疲れも知らず   作:おゆ

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第三十六話 487年 4月  本当の理由

 

 

 当然、兄妹の関係も瞬く間に険悪になる。

 エリザベートは貴族子女らしい尊大なところもあったが、陰険ではなく、まして暴虐ではない。

 

 最初は兄マクシミリアンを諫めていたものだ。

 

 しかしマクシミリアンはそれを聞くことはなく、かえって反発を増していく。ついに被害妄想が高まり、妹エリザベートにまでムチを振るうようになったのだ。

 

 最初のきっかけは今となってはどうでもいい理由なのだろう。

 まるで水位が高まり、溢れ出すようにそれは始まった。エリザベートが両親の愛を独占していたことへの苛立ちや羨望だったならまだしも対処が可能だったろう。しかし、そもそもの原因がマクシミリアンの暴虐趣味ならば話し合いも意味を持たない。改善できる見込みもなかった。

 

 エリザベート自身もムチを振るったことが全くなかったわけではない。従者が悪意で何かをしでかした時などにはやむを得ず使ったものだ。

 

 しかし今、エリザベートが電磁ムチを自分の体に受ける側に回って、その衝撃と痛みを知った。

 ひどく後悔した。

 今までムチを軽く考えていた。これほどのものだとは思わないで自分は使っていた!

 従者の失敗をムチで罰するのは貴族のたしなみの一部、だがこの痛みほどのことをしたろうか。やはり貴族の奢りがそこにあったのだ。

 エリザベートはようやく弱者の思いとその哀しみを知った。

 ただし、それで慈愛あふれる心になったかというとそうではない。それどころではないのだ。

 自分がムチ打たれることへの絶えざる不安のために心は苛まれ、他を思いやる余裕はない。

 最初は兄に抵抗しようという反抗心が芽生えたこともあった。

 公に訴え出る道がないわけではない。しかし当主がマクシミリアンであることは帝国の法によって守られている。勝手に財産を分割して退去ということはできないのだ。

 

 そのうちにマクシミリアンに逆らう心自体を失った。ムチが繰り返されるごとに恐怖に足がすくみ、反抗心ごと砕かれてしまったのだ。

 こうしてエリザベートは精神的に落ち着かない虚勢を張る女に出来上がってしまったのである。対外的には無駄に強がり、女学校での最後は粗野な生徒で通っていた。礼儀を馬鹿にし、不良の真似事をして皆に恐れられた。

 

 

 

 エリザベートは諦め、それでいいと思った。

 私は私の辛い人生を一人でとぼとぼ歩いていくのだ。

 

 誰がこの境遇を分かってくれるというのだろう! 逃げられない苦しみを背負った自分を。

 

 女学校の中に生活する上で、他の女学生たちに対しもちろん好き嫌いという感情は生じる。それは誰しもそうだろう。しかし、思いつく理由もなく感情が先に立つことは少ない。

 エリザベートはそこまで感覚のみで生きている女ではなかった。

 むしろ知性は人並み外れて優れていたのだ。そして理屈のない好悪は恥だとも理解している。

 

 そんなエリザベートにとっての例外はエカテリーナだった。

 

 エカテリーナと利害関係を持つほどの交流は存在しない。しかし何のためか分からないけれど好かないのだ。

 どうしてなのか、ゆっくりと判明してきた。

 このエカテリーナという女は少なくとも家族関係において全く影がない。しかも、しかもエリザベートが許しがたいことにエカテリーナはルパートという兄とたいそう仲がいい。

 

 もちろん家族関係が良好な貴族令嬢など他にいくらでもいる。それこそ兄妹で仲のよい家も。

 それでもエカテリーナの場合は特別なのだ。

 理由がある。

 噂ではエカテリーナの兄ルパートというのは腹違いの者らしい。それなら仲がいいとは思えないのに、事実は世間のいかにも想像するような骨肉の争いなどということからあまりに遠い。

 兄ルパートはこの度が過ぎるほど活発な妹の世話をこまごまと焼き、まるでそれが楽しいものであるかのようだ。そして妹エカテリーナは兄に幾度迷惑をかけても反省したそぶりさえ見せない。いつも天真爛漫に振る舞っている。

 そんなふうにできるのは、要するに互いに深い信頼を持ち、心を許しているからだ。

 普通の兄妹よりもよほど仲がいい。

 

 それがエリザべートが決してエカテリーナを容認できない本当の理由だった。

 

 兄妹で仲がいいなど、そんな価値基準はエリザベートにはとうてい許せないのだ。自分は兄のせいでこれほど苦しみ続けているのに。

 

 

 

 

 そんなカストロプ家にもついに天誅が下される時が来た。

 

 カストロプ家は帝国の財務尚書として先代も先々代も在任していたが、その地位を利用して私腹を肥やしていた。巧妙に隠していたので発覚せず、追及されても逃れた。

 

 しかしそういう立場を利用して甘い汁を吸うのは珍しいことではない。それこそ利益のために立場を求めるのが普通であり、帝国への忠誠心のために地位を得る方がよっぽど珍しいくらいだ。

 

 要するにカストロプ家が特別なのではない。

 ところが不運はカストロプ家だけに舞い降りてしまう。

 

 後任の財務尚書であるゲルラッハ子爵はカストロプ家を嫌っていた。もちろん、争った末に財務尚書の立場を勝ち取ったのだからそれもやむを得ない。おまけに偏執狂的なところがあり、過去に遡ってカストロプ家の罪を見つけようとまで試みたのだ。

 もう一つ、偶然が重なった。今の帝国司法尚書ルーゲ伯爵はこれもまた異常なほどに潔癖症だった。司法尚書がそうであるのは、ある意味良いことであり、本人も周りも幸せかもしれない。

 それがゲルラッハ子爵の調査に協力してしまったことから運命は転がり出す。ゲルラッハ子爵は自分も甘い汁を吸うつもりだったので、それほど執拗な調査をするつもりがなかったのだが、ルーゲ伯爵はそうではない。恐ろしく苛烈な調査を断行したのだ。

 

 そして、カストロプ家が代替わりし、ここまで時が過ぎてから過去の罪がようやく明るみに出てきた。

 

 過去のものとはいえ、その罪は大きい。

 財務尚書は銀河帝国の莫大な財政を預かる以上、その利権は他の尚書の比ではなく途方もない額になる。どんな貴族でもそのおこぼれとして賄賂を受け取る魅力に勝てない。ただし、それだけだったら帝国の藩屏たる名門貴族が罰せられるものではない。

 しかし、このカストロプ家の場合は通常に処理できない理由があった。賄賂だけではなかったのだ。

 

 問題は帝国の国庫そのものにまで手をつけていたことである。

 

 これの意味するところは賄賂などとは次元が違う。国庫は皇帝の財産である。言い換えれば、カストロプ家は皇帝の財布から掠め取ったということになり、これは叛逆罪にも値する重罪である。

 正直、現在の皇帝フリードリッヒ四世自身は国庫に興味はない。大規模な建設事業にも大勢の後宮にも縁がない地味な皇帝なのだ。国庫を気にする必要は最初からない。そのため今回のことでカストロプ家に怒りを向けているわけではないのだが、法に照らし合わせれば重罪にそれなりの処罰をしなくてはならない。

 

 帝国の威信に関わることなので、公表はされず内々に処分が決まる。

 それは数年をかけカストロプ家は手持ちの財産を全て処分しそれを国庫に納入する、それが終わり次第カストロプ家は爵位を返上し、貴族から庶民へと落とされ、オーディンから追放されるというものだ。厳しいといえば厳しいが、牢獄でもなく血を見ることでもない。

 

 しかしマクシミリアン・フォン・カストロプにとっては死に等しい。

 名誉も財産も失い、放蕩もできなくなる。

 

 

 

 

 そこでマクシミリアンは一つのことを思い出した。

 その少し前に起きた事件である名門貴族ヘルクスハイマー伯爵家の逃亡劇だ。

 結果、ヘルクスハイマー家の所有していた多くのものが周辺帰属に分捕られることになった。その中にはヘルクスハイマー家らしい工業的な設備や開発中の製品も多数含まれていた。

 貴族たちは自分に価値が分からないそれらのものを、分かる人間に託した。普通の貴族には宝石や美術品くらいしか鑑定できないからだ。

 こうしてヘルクスハイマー家の遺産である工業部門について、通商に明るいカストロプ家が運営に携わることになっていた。

 

 それについての事業を進める中でマクシミリアンはなんとも意外な発見をしたのだ。

 

 ヘルクスハイマー領では高度工業の一分野として兵器の開発をしていたが、そこに艦艇などではない面白いものが含まれていた。

 それは小型ながら惑星を丸ごと守護するシステマチックな防空用の人工要塞だった。十二個ほどがシステムを組み、効率を最大限に高めて防御に働く。今までこのようなものは帝国にはない。惑星を丸々防御するという必要がなかったからだ。

 

 既に設計は完了し、部材も大半用意されていた。後は組み立てと調整を残すばかりだった。

 完成後のシミュレーションテストの結果が出ている。それは驚くべき性能だった。一個艦隊どころかそれ以上でさえ侵攻を許さないほどの代物ではないか。

 開発計画書には、このアイデアの元が記されている。既に同様のシステムが運用されている例があるらしい。帝国情報部がようやく手に入れた資料によると、何と叛徒はその首都星ハイネセンをこれで守っている。

 逆に言えばあの叛徒どもが首都星の守りの要しているということが、有効だという何よりの証拠ではないか。ならばもっと大がかりのものを作り、オーディンを含む帝国主要星系に設置したらどうか。

 純粋な技術的興味と、皇帝の覚えをめでたくするという実利的な意味の両方とでヘルクスハイマー家は建造を進めていたらしい。

 

 そんなことを知ってもマクシミリアンは興味を引かれなかった。その時には建造コストや販路といった商売的なことしか思わなかったのだ。

 

 

 

 しかし今や帝国から死にも等しい宣告を受け、マクシミリアンはその重要性を思い出す。

 その新しい防御システムがあれば、少なくとも本領惑星は守れるのではないか。帝国軍だってこんなシステムは見たこともないはずだ。

 少なくともシミュレーションでは艦隊を通しはしない。

 それに期待する思いから、帝国に歯向かう危険な発想が芽生えた。

 元々帝国や帝室に対する尊敬など持っていない人間だ。そして粗暴な心が逆に恐れを知らない方に変化した。

 こうなれば帝国に反逆し、討伐艦隊を蹴散らし、独立体制を作ってやる。

 

 

 細かい計算もある。今の帝国軍は叛徒と戦い続けて疲弊している。しかもイゼルローン回廊付近から実戦部隊はそう離れられない。おそらく何個艦隊も引き抜いてこちらに持ってくることはないだろう。少なくとも最初は。

 そして幾度か討伐軍が来ても、カストロプ家が防衛システムでもってその都度跳ね返し、容易に攻略できないことを見せつけてやればいい。

 そうしたら何かの和約を結べる可能性がある。

 もちろん帝国は面子が最も大事なのだ。うまく皇帝の顔を立てる必要がある。

 タイミングを見ていったん降伏という形を取らざるを得ないだろうが、名誉を失ったとしても実際は自治を認められる、そうもっていければ万々歳だ。

 フェザーン自治領という格好の事例があるではないか! それと同じように事実上の独立国のようになればいい。

 

 独立国、それは甘美な誘惑だ。誰にも何も掣肘を加えられることなく思うがままに事を成せる。今でもたいがい貴族はその私領では自由なのだが、いっそう全てを足の下に置き、どんな不埒な放蕩でもできるのだ。上に戴くものは何もない。

 

 この考えに憑りつかれたら後戻りはできない。

 マクシミリアン・フォン・カストロプは財産を粛々と処分して現金化し、あたかも帝国の意向に従っているように見せかけながら、その現金を防衛衛星システムの残りの部材調達に使った。

 

 

 

 

 帝国は遅まきながらマクシミリアンに不審なところを見つけ、その意図に気付き、国務尚書リヒテンラーデ侯まで報告を上げてきた。

 しかしリヒテンラーデ侯が事態を知った時にはもはや防衛衛星の建造は最終段階にあり、間もなく軌道上で稼働できるまで仕上がっていたのだ。

 

「悔しいのう。儂としたことが後手に回ってしまったようじゃ。しかし、よもや帝国の藩屏たる名門カストロプ家がそこまで帝国に忠義を感じていないとはの」

 

 リヒテンラーデにとっては意外に過ぎた。

 凡百の貴族の話ではない。帝国の財務尚書まで務めた重鎮カストロプ家が、よもや帝国に逆らうばかりか武力抗争まで画策するとは。人の裏の裏まで読むリヒテンラーデも、いったい何を信じたらよいのかめまいがする。

 

 もしもリヒテンラーデであれば、その忠義によって皇帝が一言命じるだけで何であろうと従うのは自明なことだ。皇帝が「帝国のため死ね」と仮に言ったとしたら、即座に死ぬ。そんなことは当たり前ではないか。

 

 

 

 

 

 




 
 
次回予告 第三十七話 盟友

危うしヒルダ!!

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