疲れも知らず   作:おゆ

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第十七話 483年 12月 争奪戦

 

 

 こうなった以上、グラズノフが考えるべきことは自分に関する情報の隠匿のことだ。

 捕まってしまったのは悔しいが、もはや考えても仕方がない。

 

 自分がフェザーン高等弁務官の秘書であることは隠しようもないことだ。しかしグラズノフにとってそれはあまり重要ではない。いやむしろそれでいい。

 何としても隠すべきなのは同盟の工作員であるという一点だけしかない。

 

 もちろんフェザーンの者だとしても帝国軍の情報を盗んだことが知られれば厳罰を受けるに決まっている。自分はもちろんのこと、上司であるボルテック高等弁務官も何らかの罰を受けるだろう。帝国側としても秘書官が単独で事を行ったとは考えず、ボルテックの指示でスパイをやったと思う方がよっぽど自然だからだ。

 

 ただしそれで終わらない。当然ボルテックも疑いを持つに違いない。

 普段から独断専行の多い秘書ではあるが、それでも危険なスパイ行為をわざわざやるべき道理がないからだ。もちろんそんなスキルを持っていること自体がおかしい。

 ボルテックが詳細に調べれば自分と同盟とのつながりが見えてくるかもしれない。

 

 いいや、最悪同盟の諜報員ということが露見してしまったとしよう。

 

 それでも自分とプレツェリとの線を感づかせてはならない。そこまで探索されれば同盟の情報網が壊滅してしまう。長い年月をかけて密かに構築したのだ。その苦労が水の泡となり、多数の工作員が犠牲となる。

 

 そこまで考えればグラズノフも覚悟を決めなくてはならない。

 それは自爆だ。そうすれば少なくとも尋問はできず、調査は遅れ、その間に同盟が別の工作員を使ってなんとかしてくれる可能性が出てくる。

 むろんグラズノフは同盟工作員になった時からそんな覚悟はある。

 

 祖国のため、信じる民主主義の正義のため、とうに命は捨てている。

 

 しかし、一度は手に入れた指向性ゼッフル粒子の情報を届けられなかったことだけが無念極まる。

 

 

 

「おとなしく手を地面に着けろ」

 

 銃を突きつけた警備兵が言う。グラズノフは先ずこれに従わなくてはならない。

 帝国軍技術部警備兵の長らしいものが重ねて言ってきた。

 

「貴様、どこのスパイか知らんが技術部に忍び込むとは大胆な奴だ。逃げおおせるとでも思ったか」

 

 ここで一応の反論をする。無駄と分かっていても。

 

「スパイ? いったい何のことだ。自分はフェザーン高等弁務官の秘書だ。何を言っているのかさっぱり分からない」

「ふざけるな! たった今、帝国軍に侵入者が入ったのを感知した。我々が追うと敷地から走って逃げた。貴様のことだろう。この目で見ているんだ!」

「そんなことは知らない」

「では逆に問うが貴様は何でこんなところにいる? 真夜中に技術部の目の前に」

「フェザーンと帝国軍で大きな商談の予定がある。その契約上の調査のためここにいただけだ。夜でも明かりがついているか、人がいるか見るだけでも活動状況を知る上で参考になる。それくらいは商売の基本だからな」

 

「よくもぬけぬけと……」

「そうしていたら、突然警備兵が迫ってきたから思わず逃げただけだ。無用なトラブルは御免だからな。こっちこそ迷惑極まる」

「ふん、まあいい。どのみちすぐ分かることだ」

 

 

 その時、ここへ警備兵が一人やってきて警備兵の長に耳打ちする。

 たちまちにんまりと笑顔が広がる。

 

「侵入者が忍び込んだ目的が分かった。技術部から情報が盗まれたそうだ。それを貴様が持っていれば何よりの証拠になる。それでもまだ何か言うのなら聞いてやろうか。言いたいことが残っていればだが」

 

 グラズノフは引っ立てられ、先ずは警備兵の詰所に監禁される。

 しっかり見張られて逃げることなど不可能だ。

 そして身体検査で情報メモリを見つけられてしまった。それを取り上げ、警備兵の長はどこかへ行った。もちろん解析させるためだろう。

 

 

 

 万事休すだ。

 

 後は事が露見した瞬間自爆するだけだ。

 手を縛られていてもそれは可能である。こういう状態まで予期し、爆薬は服の肩口に縫い込んである。やる場合にはその起爆ポイントを噛んで起爆させればいい。

 

 間もなくその警備兵の長が戻ってきた。

 

 いよいよその時か。

 しかしながらグラズノフが問い詰められることはなく、悔しそうな呟きを聞くだけになる。

 

「……技術部の情報なんか、どこにもなかった。あのメモリは空だ。限りなくクロなのに証拠がないとは、フェザーン人でなければ拷問で吐かせるところだったが…… くそ、まずいことになった」

 

 警部兵の長は、部下にグラズノフの身分証明のコピーを取り、その後に釈放するようにだけ命じてそそくさと消える。

 身分証明は本物だ。

 フェザーンからの高等弁務官の秘書であるからには、話が大きくなってしまった場合政治的に厄介な話になるかもしれない。そんなことに巻き込まれてもつまらない。ではないか

 

 意外なのはグラズノフの方だ!!

 それを顔に出さないのに努力がいる。

 

 なぜだ。どうしてこうなった?

 

 確実に指向性ゼッフル粒子の技術情報はダウンロードしたはずだ。

 自爆しなくてよくなったことも忘れて唖然とする。フェザーン人らしく悪態をついたり抗議したりする演技をすることさえ忘れている。

 

 

 ようやく弁務官事務所に戻ってから考える。

 あのメモリに情報が無いのは事実であり、そこに疑うべき余地はない。だったら警備兵の中にグラズノフとは別の同盟工作員が紛れ込んでいて、グラズノフを助けるためにデータを消去したのか?

 いいやそんな時間はなかったはずだ。

 

 警備兵の長が嘘を言ったとも考えられない。

 仮にこれが罠で、敢えて泳がせるつもりなら、情報が無いのではなくニセ情報でも入れておいた方がいいに決まっている。そもそも警備兵が捕まえる必要すら無いではないか。

 

 別の可能性はないだろうか。

 最初から技術部は新兵器の開発していないのか。あるいはその技術開発に失敗したのでは。

 いいや、あのシャフトの言い方は憎たらしいほど自信満々で、本当に実用化寸前のようだった。

 

 

 

 こうして消去法で考えていくと残る可能性は多くない。

 技術情報がすでに空だった。盗まれた後ということはないだろうか? 誰か別の人間によって。そうだとしたら技術部がまだ気付いていない、ごく最近ということになる。

 

 気を取り直したグラズノフはその可能性も考えて調べ始めた。

 

 帝国に流れる他のニュースと慎重に照らし合わせる。

 すると符号の合うニュースが見つかった!

 

 帝国軍はいくつかの工廠を持ち、当然分担しながら生産を行なっている。基本は帝国軍の基地の近傍か、あるいは皇帝直轄領内だ。もちろん民間領や貴族領で生産することはほとんどない。

 しかし、ヘルクスハイマー伯爵領だけは別だった。

 そこには貴族領としては異例なほど高度な工業惑星が存在し、帝国軍の開発と生産にも深く関わっている。

 ヘルクスハイマー伯が先年、シャフハウゼン子爵領にあるハイドロメタル鉱山を手に入れようと画策したのも工業生産の材料を手に入れるためだ。

 

 驚いたことにそのヘルクスハイマー伯爵が一家を引き連れ、なぜか突然出奔したというのだ。

 

 これは大ニュースである!

 行方をくらませるといっても伯爵家だ。それほどのものが潜伏できるところが帝国内にあるとも思えない。

 すると亡命であり、その行き先は自由惑星同盟しかない。同盟に行くのにイゼルローン回廊を通れることはないので、必然的にフェザーンを経由した亡命になる。

 

 おそらく指向性ゼッフル粒子の技術情報をそのヘルクスハイマー伯爵が持って逃げたのだ。

 

 ヘルクスハイマー伯爵であれば自由に技術部に出入りし、情報ストレージにもアクセスできる。

 どういうつもりで盗んだのかわからないが、自由惑星同盟に対する土産にでも考えているのだろうか。

 

 それが事実ならグラズノフにとって重畳極まりない。

 ヘルクスハイマー伯によって技術情報が自由惑星同盟にもたらされる。むろんその見返りは要求されるだろうが大会戦の敗北に比べたら微々たるものだ。

 帝国軍は技術情報を盗まれたといっても機材や技術者はそのまま残っているのだから、どのみち新技術を開発し直せるだろう。しかし、その前に自由惑星同盟は技術情報を得て対抗兵器を作れるに違いない。そうなれば問題は解決する。

 

 しかし、別の事実も分かった。

 平民ならまだしも名門貴族の亡命だ。帝国はこのまま捨て置かず、追手をかけている。それは当然ともいえるが、憲兵ではなく帝国軍まで動員されてヘルクスハイマー伯爵の行方を追っているらしい。

 

 そんな大規模な捕り物になるのは尋常なことではなく、その理由は不明である。技術部の情報は関係ないはずだ。今分かったことなのだから。

 

 

 いったんグラズノフはフェザーン経由でハイネセンの弁務官事務所に通信を繋げる。もちろん、このことを早くプレツェリに伝えるためだ。

 

「プレツェリ、これは重大な軍事技術だぞ。早めに対処を頼む。情報はそのヘルクスハイマー伯爵がたぶん持って逃げている。伯爵が同盟領に入ったらすぐに保護して手に入れるんだ。それなら帝国を出し抜ける」

「ああ分かった。すぐに上に伝える。しかしグラズノフ、ずいぶんお前さんも無茶したようだな。実働部隊に任せるという選択肢もあったんじゃないか。話を聞く限り、その伯爵が情報を持ち出していなかったらお前さんは命が無かったぞ」

「勇み足だったのは認めるが早くしたかったんだ。無茶でも仕事はするさ。まあ、これでも愛国者なんでね」

 

「俺だってそのつもりだ、グラズノフ」

「いや、俺のが上だ。ハイネセンにいたら憂国騎士団にでも入っていたところだ」

 

 これに思わず二人は笑った。

 後方の安全なところに居て、苦労も知らず愛国ごっこをしている憂国騎士団など唾棄すべき存在である。彼ら最前線で命を張る人間にとってみれば。

 

「グラズノフ、今回の働きは無駄にはしない。真面目に言うがこれ以上は無茶するなよ」

 

 それで通信を終わる。あまり長く通信していれば怪しまれることもでてくるだろう。

 

 

 こういう気安い会話ができるのは、二人が訓練学校時代から親友だからである。

 

 プレツェリの方が出世は早かった。

 皆にヒゲのおっさんと呼ばれている、同盟軍情報部きっての敏腕工作員バグダッシュの配下にプレツェリは付いていた。

 そのバグダッシュは苦労してフェザーンに同盟の情報ルートを切り開くことに成功している。そのルートでプレツェリはハイネセン駐在のフェザーン弁務官の立場になりおおせた。今ではそこを起点として幾つかの同盟工作員ネットワークを統括している。

 

 グラズノフに指示を出す方の立場になったが、この二人はお互いを友達分として、友情は損なわれることなく続いてきたのだ。

 

 

 

 




 
 
次回予告 第十八話 思惑

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