疲れも知らず   作:おゆ

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第四章 翼よ、高く舞い上がれ
第三十四話 487年 4月  危険な訪問者


  

 

 一方の同盟側は帝国よりもアスターテの傷は深刻だ。

 防衛に成功したというだけで、損害は厳然として大きい。失われた艦艇は二万隻、人命は二百万人に達する。

 

 そのため同盟軍は事後処理に手一杯だ。

 戦死者の追悼、負傷者の治療、年金支給、艦艇修理など様々な必要がある。同盟軍でも後方部とその下にある病院や資材担当などは大忙しだ。この時一番忙しかったのはドーソン大将とキャゼルヌ少将だったろう。

 

 

 

 もちろん中枢部は中枢部で別の仕事がある。

 先ず政府は防衛戦勝利を謳い、その痛手を隠そうとする。

 その役は国防委員ヨブ・トリューニヒトが逃げずに買って出た。

 

「誰かが表に出て説明をしなくてはならない。当然戦死者の遺族に非難されるだろう。いや、たぶんその前に売名行為だと言われるだろうな。軍部からも敗戦さえ自分のために利用する気かと」

 

 そうと分かりつつ、意を決して行う。どのみち誰かがやらねばならない。

 予想通り遺族からむきだしの憎悪をぶつけられる。

 作戦自体は軍部が取ったものであり、国防委員に直接の責任があろうはずは無い。しかし遺族にはそんなことは関係ない。とにかく目に見える者に感情を叩きつけるしかないのだ。

 

 なぜお前が生きている、なぜ作戦を命じたお前が後方で安泰だったのかと言われても答えようがない。

 国防委員などの政治家が最前線に出ても仕方がなく、そこで戦死したら無駄死になり、更に迷惑がかかるだけだ。しかしそんな当たり前の理屈は通じないだろう。

 

 どのみちこれは帝国から仕掛けられた戦いであり、回避することは不可能だった。

 

 もちろん最善の努力をしている。

 なおかつ帝国軍の強さは誰しも予想できないものだった。

 

 それでも責任を取らなければならないのが政治家の辛いところである。良識のある政治家ほどそれに心が削られることになるとは。

 

「損な役回りとしか言いようがないが、これは戦場に出ない者のなすべきことだ。それに同盟政府への求心力が失われ、各星系が離反するようなことにでもなったらそれこそ同盟に致命傷となり、艦隊の損害どころの話ではなくなってしまう。綺麗ごとを並べるようだが戦死者を悼むばかりでは先へ進めない」

 

 その信念を持ち、ヨブ・トリューニヒトは何とか式典や公式発表を乗り越えた。

 

 そして実は戦災孤児慈善事業に給料の半年分もの個人的な寄付をしていた。これはかなり後になるまで誰にも知られることのない行いだった。

 

 

 

 

 同盟軍中枢部も慌てて方策をとる。

 

 アスターテの戦いで大いに奮戦したボロディン提督や、名誉の負傷をしたパエッタ提督を持ち上げた。

 そして何より、同盟第二艦隊を途中から指揮し、その結果見事に帝国軍を撃退したヤン・ウェンリーをアスターテの英雄と喧伝したのだ。

 

 もちろん人事にも反映され、本人の意思に関わらずヤンは新設の同盟第十三艦隊の司令官に就任させられた。

 

「やれやれ、シトレ元帥に仕事を増やされそうだなあ。いいことと言えば、年金には不自由しなくなったことくらいかな」

「先輩…… 」

「いいやこれから増えた仕事の分だけ年金が増えるとすると、まいったな、やっぱり朗報とは言えない」

「いつまで何言ってんですか。不自由な参謀職よりは忙しい司令官職の方がいいでしょうよ。普通なら」

 

 ヤンのぼやきに対してアッテンボローが呆れている。

 若くして艦隊司令官に就任するという昇進を果たしながら、何でそれがぼやくネタになるのか。誰しもが羨望する立場なのに、なぜ年金の計算をするのだろう。

 

 

 

 

 動きがあるのは帝国や同盟だけではなく、フェザーンも同様だ。

 もちろん、ルビンスキー家がアスターテの戦いの詳細を知って溜め息をつくのも当然である。

 

 またしても帝国の勝利とは!

 このまま同盟は斜陽化し、軍事バランスは修復不可能になるのだろうか。物量だけではなく、質まで劣り、坂道を転げ落ちるように。

 未来は予測がつかないが、一つ確実に言えることは、同盟の滅亡はすなわちフェザーンの座を危うくする。

 

 

 だが、違う用件でフェザーンは揺れていたのだ。

 事はフェザーンに突然の来客があったことから始まっている。

 

 その人物とはエリザベート・フォン・カストロプ、エカテリーナの女学校の卒業生だ。

 いったい何をしにフェザーンへ来たのだろう。

 

 

 

「あんなこまっしゃくれた小娘と会わなくちゃいけないなんて、笑ってしまうわ。あの兄の頭がおかしくなければこんなことにはならなかったのに……」

 

 そんなことを言いながらフェザーンの軌道エレベーターからエリザベートが降り立った。

 

 口とは違い、ちっとも笑った顔ではない。

 むしろ苦渋を浮かべた暗い表情だ。

 これからエカテリーナと会わねばならないのだから。そのエカテリーナとは仲が良かったことはなく、むしろ昔から険悪な仲なのである。

 アポイントを取るだけでも気が重かった。

 

「エリザベート・フォン・カストロプと申します。カストロプ家の名代としてフェザーンに参りました。先ずは女学校の同窓生であるエカテリーナ様に挨拶をしたいと思いまして」

 

 フェザーン側の管制官にそう伝えた。

 それを受け付けた者は大層驚く。それもそのはず、カストロプ家といえば誰もが知る大貴族だ。その家柄、血筋、そして権威は帝国でも指折りである。

 

 驚く理由は他にもある。通商案件のことであればわざわざフェザーンに名代が来る必要はない。

 フェザーンはこれまでもカストロプ家とは活発に通商を行なってきたのだ。

 カストロプ家領地惑星は帝国航路でも最重要ポイントにあり、まさに要衝に位置するため、通商はフェザーンにもカストロプ家にも莫大な利益をもたらしてきた。フェザーンと緊密なパートナーであるカストロプ家が今さらかしこまる必要はない。

 しかも初めに言うことがエカテリーナに会いたいとは、これまでそんなことはなかった。

 

 

 

 直ちにエカテリーナにエリザベートの来訪が伝えられる。

 

「え? あのエリザベートが!? 女学校の同窓生だからって会いたいなんてはずないわ。旧交を温めるって、その旧交自体が無いものね。ミュラーの事件で今さら何か言うはずもないし」

 

 エカテリーナは素早く頭を巡らせた。エリザベート・フォン・カストロプはあの事件の当事者の一人だが、もうとうに過去の話である。

 

「こっちもそうだけど、エリザベートだって会いたくないだろうから、何か裏があるわね。会わねばならない理由が。世間話で終わるはずがない」

 

 一応、会談を持つ段取りを付けた。

 逆にいえばとりたてて拒む理由はない。昔のことはさて置き、どちらも大人になった今日では。

 

「単に会うだけじゃなくて、通商絡みの案件なのか、それとも頼みごとでもあるのかしら。私に根回しをしておかなくてはいけないような。あるいはもう一つ可能性があるわ。帝国の誰かに知られちゃまずいとか…… とにかくそんなところね」

 

 エカテリーナはもちろん父や兄にこのことを伝え、そしてエリザベートに会いに行った。

 場所はフェザーン統治府から歩いていけるレストランに決め、そこの個室をとった。豪華とも質素ともつかない平凡なものだ。

 

 

「これはエリザベート様、ごきげん麗しゅう」

「エカテリーナ様こそお変わりなく何よりですわ。お会いするのはオーディン以来ですわね」

「お懐かしい、本当に。女学校やあの頃の自分を思い出します。今回は遠くフェザーンまで足を運んで頂きありがとうございます」

「こちらこそフェザーンには一度行ってみたいと思っておりましたわ。その念願かなって、そしてあなたに会えて本当に嬉しいわ」

 

 言葉だけ聞けば仲のよい同窓生が歓談するように聞こえる。

 

 しかし、実際の二人は少しも楽しそうではない。テーブルに置かれたアペリティフに口をつけてもいないのだ。せっかくこの店名物の爽やかなシードルが無駄になる。

 その後はしばらく会話もなく無言だ。お互いに探り合いが続く。

 

 

 

 ついにエリザベートが口を開いた。

 

「お互い、肩が凝るわね。エカテリン、いつまで仲良しごっこをするつもり?」

「やっと地を出したわね。エリザベート。確かに肩が凝るわ」

 

 その場の雰囲気は一気に変わるが、どちらも肩の力を抜き地でやりあう。

 

「私もあなた相手に昔話するつもりはないわ。用事があるから来たのよ」

「じゃあ単刀直入にその話をすればいいでしょう」

「そうね、用事を済ませましょう。兄から言われたのでなけりゃ、あなたとこんなふうに会って食事なんか」

 

 そう言いながら、エリザベートは周囲を見渡す。むろんエカテリーナには理由の想像がついた。

 

「心配しなくても大丈夫よエリザベート。ここには遮音力場があるから。それを私が自分でスイッチを入れて確認してるわ」

 

 それを早く言えといわんばかりなエリザベートだったが、これでやっと用件を話し出した。

 

「簡単に言えば、カストロプ家はフェザーンから惑星を防衛するための設備を購入したいの。軍事的なものよ。それも調達できるだけ多く。しかも絶対に秘密のうちに」

 

 エカテリーナは驚いた。

 なるほど、そんな用件だからエカテリーナに直接話したかったのか。

 普通に商業者を通すことはできない用件だ。もちろん自治領主アドリアン・ルビンスキーと直接話して決めるべき重大案件なのだが、自治領主と会うこと自体が簡単ではない。

 秘密裏に事を運んだつもりでも、自治領主とコンタクトを付けたこと自体が漏れてしまう可能性がある。

 それだけでもとんでもないことになりかねない。重大過ぎる話だからだ。

 

 

 

 そこでカストロプ家はうまい手を打った。

 

 エリザベートがエカテリーナに会うならば、女学校の同窓というわけで恰好がつき、誰かに察知されても怪しまれることはないではないか。

 さっきエリザベートが兄に言われてというのは、このアイデアを渋々実行したからだろう。

 

「え、防衛設備!? 何それ? 確かに変わった案件だけど、海賊退治のことならフェザーンにはそれを担当する部署があるわ。話を通す?」

 

 エカテリーナは分かっていながらはぐらかした。

 海賊相手の軍事設備なら話を秘匿するわけがない。むしろそれを大っぴらにした方が海賊は寄ってこなくなるだろう。

 

 最近、エカテリーナに兄ルパート譲りの交渉術がちょっぴり身に付いてきた。

 それに練達している兄から言わせればまだまだなのだけれども。

 本心と擬態、そのどちらかに傾いてはいけない、その二つをどう混ぜ込んで見せるかが相手を惑わすポイントだといつも言われている。

 

「イライラするわね! そんなに簡単な話なわけないでしょ。さっきも言ったはずよ。惑星を守るためのものだって」

「飾りじゃなくて本当に戦いに使いたいっていうことかしら。惑星防衛ということは宇宙海賊が惑星を襲うってこと? それも大規模に? 防衛設備をできるだけたくさんということは、けっこう重要な星系なのね」

「そりゃあもちろんそうよ。カストロプ家の本領惑星だから」

 

 

 エカテリーナは自分でエリザベートから聞き出し、余計に驚いた!

 

 エリザベートのカストロプ家本領惑星は帝国の主要航路上にあり、そもそも簡単に宇宙海賊が活動できるような場ではない。

 よほどのトラブルで激昂した海賊が後先考えず押し寄せてくるというのか?

 しかしそんなことなら、防衛の仕事は帝国軍がやるべきだ。帝国軍に頼んだら事が済む。

 カストロプ家は確かに名門であるが文官の家系であり、そのため帝国軍と縁が薄いのかもしれない。しかしこれほどの大貴族の頼みであれば帝国軍が動かないはずがない。

 

「まあ、これ以上事情は聞かないでおくわ。カストロプ家が帝国軍に借りを作りたくないとか、自前で内々に対処したいのかもしれないし。で、エリザベート、自治領主に秘密裏に商談できればいいわけね。そういうことでしょ?」

 

 エカテリーナとすれば、最終判断はどのみち父アドリアン・ルビンスキーがする以上、重大な商談をつながない理由はない。

 

 その場でてきぱきと密会の手筈を整えた。

 女学校の同窓会ということでパーティー開催を企画するも、その日になりエカテリーナが急に体調不良になってしまい病院に運ばれるという筋書きにした。

 心配したエリザベートは病院に付き添い、そして同じようにアドリアン・ルビンスキーも駆けつけるのだ。

 

 誰に知られても疑われることのない、これ以上なく自然な流れではないか。徹底した隠密行動を取るのがフェザーン流だ。

 

 

 

 そして手筈通りに事は運び、エリザベートとアドリアン・ルビンスキーは秘密裏に商談をした。

 語られた内容はアドリアン・ルビンスキーが家に帰ってエカテリーナとルパートに話す。

 

「大変に興味深い内容だった。商談自体も、その背景も」

「前置きは要りませんお父様。エリザベートは何を?」

 

 少し聞きかじっているエカテリーナは気が急いている。

 そんな様子をたしなめるでもなく、面白そうにアドリアン・ルビンスキーが話を継いでいく。

 

「そう急かせるな、エカテリン。こちらも話すペースというのがあるぞ。まあ手短かに言うが、カストロプ家はおよそ頭が正常範囲内の思考をするならとうてい考えないことを企んでいる」

 

 父がそう言うのだ。これは思ったよりも大ごとらしい。海賊退治がよほど大規模なのだろうか。

 今は黙って次の言葉を待つ。

 

「帝国軍に頼めるわけがない。全く逆の話だからな。帝国に対する反抗、いやそんな生易しいものではない」

 

 

 一瞬後、エカテリーナもルパートも計り知れない衝撃を受けた。

 想像のはるか範囲外だ。考えられない。

 

「はっきり言おう。カストロプ家がやろうとしているのは、独立戦争だ」

 

 

 

 




 
 
次回予告 第三十五話 色褪せた世界

哀しみのエリザベート、その過去とは……

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