疲れも知らず   作:おゆ

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第二十五話 486年 3月  防御の真髄

 

 

 ミュラーはさっそく戦いの準備をする。

 

 先ずはフェザーン警備艇の中で最も通信設備の良いものを選び、それを臨時の旗艦に設定した。

 艦の大きさにはこだわらない。

 何といっても通信が艦隊運動の成否を分けると知っていた。大きな数で動いたことのないフェザーン警備艇で戦いを行うのであれば、艦隊運動をまとめあげるのが何より重要だ。それができなければ戦術も何もやりようがない。

 制御コンピューターの同期、通信プロトコルの統一、やるべきことは山ほどある。しかも数時間で仕上げなくてはならない。

 

 同時にミュラーはフェザーン警備艇の乗組員を観察している。

 それらは見たところ帝国軍の兵より動きも良くミスも少ないようだった。フェザーンの方が平均して質がいい。これは意外だ。帝国軍よりもはるかに戦闘経験が少ないはずなのに……

 しかし帝国軍の兵には少なくない数の破産者、食い詰め者、社会不適応者が含まれていることを考えると納得できる気もする。帝国軍はエリート士官はエリート士官で存在するが、末端はひどいものだからだ。世間知らずの志願兵、やむなく来た徴集兵、そして社会のはみ出し者のごちゃまぜで構成されている。

 そういった雑多な集団を従わせるにはやむなく規律で縛らせざるをえない。そのせいもあって帝国軍は硬直化し、更に陰湿で息苦しい組織になってしまっている。

 フェザーン警備艇の組織はそんな悪癖から無縁だった。

 

 一方、フェザーン警備艇の側では、いきなり指揮官の立場に立ったミュラーのことを訝しむ態度をとった。

 それは色々な意味で当たり前だ。

 しかし、それを推し量って恐縮しているミュラーを目の当たりにすれば和らいでいく。

 

 特にミュラーと直接応対することになった旗艦の艦長は、見かけも中身も温厚な人物だった。それはミュラーの親にも近い年齢の人物だが、年若いミュラーに反抗することもなく従う。

 

「オルラウ大尉、宜しくお願いします。本当にその、諸事情でこういうことになって恐縮です」

「こちらこそ、ミュラー特務司令官。遠慮している暇はありませんぞ。やることは多いですから。どうぞ遠慮なくご指示下さい。各システムについては、そこのドレウェンツ中尉に聞いて下さい。奴は以前帝国軍にいたこともあって、システムの違いが分かってますから」

 

 それはとても温かく、決して無視したり妨害するような態度ではなかった。ミュラーは安心する。

 

 

 

「ドレウェンツ中尉、では先ず火器管制のシステムと指示手順を教えてくれませんか?」

「ミュラー特務司令官殿、帝国軍とは用語にも手順にも特別な作法の差はありません。あえて言えば復唱が簡略で、しかも操作が同時に開始されるというのが違いでしょうか。そのため砲撃においてはワンテンポ早まると思って下さい」

「分かりました。それと中尉、作戦の間は私の側でサポートして頂けませんか」

「了解です。本当に遠慮せずご指示下さい。たぶん、誤解されているのではないですか? 自分がフェザーン警備艇を戦いに出してしまい、危険な目に遭わせてしまっていると。それでこっちが迷惑に思っているのだと」

 

 ミュラーは正直に言う。その通りなのだ。

 

「本当に皆様には何と申し上げていいやら」

「だからそれが誤解なんですよ! フェザーンを守るのが我らの仕事です。それが誇りなんです。もちろん勝ち目の薄い戦いなどしたくないですし、実際怖いですが、怯んでなんかいません。帝国の貴族艦隊なんかに好き勝手させるもんですか。むしろ、特務司令官こそわざわざ宇宙に出てフェザーンを守る戦いに挑むのが、不思議なくらいです。フェザーン人でもないのにここを墓標にしていいんですか?」

 

 ミュラーにはドレウェンツ中尉が少しでも自分をリラックスさせるために言ってくれていると分かっている。

 

「ありがとうございます。そう言ってくれる心遣い嬉しく思います。しかしここを墓標にする気はありません。墓碑銘も考えていませんし。他人が勝手に墓碑銘を書くと思えばおちおち死んでもいられません」

「はは…… それは私の方も同じです。ついでに一言言わせてもらえませんか」

「何でしょう」

 

 ドレウェンツ中尉の表情はいかにもフェザーン人らしい飄々としたものだが、目は真剣だった。

 

「期待してます、特務司令官殿。本当に」

 

 

 

 実はドレウェンツ中尉は一つ隠していることがあった。

 ミュラーの使命感の強さ、そして真剣さを目の当たりにすればとてもそんなことは言えない。自分の目で見ればミュラーの真面目な性格が分かる。

 しかし、ミュラーを見ていない多くの者が言っていることがあるのだ。

 

「エカテリーナお嬢様の守り人が、気合いを入れた挙句、今度はついに惑星規模の守りに入った」

 

 そんなユーモアある噂である。字面だけなら立派な揶揄だが、その意味することろは少し違う。

 

 エカテリーナは実のところフェザーン人に大層な人気がある。

 その年齢と、溌溂とした見かけで。

 しかしその度を越したやんちゃぶりもよく知られている。本人はもちろん評判など気にすることなく、どこ吹く風だ。そのためアイドル的なものではなくニュースメイカーとして人気がある。

 

 エカテリーナと親しいという噂のあるこの駐在武官も別に憎まれることはない。

 気の毒に、フェザーンも女はあまたいるのに何だってこんな極端な者を好き好んで、と思われているくらいなのだ。

 

 

 

 

 誰が何を考えようと時間は刻一刻と過ぎ、現実が否応なくやってくる。

 

 フェザーン回廊を進んでいた貴族私領艦隊はやっと目指す獲物を見つけた。

 

「前方に艦影あり! 多数の戦闘艦です。艦型照合、やはりクロプシュトック艦隊がの模様!」

 

 貴族艦隊のオペレーターがそう伝えてくる。

 

「ふん、やっと見つかったか。それで、どんな様子だ。何隻いる? そしてフェザーンの警備艇もついているか? 蚊のようなものでも手向かってくるかもしれん」

 

 フェザーンの警備艇は数だけはそこそこいるはずだ。

 先のいきさつから妨害してくることは充分に考えられる。もっとも、戦力としてはものの数ではないが。

 

「クロプシュトック艦、約五百隻。こちらから逃走しているようです。付近にフェザーン警備艇は見当たりません」

 

 

 

 艦橋にいた貴族たちは呆れて笑うしかない。

 復讐の目的であるクロプシュトック艦が逃げるのは当たり前だとして、フェザーン警備艇が一緒にいないとは。

 

「何だ、フェザーンは結局のところ我らの実力に恐れをなしたのか。当然かもしれんが、クロプシュトック艦を見捨てるとは、大口を叩いておいて何だ」

「結局のところ自分が大事だということだろうよ。ならば最初から逆らわなければいいものを」

「たかが商人風情の国、誇りというものが理解できんのだろう」

「しかし無様ではないか。これで全銀河に知れ渡った。フェザーンなど力に対して尻尾を振ってくる犬のようなものだ。犬ならば鞭で躾をしてやる必要がある。」

 

 貴族たちは口々にそう言ってフェザーンを嘲笑う。

 

 貴族私領艦隊はそうしている間にも急速にクロプシュトック艦隊に迫る。

 クロプシュトック艦隊の速度は決して早くない。おそらく損傷を受けた艦が多くて速度を出せないのだろう。

 

 だったらあっさり追い付き、クロプシュトック兵の命もろとも艦を宇宙の塵に変え、復讐を達成するのだ。

 その後はどうしようか?

 どうせフェザーンに来たのだ。行きがけの駄賃を貰ってもいいではないか。先に邪魔しにかかった分、フェザーンにそれなりの賠償を払ってもらう。それさえ拒むようなら脅してでも分捕ろうか。

 貴族たちはもうそんな甘い皮算用を始めていた。

 

 

 

「クロプシュトック艦隊との距離、イエローゾーン突入!」

「早く撃て撃て! 蜂の巣にしてやれ!」

 

 貴族艦の火器管制に携わる兵たちはその命令を聞いて顔をしかめた。

 貴族の馬鹿どもには武器の間合いも分からないのか。

 しかし平民出身の兵たちは決して意見具申などしない。そんなことをしても上司である貴族の心証を悪くするだけで、何の得にもならないと分かり切っている。尊敬とは真逆の感情を持ちながら命令に従う。

 

 予期した通り、貴族艦隊からいくら撃っても当たらないか、まぐれで着弾してもシールドを貫けることはない。損傷の多いクロプシュトック艦にすら損害を与えられない。

 

 ところが、それでも意味はあったようだ。クロプシュトック艦隊は砲撃されたと分かると反撃どころか算を乱し無秩序に陣形が崩れていく。

 恐慌を起こして逃げ惑っているのだ。

 

 貴族たちは益々草食動物を狩る気分になり、嗜虐趣味が増していく。

 

「まったく無様な奴らだ。このまま撃ちまくれ!」

 

 

 そのわずか三十分後だった。

 

 急進していた貴族艦隊に突如として整った光条の列が降り注いできた。横合いから次々に突き刺さる。

 これは明らかに多数の艦の一斉射撃である。

 

「な、何だこれは! いったいどうなった!」

 

 その攻撃はクロプシュトック艦隊からのものではない。

 フェザーン警備艇からのものだった!

 クロプシュトック艦隊は今までただ逃げ惑っていたのではなく、その無様な擬態であらかじめ潜んでいたフェザーン警備艇のところまで貴族艦隊をおびき押せていたのだ。

 

 そして、フェザーン警備艇がクロプシュトック艦隊とすれ違った直後、満を持して突進し一斉射撃を仕掛けた。

 

 貴族艦隊は思わぬことに慌てる。危険なことなど全くなく一方的に狩りを楽しめると思っていたのだ。それがこんな逆撃をくらうとは。

 しかしほどなくして思ったほど損害がないことに気が付いた。

 相手はただの警備艇、その貧弱な砲火では一斉射撃で複数命中しても戦艦のシールドならば持ちこたえられる。理想的な横撃といえども貧弱では意味がない。

 

 

 

「くそ、ヒヤリとさせられたぞ。しかし何だ、その程度か」

「下らない策など弄して笑止千万だ。フェザーンめ、その報いをくれてやろう」

「よほど死にたいらしい。まとめて踏み潰してやれ!」

 

 一安心した貴族たちは蹂躙にかかる。

 

 ところがフェザーン警備艇の群れはヒラリヒラリとその鋭鋒をかわし、捉えられることはない。貴族艦からすれば有効射程に迫ったと思ってもやはり巧妙に逃げられている。

 

「ええい小癪な! どうなってるんだ!」

 

 どうしても撃ち崩すことができない!

 

 貴族艦隊が目標を決めて追っても、意外な方向から砲撃が届き、やむなくそちらへシールドを強化して対処するとその間に逃げられる。

 それならばと一気に急進しても、ピンポイントのクロスファイヤに誘い込まれるだけだ。そんなことが幾度も繰り返され、貴族側が考えて動きを工夫したつもりでも、かえって裏をかかれて余計に悪い結果にしかならない。

 

 それは貴族艦隊の誰もが経験したことがない細緻な柔軟防御だった。どちらにも損害が出ないまま我慢くらべが続く。

 

 貴族の中には、ようやく相手の戦術の見事さに気が付いた者がいた。二度も三度も防がれるとは偶然ではなく、指揮が優れているのだ。警備艇は弱くとも互角以上に戦っている、その事実を認めざるを得ない。

 

「フェザーンの警備艇ごときがこれほど悩ませるとは。いったいどういう奴がこんな指揮をしている?」

 

 そして調べた結果、判明した事実は意外なものだった。ミュラーという帝国軍所属のフェザーン駐在武官が指揮をしているらしい。だがそれを知ればかえって貴族たちは関心を失くしてしまう。平民など劣った存在であり眼中にはない。

 

「ふん、何だ笑わせる。名のある将でも何でもなく、平民出の若造だったとはな。てっきり退役した帝国軍の将が偶然フェザーンにいたとでも思ったぞ」

 

 

 

 しかし、それを聞いた若い士官の中には、ミュラーの名に聞き覚えのある者がいた。

 

「まさか、ナイトハルト・ミュラーが!? 同姓同名の別人だろう? あいつがそんな艦隊指揮をする立場であるはずがない。フェザーンに行ったとは聞いたことがあるが…… いやまさかそんなわけはない。しかし、この防御はどうだ?」

 

 半信半疑、いや名を聞いても信じられないのは無理はない。

 彼らの知るミュラーは士官学校を卒業してわずか二年、大尉でしかないはずだ。

 

 だが、士官学校でミュラーと同期だったものは皆知っていることを思い出さざるを得ない。

 

 士官学校の重要なカリキュラムに艦隊戦シミュレーションがある。戦術理論担当のシュターデン教官が見守る中、学生たちはあれこれ知恵を絞って戦い合う。

 そこでナイトハルト・ミュラーは優れた成績を収めるのだが、際立って特徴的な戦術を駆使するのだ。とにかく柔軟防御において優れていて、相手がどんな手を打ってもそれを弾き返し、破られることがない。

 

「く、くそ、またミュラーの奴にやられた。どうして破れないんだ!」

 

 ミュラーに敗けた者たちは悔しそうに悪態をつくのが常だ。しかしその悪態は本気ではない。勝って逆に済まなそうにしているミュラーを見れば憎しみなど起きるはずがない。ミュラーの驚くほど優しい気性も皆はよく知っている。

 

 シミュレーション結果を検証していくシュターデン教官は大いに唸るのだった。

 

「ううむ、局地的に自陣の二倍、いや三倍を相手にしても破らせないとは…… 皆もこれをよく見習うように。理想的な柔軟防御の例になる。正に防御の真髄と言えよう」

 

 この「防御の真髄」というのがしばらくの間ミュラーのあだ名になった。

 

 

 

 業を煮やした貴族艦隊はやたらめったら攻勢を続ける。

 その雑な攻勢の最中では背後からフェザーン警備団の別動隊が迫るのにも気づかなくて当然だ。攻撃にばかり気をとられて索敵すら怠っているからには。

 探知した時にはもう距離を詰められていた。

 

「フェザーン警備艇の別動隊に後背へ付かれました! 至近です!」

 

 オペレーターからやや焦りの声が届く。彼らには命の危険が迫っているという認識がある。しかし貴族たちの反応は鈍い。

 

「小賢しい。下らない戦術など問題ではなく、どうせ奴らの貧弱な火力で何ができよう。一応シールドを最大強化していったん防御し、その後回頭して反撃だ。蹴散らしてくれる!」

 

 貴族たちは大したことはないとタカをくくっていた。実際に斉射を浴びる瞬間までは。

 

 

 

 

 

 




 
 
次回予告 第二十六話 次幕

事件のその後……

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