疲れも知らず   作:おゆ

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第四十九話 487年 7月  動乱~終結~

 

 

 エリザベートに向かって放たれたエネルギー線は右腿に当たった。

 これにより出血は多く、転がったまま動けない。放っておけば出血多量で死ぬのは明らかだ。

 

 そこまでの暴虐をしてのけても、なおマクシミリアンは怒りの表情のままだった。

 実の妹の死にゆく姿でさえ解毒できないのか。

 それほど世に対する怒りは強く、深いものだとでもいうのか。

 

「エリザベート。恨むなら、何の疑問もなく親に愛されたお前自身を恨め」

 

 蒼白になり意識も失った妹にとどめの四度目を撃つ。

 

 

 そのはずだった。

 マクシミリアンが驚きの表情を浮かべる。

 その背にナイフを突き立てられた!

 果物ナイフで後ろから刺されたのだ。

 

「何だ、何をするか!」

 

 原因はすぐに分かった。

 取るに足りないと思っていた下女の手によって刺されたのだ!

 

 振り返ったマクシミリアンが怒りの声を上げ、素早く指輪型ブラスターを使おうとした。その背からナイフが抜け落ちる。

 だが同時に気付いた。もう一人、別の下女までナイフを持って近づいてきている。それを認めたわずかな隙に、また初めの下女がナイフを拾い、迫ってくる。

 二人の下女はどちらもナイフを持っている。

 

 マクシミリアンは同時に両方を避けることはできない。

 迷った一瞬の隙に、またもや刺され、動きが止まったところを他方に刺された。

 

 指輪型ブラスターの射線はあえなく外れている。

 暴れながらまた撃とうとしたが、再び刺された。今度は足である。

 

「おのれ、殺してやる。下賤の分際で、俺に逆らうとは……」

 

 だがマクシミリアンはたまらず床に倒れている。

 頼みとする武器、指輪型ブラスターは指ごと床に縫い付けられてしまった。射線はあらぬ方向に向いたままだが、痛みのため無駄に撃ちまくった。エネルギーパックが切れるまで。

 いくつかが広間にある制御コンソールに当たってしまい、発火したようだ。そこから煙が急速に噴き出している。

 

 

 

 その時、床に倒れて苦しむマクシミリアンの視界に見えた。

 

 何と広間の入り口から下女が次々入り、四人、五人、六人と増え続けているのだ!

 これは防衛衛星の再起動のため使い捨てるはずだった下女たちではないか。やはりマクシミリアンの残虐な意図に気付いて衛星に向かわなかったのだ。

 

 下女に憎しみの表情や怒りの声があるならば、マクシミリアンも言い返し怒気をぶつけただろう。しかし下女は何の表情も浮かべていない。すべて能面の顔をして忍び寄る。

 ここに至ってマクシミリアンは怒りよりも恐怖が上回る。

 

「ま、待て、お前たち! 何のつもりだ!」

 

 下女たちは更にナイフを刺してきた。

 ゆっくりと、しかし浅く。

 急所は全て外してある。それだけが下女たちの知性を感じさせる。

 

 能面の下女たちが入れ替わりながら刺していく。決して急所を刺さず、繰り返し。繰り返し。

 ナイフが次々とその手に渡っていく。むろん、マクシミリアンの懇願に何の反応もない。

 

「お前ら、いつもいつも俺に従っていただろうが! 忠誠心はどこに行った! 俺はお前らの主人だぞ!」

 

 この時だけはナイフにねじる動作が加わった。マクシミリアンはそれ以上言葉を続けらず、苦痛の叫びに変えるしかない。

 幾度刺され続けても傷は浅く、そしてマクシミリアンの巨体が持つ体力が無駄に死を引き延ばす。

 

「痛い痛い! 分かった、いくらでも金をやるぞ!」

 

 痛みに耐えきれず、ついに悪態ではなく懇願に変える。

 

「頼む、やめてくれ、俺が悪かった!」

 

 それでも下女たちのナイフは止まらない。

 マクシミリアンが絶命したのは、それからたっぷり二時間もしてからのことだ。刺し傷は実に百を超えるものだったが、それでも過去に振るった電磁ムチの回数に及ぶものだろうか。下女たちの怨嗟は半分も報われていない。

 死んだマクシミリアンに残された表情はその生きざまにふさわしい泣き顔だった。

 

 

 

「ここだ! ここにいた!」

「あ、倒れてますね。煙に巻かれて、いや、違う。凄い出血です!」

「まだ息がある。直ちに艦に運ぶぞ!」

 

 この広間に駆け込んでくる者がいた。そして倒れて意識のないエリザベートを確認し、まだ生きていると見るや素早く移送にかかる。

 

「良かった、見つかって。しかしこの出血は…… ブラスターに撃たれたのか。助かればいいが」

 

 広間にはエリザベートの他には誰もいなかった。たった一つ、死体が転がっていたのを除けば。

 下女たちはマクシミリアンが死んだのをしっかりと確認するまでいたが、その後は去っていたのだ。エリザベートについては、敢えて痛めることもしないが絶対に助けようとしたわけでもない。マクシミリアンの被害者でもあり、カストロプ家の一員でもあるエリザベートに対して愛憎あったのだろうか。

 

「原因はあれかな、ドレウェンツ」

「何ともいえませんが、ともかくマクシミリアン・フォン・カストロプの方は死亡ですね。それで、この死体はどうします?」

「ほっておけ。じきに帝国軍がやってくる。そっちに任せよう」

 

 二人ともマクシミリアンには良い感情を持っていない。わざわざ死体の搬送などするつもりはなかった。

 

 

 

 

 ゆっくり目を開けた。

 ここはどこなのだろう。私は生きているのか。

 あの広間での様相が思い出される。兄マクシミリアンは私を幾度も撃ち、そしてどうなったのか。

 

「気が付かれましたか。エリザベート・フォン・カストロプ嬢。安心して下さい。命に別状はありません」

「ここはどこですか。宇宙船の中ですか」

 

 わずか聞こえる音と振動から、エリザベートは宇宙船だと察しがついた。

 

「そうです。本艦は先にカストロプ家に貸与されたフェザーン艦です。私は艦長のオルラウと申します。今、本艦はフェザーンに帰投しているところです」

「それでは帝国軍が追ってくるでしょう。帝国軍が反乱の首謀者カストロプ家の者を赦すはずがありません。私を引き渡さなければフェザーン艦にまで迷惑が及びます。覚悟はできています。助けて頂いたことには感謝しますが、しかし直ちに引き渡しを」

「いいえ、そのことですが、帝国艦隊が我らを追ってくることはありませんでした。不思議なことです」

 

 それからエリザベートは説明を聞いた。

 エリザベートの傷は快方に向かうだろうということ。簡単な止血がされていたこと。エリザベートは知らないが、下女たちはそこまでのことはしていた。

 

 そして何より、兄マクシミリアンがあの場で死んでいたことを淡々として聞いた。

 自分でも判別できない思いが胸をよぎる。

 それは悲しみとも安堵ともいえない深いものだ。

 

 兄の人生とその最期は、何の意味があったのだろう。

 

 良き方向に行った可能性はなかったのだろうか。どこかで道を間違えただけで。

 楽しく微笑みながら生きる人生、兄と私がカストロプ家の残った家族として、手を携え協力する姿にはなれなかったのだろうか。

 

 そんなことは夢だ。

 

 兄妹二人が手を取り合う可能性は微塵もなかった。兄の方がそんな人生を選ぶ意思はなかったのだから。現実は現実である。

 そして兄の死によってカストロプ家の叛乱に終止符が打たれた。これ以上迷惑をかけることはない。

 

 館は燃え落ち、下僕も下女もその多くが死んだということだ。

 死者たちはもう語ることはない。悲しみも恨み言も。

 せめて安らかであれ。

 

 多くの人を巻き込んだ悪夢は終わった。

 深い静寂がそれに取ってかわる。

 

 

 悲劇はようやく歴史の彼方に埋もれたのだ。

 

 

 

 

 そしてエリザベートは自分がなぜ救出されたのかも分かった。

 

「我らは事前にエカテリーナ様に二つの要件を授かっていました。一つは戦闘によってフェザーン艦隊に損害が出た場合、二割を超えれば自動的にフェザーンに戻るように、と。これはカストロプ家のために艦隊をすり潰されることがないための配慮でしょう。実際はアーサー・リンチ司令官が殿について我らを逃してくれたのですが。それで館の広間に到着するのが間に合いました」

 

 エカテリーナが安全弁を用意していたのはいわば当たり前のことだ。しかしその配慮は結果として必要なく、フェザーン艦隊には大きな損害はない。アーサー・リンチの潔い最期がそれを可能にした。

 

「そしてもう一つのこととは、エリザベート様、あなたのことです。エカテリーナ様は必ずあなたを救い、殺されたり自害することなく連れ帰れと厳命しておいででした」

「そう、やはり」

 

 エカテリーナの配慮だった。

 それはいかにも考えそうなことだ。エリザベートが覚悟を持って兄と対峙することを予期していたのだろう。

 そこから救い出す。友は、友を見捨てない。

 

 

 

 帝国軍がカストロプ家の私領艦隊を倒し、最大の問題である防衛衛星も突破したことはオーディンの行政府に通達されている。大乱になりかけた事件は燃え上がることなく終息に向かうことが確定したのだ。

 

 国務尚書リヒテンラーデ侯は深い溜息と共に思考の海に沈む。

 

「ようやく終わったか。大変な騒ぎだったの。いや、終わっていないのかもしれぬ」

「終わったが終わっていない、確かに。リヒテンラーデ、考えていることは分かる。単純に喜ぶ気にはなれん」

「そうじゃな、エーレンベルク。以前なら帝国は絶対であり、弓を引くことなど考えられもせんかった。それが当たり前じゃった。知らぬうちに帝国が変わってきたのかもしれぬな。カストロプ家のことはいわば表層に過ぎぬ。心せねば」

「これからの帝国、頼むぞ、リヒテンラーデ」

 

 リヒテンラーデはエーレンベルクの言い方により、その真意が分かった。

 

「それはいかん! いかんぞエーレンベルク。引退など早い!」

「いや、どのみちイゼルローン要塞失陥の引責は誰かがせねばならん。カストロプ討伐がかなっただけでも儲けものと思わねばな」

「引退などせずともよいではないか。帝室に忠義なるものの数は残念ながらもう少ないのじゃ」

 

 確かに、本当に忠義の者は少ないのだ。そして帝国は大きい。支えるには一人でも多く必要なのに。

 

「リヒテンラーデよ、貴様がいれば帝室は大丈夫だ。何だその顔は? 儂が褒めるのがおかしいか。ならば口だけでなしに一番上等のワインで形にしてやろう。今夜、館に来い。二人が初めて参事になった年のワインを一本残してある」

「おお、あの年か…… あの頃とは人も帝国も変わったの。懐かしいものじゃ」

 

 もうそれ以上は言えない。引き留めることはできないと悟った。

 

 

 リヒテンラーデにもエーレンべルクと同じ思いが去来する。

 それは二人の若い頃、未来には希望があり、信じる正義に傾倒できた頃だ。そんな日々は帰らない。

 

 

 

 

 

 




 
 
次回予告 新章 「帝国の崩壊」 突入


第五十話 波の間に

ヒルダの心に密やかなさざ波が

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