疲れも知らず   作:おゆ

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第十六話 483年 10月 帝国軍技術部

 

 

 

 走れ!

 もっと早く走らねば努力が水の泡になる。

 

 失敗してはならない!

 これは自由惑星同盟へ絶対に届けなくてはならない情報なのだ。

 数万人、いや数百万人の命が懸かっている。近い将来、同盟軍兵士の命が。

 

 こんな恐るべき兵器を帝国軍は作り上げていたのか……

 その兵器の名は指向性ゼッフル粒子。

 

 ゼッフル粒子とは非常に引火性が強く、ひとたび反応が起きれば膨大な熱エネルギーを放出させるという粒子だ。その存在は帝国軍と自由惑星同盟軍のどちらにとっても銃火器を使用しない白兵戦の意義を残すことになった。戦場にどちらかがそれをバラまけば、自分ごと焼き払われる自殺志願でもなければたちまち銃火器は何も使えなくなる。後は弓と刃、そして兵士自身の肉体を使って戦うしかない。

 

 その危険な粒子を地表や艦の中のみならず、宇宙空間での戦闘に応用しようと研究されてきた。しかし低い濃度になっても反応を起こすとはいえ宇宙空間は広すぎる。拡散してしまえばそれっきりだ。

 

 だがしかし、そのゼッフル粒子に指向性を与え、誘導するという実験を帝国軍は成功させていた!

 

 もし兵器に応用されれば、自在にゼッフル粒子を操り、狙った宙域を高熱で掃討できる。さすがに艦艇なら動いて避けられるかもしれないが、少なくとも機雷、あるいは小型の要塞さえ一瞬で破壊できるだろう。

 戦いを一変するほどの兵器だ。

 こんな兵器を大会戦のここぞという場面で使用されてしまえば同盟軍にとって壊滅的な打撃になるのは容易に想像がつく。いずれは兵器の常として対抗兵器が作られるだろうが、その間はどうしようもない。

 

 だから今、その兵器の情報を何としてでも同盟に届けなくてはならない。悲劇が起こる前に。

 多少の危険は覚悟の上だ。

 あるいは自分の命と引き換えても全然構わない。

 今までのスキルを全て投入し、絶対に情報の持ち出しを成功させる!

 グラズノフは走った。

 

 

 

 

 しばらく前のことだ。

 相変わらずグラズノフはオーディンで諜報活動を続けていた。

 

 フェザーンの高等弁務官ニコラス・ボルテックの第一秘書、この肩書きは有利にも不利にも働く。帝国側にどうしてもマークされてしまうのは不利な点だろう。それが同盟ではなくフェザーンの工作活動と誤解される結果のことであっても。

 

 有利なことは行動に自由が効くことと、やはり情報が集まりやすいことだ。

 

 その重大な情報が手に入ったのはいくつかの商談を調査したところから始まった。

 オーディンのフェザーン弁務官事務所には次々と商談の話が持ち込まれる。大半は通常の民間取引の範疇ではまとまらない話だ。複雑な許可が必要な大型案件、あるいは特別に急ぎであったり特殊な物品であったりする商談だ。

 つまり弁務官事務所からの口利きが必要になる場合なのである。

 それらを峻別し、本当に推薦を与えて後押しをすべき商談なのかどうか考えなくてはならない。もちろんフェザーンの利益になる商談なら積極的に口利きをする。それも弁務官事務所の需要な仕事である。

 

 グラズノフもまたそこへ関わっていた。

 すると、とある機材についての商談が目を引いたのだ。急ぎ帝国がフェザーンから入手したい物品であり、形も材質もかなり特殊なもののようだ。

 それだけならグラズノフも調べようとまでしなかったに違いない。

 ところが、その機材の納入先が帝国の通常の商業組合などではなく、帝国軍の存在を隠すためのダミー会社だと見抜いた。

 

 この時点で特別な関心を抱かざるを得ない。なぜそんなややこしいことをする。その特殊な機材はいったい何に使うものだろうか。どうしても気になったグラズノフはフェザーンに問い合わせたのだ。

 すると驚くべきことが分かった!

 高い確率で大型のゼッフル粒子発生装置のためのものらしい。その大きさは通常の歩兵戦闘で使うようなものとは桁がいくつも違う。これまでにない大型で、だからこそ帝国内では全て賄い切れることはなく、フェザーン製の部品まで調達する必要があったのだろう。

 

 これは怪しい匂いがする。

 更にグラズノフは帝国軍の動き、特に技術部の動きに着目して調べた。

 はたして帝国軍技術部にそれらしい動きがあった。技術部の人事面ではシャフトなる気鋭の技術者が昇進を果たしたばかりなのだが、その者が中心となって非常に大掛かりなプロジェクトを進めているらしい。

 

 

 

 そこまで分かれば後は接近して探るしかない。

 グラズノフはすっとぼけながら帝国軍技術部に直接ねじこんだ。

 

「弁務官事務所の秘書官グラズノフと申します。この度フェザーンに発注された特殊な機材が帝国軍に納入されることは分かっています。フェザーンの目は欺けません。分かってしまった以上、帝国軍がわざわざダミー会社を作って隠蔽しようとした理由を知らなければ、フェザーン政府としてこのまま納入させるわけにはいきません。形式上のことですが、書類を整えるために用途を言ってもらわねば困ります」

 

 一応立派な名目を立てている。

 対するシャフトは技術的天才かもしれないが、思慮の浅い俗人だった。

 

「それは機材調達を担当する部署に言うべき言葉だな。ここは技術者が崇高な実験をする場である。書類を作ったり支払いをするのは下賤なことしかできない輩がすればよいことだ」

 

 シャフトはにべもなく撥ねつけてきた。

 あまり人付き合いの良いタイプではないな、グラズノフにはそう思えた。しかし実のところこういう尊大な人間の方が攻略しやすい。

 

「詳しい用途など窓口では分からないから、直接技術員に聞いてこいと言われてきたのですが」

 

 グラズノフは機嫌が悪くなったように装う。

 今言ったのは大胆な嘘だ。シャフトはおそらくそれを疑って問い合わせにかかったりしないだろう。

 それにこの時は技術部プロジェクト長のシャフトより上の立場の者はいない。その時間帯を狙ってきたのだ。

 

 

「……しょうがないな。簡単に言えばその機材はゼッフル粒子の実験に使うものだ」

 

 やはりシャフトは脇が甘い。

 グラズノフはゼッフル粒子発生装置に関わるものだと確認できた。

 しかしほくそえむ心の中と違って、顔では大げさな渋面を作る。

 

「ええと、その何とか粒子に使うものですか。私はただの秘書官なので技術的用語には見当もつかなくて申し訳ない。それで、その書く綴りも分からないので教えて頂ければありがたいのですが」

 

 ここでシャフトは大声で笑いだした!

 グラズノフを心の底から馬鹿にしきった笑いだ。

 

「何と! ゼッフル粒子を知らない者が世の中にいたとは驚きだ! やはり文官など何も分からないものだな。無用の存在だ。やはり技術部が先に立たねば何も進歩がない」

 

 グラズノフはやはりぽかん、とした顔をして何も分からないフリを続ける。

 それに対してシャフトは一気に上機嫌になった。

 

「いや失敬失敬。グラズノフ氏とやら、気を悪くされるな。一般的なことについて言ったまでで、貴官のことを言ったつもりではないのだ。そうだな、どこから説明したものやら」

 

 言葉はそうだが嘲りの笑いを隠そうともしない。技術を知らない者に対して自分が完全に上に立っている場面なのだから。

 つまりシャフトは技術を至上とする価値観があり、自分はそれに優れたものだと思っている。要約すれば尊大なことこの上もない。

 

 そこからシャフトが長々とゼッフル粒子の説明をしていく。

 グラズノフはもう頭が一杯になって音を上げたように装い、ついに核心に踏み込む!

 

「形式上のことだからと私などが技術部に来たのが間違いだったようです。ちょっと理解が追い付かないようで申し訳ない。しかしまあ、そんな変な粒子を一度に多く作ってどうなるのでしょう」

 

 務めて何気なく言ってのけた。シャフトは乗せられて完全に油断している。

 

「それは意味がある。宇宙で使うからだ。指向性をつけてゼッフル粒子を移動させ、そして使いたいところに持ってきて点火すればいい」

 

 それが新兵器の要だ。得意満面に答えたシャフトは、自分が言い過ぎてしまったことも分からない。それを聞いても何のことか分かっていなさそうな相手なのだから。

 

 

 一方、グラズノフは内心冷や汗が出た。

 それは革新的な軍事技術ではないか! 思わぬところでとんでもなく重大な情報が手に入った。

 

「ともあれフェザーンとしては商談を進めていけるのならそれで結構です。それで話を聞くと何やらどんどん大型の契約が結べそうな気配を感じますな。技術部プロジェクト長とせっかく知り合えたことでもあり、今後の契約をより円滑に進めたいものです」

 

 最後までグラズノフは技術に何も関心がなく、商談と利益にしか目がないように語った。ダメ押しだ。

 そして丁寧に紙に包まれた物を差し出す。それは手の平に収まる程度の大きさだ。片手で器用に紙の包装をめくり上げ、中に金板が入っているのを覗かせる。

 

 シャフトは驚いたが、すぐに下卑た顔でそれを受け取る。

 

 どうやら崇高なる科学の使徒と自負する信条と、リベートを取って自身の利益を図ることは意外にも相反しないらしい。

 

 

 

 

 グラズノフは弁務官事務所に帰るとボルテックに簡単な報告をした。

 帝国軍技術部がフェザーンに特殊な機材を発注していることを型通り伝えた。そこに嘘は何もない。

 もちろんボルテックこそ正真正銘軍事技術に何も興味はない。それこそシャフトが馬鹿にしても仕方がないような根っからの文官なのだから。通常案件として処理する以上のことは考えもしない。

 

 ここからだ。

 グラズノフは何としてもその新技術の情報を盗み取らなければならない。

 

 帝国軍技術部のセキュリティや警備状況は調べたが、安全に盗み出せるほどの確信は得られない。しかし、どうしてもやらねばならないほどの重大な情報なのだ。

 

 夜間、その敷地近くへ忍び込んだ。

 ついで極超短波の狙撃銃を帝国軍技術部の建物のセキュリティコンピューターの置かれているあたりに向けて撃った。極超短波は金属に当たると電流に変換される。それで電子機器はいったんシャットダウンしてしまい、自動で迂回路を探して修復がかかるまでの時間は無力になる。これは同盟の最新装置だ。

 

 素早く敷地内に入ると建物に侵入する。グラズノフは交渉やフェイクのみならず、こうした工作活動においても極めて優秀だった。

 間もなく見つけた端末の一つから技術情報ストレージコンピューターにウィルスを流し込み、機密情報を守るウォールを食い荒らさせる。

 そしてついに目的の情報の入ったフォルダを見つけ出した。

 それを丸ごとマイクロメモリに移す。

 

 中身を確認している暇はない。後は素早く脱出だ。

 

 しかしここまでは運が味方しても、警備兵に全く見つからないほどの幸運を持ち合わせてはいなかった。侵入は気付かれてしまったのだ。

 

 走れ。早く。

 技術部の警備兵は幾人かの集団を形成しながら追ってきた。

 グラズノフはやっとその敷地を抜け、市街地に向かう。そこまで行けばなんとでもなる。しかし、いったん撒いたと思った警備兵が再び後ろに小さく見えてきた。

 音が続けて聞こえてくる。いよいよ発砲してきたのだ。向こうも決して逃げ切らせるつもりはないようだ。

 

 

 終わりが訪れた。

 警備兵は早くに二手に分かれ、グラズノフに対して挟み撃ちを考えていたらしい。

 ふいに前方にも警備兵が出てきた。整然と銃を構え、鬼ごっこの終わりを告げる。

 

「くっ、これまでか……」

 

 グラズノフは諦めざるを得ず、そのまま連行される。

 

 

 

 




 
 
次回予告 第十七話 争奪戦

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