史とは相違点が多過ぎる。
少なくとも私の知る歴史そのものではない。
そしてついでに分かったことは、香央梨はこの歴史書が大好きだったことだ。何度も繰り返し読まれている形跡があった。
もう一つ、香央梨は変わった趣味があり、何かのシミュレーター遊びを好んでいたらしい。私にはあまり興味のない戦いについてのシミュレーションである。
これらのことを知ると私に一つの考えが浮かぶ。
私の魂がここに引かれたのではないのではないか?
それは話が逆ではないのか?
香央梨に何かの資質があり、そのため向こうの世界に必要とされ、だからこそ先に香央梨が引っ張っていかれたのではないか……
私はその身代わりのような形でここへ来た。
むろんそれにも答えはなく、考えても仕方のないことではあるが。
「香央梨姫ーー、発音総論のノートとヤマカンよろしく!」「音素論もね! 代わりにピーチパフェ奢るから!」
大学では私にも友達がいる。皆明るく屈託なく、銀河帝国のほの暗さとは無縁だ。彼女らは普通に接してくれるし、私もむろん普通にしている。
「それでさ、土曜日なんだけど、合コンあるのよ! 何たってあの大学と! 18時から、しかも小平まで来てくれるって」「行く行く! 香央梨姫も行くでしょ。姫の得意なダンスもセッティングするわ」「ダメよ姫の本領はソーシャルダンスなんだから。何たって姫にはぴったりの気品があるのよね…… 前世は貴族かなんかじゃない?」
友達の言葉に一瞬息が止まる。
貴族! あの大貴族カストロプ家令嬢だった私……
いいえ、今の私は香央梨だ。
ついでにいえばオーレリーでもない。
ああ、しかしその名は……
私は絶対に忘れ得ぬことをまたしても思い出してしまう。
オーレリーの偽名のまま愛した人、ヨブ・トリューニヒトのことを。
愛しい人、無事にハイネセンを脱出できただろうか。そして志を果たしただろうか。幸せな一生を送っただろうか。そんなことばかりが気になってしまう。
今夜もそれを思い、涙の一雫を流すに違いない。
ただし、ただしだ。もしも私がこの世界に引かれたのなら、誰か他の人も引かれた可能性があるのではないか。
もしかするとあの人も……
ほんのかすかな可能性を考え、それで私は生きているようなものだ。
むろん巡り合えても私のこの体と名では分かり合える術がない。
いや、それでも大丈夫だ!
仮に愛しい人に一目でも巡り合えたら、私は魂で分かってみせる。
魂と魂のつながりが分からないはずがない。
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「おい明日は合コンだぞ。お前も来いよ。てかもう人数入れてっから。勉強ばっかじゃ能率上がんねえって。じゃ、明日18時、小平駅行って、そこには何にもねえから合流したら吉祥寺に移動な」
悪友がそんなことを行ってきた。
この大学には珍しく、軽いノリの奴だが、根は決して悪くない。言葉通り勉強ばかりの自分を気遣ってるという面も確かにあるのだ。
まあ私が勉強ばかりしているのもそれは仕方がない。できるだけ良いスタートを切り、政治家を目指すからには。
私にはそれくらいしか成しようもない。
自分にはヤン・ウェンリーのような軍事的な才はないし、現実この国は今戦争状態でもない。
しかしながらこの国は政治的に大きな混乱がある。だからこそ私が政治家となって貢献できるだろう。
何といっても私はかつて自由惑星同盟百三十億人を束ねてきたのだ!
最高評議会議長として。
人口で百分の一にも満たないこの国、何とかできるに違いない。
私はハイネセン市民へ向けた演説の最中、強硬派の凶弾に斃れた。
そして目が覚めたらこの国、この世界にいた。
とまどう自分に対して周りの人間は優しかった。なぜなら、受験の勉強のプレッシャーで自殺を図り、もはや死に瀕してしたところで奇跡的に目覚めたということらしい。
わたしは周りの状況を見つつ、何とか適合し、この国の最高学府に入ったところなのだ。
それにしても考えることはこの国のことではなく自由惑星同盟である。
ジョアン・レベロ君はうまくやっただろうか。
帝国の圧力を躱し、同盟を存続させ、民主主義の灯を守り切っただろうか。
そして私は…… 歴史家の評価で同盟に貢献した人物と書かれたのだろうか。
そうでなければ私を支えてくれた人、特にあのオーレリーに申し訳が立たない。
ああ、オーレリー、ためらいなく命を投げ出し、成しうる最大限のことをやってくれた人。
今もなお愛しい人。
その記憶が心を掴んで離さない。
いつか、またそのような人に巡り合う時がくるのだろうか。
ー 完 ー
「疲れも知らず」
これで完結します
最後はエリザベートとトリューニヒトの話に……
全三部作、それぞれ帝国主人公、同盟主人公、フェザーン主人公が描かれました
銀英伝世界を舞台に、こういう優しい物語はいかがだったでしょうか
三部作を読み比べて、ヒルダやサビーネの性格の違いなどを感じてもらえれば幸いです
個人的には第一部平和の使者のサビーネ様がはっちゃけていて好きです
本作品だけについて言えば、アーサー・リンチの最期、シュターデンのアルバムもいいのですが、やはりアマーリエとオフレッサーのエピソードに渾身の力が入りました
では、また別の世界で……