疲れも知らず   作:おゆ

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第十八話 484年 1月 思惑

 

 

 

 その頃、ひたすらフェザーンに向かうヘルクスハイマー伯爵は焦っていた。

 亡命の成功が風前の灯になってきたのだ。

 

「どうしてこうなった。国務省どころか帝国軍まで追ってきている。それもこんなに早く出てくるとは」

 

 あともう少し、フェザーン領は目の前なのだ。

 しかし、既に帝国軍の巡航艦が迫ってきている。

 

 やむを得ず、乗っている高速旅客艇のエンジンに過負荷をかけても出力を絞り出させる。

 目一杯の速度になる。

 ヘルクスハイマー伯爵は技術に詳しく、どれほどの出力まで出せるか、どこまでが安全範囲か知っている。

 それに持っている艇にも相当のこだわりがあり、その中でも選りすぐりの高速艇に乗っている。

 

 並みの軍用艦が追いつけるような代物ではない。

 しかしながら、そんなことは追う帝国軍も充分わかっていたことだ。帝国軍も馬鹿ではなく、ヘルクスハイマー伯爵の乗って逃げた艇が判明した時点でその性能は織り込み済みだ。

 追う方も最新鋭の高速巡航艦で追っている。

 惜しむらくはそんな新造巡航艦は多くなく、この捕り物に参加しているのはせいぜい数隻だ。

 

 

「なんとかフェザーン回廊には入った。だが無理か…… 同盟に行ける前に追い付かれる」

 

 ヘルクスハイマー伯爵の願いもむなしく、どう逃げようと確実に距離を詰められていく。

 

 この追いかけっこもやがて最終局面が訪れる。砲撃可能距離まで近づかれてしまい、いよいよ観念せざるを得ない。

 

「止まれ、止まらんと撃つぞ」

 

 帝国軍巡航艦から何のオリジナリティも感じられない停船命令が届く。どうしようもなく従うしかない。宇宙の藻屑になりたくなければ。

 

 

 

 

 しかしこの時、どちらにとっても予期しない事態が起こった!

 フェザーン所属の警備船団が近付いてきたのだ。

 

「この領域の宇宙艇全てに告げる。現在位置はフェザーン自治領に属する宙域である。不法侵入に関しては臨検を行ない、処分を決定する」

 

 帝国軍艦艇が即刻言い返した。

 

「こちらは帝国軍所属の巡航艦だ。作戦行動中である。それを妨害することは許されない。簡単に言えば我々の邪魔をするな」

「繰り返す。ここはフェザーン自治領である。通告なしの作戦行動は認めない。合法か非合法かはフェザーン政府並びに自治領主が決定する」

 

 帝国軍としてはこれに苛立ちを隠せない。作戦目標は目の前なのに。

 

「ええいうるさい! こっちは帝国軍だと言ってるんだ。フェザーンだって帝国の一部、帝国内で誰が帝国軍の邪魔をできる! 下らん文句をこれ以上続けるならお前らも撃つぞ!」

「一切の軍事行動を禁止する。もしも実力を行使するというなら当方も相応のオプションを考慮する。直ちに撤退せられたし」

 

 軍事的性能はさすがにフェザーンの警備艇などより帝国軍巡航艦がはるか上だ。実力で見れば比べるまでもない。

 しかしフェザーン警備艇は続々と集まり数を増やしていく。

 

 それ以上に驚くべきことはフェザーン側は何と強硬なことか。これまでにはおよそ考えられなかった態度ではないか。

 

 

「何でこうなるんだ! フェザーンの警備艇などクズのようなものだったのに」

 

 帝国軍にとってフェザーンなど何の妨げにもならない弱腰だったはずだ。

 それで何も考えずにヘルクスハイマー伯を追ってフェザーン自治領にまで入った。

 それが予想もしない態度に会い、押し問答もしても埒が明かない。

 

 いったいなぜだ。

 フェザーンが新しい自治領主になったせいか。

 

 その通り、新しい自治領主アドリアン・ルビンスキーは日頃から警備船団に厳命していたことがある。

 

「全て法に乗っ取た行動をするように。フェザーンの威をおとしめる行為を慎み、フェザーン自治領の矜持を保て」

 

 

 

 これは正に天祐だ。意外な展開になったことによりヘルクスハイマー伯爵は胸を撫で下ろした。

 助かった。

 フェザーン警備船団に守られる形となってそのまま前進を続ける。帝国軍巡航艦は渋々作戦を中止し、歯噛みをするがそれを見送るしかない。

 

 フェザーンに到着するとヘルクスハイマー伯爵は自由惑星同盟への亡命の手続きを始めた。

 亡命希望をきちんと自由惑星同盟の政府に伝え、そして正式に受理されなくてはならない。そうでなければ今度は自由惑星同盟軍に不法侵入で撃沈されてしまう。

 

 

 同盟側から返事が来るまで数週間はかかると思っていた。

 ところが意に反して直ぐに返事が来た。それはあたかも亡命を待っていたかのような早さだ。

 

「ヘルクスハイマー伯爵の亡命は既に受理した。ハイネセンに向け直ぐに出立せられたし。受け入れ準備は滞りなく進行中」

 

 この返事にかえってヘルクスハイマー伯は訝しんだ。

 

「どうしてこんなに受け入れが早いのだ。まるでこちらが軍事技術の情報を持っていることが分かっているような。そんなはずはないだろう。これはおかしい」

 

 交渉の切り札に使うはずの軍事情報、まだその話はしていない。

 

 グラズノフから伝えられた話が自由惑星同盟軍で真剣に討議され、技術情報をどうしても手に入れたがっていることまで知らない。

 無駄な猜疑心によってヘルクスハイマー伯は貴重な数日を逡巡することに費やしてしまった。その代償はいずれ命でつぐなうことになる。

 

 

 

 

 一方の帝国軍は思わぬフェザーン側の強硬姿勢によってヘルクスハイマー伯を取り逃がし、フェザーンまで行かせてしまったことを知るや否や間髪おかずに次の行動に出た。

 なぜか帝国中枢部から何としてもヘルクスハイマー伯の亡命を阻止せよとの厳命が出たのだ。これが帝国でも大貴族として知られたリッテンハイム家から出されたものであることは秘匿されている。

 

 帝国軍はそこで大胆な作戦をとる。

 今度は先回りだ。もうそれしか方法がない。

 

 新鋭巡航艦をただ一隻、密かにイゼルローン回廊の方から自由惑星同盟領へ出すのだ。

 もちろん敵領内になり、高度な隠密作戦ができる力量が前提になる。

 そこからフェザーン回廊へ向かわせる。つまりフェザーン回廊から亡命の為ハイネセンへ向かおうとするヘルクスハイマー伯を逆方向から待ち構える。それはあまりにも危険であり、困難な任務になる。

 

 命じられた巡航艦の名はへーシュリッヒ・エンチェン、艦長は新任のラインハルト・フォン・ミューゼル中佐だ。

 

 

 

 ラインハルトは命令を受けるや否や勇躍し、電光の疾さで出立する。どんな困難な任務でも逃げることはあり得ず、自分なら可能性を現実にできると思っている。

 予定通りイゼルローン回廊から同盟領に侵入し、同盟軍の隙を突きながら、フェザーン回廊の同盟側出口付近まで行くことができた。むろん言うほど簡単ではない。途中、幾重にも張られた哨戒網を神業的な読みと胆力で突破した。傍らにいるキルヒアイスも見事な操艦をしてそれを助けている。

 

 しかし、実はここからが問題である。

 

 哨戒網に引っ掛からないようにするためには、常に先読みして移動し続けなければならない。少しでも引っ掛かればどんなに逃げても逃げ切れることはない。だが任務を遂行するためにはフェザーン回廊同盟側出口までぎりぎり近付くことが必要だ。

 そこまで行かず離れたままでは待ち伏せすることはできない。

 それには理由があり、フェザーン回廊出口から離れるほど航路が次々と分岐し、どの航路を使ってハイネセンまで行くのか分からず、もはや追いようがない。捕捉できるのはフェザーン回廊出口付近のただ一ヵ所だけなのだ。

 つまりヘルクスハイマー伯がフェザーンを出立するタイミングにぴったり合わせて捕捉し、素早く任務を遂行するしかないのだ。

 

 ということは情報が死命を決する。

 ヘルクスハイマー伯がいつフェザーンから出てくるのか、たったそれだけの情報が要る。

 

 

 

 この亡命事件のことはフェザーン当局でも認識していた。異例の大貴族の亡命だから。

 ただしヘルクスハイマー伯が重大な軍事情報を持っていることまで知るよしもない。

 

 アドリアン・ルビンスキーが言う。

 

「不思議なことだが帝国でも指折りの大貴族が同盟に亡命したがっているようだ。それを帝国はよほど重要に思っているらしく、大規模に追っている。フェザーンとしては思案のしどころだ」

「お父様、先ずはその詳細を知るべきなのでは? 亡命の理由も、助けた場合の価値もその逆の価値も」

 

 エカテリーナが順当なことを返した。

 詳細なところが分からないのだから安易に結論を出さず、事情を知ってから決めるべきだろう。

 

「エカテリン、それには時間が足りないだろうね。そのヘルクスハイマー伯爵に尋ねても真実を語るはずがないし」

 

 今度はルパートがそう返してくる。

 

「兄さん、亡命希望はヘルクスハイマー伯爵の一家だけなの?」

「そうだよ。そして自家用艇から乗り換えたりせずにそのまま同盟に持ち込むつもりのようだね」

「え? それは妙ね。ヘルクスハイマー伯は工業技術に造詣が深くて、自家用艇にもこだわりがあるのかしら……」

「僕もそれは妙に思ったんだ。だけど臨検は拒まれてしまったよ。もちろん強引に探って一部は分かってる。その自家用艇にはどうも見たことのない何かの装置があるようなんだ」

「それで帝国が追っているのかしら。たぶんそうね」

 

 

 

「しかしエカテリン、装置のことはさておき選ぶ道は二つしかないよ。帝国に利するようヘルクスハイマー伯の亡命を妨害するか、同盟に恩を売るよう亡命を万全にするか、どちらかをだね」

「その二つね。でもヘルクスハイマー伯の亡命を完全に防ぐことはできないわ。まして捕縛して帝国に引き渡すことはフェザーンの利益にはならない。そんなことをしたら今後フェザーンを頼りに亡命してくる人間がいなくなってしまうもの」

「そうだね、エカテリン。フェザーンは見かけ上中立の透明な立場でなくては。亡命ビジネスのために」

 

 帝国から同盟に向かう亡命者を通過させ、その時に相応の金を落としてもらう。

 この亡命ビジネスもまたフェザーンの主要な産業と言えるものだ。その信用を落としてしまえば大きな経済的打撃になる。ルパートの発言はそれを指している。

 

「でも積極的にヘルクスハイマー伯を助けても利益にはならないわ。同盟はフェザーンが苦労して亡命させたなんて思いもせず、ただ通過しただけくらいに考えるでしょう。フェザーンが帝国に対してどんなに神経を使ってるか想像もしていないわ。だから大した恩は感じない」

「それはフェザーンが同盟に寄り過ぎたための弊害だね。同盟にはフェザーンが帝国の一部であることを敢えて強調していないから。同盟との商売をするためには政治的背景は見せない方がいいからね」

 

 

 このルパートとエカテリンの会話に満足そうにうなずき、最終的にアドリアン・ルビンスキーが決断した。

 

「よし、それでは今回は帝国に利することにしよう。ただし亡命自体を邪魔するのではなく、足取りと日時の情報を帝国に流すだけだ。このところフェザーンは帝国を刺激し過ぎたからには少し宥和的なところを見せておくのもいい。警備船団が強硬に出たことでフェザーンを侮られないという目的は充分に達している」

 

 アドリアン・ルビンスキーの言うことを聞いてエカテリーナの目がすっとキツくなった。思うところがあるのだ。ルパートと同時に言う。

 

「お父様、帝国に恩を売るのはそれだけの理由で」「自治領主、帝国にことさら味方する理由は」

 

 その二人に対し、アドリアン・ルビンスキーは苦笑するしかない。

 この場にいる皆に暗黙の諒解がある。

 アドリアン・ルビンスキーは先に帝国の工作員だったドミニク・サン・ピエールを預かった。その代価を帝国に払おうというのではないか。貴重な情報という代価を払えば今後帝国はドミニクに何も仕掛けてこないだろう。

 

「エカテリン、ルパート、何を気を回している。これはフェザーン自治領主としてフェザーンの私益を考えた結果であり、何も矛盾したことはなくたまたま合致しただけだ」

「……分かりましたわ。お父様。では私からも帝国への情報のリークに一つ注文があります。その程度はいいでしょう?」

 

 フェザーンの利益にとって合理的な判断である以上、エカテリーナも同意はする。

 しかし剣呑な目の光を緩ませていない。

 ふと見ると、ルパートの方はそんなに咎めている感じがない。

 

 それがまたエカテリーナを苛立たせた。ルパートも内心はドミニクが安堵されるのを良しとしているのだ。

 

「我が家の男どもは!」

 

 どいつもこいつも美人に弱すぎるではないか!

 

 

 

 




 
 
次回予告 第十九話  遭遇戦

情報を巡り、帝国艦隊と同盟艦隊が動き出す。率いるのはなんとあの将!

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