第二十三話 486年 3月 フェザーンの危機
それは帝国の歴史でもかつて見られたことのない悲惨な出来事だ。
何と上級貴族のパーティーの席で爆破テロが起きた!
高貴な貴族が幾人も倒れ、華やかなパーティーに血の赤が加えられる。一瞬にして戦場もさながらの悲劇の舞台に変わったのだ。その場に居合わせた者は長いこと酷い記憶にうなされることになった。
原因はすぐに判明した。犯人はことさら逃げようなどと思いもしなかったためだ。
数ある帝国貴族でもルドルフ大帝の御代より続く名門中の名門貴族であるクロプシュトック侯が反旗を翻したのである。
クロプシュトック侯は現皇帝フリードリヒ四世の即位に反対し、別の候補者を応援した過去がある。政争に積極的に関与し、大きな賭けに出た挙句、破れた。その後長いこと貴族社会から締め出され、不遇を囲っていたのだ。
そのクロプシュトック侯がテロを起こした。正に短慮である。自分の老い先が短いことを悟って、人生の清算を図ってのことだとしても。
現皇帝フリードリヒ四世は優しい人格である。特に功績もないが苛烈なことは何もしていない。その即位に反対した者たちに対しても、粛清どころか過去を水に流している。もちろんクロプシュトック侯に対しても例外ではなく、出仕するよう長いこと願っていた。
かえってクロプシュトック侯が依怙地になっていた側面の方が大きい。早くに子供を亡くし、何も守るべきものがないクロプシュトック侯は、逆恨みを募らせ最後の復讐に及んだのだ。
そのテロは皮肉なことに偶然によって阻まれ目的を果たせなかった。
「そうか、あやつめの意地と強情を最後まで解くことができなかったのは、余の不明だな」
事件を知り、フリードリヒ四世が寂しく述懐した。
そして帝位などというものがはるか未来のことだった子供時代を思い出す。その頃の自分は兄たちとも仲良く、将来帝位を争うことになるとは思いもよらなかった。
その上覚えている。
クロプシュトック侯も颯爽とした少壮の姿を持っていたのだ。
名門中の名門貴族である侯は宮廷にも気軽に入れる。そして危険でない範囲で狩猟の真似事などを企画しては自分と兄を喜ばせてくれた。男の子らしい遊びを一緒にやってくれた貴族は他にいない。クロプシュトック侯は宮廷でも一風変わった貴族だったのだ。そこで子供でも扱えるボウガンなどを最初から教えてくれた。
そして実際の狩猟になるとクロプシュトック侯は見事な腕前を披露したものだ。
ウィンクなど投げては周囲を感嘆させる魅力的な大人であった。
宮廷に吹く爽やかな風のようだ。
子供の目には眩しく、それは一つの憧れでさえあった……
それから時が流れ、事件を知ったフリードリヒ四世はいつものように庭園で赤いバラを切り取る。しかし、何かしら事務的にも見えた。
そしてバラには通り雨のような水滴がついていたともいう。
しかし銀河帝国はそんな個人的な感傷など許さない。
皇帝弑逆未遂、この大罪に対しては当然極刑しかない。
国務尚書リヒテンラーデ侯がクロプシュトック侯討伐を進言、勅命を得て軍務省に通達する。
そんな迂遠なことをせず直ちに進発した艦隊があった。舞踏会を主宰し、テロの標的にもされていた大貴族ブラウンシュバイク公が素早く私領艦隊を動かしたのだ。
「直ちに成敗してくれる。復讐は貴族の誇りを守る権利である。今我らの手にそれがある以上、誰も文句は言えまい。先んじてブラウンシュバイク家が討伐する」
ブラウンシュバイク公派閥である多くの貴族が我も我もと参加して思わぬ大艦隊に膨れ上がった。大義名分などこの際どうでもいい。おそらく略奪のためにクロプシュトック領に赴くのだ。得をする機会を見逃しはしない。
この様子を見てブラウンシュバイク公はご満悦である。
大艦隊という目に見える形で自分の力を示せたのだ。その艦隊は数限りなく、なんと勇壮なことか。
この経験がブラウンシュバイク公の自己評価を過大なまでに押し上げることになってしまう。しかもあろうことか軍事面に関しての評価だ。それはブラウンシュバイク公の運命に重大な結果をもたらすのだが、もっと先の将来になる。
とにかく、本来は帝国軍が主に行動するべきものが後手に回った。慌てて帝国軍は目付けと戦術指南のための軍監だけは送り届けた。それだけでも必要である。ブラウンシュバイク公は貴族の誇りを謳っているが、クロプシュトック侯の領地惑星の略奪を狙っていることは誰の目にも明らかだ。
そして実際の侵攻が始まった。
クロプシュトック私領艦隊が抵抗を試みる。クロプシュトック侯はあまり武門の家柄ではないが古くからの名門であり、四千隻余りの艦隊があったのだ。
しばらくの時間は持ちこたえることができた。押し寄せたブラウンシュバイク公の大艦隊は戦術も何もなく、ただの烏合の衆である。略奪のために参加しただけで、戦うことなど思ってもいない艦が多い。それに対してクロプシュトック側は自分たちの惑星を守ろうとする必死さがある。
二週間もの間、攻防戦が続けられた。
しかし結局はクロプシュトック側が蹴散らされた。数の力に負けたというのもあるが、ブラウンシュバイク側の艦隊には幸いにも現役軍人であるフレーゲル男爵が含まれていたのだ。一応、艦隊戦の形をなしていたのはそのせいである。
戦いが終わり、クロプシュトック領惑星へ侵攻を許す。もはや何の根拠地も持たない敗残のクロプシュトック私領艦隊は途方に暮れる。
順当なところをいえば、艦艇を自沈させ、兵士は帝国軍で雇ってもらえればいい。
しかし、そういった過去を持つ兵士は帝国軍内で冷遇されるだろう。貴族私領艦隊出身の食い詰め者の立場など考えるまでもない。よほど苛められるか、あるいは最前線に送られるのは覚悟しなくてはならない。本当に宇宙の藻屑となって消え去るまで消耗品の扱いだ。
ならばいっそのこと行方をくらまし宇宙海賊になってみるのもいい、多くの者がそう考えた。だが、将兵にも家族や係累がいる。自分が犯罪者になれば必ず累が及ぶ。善良な縁者までが罪に問われることになりかねない。
進退窮まった。
そこで自然と亡命という考えが出るくるのだ。宇宙海賊よりは罪としてだいぶ軽く、親類縁者丸ごと処刑ということはないだろう。
クロプシュトック艦隊は砂山のように崩れ、同盟領へ向かう艦艇が出てきた。次々と連鎖反応的に増えていく。先の戦いで偶然にも司令部を失っていたこともあり、皆が流れやすい方に流れる。
もちろん同盟へ亡命を図るならフェザーンを経由することになる。
幸か不幸かクロプシュトック領はフェザーンからそう遠くない。
フェザーン回廊は数千隻という今までにない数の戦闘用艦艇の列が続く。
その多くは戦いで傷つき、物資もほとんど底を突いているが、とにかくこれは戦闘力を持つ艦隊である。
フェザーンもこの事態に驚きつつ反応した。
「従来の亡命手続きに乗っ取った範囲として扱う。フェザーンは人道に配慮して受け入れを考える」
自治領主アドリアン・ルビンスキーはこういう声明を出す一方、帝国に対しては困った事態であることを訴える。
「フェザーンは軍事的に無力であり、今回の大量の亡命希望者を刺激しないよう対処するしか方法がない。彼らに暴れられたらフェザーンは灰燼に帰してしまう」
もちろん考えていることは狡猾だ。
表向き災難であるかのように装いながら、ルビンスキー家ではむしろこれを幸運ととらえる。
今、フェザーンは重大な賭けに踏み出す。
機会が向こうからやってきた。
これらの艦艇を手に入れ、隠匿すればフェザーン防衛艦隊の端緒とできるのだ。
大急ぎで亡命手続きを進めた。そして戦闘用艦艇について恒星突入処理予定と公表し、一ヶ所に固めておこうとする。その裏では惜しみなく物資をつぎ込み、応急修理を進めている。
だがここで大きな問題が起きた!
先の戦いで、ブラウンシュバイク公派閥貴族の艦隊にも少なからず被害があった。圧勝といえども間抜けな艦隊行動の隙を突かれてそれなりに反撃されたからだ。
それらの貴族が艦隊を連れて尚も追尾してきたのだ。
復讐のためと言いつつ、内実はただの憂さ晴らしだ。出遅れてしまったためにクロプシュトック領惑星での分捕りのおこぼれにあずかれなかったからである。
しかし、それでも数は戦闘用艦艇千隻をはるか超えている。
どうせフェザーンに武力はないと高をくくり、何とフェザーン回廊に突入してきたのだ。
「ここはフェザーン領である。これを聞いたなら直ちに引き返せ」
フェザーン警備艇から勇気ある勧告がなされる。しかしそれは全くの無意味だった。
「うるさい、そこにクロプシュトックの奴らが逃げ込んだのは分かっているんだ。そいつらに対し復讐する権利がある。我らは貴族の誇りにかけて戦う。邪魔するな」
「ここで私領艦隊の狼藉は許されない。帝国軍からの軍監に聞いて法に従え」
「軍監だと? そんな貴族の誇りの分からん奴はとっくに片付けられた」
それは事実であり、もはや貴族たちに抑えは利かない。警告もはなから無視される。
報告を聞いたルビンスキー家は憂慮した。
このままではクロプシュトック艦隊の亡命を援助したことが仇となる。フェザーンの利どころか戦火が及ぶとは思わぬ事態だ。
実際、警告射撃を行ったフェザーン警備艇が逆に撃たれて大破する。もはや実力行使を辞さないらしい。
どうするか。
今回フェザーンの利は諦め、クロプシュトック艦と乗員を貴族に差し出して憂さ晴らしをやってもらい、解決とするか。
いいや、それはあまりにも無体だ。
鴨撃ちとは違う。一撃で百人単位の人間が命を失う虐殺である。
かといって十億人が住む惑星フェザーンに被害を及ぼしてはならない。
本当は実力でそんなことはさせないのがいいのだろう。しかしフェザーンの警備団の艦艇は小型艇しかない。数こそ集めれば二千隻はあるだろうが到底戦力として数えられるほどではない。あっさり蹴散らされるのが関の山だ。
とはいえ、敗残のクロプシュトック侯艦隊はすぐに戦力にはならない。
「お父様、帝国へ対処の要請と、ついでにここにある帝国弁務官事務所に解決策を聞いてみては」
「先ずはそれしかないな。よしルパート、弁務官事務所に行き、交渉してくれ。お前に任せる」
ルパート・ケッセルリンクはルビンスキーに重大なことを任された。
さっそくルパートはフェザーンにある帝国弁務官事務所に赴いた。そのつくりは帝国風ではなく、フェザーンの他の建物と同様の機能的なビルである。
一室に通されたが、シンプルなテーブルと深いソファーが相向かいに置かれている。全体に無駄な装飾は省かれすっきりした観葉植物が一つきり置かれている。かろうじてオーディンにあるノイエ・サンスーシーの写真が壁に小さく掛けられていることで帝国とのつながりを思い出させてくれる。
ルパートは長く待たされることなく、帝国高等弁務官レムシャイド伯爵と話すことができた。
「そういうわけですレムシャイド伯、この事態を早急かつ根本的に解決して頂きたい。むろんこれは帝国に責任がある。なぜなら勝手にフェザーンを帝国内の貴族の争いに巻き込んでいるわけですから」
先ずはルパートが先手を取る。
こういった交渉こそルパート・ケッセルリンクが真価を発揮するのだ。
実は微妙に問題をすり替えている。帝国貴族とフェザーンの問題ではなく、帝国とフェザーンの問題にしている。むろん、帝国の責任において対処をさせるためだ。
「補佐官、困った事態になっているのは理解しています。しかし、フェザーンに全く非が無いように聞こえるのですが、聞き間違いでしょうか。先にクロプシュトックの者どもの亡命受け入れを決めたのはフェザーンではありませんか」
「それでもフェザーン領内で艦隊戦など行われるのはいかがなものでしょう。フェザーンの意図ではなく、それどころかフェザーンは人道的という立場で首尾一貫しています。亡命受け入れも当然ながらその一環であることは疑いようもないと思いますが」
ルパートがゆったりした口調と鋭い言葉で場を支配していく。
次回予告 第二十四話 父とルパート
フェザーンを救え! ルパートの意外な決断!