疲れも知らず   作:おゆ

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第十五話 483年 4月 試作品

 

 

 エルフリーデはドミニクを送り込んで計画を進めようとしたが、あっさり失敗してしまったのを悟った。

 ドミニクから相変わらず報告が届いている。

 しかし、その微妙なところで心に警報が鳴るのだ。

 

 何かおかしい。

 それに、一度だけだがやけに遮蔽力場を長く張られていた記録が残っている。

 それはドミニク自身の手で張られたもので、普通なら怪しむことはない。しかしエルフリーデは決して無能ではなく慧眼だった。起こった事態をほぼ正確に見抜く。

 

「さて、失敗だわ。ドミニクは取り込まれたのね。確認なんかするより失敗だったら早めに撤収するのが吉だわ。もっと残念なことになる前に」

 

 さっさとオーディンに戻った。そうと決めたら躊躇しない。

 それは実に危機一髪だった。フェザーンの手の者がエルフリーデを捕らえる直前だったのだ。

 

 

 オーディンに着くとリヒテンラーデ侯に報告する。

 

「簡単に見破られたわよ。予想よりもずっと早く。でもこれで分かることは、あのルビンスキーという自治領主は決して侮れないってことね」

「ふむ、それもまた収穫といえるものじゃの。手はまた打てばよい」

「収穫といえば、ちょと面白いことがあるわね。今オーディンにいるフェザーン弁務官のボルテックという者、フェザーンではまるで人気がなく、何かに使えそうにもないってこと。人望のないただの官僚よ。将来ボルテックを傀儡に仕上げてもフェザーン人が治まるとも思えないわ」

「奴のことか。近頃何かと動き回っておるわ。小物とは思うておったが、そこまでか。まあ憶えておくことにしよう。エルフリーデが言うのじゃから間違いないの」

 

 エルフリーデは主な目的を果たせなくとも充分な土産を持ち帰ることはする。決して手ぶらでは帰らない。

 

「それともう一つ面白いことが分かったわよ」

 

 エルフリーデはフェザーンに潜入する際、帝国の弁務官事務所にも秘密裏に行っている。

 帝国からフェザーンに置いている高等弁務官レムシャイド伯に会うためだ。

 もちろんレムシャイド伯ともなればエルフリーデ・フォン・コールラウシュがリヒテンラーデ侯の懐刀であることを知っている。

 

「これはお嬢様、この度はフェザーンにようこそ。何か問題でもありましたか」

「レムシャイド伯爵、リヒテンラーデ侯はフェザーンの動向に重大な関心を寄せていますわ。そこで先ずは私に情報を洗いざらい寄越して下さい。そこで私が判断し、重要と思ったことに追加情報をお願いします」

 

 急な命令だったがレムシャイド伯爵は素直に従う。エルフリーデの言葉は国務尚書リヒテンラーデ侯の言葉と同義であり、帝国の意向そのものである。

 そして取りそろえた情報の中には何とルビンスキー家の令嬢エカテリーナと帝国駐在武官ミュラーの私的な交友のことまで含まれていた。

 これをエルフリーデは面白いと思った。

 できるだけ情報を集めるが、やはり最後は自分の目で確かめる。

 

 

 

 その日はエカテリーナもヒマで、ミュラーも休養日だった。

 

 しかも天気がよい。乾燥しがちな惑星であるフェザーンはやや薄曇りで直射日光が和らいでいるくらいが最上の天気なのだ。

 そんな中、ミュラーはまたエカテリーナに呼び出される。

 今回は小舟で川下りをするのに付き合わされるらしい。

 

 二人は水が跳ね飛ぶスリルをしばし楽しんだ。

 そういう急な流れの所は多くはなく、危険はない。間もなく澄んだ穏やかな水面に出た。

 

 オールを漕がずに静止するに任せた。

 

 しばらく待つと波紋が消え、その水面から下が見える。水底の藻が浅緑に揺らいでいるのも、所々に紅色の石があり、細かな影を作りながら輝いているのも全て見える。

 

「ミュラー、水が透き通っているとなんだか小舟が空に浮いてるみたい。すごく面白いわ」

「ああ、本当だ。不思議な感じだね。足が届かないほどの水底がこんなにはっきり見えるなんて」

「こんなことを言うのもなんだけど、星の中のようだわ」

 

 エカテリーナは少し遠慮しながら言った。

 まるで小舟が星空の中にいるようだと思ったのは事実だが、ミュラーは常にその星空の中にいたのだ。しかもそれは軍だ。決して楽しいことばかりではなく震えるような危険な思いもしただろうに。

 それを思い出させてしまったのではないか。せっかくの楽しいお出かけなのに。

 言ってしまってから、自分は気遣いが足りなかったとエカテリーナは思った。

 

「星空はもっと綺麗だよ。人に優しくはないけど」

 

 それを知ってか知らずかミュラーは言葉をつないでくれた。

 エカテリーナはタイミングを見てまた声をかける。

 

「ミュラー、今日はまたサンドウィッチを作ってきたわ。試作品だけど面白い味だと思うわよ」

 

 二人は川岸に小舟を止めて、陸に上がってランチとする。

 これまたエカテリーナ自慢の新作を披露するのだ。

 

「これはね、マヨネーズを薄く両面に塗って、そこにバナナスライスを挟んでいるのよ。どう? 新しい味でしょう」

「へえ、そういう試作品なんだ。うん、美味いね。結構合うと思うよ」

「マヨネーズを両面に塗るのがコツなのよ。最初にマヨネーズの味がするように」

 

 

 

 二人の談笑は間もなく中断されることになる。

 ふいに声をかけてきた女がいたのだ。

 

「お二人さん、楽しそうな会ですこと」

 

 ミュラーとエカテリンは同時に目を向ける。

 その先にはブロンドの髪を雑にして、簡素なドレスを着た女がいた。

 

「あら御免なさい。若い恋人の邪魔をするつもりではありませんことよ」

「いえ邪魔だなんて。ここは誰の川辺でもありません」

「でも思わず声をかけてしまって御免なさい。本当に仲が良さそうで、つい」

「それに恋人と仰いましたか。仲が良いのはその通りですが、私たちはそうじゃありませんわ」

「そうかしら? 恋人以外には見えなくてよ。では早めに失礼いたしますわ」

 

 女はそそくさとその場を離れようとする。

 いったいなぜそこにいて、二人に声をかけてきたのだろう。

 女は去る前に、ミュラーへ小さな声で言った。

 

「あなた、相当なお馬鹿さんね。そのサンドウィッチが本当に試作品だと思ったの?」

 

 ミュラーとエカテリーナは唖然とする。

 次にはエカテリーナが赤面する番だ。

 

 ミュラーもやっと理解した。このサンドウィッチは決して試作品などではない。入念に計算し、幾度も試してようやく作り上げたものだ。

 それはエカテリーナが料理好きというだけの理由ではなかった。エカテリーナはオーソドックスなものを作るより、意外性のあるもので新鮮な驚きを与えたい。だがその大前提として不味い物なら意味がない。時間と労力をかけて美味いように作るのだ。

 それは全てミュラーのためである。

 エカテリーナが決してミュラーを憎く思っていないことを表わしている。幼な過ぎてそれが愛とか恋とか意識していないとしても。

 

 一方、その場を離れおおせたエルフリーデは独り言を言う。

 

「偵察だけのはずだったのに。自分でも何をやってるのだろう」

 

 その通り、遠目に観察して判断材料の一つでも収集しようと思っていただけだ。ルビンスキーの令嬢と帝国の駐在武官との交流とは興味をそそられる。

 それが思わず飛び出て声をかけてしまった。

 あのミュラーという駐在武官は自分の顔を知らないからできることでもあるが、しかし何かを勘繰られるリスクがあることも確かであり、その行動は軽率というべきものだ。

 

「しかしまあ、やってしまったものは仕方ないわね。なんか見てられなかったんだもの」

 

 そう言って切り換える。間もなくドミニクの件で急ぎフェザーンから離れることになったため、その後は知らない。

 

 

 

 

「…… そういうわけで大おじさま、令嬢とその駐在武官は仲がいいわ。これは私の勘だけど、将来必ず恋仲になるわね。こういうのに私の勘は外れたことが無いのよ」

 

 リヒテンラーデ侯に対するエルフリーデの報告が続く。

 些細なことのようだが、エルフリーデにはリヒテンラーデの貴重な時間を割いてでも報告すべき事柄に思えたのだ。

 

「平民出の一介の駐在武官が、ルビンスキー家の令嬢と、かの。珍しいこともあるものじゃ。憶えておこう。さしあたってその者が前線に戻ってからも戦いで死ぬことがないよう儂が取り計らっておくことにしようぞ。近頃は軍部に頼みごとが多いでの。ついでじゃ」

「大おじさま、軍部に頼み? それなら私にも分かるわ。グリューネワルト伯爵夫人の弟さんのことね」

 

 その話題に切り替わる。

 リヒテンラーデもエルフリーデには別に隠しごともせずに率直に語る。。

 

「エルフリーデも知っておったか。ベーネミュンデ侯爵夫人にも困ったものだて。グリューネワルト伯爵夫人憎しのあまりその弟まで亡き者にしようとしておる。ついに帝国軍の中にまで刺客を送り込んだようなのじゃ。一応、軍内のグリンメルスハウゼン老人に守ってくれるよう頼むつもりじゃが、さてどうなるものか」

 

 

 エルフリーデにもアンネローゼ・フォン・グリューネワルト伯爵夫人の弟ラインハルトの話は聞こえている。加えてリヒテンラーデがそのラインハルトを暗殺させたくないのも知っている。

 

 それはアンネローゼ・フォン・グリューネワルトを心の支えにしている皇帝陛下に対する忠義の一環であり、皇帝の寵姫アンネローゼ・フォン・グリューネワルトを悲しませないためのものである。

 ただしそれだけではない。

 常日頃からリヒテンラーデは大貴族が帝国の政治を引っ搔き回すのを苦々しく思っている。そのため政治色のないアンネローゼの存在は非常に好ましい。

 できればその弟にも少し力を与え、他の貴族に対する牽制にできたら重畳だ。

 現皇帝フリードリヒ四世の子、ルードヴィッヒ皇太子は病弱であり貴族の干渉を跳ねのけるのは無理だろう。帝室のため、今のうちから貴族の力を弱めておかねばならない。

 全てはリヒテンラーデの帝室に対する忠義のためだ。

 

「へえ、軍内に刺客? 大おじさま、失地挽回よ。そんな刺客は私が潰すわ」

 

 

 

 

 直後に起こった第五次イゼルローン攻防戦において、ある人物にとり手筈に大幅な狂いが生じた。

 名をクルムバッハ少佐という。

 宮中のやんごとなき方からの特別な命令を受けてここにいる。

 

「なぜ、誰も来ない! 今が絶好のチャンスではないか。この戦闘中なら背後から襲えば簡単だ!」

 

 帝国軍と叛徒の戦う艦隊戦がいよいよ佳境に入り、通信も指揮も乱れてきた。

 辛抱して待った甲斐があり、暗殺には絶好の機会が訪れた。

 

 だがしばらく待ってみても同志は誰も来なかった。ラインハルト暗殺という密命実行のため、何人もこの艦の中に潜り込み準備をしていたはずなのに。

 仕方がない。クルムバッハは単身でも暗殺を決行する方を選ぶ。

 本来暗殺部隊の指揮だけ執って自分が撃つことはないと思っていたのだが。

 ターゲットのラインハルトにも部下がいるし、艦には保安要員もいる。こんな激しい戦闘中でなければとても暗殺はできない。やるなら今しかないのだ。

 

 確かにおびき出し、しかも背後を取ることができた。暗殺は間違いなく成功したかに思えた。

 

 しかしクルムバッハに最後の詰めはできなかった。

 駆けつけたキルヒアイスの手によってラインハルト暗殺が失敗したことと、無念にも自分の命がここで消える羽目になったことを理解した。

 

 どうしてこんな結末になったのか……

 裏で糸を引いて暗殺を失敗に導いた女がいたことなど最後まで知るはずもなかった。

 

 

 

 




 
 
次回予告 第十六話 帝国軍技術部

走れ! グラズノフ!!

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