エカテリーナが欲しいのは立場を知っても態度を変えない友人だ。
エカテリーナの立場を知らなかったうちに話をして、自分を等身大に分かっている人間こそ知り合いたい。
そんな希少な人間がいるのか?
いや、いないこともなかったのだ!
ナイトハルト・ミュラーなどはその希少な一人だった。
ミュラーは帝国貴族でも帝国騎士の生まれでもない。一般的な平民の生まれだ。
本当ならエカテリーナの顔を仰ぎ見ることも難しいくらい身分は断絶している。ところが交流会で会話をしてから立場が判明しても、本質的に態度が変わらない。
もちろん言葉使いは最初から丁寧だったのだが、より一層丁寧になった。しかし、エカテリーナをきちんと一人の娘として扱っている。
逆にエカテリーナにとってそれは驚きだった。
ほとんどの場合、何かの災いを恐れて敬遠される。
一部の者はルビンスキー家の権勢を当て込んで媚びてくる。
それをエカテリーナは嫌った。
もっと嫌いな場合がある。
中には「貴族でも平民でもたかが生きている人間だろう」などという気負いを持ってしまい、かえって虚勢を張る者もいる。
反抗することで自分を何か恰好いいものであるかのように思い、それに酔うタイプだ。
小物である。
エカテリーナが実際に威張っているわけでもないのにそんな態度を示すとは、エカテリーナ自身を見ていないという意味で唾棄すべきだ。
しかし、ミュラーはそのどれでもない!
気負いなくエカテリーナと話ができる。
それで今度はエカテリーナが悪乗りするようになった。
悪友のように連れまわしたり無茶を言ったりする。
ルビンスキー家に付く従者や侍女たちはエカテリーナの自由奔放な性格を知っているので、もはや諫めたりするのを諦めている。ミュラーも無理のない範囲でなら付き合って動いていた。
ミュラーとしては貴族令嬢の子供時代のただの気まぐれに付き合っているだけだ。
ミュラーは翌年士官学校卒業を控えた二十歳だが、エカテリーナはまだ十五歳なのである。
まあエカテリーナはそれで喜んでいるのだし、下町などに行くときには護衛役として自分くらいは必要だろう。
もちろん恋愛感情などあるわけがない。身分を考えたらそんなこと思えるはずがない。たぶん令嬢も子供時代を卒業したら、全て忘れ去ってしまうのだろうが、それでいい。
砂色の髪と瞳を持つ士官学校生は優しい人間だった。
それと実のところミュラーには兄弟、ではなく姉妹が大変多い。士官学校入学前は世話を焼かせられていたものだった。
今日、エカテリーナはミュラーとオーディンの服飾店街に来ていた。
立派なショーウィンドウのある貴族用の店ではなく、わざわざ下町のざっくばらんな店に。
貴族令嬢用のドレスを見に来たのではないからだ。
近頃平民娘の間で大流行のものを買いに来た。半分以上肩を出して、薄手の生地で丈の短い服である。
「いつ着るんだい? そんなの着られるわけないよ。令嬢が」
「いいの! 欲しいんだから。そしてこんなところに来る時に着ればいいじゃない」
さすがに婦人服店には気恥ずかしくてミュラーは入らない。しかも今は士官学校の制服を着ているので余計目立つ。
服を買うのに少しは他人の意見も聞いてみたいエカテリーナは不満だったが、そこは試着の数でカバーし、比べて買う。
店員は、肩の薄いエカテリーナにはフリルのあまり付けられていないしっかりした物を勧めてきた。
下の方ほど水色が濃く、そして逆に肩口にリボンをアクセントに付けられている。その方が目が行きやすく結果的に肩に見栄えがする。
それらも含めどっさり買い込んだ。
意気揚々とエカテリーナは買い物を済ませ、その荷物はミュラーが持ち、下町を抜けた。
小路を通って華やかな大通りに出ればそこからは上流階級の者もいる気取った街だ。
そこで事件になる!
エカテリーナにとっては会いたくない者に会った。
それはエリザベート・フォン・カストロプという大柄の女だ。
帝国の財務尚書さえ務めるほどの名門カストロプ家の令嬢である。年齢はエカテリーナよりだいぶ上で、同じ女学校に通っていたのだが一年間しか一緒ではなく、とっくに卒業している。
そのエリザべートは特に悪い気性というわけではないが、とにかく男勝りで荒っぽい。
大貴族令嬢としてはかなり珍しいタイプである。
同じように貴族令嬢としては破天荒なほど行動力のあるエカテリーナと仲良くなるかと思いきや、反発が先に立った。
カストロプ家は地位よりも財力で有名な家であり、そういう家にありがちなことでフェザーンに強く影響されている。
そのこともルビンスキー家エカテリーナへの反発につながったのかもしれない。
そのエリザベートが柄の悪そうな貴族子弟を五人も引き連れているところに、ばったり出くわしてしまった。
「ふん、何だいその大げさな荷物は」
「何でもないわ」
エリザベートはしげしげと見て笑い出す。
「あは、こりゃいい。平民娘の貧乏服ときた」
理由なんか何でもいいのだ。
これはエリザベートの挑発なのである。
「フェザーンでは仮装行列でもするのかい? それにちょうどいいさね」
「流行を試すのも令嬢としての嗜みよ。もっとも、私の年くらいまでの娘でなければ似合わないものだけど。行くわよ、ミュラー」
対するエカテリーナも口では負けていない。
エリザベートはもちろん年増というには遠いが、それを揶揄し、言葉でお返しをしながらとっとと立ち去ろうとする。
ところがエリザベートの取り巻きである貴族子弟がミュラーを見とがめたのだ。
「お付きの者は平民か。何だ、挨拶もなく行くのか」
「とんでもございません。御意を得ます。士官学校生のナイトハルト・ミュラーと申します。今はエカテリーナ嬢の従者代わりに付き添っているところであります」
相手は軽薄な若者でも貴族だ。
やはり平民のミュラーとしては表面上だけでも非常に下手に出て、敬っておかねばならない。
「やっぱりただの平民か。平民の従者を連れているとは、ニセ貴族らしいぜ」
これにはエカテリーナの方が顔色が変わる。
エカテリーナはフォンの称号が無いことを誇りにしている。ルビンスキー家らしく。
しかしそれをニセ貴族などと侮蔑として投げられる時には意味が違う。
立ち止まったエカテリーナを見て、ミュラーは急いで手を引っ張り、一緒にその場を離れようとした。
ここでエカテリーナが怒ってしまうのは何としてもまずい。
だが、これは貴族子弟の方が邪魔をしてきた!
さすがにエカテリーナには手を出しようもないが、ミュラーの腹にパンチを食い込ますという方法を取って。いきなりの粗暴な実力行使、もちろんミュラーなら平民なので腹いせに痛めつけていいと思っている。
「貴族もどきと平民従者、本物の貴族様を心から敬ってほしいもんだぜ」
普段ならばミュラーは護衛としても有能だ。
そんなに体格が立派というわけではないが、士官学校生の中でも格闘術に優れている。実際これまでチンピラ相手なら実力を発揮し、エカテリーナを守ったこともある。
今も反撃しようと思えば難なくできるだろう。
しかしここは貴族が相手、反撃など決してしてはならない。
もう一発パンチを食らう。
「ミュラー、何よ、負けるあんたじゃないでしょ!」
エカテリーナの声にも関わらずミュラーは防戦するが決して反撃をしない。
ミュラーという人間は我を忘れて掛かっていくような短慮ではなかった。
ところがそれがかえって貴族子弟には面白くない。
全員が嗜虐趣味を発揮しだした。最初見ていただけの貴族子弟も加わり、全員がミュラーを痛めつけにかかる。
これにはエカテリーナも驚いて、どうしていいか分からない。
ミュラーを守るためにはどうすればいいのか。最初から逃げればよかったのだ。しかし、今となってはミュラーは囲まれていて逃げられない。
発端になったエリザベートというと、思わぬ成り行きに顔を歪めている。
決して暴力が好きではなく、むしろ逆だ。
おまけに大勢で一人にかかるのを是としない正義感を持っている。
「あんたら、その辺で勘弁してやりな! その平民が悪いわけじゃないだろ!」
だが残念なことに声を掛けたくらいでは調子に乗った貴族子弟は収まらない。
まあ、それで終わればミュラーにとっては極めて不運なことではあったが、それだけの事件で済んだだろう。
しかしこの騒ぎを見て駆け寄ってきた三人の人物がいたために事態は急展開する。
初めに二人の人物がその場に着いた。
名乗りを上げることもなく、風のように入ってきたと思う瞬間、貴族子弟に仕掛ける。
それは見事なストレートを決めた!
「貴族だから平民を殴る。平民は殴り返せない。それが宇宙の法律か。少なくとも俺は認めん!」
いきなり入ってきた少年、それは輝くような金髪をしていた!
「キルヒアイス、五人で一人を殴るのが貴族の優雅な作法だと思うか」
「もちろん、そうではないでしょう。ラインハルト様」
「だったら少し教育してやった方がいいと思わないか」
「ラインハルト様、ほどほどあれば」
「ほどほどにしてやるさ。尤も、主観の相違という奴はあるだろう。キルヒアイス、手伝え」
次回予告 第三話 狂気