疲れも知らず   作:おゆ

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第三十五話 487年 4月  色褪せた世界

 

 

 銀河帝国はうんざりするほど長く叛徒と戦い続けている。もう百五十年にはなる。

 

 しかしそれはどちらも国家としての体裁ができあがってから、回廊の発見により否応なく始まったことである。

 どちらにとっても存亡を賭けた戦いになっているが、好きで戦っているわけではない。それどころかイデオロギーを守るためのやむを得ない戦いだ。特に叛徒と言われている自由惑星同盟にとっては。

 

 帝国内で独立といえばもう一つ、もちろんフェザーン自治領が存在する。

 それは事実上の独立国のようなものだ。しかしこれは長い時間をかけた根回しと交渉の末にやっと実現したことであり、決して戦って勝ちとったものではない。戦ったりすれば帝国にも面子がある以上、フェザーンを滅ぼす以外に選択肢を持たない。

 

 

 しかし、今回のカストロプ領が企てている独立戦争とは何だろう。

 別に叛徒のように帝国と相容れないイデオロギーを持っているわけがない。

 今の領主、マクシミリアン・フォン・カストロプが帝政否定論者だとは聞いたことが無い。

 むしろマクシミリアンはどっぷり貴族制度に浸かり、その恩恵を受けている方の人間だ。

 政体の論客どころか金儲けにしか興味のないろくでもない人物という評判である。いっそう悪いことに放蕩でもあった。いや、放蕩をするために金儲けをしているようなものだ。

 

 どんなつもりで戦いを考えているのかは分からないが、カストロプ領独立達成の実現可能性など考えるまでもなく皆無だ。

 

 先ず帝国がそんなことを認めはしない。これは絶対である。

 およそ人類社会は丸ごと皇帝の持ち物であり、人は全て皇帝の支配下にあって生きることを許される、これが国是なのだ。

 独立戦争など起こせば際限なく軍事力をつぎ込んでくるだろう。そんなことは当たり前だ。そして帝国軍に対抗できる軍事力などこの世のどこにも存在しない。

 

 ついでに言えば叛徒の領地と違うのは、カストロプ家の領地は帝国の内部にある、という動かしがたい事実である。

 そこに回廊のような障壁は何もない。

 防衛の地の利は限りなく薄い。

 仮に帝国軍と戦うことになれば易々と本領惑星に迫られてしまう。

 

 つまり、あらゆる意味で独立戦争など頭のまともな人間の考えることではない。

 

 

 

「そうね、エリザベートがイライラしてたのもそのせいかしら。エリザベートも決してうまく行くなんて考えてないんでしょうね。当たり前だけれど」

「その通りだが、それでも戦いをしなくてはならない理由がある、エカテリン」

 

 それがエカテリーナの一番聞きたいポイントだった。無謀なことであればあるほどやるからには強い動機があるはずだ。

 事もなげにアドリアン・ルビンスキーが答えを言い放つ。

 

「カストロプ家はこのままではどのみち破滅する。だから、やられる前に仕掛ける。本当に単純過ぎるほど単純だ」

 

 それも驚きだ!

 カストロプ家が破滅とはにわかには信じがたい。

 

 まず大抵の困難ならば帝国屈指の名門貴族たるカストロプ家が乗り越えられないことはないと思える。家柄だけではなく財力も途方もない力がある。

 

「お父様、それはもっと疑問です。カストロプ家が破滅とは、よほどの罪が発覚したのでしょうか。例えば皇帝弑逆罪が露見したとか?」

「……これは突飛な発想で面白い。なるほどそう思ったかエカテリン。半分は正しいが半分は気の回し過ぎだ」

 

 

 アドリアン・ルビンスキーは呆れ顔になってしまったが、エカテリーナの思考能力を楽しんでいる。

 

「もちろん、エリザベート・フォン・カストロプとやらもそこまで語ってくれることはなかった。しかしどうもカストロプ家の先代、いや先々代から重ねられてきた問題があるらしい。確かにカストロプ家といえば先代も先々代も帝国の財務尚書だった。そのせいか今の財務尚書ゲルラッハ子爵とは折り合いが悪いと聞いたこともある。そこいらが怪しいポイントだ」

 

 可能性があるとすればそこだろう。

 

 代々財務尚書を輩出してきたカストロプ家、何か後ろめたいことをやっていてもおかしくはない。

 それが明るみに出たらまずいことになる。

 はるか前から重ねられた罪であれば、釈明のしようもない。名門カストロプ家であっても罪の数によっては断罪される可能性がある。ましてそのゲルラッハ子爵が画策しているのならば。

 

 

 

 だが、それでもだ。

 それでも帝国に対し独立を目指して戦うとは、正気の沙汰ではない。

 帝国に対する忠誠心が無いのは、他にもそういう貴族はいるかもしれない。しかし帝国軍に対する恐怖心すらないというのか。

 

「どのみち破れかぶれにしか聞こえませんわ。いずれにしても破滅するだけで、汚名で終わるか、もっと汚名で終わるかの違いだけでしょう」

「いい考えだ。結論としては全くエカテリンの言う通りだ。なぜ亡命しようとしないのかも分からない。しかし事実をもう一度確認すれば、カストロプ家の現当主マクシミリアンは戦いの方を選択している。戦うことに何か希望があるのだろうか」

「確かに同盟へ亡命したところで刺客に怯えなくてはならないのも分かりますけれど。帝国軍相手に戦って希望なんて」

「希望の理由が何か、今のところ判明しない。カストロプ家は先のヘルクスハイマー家亡命事件の後、ブラウンシュバイク公からヘルクスハイマー領工業惑星の管理を任されている。そのあたりにヒントがあるかもしれん」

 

 

 

 

 フェザーンでの商談の後、エリザベート・フォン・カストロプは自領惑星に帰り着いた。

 商談は半分うまく行った。逆に言えば半分まとまらなかったが、エリザベートとしてはどうしようもない。 

 

「何だ、たったこれだけか! エリザベート、期待外れもいいところだぞ」

「お兄様。これでも精一杯交渉したつもりです」

 

 カストロプ家当主マクシミリアンがエリザベートに対していきり立っている。

 

 その手には今回フェザーンから購入することになった武器のリストがある。

 大量の機雷やミサイル、仮装巡航艦に改造できそうな大型輸送艦のリストだ。

 

 一生懸命交渉をして帰ってきたばかりの妹エリザベートから出されたものだ。だがマクシミリアンはエリザベートの疲れをねぎらうどころか、それを手にして大いに不満の顔だ。

 もっと大量に、もっと良い武器が手に入ると思っていたのだろう。

 

「それにお兄様、予算と照らし合わせても決して高く買ったわけではないと思います。むしろ相場より安いくらいに」

「ふざけるなエリザベート! お前は分かっているのか。このままではカストロプ家がどうなるかを。破滅したいのか! 今回は少なくとも横流しの帝国軍艦艇を欲しかったというのに!」

 

 次第にマクシミリアンは血走っている。不満顔にどす黒い怒りが加わり、形相が代わっていく。

 

 逆にエリザベートは蒼白だ。

 兄が激昂するとどうなるのか、忘れてはいない。この身が忘れるはずなどない。

 実のところ帝国軍との戦いなど止めて欲しいと心では叫んでいるのだが、それを口に出すなど思いもよらない。

 

「妹でありながらそんなことも分かっていない! あるいはお前も下僕どもと同じように俺を侮っているのか? そうか、そうなんだろう。ならばもう一度教え直す必要がありそうだ」

「いいえ、そんなことはありません! 私の交渉が悪かったんです。済みません、お兄様。お赦し下さい」

 

 今、エリザベートが大理石の床に平伏しその肩が震えている。

 小さく縮こまって見えるばかりだ。素晴らしく均整のとれた体型で、平均よりやや大柄のエリザベートなのだが。

 ブロンドの直毛が床に触れるまで垂れ下がり、いつも放っている輝きはどこにもない。

 

 

 

 怒気を発するマクシミリアンの横にいつの間にか召使いの一人が傅いている。

 

 若いが表情の乏しい女だ。

 マクシミリアンに向かって両手を捧げるように前に出し、その手の平の上には恐ろしいことに電磁ムチがある!

 

 エリザベートは見た。

 その召使いは一瞬こちらに顔を向け、憐れむような目をしたのを。しかし、それ以上に安堵していた表情だった。

 今日のムチの犠牲は自分ではない。この妹が犠牲になることで、当主の激昂は収まり、少なくとも今日は自分が酷い目を見ることはない、という。

 

 それもまたエリザベートには屈辱の極みだ。

 この自分が召使いにさえ犠牲の身代わりになる人形のように思われているとは。

 

「お待ち下さい。お兄様。またフェザーンに行って参ります! 必ず、もっと良いものを手に入れます!」

 

 エリザベートの息使いは激しい。

 しかしそれは浅い呼吸で、酸素は充分に行き渡らない。極度の緊張のせいだ。

 

「今頃分かって来たのか? 本当かエリザベート。しかしこれもお前のためだ。ムチの味でもっと忘れないようにした方がいい」

「忘れません! 今度はお兄様が満足する物を手に入れます!」

「そうか、では直ぐ行ってこい。直ぐにだ」

 

 少し態度を和らげたマクシミリアンがエリザベートにそう命ずる。

 

 逆にその様子を見た召使いに動揺が走った!

 その能面のような顔に今度はしっかりと驚きが刻まれる。今日の犠牲は妹ではない。しかし、この当主は日に一回くらい癇癪を起こし、つまらない理由を見つけては誰かにムチを振るうのが常である。

 

 今日の電磁ムチの犠牲は誰か。

 一番可能性が高いのは近くにいるこの自分ではないか。今まで安堵していた分、その思いで泣きそうな顔になる。

 エリザベートは召使いの表情をちらりと見るだけでその感情がよく分かる。同情心が少し湧かないでもないが、この女はついさっきまで犠牲の振り替えを考えていたではないか。ざまをみろ、との思いもある。

 

 

 

 

 再びフェザーンに向かう艇内でエリザベートは思う。

 どうしてこうなってしまうのか。今までもさんざん思い、何の解決も得られないことを。

 

 エリザベートの父、つまり先代のカストロプ当主オイゲン・フォン・カストロプは吝嗇家ではあったが少なくとも暴力を嫌う優しい人だった。エリザベートも何ら不自由なく育てられた。それは幸せな時代だった。

 エリザベートは貴族令嬢としては活発な少女として育った。

 大貴族カストロプ家の力に魅かれた取り巻きたちと練り歩いて素行不良な真似事までしている。

 しかし基本的には影が無く、いつも正直で明るかった。

 

 そんな時代は父親の死とともに突然終わった!

 

 父が死ぬと、カストロプ家は当然のことながら長子であるマクシミリアンが受け継ぐことになる。

 エリザベートにとってマクシミリアンはやせっぽちでボソボソとしかしゃべらない気味の悪い兄だった。

 確かにそんな兄を軽んじていた。両親もまた何を考えているのか分からないマクシミリアンより、周囲を明るく照らすように輝くエリザベートを愛していたからだ。

 そんな兄があまりに早く当主の位を継いでしまったのだ。

 

 その途端、兄マクシミリアンはまるでベールを脱いだように態度を変えた!

 抑圧されるものがなくなり、元々持っていた粗暴な性質がしだいに膨れ上がってきた結果のように見える。

 

 体もぶくぶく太り、変な古代趣味まで持ち、その装束を自分も周りにも強要した。

 

 そんなことだけならまだしも、いつも厳しい顔をして崩さない。そして度々癇癪を起こしては、力いっぱい周囲に当たり散らすのだ。

 当主がそんな手の付けられない様子になったのを見てカストロプ家の縁者たちは次々離れていく。帝国発祥の頃から存在する名門貴族カストロプ家は急速に味方を失ってしまった。内部でも代々執事を務めていた者でさえ度重なる折檻に耐えかねて逃げ出した。

 

 

 しかし、膨大な財力の貯えがあったのだ。多少の放蕩で尽きることはない。

 そして不条理なことにマクシミリアンは知能にだけ優れ、特に財をなす方面に異常なまでの才能があった。

 

 カストロプ本領は帝国航路上の要衝を押さえる商業惑星である。しかも古くから開拓されていたため、インフラは整い、農業も工業も充分に開発されていた。

 それを背景にしてマクシミリアンは才能を存分に発揮し、いっそう財産においては豊かになった。やがて財政面だけでいえばあの帝国最大の貴族ブラウンシュバイク家、リッテンハイム家さえ凌ぐまでになる。

 

 しかし、心はどこまでも貧しかった。

 

 

 




 
 
次回予告 第三十六話 本当の理由

エリザベートの過去と因縁……


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