疲れも知らず   作:おゆ

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第二十一話 484年 1月 内患

 

 

 カールセンらがハイネセンに向かって航行している途中、そのヘルクスハイマー家の子女マルガレーテ・フォン・ヘルクスハイマーが重大なことを言ってきた。

 

「同盟軍のヒゲのむさくるしい将よ、そのヒゲはどうにかならぬか」

 

 これにカールセンは一瞬詰まった。

 そう言われたのなら、どうにかしなければならないのか。しかし自分のトレードマークともいえる立派な髭を今さら。

 

「はっ、冗談じゃ。妾が言いたいのはそんなことではない」

 

 本当に冗談なのか?

 マルガレーテの顔は決して楽しそうではないのだが。

 

「いえ小官の心遣いが足りませんでした。直ぐに対処いたしますのでご容赦の程を」

「冗談じゃと言うておろうが! しつこい! 根に持つ方か?」

 

 これは理不尽だ。カールセンもぐっと詰まる。

 ただし少女の次の言葉でそんな気持ちは消え去る。

 

「妾は一応伝えておかねばならぬことがあるのじゃ。父上から万一の時のために言付かったことゆえ」

「勿体なきお言葉。それは何でございましょう、お嬢様。わたくしで良ければ承ります」

 

 もはやカールセンは諦めの境地だ。返答にもすっかりメイド言葉が板についてきた。

 また部下が笑いをこらえている顔なのが気に入らない。

 

「それはの、父上は新しい武器の情報を妾に預けていた。品物は帝国軍の追手に渡したのじゃが…… とにかくすんなり亡命できたのなら、その方らに渡して誼をつなぐつもりなのじゃ。しかし妾としては同盟軍とやらを今一つ信用できぬ。よって今も持っておるがまだ渡すことはせん」

 

 よく少女は打ち明けてくれた! それは口にした言葉とは違い、カールセンの実直さを知ったからであり、また同盟艦の将兵らが屈託なく明るいのを目にしたためだ。

 

 ともあれこれが真実なら、いずれ同盟軍は指向性ゼッフル粒子の詳細な技術情報を手にできる。

 今回の作戦は完全な形ではなくともその成果は充分なものだった。

 これでオーディンで孤独な任務を行うグラズノフの努力もやっと報われる。

 

 実のところ、この事件は帝国軍と同盟軍の両方ともその目的を達成するという非常に稀な例になったのだ。

 

 

 

 ハイネセンの統合作戦本部ではまた同盟軍中枢の二人が安堵の溜息をもらす。

 

「帝国軍新兵器の技術情報はなんとか手に入ったわけだ。先ずは一安心と言える」

「シトレ本部長、まだ手にしたわけではありません。その貴族の子供から情報を渡してもらい、更に検証いたしませんと」

「グリーンヒル君、子供を手なずけるのはなんとかやってもらいたい。情報部が下手に介入するとその子供にとっても不幸なことになるだろう」

「私もそう思います。情報部では強引なやり方をするかもしれません」

 

 二人には共通の危惧がある。そのやり方というのは強引で、おそらく洗脳的、あるいは薬物的な方法を含むからだ。

 

「重大な情報を持つとはいえ、正当な手続きを踏んでやって来た亡命者であることには変わりがない。その人権を保障するのが民主国家というものだ」

「確かにそうです、本部長。では子供を手なずけるのは早めに」

 

 シトレ本部長の言葉に感動を憶えながらドワイト・グリーンヒルは同意を示した。

 

 

 

 グリーンヒルは同時に別のことも考えた。このシトレ本部長は正しく民主国家の軍のあり方を知っている。それは貴重なものだ。今問題にしている貴族の子供のみならず同盟軍全体にとっても。

 

 しかしそんな民主的な考えを持たない者も軍にはいるのだ。

 今、同盟軍には公然と派閥抗争がある。

 どこにも属さない異端児もいるが、軍内のほとんどの者はそれぞれ派閥に属して争いが止むことはない。

 中でも強固な派閥を作り上げ、次々と子飼いの将を重職につけているロボス元帥派が台風の目だ。周りがいかに牽制しても勢いは止まらない。同盟軍の派閥抗争そのものを嫌っているドワイト・グリーンヒルも暗に抑えにかかっていた。しかし、着々とロボス元帥派の面々は勢力を伸ばし、ついには同盟軍の実働戦力である艦隊司令官職さえも蚕食しつつある。もはや同盟軍十二個艦隊の半分以上はロボス派に占められてしまった。

 

 一方、もうひとりの元帥であるシトレ元帥もまた派閥を好まない。しかし、士官学校の校長が長いシトレ元帥は、ほとんどの士官がその清廉な人格を知っている。敬愛する者も多く、シトレ元帥の側にも人が絶えない。第五次イゼルローン攻防戦の後で元帥昇進を果たし、それはロボス元帥より後であるにもかかわらず統合作戦本部長に就任できたのは好意的な評判が大いに後押しした。

 しかしそのことがかえってロボス元帥派を刺激し、対立を深めることにもなっているのは皮肉なことである。

 

 他にも同盟軍にはウランフ中将を中心とした主戦派という者たちがいる。同盟軍の存在意義とは帝国艦隊と戦うこと、それしかないと信じている。

 主戦派の将は帝国との会戦があれば率先して参加を名乗り出るのが常であった。そのためウランフ第十艦隊などは出世か死か、どちらかの艦隊と言われるようになった。必然的に勇猛なものが残っていき、それがますます艦隊の性格をはっきりさせる結果になる。

 

 それらともう一つ派閥らしいものが存在する。

 同盟軍内の後方部は後方部で前線将兵から侮られることに嫌気がさしていた。確かに後方部は命の危険は少ないかもしれない。ただし、何の苦労もしていないわけではない。

 むしろ平時に苦労を背負っているのは後方部だ。将兵はいつでも食うし給料も要る。前線将兵がその苦労を理解せず侮蔑してくるならば後方部は依怙地にならざるを得ない。

 後方部はドーソン大将を中心としてまとまり、そんな侮蔑に対し神経過敏なほど反撃する。

 

 そんな中、ドワイト・グリーンヒル大将はいつの間にか周りから良識派軍人の筆頭と見なされる立場になった。誰とでもきちんと会話をして、礼節と友誼を保つことを自分に課しているからだ。

 本人は心情的にはシトレ本部長に最も近いと思っている。

 しかし、なんとか同盟軍内の派閥抗争をクールダウンし、宥和的にもっていこうと常に苦心していたのだ。

 

 つまり同盟軍は大きく分けて、ロボス派、シトレ元帥派、主戦派、後方部、そして良識派というものが存在し、実に複雑な色合いになっている。しかもそれぞれが宥和、あるいは牽制しあっている。

 

 

 良識派筆頭ドワイト・グリーンヒルは士官学校で2学年下だったアーサー・リンチ少将と深い親交があった。そのリンチを日頃から臆病者だと公言して嫌っていた主戦派ウランフ中将やボロディン中将とは仕方のないことだがグリーンヒルは自然に疎遠になってしまう。

 逆にグリーンヒルは後方部代表格ドーソン大将とは士官学校から友達分だったのだ。

 

「おいドワイト、お前は何でも一人で考えて苦労する癖がある。たまにはできないもんはできないと言ったらどうなんだ?」

「そうできれば気が楽だが、ドーソン、お前にだけは言われたくないな。後方部だって我慢し過ぎでひねくれてるんじゃないか」

「おっ、言い方はともかくちょっとは苦労を分かってきたのか。なあに、適当にガス抜きしているさ。後方部に文句を言ってきた艦隊には物資になぜか齟齬が出るんだ。特に食料品にな」

「おいおい、そいつは聞かなかったことにしておくぞ」

 

 

 今、その亡命貴族の少女のことで問題にしているのは、同盟軍の最大派閥であるロボス元帥派とその息がかかっている情報部とが民主的な思想をほとんど理解していないということだ。民主国家の軍なのに。

 軍は民から養われていて、民を守るために存在しているものだということをすっかり忘れ、まるで軍が民の上にあるものであるかのように思っているし、実際そう振る舞っている。

 その嫌な懸念をいったん頭から振り払い、ドワイト・グリーンヒルは先を言う。

 

「シトレ本部長、その新兵器指向性ゼッフル粒子が、いつ使われることになるか。帝国軍がどういうふうに切り札にしてくるか。これを常に頭において会戦に臨まなければなりません」

「その通りだグリーンヒル君。願わくは決定的な場面でなければよいのだが」

 

 

 

 

 ____ 帝国と同盟の争いは年を追うごとに激しくなる。

 

 どちらの体制も長く続き過ぎ、爛熟して変化を欲しているようだ。

 

 翌年早々にヴァンフリート星域において戦いがあった。

 これは惑星上の基地を巡っての小競り合いで終わるはずのものだった。

 しかし、お互いに戦力を逐次投入した結果、本格的な機動部隊を動員しての戦いになってしまい、どちらの損害も大きい。

 また、この年の終わりには第六次イゼルローン攻防戦が巻き起こる。これはお互い何個艦隊も動員する本格的な艦隊戦だ。もちろん戦死は数百万人規模に上り、帝国軍も同盟軍も屋台骨が揺らぐほどのものである。

 

 それを傍観する立場のフェザーンでは戦いの前に得られた情報を元にして精密に予測を立てた。やや同盟軍不利という分析の結果が出たことを受けて、フェザーンは同盟寄りの態度をとった。 フェザーンは同盟に対し物資の融通、負債の償還繰り延べ、国債の引き受けといった方法をとった。フェザーンの利益自体には極力影響のない範囲内で下支えする。

 

 それは均衡政策をとるフェザーンとしては当然だ。

 決定的に天秤が傾くことは避けなければならない。これまでのところ大半の場合同盟側にテコ入れしている。これまで繰り返された戦いで同じ程度の損害を被っていても、帝国より人口と社会資本の少ない同盟の方が相対的にダメージが大きく、国力の変化がゆっくりと帝国に傾きつつあったからだ。これまで人口において帝国の半分の規模である同盟が拮抗できていたのは高い生産性のためだが、このところ疲弊が進んでいる。その回復力は帝国を下回り、戦いで引き分けでも同盟には辛い。まして負けてしまえばそれを取り返すのは大変だ。

 

 

 しかしながら、迎えた第六次イゼルローン攻防戦でははっきりと帝国の勝利という結果が出てしまう。

 

「これは重大なことだ」

 

 戦いの記録を自宅のスクリーンで見ながら、アドリアン・ルビンスキーが珍しく深い溜息をつく。

 

「損害は一方的というほどではありません。壊滅は避けられたようです。フェザーンの経済支援のため、同盟軍に物資が豊富だったことも大いに役に立ったかと」

 

 ルパート・ケッセルリンクが客観的な事実を言う。

 

「ルパート、その言は間違っていない。フェザーンの支援は無駄ではなかった。確かに同盟軍は艦隊戦では決定的な劣勢ではない。戦いの決着はやはりトゥールハンマーによるものだった。ただし、二つの考えるべきことがあるのだ」

 

 アドリアン・ルビンスキーはウィスキーの入ったグラスを手に取る。それは横にいるドミニクが氷を入れて作ったものだ。その手慣れた様子を見たエカテリーナはどうしても目がきつくなる。

 

 そんなことをよそにアドリアン・ルビンスキーが説明を始めた。

 

 

 

 




 
 
次回予告 第二十二話 構想

エカテリーナの考えとは、そして勃発する事件!

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