アドリアン・ルビンスキーの言葉、それはフェザーンの今後の方針に関わる分析だった。
「一つはこのフェザーンが肩入れしても同盟が負けた、その事実だ。穏やかな肩入れでは戦局を左右するに至らない。経済支援という単純な方法では戦いの帰趨までフェザーンの力は及ばないということだ」
「つまりお父様、今後はもっと直接的なことをしなくてはならないということね」
「エカテリン、そうだ。お互いが動員する戦力の規模や主な将帥、こういった情報をどちらからも手に入れられるのはフェザーンだけだ。今後はそういった情報の操作も考えねばなるまい」
ルビンスキーはこれまで情報を手札に使ったことは幾度もある。
しかし会戦の軍事的機密を直接どちらかに流したことはない。そうしてこなかったからこそ、フェザーンに帝国軍も同盟軍も多くの部品を発注したりするのだ。その発注だけで動員規模も損害もかなり正確に推測できるのに。
もしも情報漏洩の疑いを持たれて取り引きを失えばフェザーンの経済的打撃は大きい。
しかしそれでもなお、ルビンスキーは強く介入しようとしている。
「……自治領主、それでは厳重に抗議されるのでは。フェザーンには両方の弁務官がいて、いわば監視されているのですから」
「確かにそうだがルパート、均衡が崩れてからでは遅いのだ。」
「そこまで言われるのは、もう一つの理由があるせいですか? 自治領主」
「おお、よく分かったなルパート。その通りだ。戦いを詳しく見れば単に物量の差で決着が着いたのではない。率いる将帥の指揮ぶりに差がある! こういった人的資質の差というものがどうも気になる。これは一朝一夕でついたものではない。深い所で帝国と同盟に予想以上の力の開きが隠れているのではないか。だからこそ憂慮すべき事態なのだ」
そのルビンスキーの話を聞きながら、エカテリーナには思うことがある。
見ていた戦いの記録にはラインハルト・フォン・ミューゼル少将の名があった!
そんな記録に名が記されるほどの人物になったのだ。しかも、戦いでは大いに活躍している。帝国軍で筆頭の功績ではないか。
エカテリーナはあのオーディンでの日々でラインハルトが見せた的確な戦術眼を思い出さざるを得ない。やはり実戦でも人並み外れた力量を発揮したのだ。
「お父様、私もそう思います。均衡を取るなら次の戦いではもっと同盟の方に力を貸す必要があると思います。ついに表舞台に出てきた若者たち、並ではありませんから」
そして次の会戦はわずか三か月後に起こった。誰にとっても予想外の早さだ。
自由惑星同盟の選挙年には軍事行動が付き物だ。理由はもちろん、勝てば現政権は人気を博し支持率が上がる。
それだけではなく、救いがたいことに負けても都合がいいのだ。
政府にとって都合の悪いニュースから選挙民の目を逸らすという重要な効能がある。下らないスキャンダルに始終悩まされている政局運営者にとっては他に大きなニュースが欲しい。
災害はまさか作り出すわけにいかないが、戦争なら作り出せるではないか!
それに国難ともなれば国民は団結せざるを得ないし、それもまた現政権に有利に働く。
そのため定期的に馬鹿馬鹿しい軍事行動が起こされる。軍部の中の良識派にとっては投げ出したくなる厄介ごとだ。
近年は同盟から積極的にイゼルローン要塞へ攻めかかることが続いている。同盟の多くの兵士が故郷に帰れることもなく回廊の露になっているというのに。
一方、帝国の側にも事情がある。
この年は皇帝フリードリヒ四世の在位三十年に当たり、節目になる年だった。帝国の側ではこれを祝う華が欲しい。帝国の誰もが喜べるニュースを。
そのため、帝国の側から何らかの軍事行動があることは確実視されていた。先だって帝国軍も同盟軍も準備をしている。補給物資を整え、新兵を訓練し、艦艇の増産と補修をやり、艦隊戦に備える。
それがこんなにも早い月に、それも単なる示威行動で収まらない規模になるとは!
フェザーンはこの戦いで初めて直接的な情報を同盟に渡した。
帝国軍がイゼルローン要塞から同盟方向に出撃する、その規模が四万隻に近いものになること、順当にミュッケンベルガー元帥が率いることまで伝えた。
恩を着せるためハイネセンにあるフェザーンの弁務官事務所を使わず、逆に同盟のフェザーン駐在弁務官ヘンスローにもったいぶって伝えた。
しかし誤算がある。
ヘンスローは外交官にあるまじき無能者だった。せっかく与えられた情報も、パーティーの二日酔いのために決定的な遅れになってしまう。いや、二日酔いが覚めても急ぎもせず情報の重要性を認識さえしていなかった。そのため情報の価値は半減してしまう。
この戦いは第三次ティアマト会戦と名付けられた。
会戦の結果はまたしても帝国軍の勝利だった。
同盟軍の方が早く戦場から退いた。帝国軍も皇帝の在位を祝う式典に華を添えるという目的を達して帰還する。式典の途中で皇帝や貴族をたったの一分ほど楽しませるニュースを作るためだ。
黒真珠の間で談笑しながら舞踏の準備をしていた貴族たちはニュースを聞いて顔をほころばせる。帝国にとって素晴らしいニュースだ。
しかし、ほんの一分後には中断された談笑の続きを思い出してまた始める。
たったそれだけのため、勝った側の帝国軍兵士もまた百万人が死ぬことになったというのに。
フェザーンの側では深刻な事態を認識している。
フェザーンからの流した情報と本格的な経済支援を得て、同盟軍はハイネセン近辺に大規模な後詰めを用意できていた。万が一、帝国軍が長駆して侵攻してきた場合に備えてのことだ。おかげでティアマトから早めに撤退することが可能になり、動員された三個艦隊のどれも壊滅には至っていない。
しかし結果を見れば大敗は大敗だ。ヘンスローの無能さがあったにせよ、もしも情報を渡したことを知られたらフェザーンが懲罰されるという綱渡り、つまり危険なほどの水準で肩入れしたというのに、結果は同盟が勝つどころではない。
情報操作だけではエスカレートしていく軍事行動をコントロールできないのか。
このまま帝国と同盟の軍事バランスが崩れるのをフェザーンは座して見るわけにいかない。
そこでアドリアン・ルビンスキーは政治的工作を帝国と同盟に仕掛けようとする。
しかし、帝国国務尚書リヒテンラーデ侯とその懐刀の目をかいくぐるのは容易ではない。
その一方で同盟については比較的うまくいき、若い有望な政治家に接近することができた。選挙資金や選挙アドバイザーという形での支援が容易だったからだ。これで影ながら影響力を行使できる。もちろんすぐにというわけではないが、政治への先行投資はいずれ有効になる。
「帝国よりも、市民の意見が政治の主体であるという国是の同盟の方が操りやすいとは皮肉なものだ。帝国貴族の伝統が、選挙運動でひっくり返る同盟権力よりも強固だとは面白い」
「しかしお父様、同盟に対するフェザーンの影響力が実を結ぶのはまだ先になりそうですわ」
「それでも何もしないよりいい。同盟の弱体化といっても十年や二十年は持ちこたえるだろう」
「そう思いますが、いろいろな選択肢を考えて対処しなくては」
エカテリーナがこう言うのには理由があった。
心の内で一つの選択肢を作り上げていたのだ。
それはかつてオーディンにいた頃、エカテリーナがラインハルトたちと過ごし、いろいろな戦いの話を聞いたことが元になっている。
エカテリーナ本人でも気が付かないうちにラインハルトから結構な影響を受けていた。
そうして出たエカテリーナの考え、それはフェザーンも直接的な軍事力を持つというものだ!
今の段階で帝国や同盟に対抗するという意味ではなく、将来的な保険のために。
もしも帝国と同盟に決定的な差が付き、一方的に貪食されるような事態になったら必ずフェザーンも狙われる。それは必然だ。フェザーンの繁栄が放置されることなどあり得ない。
今は同盟の弱体化が大きな問題になっているが、あるいは帝国の方が政変で無力化することだってあり得る。
フェザーンもある程度の力が必要ではないか。
それは簡単に言うと常設フェザーン防衛艦隊、である。
軍備を整えること自体は古くから認められていることで、違法ではない。帝国の有力貴族はたいてい大規模な私領艦隊を備えているからだ。武門から始まった貴族家は特にそういう傾向を持つ。あるいは権勢を誇示するために使い道もなく数万隻規模の艦隊を抱えていることだってある。
フェザーンは貴族領というわけではないが、とにかく自治領である限り帝国から法的に咎められはしないだろう。
もちろん今までそうしてこなかったのは下手に軍備を整えたら帝国にも同盟にも警戒されてしまうからである。経済だけのひ弱な花のような立場を装うことで生き延びてきたのだ。軍備を持たないことをことさらアピールしてきたのにここで方針を変えることは目を引いてしまう。
特に帝国に対しては皇帝に対する叛乱準備という名目を付けられる可能性がある。フェザーンを潰そうとするならば格好の名分を与える形になるため、そうさせないようこれまで以上に神経を使う。同盟に対してさえ刺激すれば軍事目標にされてしまうかもしれない。
だが、それらを考慮してもなお軍備を持った方がよいのではないか。
それに、軍備を整えるには時間がかかるのだ。いかにフェザーンが財政的に豊かであり、技術力にも心配がないとしても時間はいかんともしがたい。ならば準備を始めるには早いほうがいい。
アドリアン・ルビンスキーとルパート、エカテリーナはこの件について慎重に討議を繰り返す。
ちょうどこの時、帝国で前代未聞の事件が起きた!
それは当初フェザーンと直接の関係はないように思えたが、やがて大きく関わることになる。
次回予告 新章突入 第二十三話 フェザーンの危機
戦火に巻き込まれるフェザーン!