銀河の歴史は時に意外なつながりを見せる。
現在、帝国首都星オーディンにいる同盟工作員グラズノフは、帝国貴族の反乱騒ぎを耳にした。
むろん帝国は同盟と違って自由な報道などあろうはずはないし、まして帝国に不都合な情報は流れない。
だがグラズノフにとって情報統制は別に障壁はならない。
表向き弁務官秘書なのだから、誰はばからずその情報網を駆使できる立場である。
しかしよりによって貴族の反乱とは……
仮にその情報が事実ならば、是非とも詳細を知りたいところだ。
首謀者は誰なのか、原因は何なのか、何を意図しているのか、どこまで燃え広がるのか…… これらは全て重大な政治動向であり、むろん同盟政府に伝えねばならない。
さてここからだ。
反乱が事実であることを確認できたが、その一段上の情報を得るためには工夫が要る。
詳しい情報を手に入れるためにはやはり情報網を作り上げる他にはない。
これまでも地道にそれを行なってきたが、ここにきてもう一歩踏み込むべきだと考えた。
狙いは既につけてある。
ボーデン侯爵という名の人物がいる。今は宮内省高等参事官という地位にいるのだが、相当の野心家であり、次は尚書の地位を手に入れようと企んでいた。
今がそれを狙う好機でもある。
現在の宮廷尚書アイゼンフート伯爵はもう八十歳を超え、もはや引退していないのが奇跡のようなものである。近いうちに替わるのは間違いなく、その時に次の宮廷尚書の座を勝ち取りたい。
ボーデン侯爵はその工作資金のために多額の金を要していた。
帝国の尚書は国務尚書や軍務尚書などの国政に携わる重要なものもあるが、そればかりではなく、尚書は尚書でも典礼尚書や宮廷尚書のような誰でもできる程度のものもある。帝国政府内でも比較的軽んじられ、それらはコネと金で買うことができる。
しかし尚書は尚書だ。この一角になれば末代までの誉れとなる。
それはグラズノフにとって都合がいい。今、帝国政府内に金を欲しがっている人物がいることは。
早速上司であるボルテック弁務官に計画を持ち掛ける。
「帝国の情報を手に入れるのに、非常に都合のいい人物がいます。多少金はかかりますがこの機会を逃す手はありません。これから長く使えることを考えれば」
「なるほどグラズノフ、面白い話だな。金のことは構わん、進めておけ」
一方のボルテックとすれば、自分がいない間にルビンスキーがフェザーンにて盤石の政治体制を作り上げているのが癪にさわる。せめて弁務官事務所の経費くらい使い切ってやれ、という憂さ晴らしの意味があった。それで情報のパイプが得られるのなら将来の布石にもなるというものだ。
こうしてボルテックの許可を得て計画を進めるグラズノフは笑いが止まらない。
フェザーンの金を使って、同盟のために堂々と帝国内に情報網を作れるのだから。
その工作活動は成功した。
ボーデン侯爵を通し、帝国政府内に流れる情報をようやく掴んだ。
それは驚くべき情報だった!
反乱を起こしたのは何とカストロプ家、帝国でも指折りの有力貴族だった。
原因まではつかめず、私怨なのかイデオロギー的なものなのかは分からない。もちろん貴族なのだから民主主義を唱えてということは絶対ない。
しかし情報の価値は次のことにこそある。
当然帝国軍が反乱討伐に向かったのだが、なんと二度までも撃退されてしまっていた!
しかも未だに鎮圧がかなわないというのだ。そんなことが有り得るのか? 帝国軍相手に一貴族が?
おまけに、今や帝国の有力貴族がこぞって動きを見せているらしい。
帝国軍はそれらを見据えてただならぬ緊張状態にある。
帝国の大貴族の武力反乱、こんな大事件はそう滅多にあるものではない。歴史に載るほどのものであり、多くても数十年に一度であろう。それも普通ならば皇位継承争いに絡んだものである。政情不安定に乗じて政敵を追い詰め、結果的にそうなった例である。
だが今の帝国は中身が腐っていても外面では平和そのものだ。フリードリッヒ四世の治政は内務尚書リヒテンラーデの努力の甲斐もあって決して悪くはない。つまり貴族の反乱などあるはずがないのだ。
それなのに、私怨が原因とはいえクロプシュトック侯によるテロがつい一年前に起きている。それなのにまたしても大貴族が反乱とは。
これは帝国の規律に何か変動がある兆しなのか、きちんと分析する必要がある。
グラズノフは一分一秒も早くこの情報を同盟首都ハイネセンに伝えたい。暗号化するのももどかしく、直ちにフェザーン経由でプレツェリに送付した。
グラズノフからの情報は無事に届き、直ちに同盟政府の最重要検討事項になる。
政府内の情報分析班が仕事を始め、その政治的潮流の変化や今後についての予想パターンを作りにかかる。
ところが、情報の持つ別の一面に鋭く着目した人物がいた!
同盟軍統合作戦本部長シトレ元帥である。
同盟で正にこの時期、この人物が相応しい地位についていたことは本当に幸運であった。
その慧眼が情報の真の価値を見抜いたのだ! 政治的経済的ではなく、純粋軍事的意義について。
「これは、回廊へ仕掛けるのに大変な好機ではないかな、グリーンヒル君」
「まさに好機です。帝国軍にとって内乱こそ最重要課題、今はイゼルローン要塞から目を離し、すぐに対応はできないでしょう。戦力的にも人材的にも」
「よし、決断すべき時だ」
現在の同盟軍トップとして、シトレ元帥は責務を果たそうとした。
千載一遇の好機、これを逃してはならない。
「グリーンヒル君、これまでの情報によると今イゼルローン要塞にいる帝国軍の司令官は二人いるが、指揮能力については凡庸との分析が出ていたと記憶している」
「しかもお互い不仲であるらしいとの話もあります。同格なだけにいっそうややこしいと」
「それも喜ばしい。帝国から援軍が望めない今であればいっそう間隙が突ける」
帝国軍は今イゼルローンに構っていられない。逆に同盟にとってはイゼルローン要塞奪取は悲願なのだ。
「元帥、いよいよですか。しかし、リスクも多分にあり、最悪の場合同盟軍は最も将来性のある将を失うことになります」
「君は、反対かね」
「いいえそうではありません。一応指摘したまでで、私は賛成です。準備は相応に進めています」
「これ以上のタイミングは望めない。同盟第十三艦隊に攻略を命じよう。ヤン・ウェンリー君には私が話す」
こうしてヤン・ウェンリーの同盟第十三艦隊にイゼルローン攻略の命令が発せられる。
シトレ元帥はタイミングと人材を大局的に判断した。
統合作戦本部長というのは直接戦いの現場に赴いて指揮に携わることはできない。しかし、同盟軍の作戦が成功するよう、大きなところで考えるのが仕事である。
その能力は他の地位にない高度なものが求められ、人の上に立つ者としての力が試される。シトレ元帥は充分にそれを持つ器だったのだ。
間もなくその結果が出た!
およそ近年にない衝撃が帝国を襲った。
想像もできないあり得るべからざるニュースである。
「イゼルローン要塞、陥落! 叛徒のわずか半個艦隊が要塞を占拠、要塞駐留艦隊に甚大な被害、艦隊司令官ゼークト大将戦死!」
帝国が莫大な国力を費やして作り上げた大要塞、それが丸ごと失われた。
しかも破壊されたのではなく叛徒の手に渡った。人員のほぼ全てが捕虜になるというおまけ付きである。
その意味するところは計り知れないほど大きなものだ。
もちろんイゼルローン要塞は主砲トゥールハンマーの絶大な威力を持ち、攻撃力は申し分なく、その上分厚い液体金属装甲によって強固な防御力も兼ね備えている。
敵艦隊を一度に千隻も蒸発させ、核融合ミサイルの斉射にも耐える。絵に描いたような難攻不落の拠点である。
おまけに二万隻の艦隊の駐留機能、人員の宿泊、そして長期滞在を考慮した娯楽施設を持つ。艦隊への補給も可能である。
加えて要塞は巨大な工場という一面を持ち、極めて生産効率の良い工業惑星のようなものだ。原料はさすがに自給できないが数年分以上の備蓄があり、その価値も天文学的な数字になる。
帝国の国力の数十年分を費やしたこの要塞はありとあらゆる面で技術とコストの結晶だ。
そして話は戦力やコストのことだけではない。
戦略的に最も重要なことはイゼルローン回廊の支配権が移動したことである。
要塞は回廊中のほぼ中央、最も狭隘なところに位置しているのだ。要塞を持つ方が回廊通行の自由を得、持たざる方は事実上不可能になる。
この位置に要塞を建造する際、帝国軍は薄氷を踏む思いで同盟軍を退け続けた。
一時的に同盟領へ波状攻撃をかけて回廊に侵入を許さず、また大軍の出兵という偽情報を流して同盟をけむに巻いた。同盟はそれに踊らされ、慌てて回廊出口に縦深陣を敷いて待ち構えたが何にもならない。逆に帝国は要塞建造という本当の情報はしっかり遮断した。
同盟はこの時痛恨の見逃しをしてしまったのだ。悔やんでも悔やみ切れない。
以来、同盟がイゼルローン回廊を突破することは夢物語となった。
幾度も攻防戦が繰り広げられた。
しかし、攻略はならない。要塞はその度ごとに跳ね返し、同盟軍に多大な出血を強いた。主要な会戦における損害比率は同盟側の方が明らかに高い。
それが同盟の国力停滞の原因の一つになっている。
ベテラン兵の補充、戦闘艦艇という超高度工業製品の生産は多大な重荷になる。それ以前はとにもかくにも同盟の方が成長率では上回っていたはずなのに。
それもこれもイゼルローン回廊の支配権という戦術的キャスティングボートを帝国が握っていたからだ。
そして今より後、帝国と同盟は攻守ところを変えて対峙する。
イゼルローン要塞という絶対の拠り所の価値はどちらの側も余すところなく知っている。
帝国軍は今までイゼルローン要塞の力に甘んじ、その上に立って戦略構想を組み立てていた。今、予想もしない事態に根本的な変更を迫られる。根底にあるのは今までのことが未来に通じるとは限らない不安だ。
この事態が知れると、帝国軍の一兵卒から上層部まで絶え間ない激論が戦わされ、どこでも二人三人集まれば議論の始まりになる。
すぐに奪還を考える者もいる。
帝国軍の中でも戦いたい将、武勲を立てて出世したいものはいるのだ。それらの者にとっては好機に映った。
今まで叛徒が攻め寄せてきた時に大規模な艦隊決戦が行なわれる。帝国から遠征する場合もなくはないが、イゼルローン要塞があるかぎりそれを利用するのが基本となる。
今後は困難な奪還作戦になり、好戦派にとっては活躍する機会が増えるだろう。
また純粋に皇帝に忠義を尽くす将も戦いを望んでいた。帝国の威信を守るため、イゼルローン要塞を取られたままにしておけない。
しかしながら多くの者は慎重な態度を取った。
イゼルローン要塞の防衛力を知っている以上、うかつに仕掛けてもうまくいかず、最悪奪還に失敗すればいっそう帝国の権威は失墜する。
ともあれ、それぞれの意見に共通して言えることはイゼルローン要塞こそ帝国維持の最重要であるということだ。
「エーレンベルク、これは断じて譲らんぞ!」
「リヒテンラーデよ、大きな声を出すな。もうお互い若くはないのだぞ。あの頃とは違う」
「誰も大声を出したくて出すのではないわ。はっきり言うておく。帝国軍は間違っておる!」
ここでも激論が戦わされていた。
しかも帝国の中枢、この上なく重要な人物である二人が言い争っている。
国務尚書リヒテンラーデ侯が越権を承知で軍務尚書エーレンベルク元帥に面会してきたのだ。
リヒテンラーデ侯に付き添い、エルフリーデもまたその場に同席していた。そして目を見張る。滅多にないものを見ているからだ。
いつも皮肉っぽいがゆったりと話すリヒテンラーデ侯がこんな興奮した姿を見せている。
実はリヒテンラーデとエーレンベルク、この二人は古くからの盟友なのだ。
若い頃に知り合い、以来変わることなく友情は続いてきた。それぞれ文官と武官、道は二つに分かれたが共に能力を遺憾なく発揮した。
今は国務尚書と軍務尚書として帝国を支え続けている。
リヒテンラーデが今大声を出したのは、心許せる友が相手だからなのだろう。
ただし、その中身が重大なものであるのも確か、正に帝国の運命を左右することである。
次回予告 第四十三話 動乱~確信~
ついにこの時が!!