疲れも知らず   作:おゆ

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第四十五話 487年 7月  動乱~物静かな提督~

 

 

 一方の帝国軍討伐艦隊である。

 

 それはキルヒアイスを司令官としているが、将官級はもちろん一人ではない。

 配下にはベルゲングリューン准将とビューロー准将が参謀としてついている。もちろん二人のどちらもラインハルトの艦隊でキルヒアイスと共にいたことがある。

 

 その時、実際にキルヒアイスがラインハルトへ極めて有用な助言をする姿を一度ならず見ていた。

 

 だが、そんな二人でもキルヒアイス自身が艦隊指揮を執るのを見るのは初めてだ。

 キルヒアイスは今回、艦隊の最高司令官であり、ラインハルトの副官という立場ではない。司令官としてどの程度の力量があるのか分かりようがないのだ。

 年齢ももちろんラインハルトと同じ若さである。

 ラインハルトという傑出した者の例を見ていても、それは特別なことであり、普通には若さは未熟ということと同義である。

 司令官の艦隊指揮能力が未知数で、しかもわずか三千隻という少ない戦力での作戦となれば不安が残るのは仕方がない。

 この二人は決して言葉にも態度にもそれを表すことはない。だが、末端の兵になればどうだろう。

 

 しかし驚くべきことに不満が噴出することはなかった。動揺も最小限だ。

 キルヒアイスの態度はいつも物静かで紳士的である。

 ただ勇猛なだけの艦隊司令が多い帝国軍内では特異な存在だ。無思慮で粗暴な者とは一線を画す。

 キルヒアイスは自然と皆に尊敬を抱かせるには充分だったのである。

 

 

 

 ついにキルヒアイスとアーサー・リンチ、二つの艦隊が対峙する!

 

 ここに至ってさすがにビューローもベルゲングリューンも慌てていた。

 

「キルヒアイス閣下! カストロプ私領艦隊は総数一万を遥かに超え、予想以上の大艦隊です! これでは正面決戦はとても無理かと」「いったん撤退し、様子を見ながら隙をうかがうべきでしょう。早めの離脱を進言いたします」

 

 目の前のスクリーンに映る大艦隊をキルヒアイスも見ている。

 二人の進言を聞いても穏やかな表情を変えることはない。

 

「いいえ、進行を続けて下さい。この陣形で予定通り戦闘を行ないます」

 

 これに周囲は驚くばかりだ。これには同じ進言を繰り返すしかない。

 

「閣下! ともかく相手は我が方の五倍近く、戦闘になるかどうか。もし包囲されれば一方的に殲滅される危険性があります!」

「小官も同じ意見です。戦力比がありすぎます。司令官閣下、何か策をお考えでしょうか。もしそうなら明かしていただければ小官も皆も安心できますが」

 

 皆は、おそらくキルヒアイスに秘策があるだろうと思っている。

 これほど冷静な司令官なのだ。自信のある策がきっと存在するのだろう。しかしそうであっても不安なものは不安であり、早いところ聞かせてほしい。

 

 だが、キルヒアイスの答えは驚くべきものだった。

 

「策でしょうか。いえ、特別にそんなものはありません。敢えて言えばもう終わっています。この艦隊が三千隻という少数であること自体が策なのですから」

 

 どういうことなのか。皆には意味が分からず、唖然とする。

 

 

 キルヒアイスの方はいっとき夢想してしまった。

 この場にラインハルト様がいたなら言うことは決まっている。瞬時に意図を見抜いただろう。

 

「こいつめ、やっぱりそうするか。もちろんお前のことだ、味方の犠牲が一番少なくて済む方法を選んだのだな」

 

 そう言って笑っただろうに。

 

 

 

 

「敵艦隊接近中! 推定接触時間、あと一時間!」

 

 ここでキルヒアイスは少しばかり動きを見せた。

 

「そろそろですね。このリストにある艦を前面に出して下さい。他の艦はその後ろに付くように」

 

 いつの間にか作ってあったリストを出してきたではないか。

 見ると、それは五百隻ほどの艦の名が記されている。

 

 ベルゲングリューンもビューローも無能ではなく、それが高速に動ける艦ばかりのリストだということを見て取る。

 そして詳しく見るほど驚かされてしまう。損傷、経歴、練度などを丁寧に勘案した後が分かるのだ。それだけでも優れた分析力が伺える。この三千隻の中でこれ以上なく的確に選抜されている。

 

「それらとこの旗艦は先行します。ビューロー准将、ベルゲングリューン准将は後方に残る艦隊の指揮をお任せします。よって速やかに旗艦から移乗して下さい」

「お待ちください閣下! 閣下が先頭に出て戦うのですか?」

「その通りです。お二人への戦闘指示としては、先行する私の状況を見ながら、思うタイミングと方法で戦いに参加して下さい。以上です」

「そんな、あまりに危険過ぎます。むしろ我らが前に出て、閣下が後方より指揮をお執り下さい!」

「お二方の心配してくれるお気持ちは嬉しく思います。ですが、ここは従って下さい。適宜対応をお願いします」

 

 キルヒアイスは自分が先頭に立って戦いに臨む。

 今までベルゲングリューンとビューローは若干の誤解をしていたことを痛切に感じる。このキルヒアイスという提督は穏やかで優しいだけの提督ではないのだ。

 もちろん無謀な猛将だということはあり得ないが、少なくとも臆病とは無縁であり、度胸も充分にあることが分かった。そしてその結果はこれから出る。

 

「イエローゾーン突入!」

「私と、選抜した艦は直ちに進発、最大戦速まで増速しそのまま突入して下さい。今ならば相手の照準に捉えられることはありません」

 

 キルヒアイスの言う通りだった。狙い撃ちにされる前に敵陣へ突入できた。損害らしい損害はない。

 

 敵カストロプ私領艦隊は、てっきりこちらが防御のために固く陣を構えると思っていたのだろう。そのわずかの隙を突いたのだ。

 そして肉薄してしまえばますます照準に捉えられることはなくなる。

 普通ならば近付くほど的は大きくなり当てやすいものだが、この場合は違い、むしろ逆だ。近付くほど動きも大きく、また迫って見えるため、練度が低いとかえって当て難い。慌てれば慌てるほど練度の低さが露呈し、有効な砲撃にならなくなる。

 

 

 

 後方からその様子を見ていたビューローとベルゲングリューンは、司令官キルヒアイスが無事に突撃を敢行したのを見届けた。

 

「司令官にはこのことが分かっていたのか…… 相手は練度が極端に低い。弾幕を作って撃ち合うのではなく、そこを突く。下手に防御陣を敷いて迎撃するよりも、なるほど突撃の方が理にかなっている」

 

 しかし、その驚きは直ぐに塗り替えられることになる。

 突入したキルヒアイスが驚異的な艦隊運動を見せていったのだ!

 まるで一体化した艦運動が、損害を受けることなく次々と相手に出血を強いていく。それは見事な統率力と判断力ではないか。長く軍にいるビューローとベルゲングリューンもこれほど素晴らしい突進攻撃は見たことがない。

 

 やがてカストロプ側艦隊は耐えられず綻びを見せた。

 

「今だ、こちらも突撃!」

 

 ビューローとベルゲングリューンが同時に同じことを言う。ここで艦列の亀裂を見逃すほど二人は無能ではない。タイミング良く攻勢を一気に強めた。

 

 

 勝機を掴んだ。

 さんざん翻弄し、カストロプ側を叩くことができたが、しかし止めを刺すことはできなかった。

 

 決定的な場面に至る前にカストロプ側が撤退したからである。

 敗勢になると無理をすることなく、早めの退却を決断している。

 

 帝国側討伐艦隊もそれらを深追いしない。

 補給などの地の利は向こう側にあり、まだ長駆して賭けに出る時ではないと判断している。いったん陣形を取り直す方が先だ。

 

 

 

「閣下、見事な突撃でした」

「小官もそう思います。あれほど素晴らしいものは見たことがありません!」

 

 艦隊戦の興奮冷めらやぬビューローとベルゲングリューンが合流を終えたキルヒアイスにそう言う。

 もはや最初に抱いていた疑問はない。

 キルヒアイスの指揮能力は立証された! それもかつてない高いレベルで。

 

 この一度の勝利でしっかりと将兵の心を掴むことができたのだ。

 しかし、キルヒアイスは穏やかに微笑むばかりであり、いつもと何も変わらず、興奮した様子も見えない。

 

「いいえ、決定的な瓦解に持ち込むことはできませんでしたね。相手はきちんとした判断力を持つ将と見えます。早めに撤退し、次の戦いのために温存するのはとてもいい判断だったでしょう」

「ですが閣下、わずか三千隻の我らが一万四千隻に完勝したのです。閣下の戦術のおかげで」

 

 キルヒアイスは艦隊司令官とは思えない優しい言い方でありながら、ここで一つ厳しいことを言った。

 

「ビューロー准将、ベルゲングリューン准将、わたくしに対して過ぎた程の賛辞をありがとうございます。ですが、お二方に申し上げておきます。今回、突撃のことなどは語る程のことではありません。見るべきところは別にあります」

 

 それは二人には意外な言葉だった。あの見事な突撃はさほどでないことと言うのか?

 

「閣下、それは何なのでしょう。正直申し上げますが、分かりません。ご教示頂きたく存じます」

「ではお話しします。最初に私たちは三千隻で単純に直進し、分隊や伏兵を設けないことをあからさまに示しました。これは相手ができるだけ大艦隊を作るように誘導するためなのです」

「わざわざ大艦隊を作らせる、それはいったい……」

「もしも伏兵の疑いなどがあれば、慎重に艦隊を分けることもあったでしょう。それをさせず、艦数で一気に圧倒することができると相手に思わせるためでした」

「閣下、ではわざと作らせた大艦隊、だからこそ」

 

 ここまで聞いて分かってきた。

 ビューローにもベルゲングリューンにもやっと理解が追い付いてくる。

 キルヒアイスはもはや戦闘が始まる前に勝っていたのだ。初めから勝利は確定していた。

 

「そうです。そして大艦隊にすればするほど、艦の性能も練度も混在してきます。敵の司令官が有能でも図体が大きければ鈍くなり、対処が送れます。また、艦列の濃淡を見れば突撃を行なうのもたやすく、そして敢行すれば綻びを見せるのは当然でした」

 

 想像した以上に素晴らしい司令官だった。わざと敵に圧倒させ、だからこそ勝ったのだ。

 

 

 

 ここで不意にキルヒアイスが少しばかり笑った。ビューローもベルゲングリューンも戸惑う。

 キルヒアイスはラインハルトならば当然言ったであろうことを思い描いてしまったのだ。考えるまでもなく心に浮かんでくる。

 

「キルヒアイス、部下に親切なのはお前の美点だが、少々過ぎているのではないか。お前も苦労性だな」

 

 笑いを収め、キルヒアイスは二人に向かって最後に告げる。

 

「お二方とも勉強して下さい。あなた方の総司令、ローエングラム元帥は戦術でも戦略でもこんなものではありませんから」

 

 

 

 

 一方、こちらはカストロプ側である。

 帰還してきたアーサー・リンチは早速罵倒の声を浴びせられることになる。

 

「どういうことだ! 数であれほど優っておいて、一方的にやられるばかりだったではないか。無様にも程がある。この役立たずめ、何か言い訳を言いたいなら言ってみろ!」

 

 マクシミリアンが戦いの結果を見てそう言ってくるのは完全に予想の範囲内だ。

 罵倒されているアーサー・リンチとしては表情を変える必要も覚えない。ましてや這いつくばって謝罪することもない。

 

「負けたことについては、確かに俺の責任だ。戦術で敗北したのだから弁明の言葉もない。今回の帝国軍は今までとはまるで違う強さだ。おそらく優れた将が率いている。しかし、今さら何を言っても言い訳だ」

 

 そう言われるとマクシミリアンも鉾を収めざるを得ない。

 平伏して謝罪するのを見たい気持ちは山々だが、他に艦隊指揮官がいない以上、任せ続ける他はないからだ。

 特に今回の帝国艦隊が強いとなれば、下手に司令官を代えるのは悪手であるとマクシミリアンにも分かっている。

 

「ふん、責任は分かっているようだ。充分に反省しておけ。それはともかく、次は勝つんだろうな」

「そのつもりで戦う。当たり前だ」

 

 この時ばかりはアーサー・リンチも眼光が鋭くなる。

 帝国軍の優れた将、名は分からないが相手にとって不足はない。

 二度目も負けてなるものか!

 

 自分は自由惑星同盟軍の将として思う存分戦ってみせる。

 

 

 こんな二人の様子を陰から伺っている者がいた。

 エリザベートだ。

 今回の帝国軍は強い、だったら動くにはチャンスではないか。

 

 エリザベートは心を決め、ヒルダにこっそり会いに行った。

 

 

 

 




 
 
次回予告 第四十六話 動乱~夢の中の歩み~

最後に見えてくるものとは、いったい……



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